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『立ち去った女』:ラヴ・ディアス監督 独占インタビュー

Shinsuke Ohdera

あっという間の3時間48分。ベネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した最新作『立ち去った女』公開にあわせて監督のインタビューを独占公開! 世界中に<ラヴ・ディアス中毒者>を増やし続けているフィリピンの鬼才に、映画批評家の大寺眞輔が迫る。

ラヴ・ディアスはフィリピンの映画監督である。98年のデビュー以降、12本の長編を撮り、40以上の賞を受賞している。ときに11時間に及ぶこともあるその上映時間の長さと国際映画祭での数々の栄誉によって、フィリピンの怪物的映画作家とも呼ばれている。2013年にカンヌ国際映画祭ある視点部門で上映された『北<ノルテ>-歴史の終わり』によって国際的に知られるようになり、2014年『昔のはじまり』でロカルノ国際映画祭金豹賞、2016年『痛ましき謎への子守歌』でベルリン国際映画祭銀熊賞、そして同年『立ち去った女』でベネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した。

最新作の『立ち去った女』は、トルストイの短編『God Sees the Truth But Waits』から着想を得たラヴ・ディアス監督のオリジナル作品である。

小学校の教師だったホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は無実の罪で投獄され、30年の歳月を獄中で過ごした。ある日、同じ受刑者の親友が真犯人は自分であり、彼女に罪を着せたのはホラシアのかつての恋人ロドリゴであったと告白し、その後自殺した。釈放されたホラシアは家に戻るが、一家は離散し息子は行方不明、夫は既に亡くなっていた。ロドリゴへの復讐を決意するホラシアだったが、その周辺にはバロット(アヒルの卵)売りの貧しい男や物乞いの女、そして心に傷を抱えた謎の女ホランダ(ジョン・ロイド・クルズ)らが集まってくる。

Hazel Orencio

——『立ち去った女』は、1997年という明確な時間を物語の背景にしています。この年を選ばれた理由は何だったのでしょうか?

1997年という年は、私にとって個人的に深い意味があります。フィリピン南部で育った私はそこで多くの野蛮な出来事を目撃し、様々な場所から排除されました。その結果、私は流浪の人間として生きざるを得なかったのです。私たちは家を失い、もはや帰ることができません。それ以来、私たちが永住できる新たな場所を求めて、私たちは終わりなき旅を続けているのです。

1997年、私はニューヨークでおよそ5年間働いた後、フィリピンに帰国しました。ニューヨークでの厳しい生活は、私の人生で最も孤独な時期だったかもしれません。私は子どもたちから離れ、家族から離れ、私たちの生計を立て居場所を作ろうと努力していました。貧しさから逃れようと努力していました。そして同時に、私は自らの映画の道を進むために努力していたのです。

1997年は、まるでゴルディアスの結び目のように錯綜しています。世界全体が複雑で痛ましい様相を呈していたのです。想像してみてください。これほど多くの出来事がたった一年の中に詰め込まれていたのです。香港の中国への返還(住民の多くは怒りと悲しみに包まれました)、愛すべきダイアナ妃の痛ましい死、聖なるマザー・テレサの死、フィリピン系アメリカ人によるジャンニ・ベルサーチの射殺、フィリピンは誘拐事件の激増で悪名を馳せ、エジプトでは70人の旅行者が虐殺、そしてカリフォルニアで起きた宗教団体ヘヴンズ・ゲートの集団自殺、イスラム教徒によるアルジェリアのテロ、マイク・タイソンはイベンダー・ホリフィールドの耳を噛み、国連の報告によれば飢えと栄養失調によって何百万人もの人命が奪われ、ビル・ゲイツがスティーヴ・ジョブズとアップルを救い、ロスリン研究所ではクローン羊の発表による科学的ブレイクスルーが起き、アメリカではじめて女性が国務長官に就任し、タイガー・ウッズが最年少でマスターズを勝ち取り、最初の「ハリー・ポッター」が書物として刊行され、「ライオン・キング」がブロードウェイで初演され、『ジュラシック・パーク』と『メン・イン・ブラック』のシリーズ第一作が公開され、『タイタニック』が当時史上最高の興行収入記録を打ち立て、そして人工知能ディープ・ブルーがカスパロフをチェスで打ち負かしたのです。

物語を特定の時代に結びつけるのは、常に有益です。その当時の出来事や問題、人々の振るまい、そして文化などは、登場人物や作品のビジョン、そしてパースペクティブに個性を与えることにとても役立ちます。物事の因果関係やロジックを築くのに中枢的な役割を果たしてくれるのです。登場人物や物語を社会政治的文脈に位置づけることは、作品に常にある種の美学的規範をもたらします。それは、物語に地形的明瞭さを与える最適なロケ地を見つけることに近いとも言えます。こうした作業が達成されたなら、あとはただ動きや、登場人物たちに何が起きるか、あるいは物語がどういう方向へと進むのかについて考えれば良いのです。

——あなたが長編デビュー作の撮影を始めたのも1997年だったと聞きましたが?

