よみがえったL7:ドニータ・スパークス インタビュー

実はフェイク・ニュースのパイオニアであり、中絶の権利をうたうコンサートを主催してニルヴァーナと共演し、おそらくタンポンを使ってロックの伝説を創造した唯一のバンド、L7が帰ってきた。トランプと戦い、ロックの歴史を書き換えるために。

by Charlotte Gush; translated by Atsuko Nishiyama
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12 December 2017, 3:25pm

This article was originally published by i-D UK.

「いまそのことについて触れていいものか、ちょっとわかんないな」。 LAの自宅にいるドニータ・スパークスが電話ごしに言う。後の世代に大きな影響を残したパンク・ロック・グランジ・バンド、L7のフロントウーマンである彼女は、朝のコーヒーを飲みながらドナルド・トランプについて話している。より具体的には、バンドが18年ぶりにニューシングル『Dispatch From Mar-a-Lago』を出したきっかけを説明しているのだ。この3分の曲の中で描かれる場面はこうだ。パームビーチでトランプ一家が過ごす複合リゾート施設〈マー・ア・ラゴ〉に怒れる群衆が押し寄せる。大統領護衛官は、第45代アメリカ合衆国大統領の午前4時の奇妙なツイートの暗号を解読しようとする。「我々は攻撃されているのか? 宇宙は肥大しているのか?」ドニータは歌詞を引用して疑問を口にする。「軍にいる人たちなんかは、こういうひどいことが起こるのをどう思ってるわけ?」

解散から10年以上を経て再結成した彼女たちだが、当初はこの時代で一番の巨大政治家について曲を書こうとしていたわけではなかった。あまりにありがちであからさますぎることを恐れたのだ。それに、インターネット上の荒らしの格好の対象になってしまうかもしれない。「あえて危険を冒したやつが一番ひどく叩かれる。ババアとかブスとかデブとか呼ばれてね」ドニータは言う。それでもL7のファンが望んだこともあり、結局は実行した。「やってやれ! 毎日虐げられる声が聞こえないとでも言うのか、ってね。こういうことについて、アーティストが声を上げるのを聞きたいと思っている人たちがいる。とにかく真っ向勝負でやるもよし、煙に巻くようなやり方でも、メタファーに包んでもいい。なんでもできるやり方で、ここはクレイジーな場所なんだから」

このバンドの悪名高い「クソ野郎リスト(Shitlist=L7の曲名にもある)」にトランプが追加されたのは当然のこととして、実は彼女たちこそがファイク・ニュースのパイオニアだったことが、新しいドキュメンタリー映画『L7:Pretend We’re Dead』の中で明らかになっている。「マスコミはニュースを求めてる、ロック系のメディアも同じ。だからニュースを提供したの」ドニータはその理由をそう語った。「だからって別に〈すごい、L7がストーンズと共演!〉とか〈史上初! バンドが月で演奏か!〉とかそういうのじゃないから。そういう類いのニュースではまったくない。ただなんて言うか……私はちょっと変なわかりにくいセンスのものが好きで。ニュースとして発表されたなかには本当じゃないこともあった、ということ」

L7にまつわるストーリのうち、真実でないものはどれなのか、ドニータは言わない。どれが嘘か本当か、わからないということ自体が彼女にとっては面白いのだ。とはいえドキュメンタリーのなかで、バンドはそのうちの一つを打ち明けている。「爆弾をしかけた」という脅迫を受け、PV撮影が邪魔されたというニュースだ。「私たちの友達でもあるヴィゴ・モーテンセンが監督をするはずだった、と言ったの。自分たちの安全はともあれ、セットにはたくさんの珍しい動物がスタンバイしていたから、爆弾が爆発したら大変だと心配した、ともね。私たちがPVのために珍しい動物をたくさん借りられるほどお金があるって、みんな本気にしたんだから! しかもヴィゴ・モーテンセンって! 彼自身はこのニュースを気に入ってたけどね、ちょっと笑える話として。どこかのメディアの人がこういうのを拾ってくれるといつも大喜びした。だってそうすると、最終的にはMTVニュースに出るの。めちゃくちゃおかしかった」

