「金を貯めろ。かっこよくあれ。コンドームは着けろ」:プレイボーイ・カルティ interview

プレイボーイ・カルティは、自らの名前を冠してデビュー作となったミックステープ『Playboi Carti』で、21世紀に上流生活を生きることを讃えた。無頓着系ヒップホップの王子とそのニューウェイヴに乗ろう。

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31 January 2018, 11:31am

This article originally appeared in The Sounding Off Issue, no. 350, Winter 2017.

カルティを“ただのラッパー”と侮ってはいけない。ロンドンの写真スタジオで会ったカルティは、優しく大きな瞳と高い頬骨が目を引く、“歩く矛盾”といった存在感を放っていた。彼は金を稼ぐことを目的に活動する、ごく普通のアーティストだ。アトランタ出身であることの誇りを胸にニューヨーク行きのバスに乗り、その後、前だけを向いてきた。「治安の悪い貧民街(ゲットー)の現実に埋もれてしまってもおかしくない」10代の少年だったが、それを避け、H&Mでの仕事に就いた。「現実を嘆くばかりで何も行動に移さない——これまで俺がそんなタイプの人間だったことは一度もない」と、彼は言う。H&Mを辞めたのは、店頭でTシャツをたたんでいるのがカルティだと客に認識されてしまうほど、地元での彼の名声が高まったときだった。「自分が新たな波、新たなサウンド、新たな世代の一部だと感じる」と、カルティは揺るぎない確信を持って言う。

カルティは14歳のころから音楽づくりを続けている。友達の家を尋ねては、そこにあるビートに合わせてラップをした。その友人とカルティはお金が貯まるたびに新しい機材を購入し、カルティはサー・カルティエ(Sir Cartier)名義で、2012年11月にミックステープ『Young Misfit』をリリースした。「前は友達のためだけに音楽を作っていた」と、彼は当時を振り返る。「アトランタの文化に大きな影響を受けていた。アトランタで開催されるショーに行って、地元アーティストたちを見ては、『俺もあれをやりたい』と考えたものだよ」

レーベル〈Awful Records〉の大黒柱Etherealとともに音楽づくりを続けるうち、彼はSoundCloudで多くのファンを獲得した。そして、まもなくSoundCloudでは対処しきれなくなった。Etherealとカルティは「YUNGXANHOE」や、“100ドル札を数える”と大口を叩く「Lost」を含む数々の楽曲を発表した。「アトランタの人たちは音楽をやる人間にチャンスをくれる」と、カルティは地元アトランタについて話す。しかし、その時点で若きカルティは次なる動きを決めていた。「あれは文化的なムーブメントだった。ちょっと話題になれば、もうそれはグローバルなものになる。そういう時代だろ?」

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もちろんベルリンより先にマンハッタンを目指すのが当然の流れだ。カルティは17歳でニューヨークへと移り、A$AP Mobのメンバーと出会う。その後、2015年にはテキサス州オースティンで開かれたSXSWでのパフォーマンスを依頼され、そこでA$AP Rockyと出会った。「彼と出会ったとき、『あれこそは神だ。あれが神だ』と思った」とカルティはその後、自身の人生の兄貴分となったラッパーについて話す。「俺の音楽を好きだと言ってくれて、愛を持ってからかってくれたりもした。彼に会うまで、俺は自分こそが最高だと思ってた」

A$AP Rockyと出会ってから数週間のうちに、カルティはその時点で彼にとって最大のヒットとなった「Broke Boi」と「Fetti」をドロップした。そして、オーランド、ブロンクス、ヒューストンと、アメリカ各地を転々とした後、カリフォルニアに落ち着いた。そこでA$AP Rockyは、カルティに「男であること、金を貯めること、それから、こういうもの」について多くを教えてくれたのだそうだ。「こういうもの」とはインタビューのことだ。カルティは、その場にA$AP Nastと他10人の取り巻きも同席しているにもかかわらず、ほとんど少年のような実直さをもってインタビューに答える。

SoundCloudでもトラックを発表し続け、またA$AP Mobのデビュー・アルバム『Cozy Tapes』にもアドリブ参加を見せていた。しかし、カルティのフルアルバムがリリースされていないことが、ヒップホップ・コミュニティで広く嘆かれてもいた。「マジで、どうやってあいつがあそこまで有名になったのかわからない」と、カルティの友人でありコラボレーターでもあるLil Uzi Vertは、今年2月にライブ形式で行われたQ&Aで冗談めかして言っている。「だって、テープすら作ってないんだぜ!」

ピエール・ボーン(Pi’erre Bourne)のプロデュースによる「Magnolia」がリリースされ、それがほとんどプロモーションをせずともヒットしたことでその状況も変わった。彼の名を冠したデビュー・ミックステープ『Playboi Carti』からの3枚目シングル「Magnolia」は、『Billboard』誌のBillboard Hot 100で最高29位を記録し、Lil Wayneは同曲に触発されたフリースタイルを披露し、Jay-Zにいたっては、アルバム『4:44』を制作している時に受けた影響について、プリンスやマーヴィン・ゲイの名を挙げるとともに「Magnolia」を「影響を受けた唯一のラップ曲」として挙げている。伊達男的セクシーなバウンスが一度聞いたら耳から離れないサマーソングとなった「Magnolia」は、カルティにとって避雷針のような役割を果たした。話題を振りまき続けた2年間を経て、彼は国の現状を嘆くばかりのシリアスなラップではなく、とにかく楽しもうとするタイプのヒップホップの波を、商業的に率いる先頭走者となった。

「俺たちがそういう世界観を作り出したんだ」と、自らのスタイリングもこなすロックスターのLil Uziや、同郷のLil Yachtyや21 Savageなど、ともに快楽主義を打ち出す新たなアーティストたちについて言う。「今は俺たちの時代で、ファン以外に嫌われることなんか心配してちゃいけない。ファンには生身のものを届けなきゃならない。ファンたちは人間としてのアーティストを好きになってくれてるんだから」と、彼は付き人から手渡されたパックのジュースを飲みながら続ける。「若手のラッパーたちは自分を信じ、他人が言うことを気にせず進み続けてほしい。世界は俺たちのもの。だから、いま自分がやってることをフルに活用して、金を貯め、かっこよくあることを忘れず、コンドームは絶対につけて、人生を生きてほしい。わかったか?」

Credits


Photography Olivia Rose
Styling Bojana Kozarevic

This article originally appeared on i-D UK.