少し複雑な事情があります。わたしが最初の長編である『Evolution of a Filipino Family』(完成したのは2004年で、それまでに『The Criminal of Barrio Concepcion』など数本の長編監督作品が公開されている)の撮影を始めたのは1994年のことでした。アメリカの東海岸、ニューヨークやニュージャージー、バージニア、メリーランドで延々と撮影していました。1997年にフィリピンに戻り、そこでも撮影を続けました。それは作品のフラッシュバックとして使用するつもりでしたが、ファイナルカットではフィリピンでの場面が11時間にまで増えていました。その結果、アメリカで撮影した場面を全部捨ててしまったのです。

——ニューヨークでのジャーナリスト生活はどのようなものだったのでしょう?

私はニューヨークとニュージャージーに拠点を置いたフィリピン系の新聞で働いていました。しかしそれは、本物の仕事というよりは仮ごしらえの野営地のようなものに過ぎませんでした。あまりに賃金が安かったからです。私たちは搾取されていました。なんとか生活を営む基盤にはなりましたが、撮影のために16ミリフィルムを購入したり、家賃を払ったり、家族に仕送りするためにはあれこれ奇妙な仕事をする必要がありました。

——トルストイの短編から作品のインスピレーションを受けたとのことですが、小説で主人公は男性ですね?

トルストイの小説からは、主にその物語の導入部分にインスピレーションを受けました。他人の罠や悪意によって社会から疎外された人物を描くというもので、そこでは人間の弱さに基づく極めて原始的な振る舞いのようなものが描かれています。それが映画の土台となり、そこから私は多くの要素を発展させ、別の軌道を描く作品を作り上げました。性別を変えたのは、今回は女優を主人公にして映画を作るという前提があったからで、単純にアジャストしただけです。

——トルストイの小説において、主人公は刑務所の中で神に自らを捧げ、それによって心の平穏を得ます。映画の主人公ホラシアもまた同様の人物でしょうか? 彼女もまたある種の聖人だと見なせますか?

ホラシアは、人間的にトルストイの主人公と同様の高みに達しています。彼女は自らに押しつけられた地獄のような境遇にも関わらず、きわめて威厳のある振る舞いを保ち続けることができるのです。運命は彼女を破壊しませんでした。彼女は、その苦闘によって身体的に壊されてしまうことがあるにせよ、魂までは決して破壊されないのです。

——なぜあなたは、チャロ・サントス・コンシオをホラシア役として選んだのでしょう?

チャロ・サントスはフィリピン文化においてアイコニックな女性です。彼女は大変苦労して、内気な田舎娘からフィリピンで最大の放送ネットワークのトップにまで上り詰め、若い看護師から映画製作アシスタントに転身し、ビューティ・クイーンの座を勝ち取り、尊敬される女優になりました。それは本当に驚くべきことです。彼女は主人公ホラシアと同じように、「sui generis」つまり類い稀な女性なのです。

——チャロ・サントスやジョン・ロイド・クルズのような有名俳優と一緒に仕事することは、あなたが他の作品でもしばしば行ってきた非職業俳優との作業に比べて違いがありますか?

職業俳優と非職業俳優の間に違いは全くありません。とりわけ、登場人物を造形する作業に関しては。違いが生まれるのは、演技の方法論やその人が持つインテリジェンス、教養、身体性のレベルにおいてだと思います。職業俳優は演技のテクニックやプロセスを知っていますが、一方で非職業俳優の生々しさは本能的な力強さを生み出すことがあります。しかし、テクニックにも生々しさにもそれぞれの限界があるのです。そして、映画作家の役割が重要になるのがこの場所です。いかにして両者の違いに調和を見いだすか、いかにして彼らがもたらしてくれるダイナミクスを映画として受け止めるか。