ドニータ・スパークスとスージー・ガードナーの2人が1985年にLAで始めたバンド、L7。ベースのジェニファー・フィンチ、何回かのメンバー交代を経てドラマーに決まったデメトラ・プラカスがメンバーに最終的にメンバーに落ち着いた。LAのパンクロック・シーンで頭角を表し、グランジ・ブームの波に乗ってサブ・ポップと契約、世界中をツアーした。1994年7月のi-D「ザ・ファン・イシュー」でドニータが語っているように、「最初からずっと〈女にしてはかなりいいじゃん〉とか、クソみたいなことに対処しなくちゃいけなかった。〈女としてロックをやることとは?〉みたいな質問はもう受けないけど」

サラ・プライス監督によるドキュメンタリー映画の全編を通して、バンドのメンバーによるナレーションでも、ビデオカメラで自撮りされたライブを見ても、移動中やハウス・パーティでも、ホテルの部屋でふざけ回っている時も、彼女たちのメッセージはいつもはっきり響き渡る。とにかくただロックしたい。けれど米国のメタル専門ラジオ局は、彼女たちの曲を流そうとしなかった。さらなるドニータの言葉に、私は呆然とした。彼女たちは米国のメタル・フェスティバルでは一度も演奏したことがないというのだ。いまだに? 「そう、メタルのフェスには出たことない。ヨーロッパやイギリスのヘヴィ・メタルのフェスではプレイしたけど。すごくクールだった。メタルのオーディエンスはとても、とても、忠誠心が強いでしょ。前に冗談で言ったことがあるんだけど、まるでシェールのファンみたい。永遠にずっと、ファンでいてくれる。メタルのファンが一度味方についてくれたら、一生ものだから。ヨーロッパやイギリスのメタル・シーンのそういうところが本当に好き」

L7にまつわるいちばん印象的だった(それは今も変わらないが)ことは、ミソジニーや排除、嫌がらせと言った障壁と直面し、それらを挑戦的なアートに変えてしまうところだ。「Fast and Fighting」という曲の中の象徴的なフレーズ「立派なクリトリスがあるから 彼女にタマ(balls=根性、意地)はいらない」といったいかにもパンクロックな歌詞。ライブでのアドリブ(観客の中から「おっぱい見せろ!」というヤジが飛べば、それをきっかけにジャム・セッションを始め、黙らせてしまう)。そして、正義感あふれるタンポン投げつけアクション。もちろん私が言っているのは1992年のレディング・フェスティバルで起きた、いまやロック史の伝説と化したあの事件についてだ。中傷を浴びせてくるフェスの客に対して、ドニータは自分の体から血だらけのタンポンを引き抜き、投げつけながらこう叫んだ「私の使ったタンポンでも食ってな、このクソ野郎ども!」このできごとは 2001年の解散以降、インターネットに記憶されているこのバンドについてのあまりに少なすぎる情報の一つに数えられる。ドニータは、それを消したい過去と考えているのだろうか? 彼女にとってのオジー・オズボーンのコウモリ事件(ステージに投げ込まれたコウモリの頭を食いちぎった)のようなものになっているのではないか、と私は気になっていた。「私のあの反逆行為で、傷を負ったタンポンはいなかったでしょ!」彼女は言う。「動物を傷つけたりしていないの。だからオジーの事件とは分けて考えたい。しばらくの間は〈ああ、なんでいつもそのことを持ち出されるんだろう? なんであんなことしたんだろう?〉と思ってた。でも今では若いフェミニストたちが私がしたことを受け入れてくれて、いいじゃん、と思ってくれてるのが嬉しい。いいよね」「女の人たちの脳裏にくっきり焼きついてくれたらいいな。〈ああクソ! あの野郎にタンポン投げつけてやればよかった!〉って思うくらいに」彼女はさらに言う。「想像上の復讐譚として楽しめるじゃない? 〈ファックユー!〉って言いたい時に」