——ジョン・ロイド・クルズ演じるホランダは、日本語の歌を披露します。

日本とフィリピンは、地政学的な理由から文化的にきわめて深い関係があります。ただしそれは、実に複雑な関係です。私たちは互いにとても近いにも関わらず、同時に自己修練のあり方や、物事の見方、振る舞いのレベルにおいて、とても違っています。ホランダのキャラクターは、この両国の現代的な関係性を象徴しています。80年代以降、何千ものフィリピン人が「文化労働者」として、いやもっと卑俗な蔑称を使えば「ジャパゆきさん」として日本に行きました。「ジャパゆきさん」とは、貧しい彼ら/彼女らが日本人に提供することのできる娯楽のすべてを婉曲に指す用語であって、そこには歌や踊り、コメディ、マッサージ、そして売春のすべてが含まれています。これはひとつの文化現象となり、様々な歌や言葉、言い回しなどがその一部を構成しています。ホランダの歌や踊りもそこに含まれているのです。

——夜の街を徘徊するバロット売りの声がとても印象的でした。彼らの姿は現在のフィリピンでも見られるものでしょうか?

そうです。フィリピンの都市部であれ、小さな街や田舎街であれ、近年横行する殺人の恐怖が落とす影にも関わらず、バロット売りの姿をいまだ私たちは見ることができます。たいていの場合、彼らは街灯の下で腰掛けていたり、暗闇の中を歩いたり、夜のグラデーションの中から亡霊のようにスッと現れたり、商品を売り歩くために声を出していたりします。揺るぎなく響き続ける彼らの悲嘆の声は、暗く曖昧な忘却の墓場へと送られてしまうことが決してありません。バロットとバロット売りはフィリピンに特有のものであり、私たちが生き抜いてきたことのシンボルでもあるのです。

——あなたの作品にはリアリズムと同時に象徴性もあります。また、いわゆる他の映画への直接的参照はないにせよ、復讐譚としてのジャンル要素や映画的でフィクショナルな場面構築を感じさせられることもあるように思います。『立ち去った女』では、ラストショットが非常に象徴的な映像でした。

この映画のラストショットは、儀式的なイメージとして構築しました。人間という存在が心に傷を負いがちな喪失や悲嘆、自らの問いに対する回答を求める試みが導く深淵、そして存在の空虚という野蛮さを巡るきわめて根源的で無慈悲な悪循環がそこには存在しています。私が映画を作るときには、他の何よりもこうした事柄に強くインスパイアされます。私は人生のパラドクスやバルド(訳注:チベット仏教において人が亡くなってから生まれ変わるまでのアイドリング期間)、そして人間性の複雑さを読み解こうと常にチャレンジしています。もちろん、それらはしばしばクリシェに堕してしまうかもしれません。しかし、私には無数の疑問があり、その答えや何か応答のようなものが与えられることは決してないだろうと知りながら、それでもなお私は答えを求め続けているのです。

一方、弁証法的立場から言えば、映画は私に人生の試練に対する癒しを与えてくれます。それは私にとってソクラテスのアゴラ(訳注:言説や意見の表明を可能にする場所やプラットフォーム)となったのです。真実は単なる幻影ではないという議論を、そこで私は問い続けることができます。そう、それは問いなのでしょうか、それとも私に与えられた責務なのでしょうか? 映画の実践は、変容や哲学的真実を人にもたらすことができるのだろうか? 偉大な映画の実現を求め続けることに価値はあるのだろうか? 美を獲得することは可能なのだろうか? いかにして魂を育むことができるのだろうか? 私は、こうした疑問からより多くのインスピレーションを受けています。たとえ、それらが秘教じみて苦痛に満ちたものと見えるにしても。こうした疑問が私を前に進めてくれるのです。

——あなたは映画を数多くご覧になりますか?

はい。私は貪欲な映画ファンです。どんな映画でも、どんなジャンルでも、傑作から最悪な映画まで、字幕のあるなしに関わらず自分の分からない言語で作られた映画を私は見ます。映像だけで十分なのです。しかし、ハリウッドが近年作っているスーパーヒーロー映画に対しては、最近になって嫌悪感を抱くようになりました。ああした映画は、情け容赦なく人を無感覚にさせます。今週、フィリピンでは『マイティ・ソー バトルロイヤル』が興行収入記録を塗り替えたと新聞の見出しになっています。たぶん私の怒りは、科学技術の大いなる進歩にも関わらず、私たちが野蛮状態へと退行していることに向けられているのでしょう。私たちは人間の魂を失いつつあります。しかし、それは何という悪魔の取引でしょうか!