彼女たちより少し後に出てきた、90年代のラデッツ(ladettes)と呼ばれる女子たちは、自分たちにフェミニズムは必要ないと考えていた(自分たちは男たち〈lads〉と同じで、仲間だから)。それに対して、L7はいつもフェミニストであることをはっきり主張してきた。「彼女たちはあからさまで堂々としたフェミニストだった」とGarbageのシャーリー・マンソンはドキュメンタリーの中で証言している。もちろん、彼女たちも「男っぽい」大暴れをいろいろした。イギリスのテレビの音楽番組〈ザ・ワード〉で、ドニータがお尻を出したこともある。メディアと大衆は激怒した。でも彼女たちのしたことはそれだけではない。大規模な妊娠中絶権利擁護のベネフィット・コンサートを連続して企画し、全米中で開催した。「グリーンピースや、HIV/AIDSの組織ACT UP LAのベネフィットでも演奏していたし、中絶権の問題はちょうど激しく議論されていたから」とドニータは言う。「それにほら、80年代はロック・アゲインスト・レイシズムがあって、大きなコンサートが開かれていた。それで〈よし、じゃあプロ・チョイス(中絶権擁護)のコンサートをやってみよう。誰もまだこの問題については何もしていない。みんなムカついてるのに、若い人たちがいま起きていることに気づけるように打ち出す場がないよね〉って。それでやることになった」。ロック・フォー・ハンガーズ(ハンガーは自己中絶行為に使われてきた)という毒々しいユーモアに満ちた最初の呼び名を経て、「ロック・フォー・チョイス」と名づけられたこのコンサートでは、ニルヴァーナ、ホール、ジョーン・ジェット、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、そしてレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどが演奏した。

サラ・プライスのドキュメンタリーのために自分のアーカイブを見直したドニータは、Facebookにその中のハイライトのいくつかを投稿し始めた。これまでこのバンドが一度も持ってこなかった、インターネット上に存在する場所を作ったのだ。この時点でメンバーは何年も話をしていない状態で、解散からは10年以上の月日が流れていた。映画のナレーションを吹き込むのさえ、別々に行っていた。そこで他のメンバーの話を聞いたドニータは「なぜバンドが終わってしまったのかについて、自分は彼女たちとまったく違う考え方をしていた」と言う。ジェニファーの父親が死んだことが、彼女にとってはバンド活動にかなり大きく影響していることに気づいていなかった。家族を持たなかったことを、スージーがそれほど後悔しているとも知らなかった。映画の中で、ドニータと2人で1985年に始めたバンドをスージーが脱退する場面には、胸を締め付けられる。「そうなの。初めてバンドに映像を見せた時は、シーンとなった」と彼女は言う。驚くべきことに、それ自体も彼女たちが再結成してずいぶん経ってからのことだった(Facebook上でファンたちが強くすすめたこと、そして映画について彼女たちの間で好ましいメールが交わされたことにより可能になった)。すでに全米とヨーロッパを回るツアーを終え、オーストラリア・ツアー中のホテルの部屋で、彼女たちは一緒に映画の完成版を見た。

ドニータが言うには、バンド内で解散の「ドロドロした細部」についてまで話したことは一度もない。「みんなで死体の解剖をしたことはないの」彼女は言う。「その話をわざわざしたいメンバーは誰もいないと思うし、そうするのが生産的なことだとも思わない。みんなそれぞれに違う言い分があるはずだし、他のメンバーから少し邪険にされたように感じることも時にはあると思う。だからあまり細かいことを話し合おうとは思わない」ドニータは語る。「だって、すごくいい時間を過ごしたから。個人的な問題の重さを肩から下ろして、今この瞬間を楽しんでる。もう一度ライブパフォーマーになる経験を、バンドの一員であることをね」。アーティスト、特に女性のアーティストたちがメディアで自分の内面をさらけ出し、うわべだけの搾取的なリアリティTV的「親密さ」を表すことがよしとされている現代には、新鮮なあり方だ。

またステージに戻って、世界中をツアーするのはどんな気持ちなのだろうか。「とてつもなくいい気分。昔みたいに何かを証明してみせる必要もないし」ドニータは言う。「私たちのバックに大きなレコード会社がついてるわけじゃない。チームの仲間は数人の個人だけ。以前とはまったく違うスケジュールで動いているしね。だから今はただファンに向けてプレイしてる。私たちのことが好きか嫌いか、ただそれだけのこと」。 かつての忙しい毎日は、ヒット曲「Pretend We’re Dead」を含む1992年のアルバム『Bricks Are Heavy』が成功した後に訪れた。グランジの世界的な成功の波に乗って、レーベルはL7のアルバムがもっともっと売れることを期待した。1994年の『Hungry for Stink』はビルボード・チャートの172位に到達。もっと売れ、というプレッシャーに対するフラストレーションを表現すべく、彼女たちは次のアルバムに『The Beauty Process: Triple Platinum』というタイトルをつけた。チャートがどうであれ、自分たち自身に賛辞を贈ったのだ。

バンドが新しいアルバムを出すという噂については「誰かの願望かもね」と言いつつ、ドニータは新曲がまもなく発表されることは明かしてくれた。「新しいトラックを〈ドロップ〉するの、ビヨンセ風に言うと。彼女が実際にそう言ったことあるか実は知らないんだけど、とにかく私たちの新曲が11月の終わりに出るよ」。今のところ彼女たちは、矢継ぎ早に曲を作ってはリリースするヒップホップ的なスタイルを楽しんでいる。「昔はそんなことできなかった。アルバムを作るっていうのはとにかくすごく大変なことで、ものすごい時間をかけていた。今はもうそんな風に時間を無駄にしている暇はない。だから、曲ができた、リリースしよう、っていうやり方が、なんだかんだで気に入ってる。今の時代を受け入れて、うまくやっていきたい。それに2018年にはライブもやるの。南アフリカに行くんだけど、できたらヨーロッパでもやりたい」

次の質問は答えてもらえないかもと思いつつ、拒絶を承知で聞いてみた。「ジョン・ウォーターズ監督の1994年の映画『シリアル・ママ』でL7が演じた架空のバンド〈キャメル・リップス〉のことを教えてもらえます?」「そうそう、春にはジョン・ウォーターズの誕生日パーティで演奏するかもしれない」とドニータは答えた。まるでこの世でいちばん普通の質問を受けたかのように。「あの映画の中の曲〈ガス・チャンバー(ガス室)〉を演奏してほしいとみんな思ってるのかもね。望まれているとは思うけど、実際あの曲をやるかはまだわからない。でもあのパンツだけは絶対に履かない、ありえないでしょ! でもどうかな。もしかしたらその件についても、考え直すかもね」。不思議にもネット上に広がっていないL7の歴史上の特に珍奇な事例といえる〈キャメル・リップス〉だが、現在の彼女たちにとっては私が予想したよりずっと当たり前の話題のようだ。「変な話なんだけど、この間ある友達とラジオに出演してた。そしたらそこにいたみんなが、〈そういえば覚えてる? L7って昔、あのコッドピース(股当て)を着けてたよね。そうそう、アソコの形がくっきり強調されるやつでしょ?〉なんて言い出して。私は〈ちょっと! 違うよ、あれはジョン・ウォーターズの映画の中だけ! ステージとかでは着けてないから!〉って」。とはいえ、未来はわからない。もしそれが彼女たちのステージ衣装になったら、大げさに強調されたヴァギナのコッドピースこそ2018年版プッシー・ハットとして広まっていくかもしれない。

インタビューも終わりに差しかかる頃、ドニータが「ありがとう、これからも連絡を取り合おう」と言ってくれたことに驚いた。1時間ほどのインタビューの間に、この先も続くような友情が結ばれたとは考えにくい。とは言え彼女の口から社交辞令が飛び出したというのも、同じくらいありえそうもないことだ。彼女が連絡を取り続けようとするのは、これから何があるからなのだろうか?「ほら、もし私たちが何かおもしろいことをするなら話を聞きたい、とかね。連絡してくれれば、いるから」。 L7は自分たちのドキュメンタリーを、話をする人の顔ばかり映る退屈なものにしたくなかった。深夜テレビのロックロキュメンタリーで中年男性が語る音楽史は、歴史全体の半分に過ぎないことを知っているのだ。L7はインターネット前史という影の中から姿を現した。そして「ただロックしたいだけ」の女性たちの物語をよりうまく語るのは、もはや彼女たちではなく他のみんながすべきことなのだ。

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