——2001年『Batang West Side』から、あなたの作品は長大な上映時間を持つようになりました。上映時間の長さやショットの持続の問題は現代映画にとってひとつの大きなテーマであり、あなたの作品も「スローシネマ」(近年の国際映画祭で話題になった、長回しを中心とした静観的なミニマリズムに基づく一連の作品を指す。ラヴ・ディアスの他にペドロ・コスタやツァイ・ミンリャン、カルロス・レイガダスなどがしばしば上げられる)と呼ばれるカテゴリーの中でしばしば受容されています。

私の映画がはじめて本当の意味で自由に解き放たれたのが『Batang West Side』でした。スタイルに関して言えば、最初の4本の作品からすでに共通して存在しています。変化が顕著に見られるのは、長さや持続の面においてでしょう。

「スローシネマ」というカテゴライズは理解できます。それはもはや因習的な映画ではありません。それがスローなのは、編集を素早く行うためです。それがスローなのは、たったひとつの「ことば」で醸成されたものだからです。

——長大な上映時間の中で、あなたの作品は観客のコミットメント(没入体験)を喚起、ないしある意味では要請するものとしてあるように見えます。

映画へのコミットメントは、登場人物たちや物語を可能な限り充足させるためにこそ生み出されます。作品の真実味やニュアンスが映画の全体像を満たし、またその逆も同時に行われなければなりません。私の作品に数多く存在する歴史的パースペクティブもまた同様でしょう。

ただし、長大な上映時間を持つからと言って、私は観客に私の映画を見たり、それを好きになってくれるよう押しつけたりはしません。上映時間の長さやゆるやかな動き、映画の見た目の問題は、ある種の観客の怒りを喚起する場合があることに私は早くから気づいていました。それは、彼らがそれまでに見てきた映画とはあまりにも違っているのです。しかし、私にとってより重要なのは、発見という側面です。私は映画を芸術として認識しており、美学的関心の中で映画作りをしています。私の作品は、そこでただ観客に発見されるのをじっと待っているのです。いずれにしても、私は商業的目的で映画を作っている訳ではありません。いつか、観客たちが私の映画を発見し、その出来映えに満足し、人間性や魂をその中に感じ取ってくれるならば、少なくとも私の目的の幾つかはそこで達成されたと言うことができるでしょう。

——白黒映像もまた、あなたの作品の主要な要素のひとつです。

私にとって映画とは白黒映画のことです。それは、この偉大な芸術形式の特性に対するシンプルな愛情表現なのです。白黒映像が与えてくれる詩情に対して、私はとても満足しています。それは私を別の次元、別の領域へと連れ去ってくれます。同時に、映画を作ると言うことはひとつの世界を作り出すということなのだと、私に思い出させてくれるのがこの白黒映像です。映画映像がミメシス(現実の似姿)を脱する訳ではないとは言え、それは虚偽性を脱色し、「映画の領域」へと作品を昇華してくれるのです。

——次回作としてドゥテルテ大統領を扱ったミュージカル(!)、そしてさらにフィリピン農村部における日本軍による虐殺を描いた作品を準備されていると聞きました。

正確に言えば、ドゥテルテ大統領を明示的に描いた作品ではありません。時代背景は1979年で、フィリピンが戒厳令下にあった時代です。つまり、より直接的には独裁国家の象徴としてのマルコス大統領を描いた作品になるのですが、それは同時にこの国の過去と現在について実に多くの事柄を語る作品であり、国家そのものを描く作品であるので、見る者の視点と解釈に応じて誰をターゲットにした作品だと言うこともできるでしょう。

ドゥテルテによる一年余りの統治の元、あまりにも多くの死と道徳的腐敗がこの国に生まれました。それは驚くべき出来事であり、一体この国はどこへ向かうのか人々は不思議に思うでしょう。この作品はひとつの警告であり、教訓あるいは未来への悪い予感を与えるものであるかもしれません。もし私たちが油断するなら、この政権は私たちを再びあの暗黒時代へと送り返してしまうかもしれないのです。しかし、こうしたいわゆる政治的側面を抜きにするなら、この作品はシンプルなロックオペラとして楽しむこともできます。映画に収められた様々な歌は、観客を別の心理的グラデーションに導くかもしれません。こうした議論を、私は観客にゆだねようと思います。この映画はプロパガンダではないからです。

そしてまた、私は第二次世界大戦時代に日本帝国軍がフィリピンで行った虐殺を描いた作品も準備しています。それは私の母親の親戚の記憶に基づいた映画です。私たちは、すでに5、6年ほどこの作品の準備作業を続けています。

——日本映画でお好きな作家はいますか? あるいは他の国でも。

黒澤明、小津安二郎、溝口健二、そして大島渚の作品を愛しています。タルコフスキーからは常に大きなインスピレーションを与えられています。

立ち去った女
監督・脚本・撮影・編集:ラヴ・ディアス
出演:チャロ・サントス・コンシオ、ジョン・ロイド・クルズ、マイケル・デ・メサ