真のアメリカンドリームを捉えた、移民コミュニティの写真
移民たちの物語を新たな視点から捉え直すシリーズ〈The Land of Milk and Honey〉について、フォトグラファー本人が語る。
残虐な植民地化、故郷から引き離されたアフリカの人びとなど、米国の移民の歴史は、痛みと暴力に満ちている。それにもかかわらず、この国は今も世界中の移民にとって、〈乳と蜜の流れる土地〉であり続けている。
トランプ政権前も、そして現在の政権下でも、北米の移民を取り巻く物語の中心にあるのは〈排斥〉だ。彼らがこの国に根を下ろすときの苦難や障壁は、厳戒態勢が敷かれた米国・メキシコ国境での移住者の恐ろしい体験から、ムスリム入国禁止令などの人種差別的な政策による一斉送還まで多岐にわたる。
ナイジェリア系米国人クリエイターのアレキサンダー=ジュリアン・ギブソンによるフォトシリーズ〈The Land of Milk and Honey〉は、米国で花開いてきた移民コミュニティの喜びと豊かな多様性に焦点を当てることで、移民たちの物語を新たな視点から捉え直す。
自らのファッション業界でのキャリアと家族写真の美学をヒントに、自宅で伝統衣装を身にまとった移民の家族を暖かく映し出すこのシリーズは、米国という国のより複雑な肖像を明らかにしている。アレキサンダー=ジュリアンは本作でInstagramとタッグを組み、ストーリーでの公募や、DMやタグで本物の家族をキャスティングするなど、主にアプリを介してプロジェクトを進めた。

「移民やゼノフォビア(※外国人嫌悪)にまつわる発言に気持ちを乱されるようになったのは、トランプ(が当選した)後のことでした」とアレキサンダー=ジュリアンは語る。
「〈自分の国に帰れ〉という暴言には本当に腹が立ちました。僕が考える米国の美しさとは、いろんな場所から来たひとが至るところにいて、それぞれがこの国に自分の文化の趣を加えていること。それこそが米国を偉大な国にしている。世界中の人びとが集まり、それぞれの文化を縫い合わせることで、米国という1枚の布を織り上げてきたんです」
どれほど白人至上主義的な発言が飛び交おうとも、移民、特に海外に住むアフリカ系、アジア系、ラテン系の人びとがこの国に自らの存在を織り込んできたことは否定できない。
このタペストリーを織り上げるのは、コリアタウン、チャイナタウン、リトルハバナ、リトルナイジェリア、リトルハイチ、チカンクス(※メキシコ系米国人)のコミュニティをはじめ、移民コミュニティが祖国を離れ、拠点としてきたさまざまな文化地区だ。
〈The Land of Milk and Honey〉の公開に先立ち、被写体となった移民コミュニティや、米国の移住者を取り巻く物語を変化させることについて、アレキサンダー=ジュリアンに話を聞いた。

──〈The Land of Milk and Honey〉のアイデアを思いついたきっかけは?
僕はナイジェリア人ですが、国外最大のナイジェリア系コミュニティがあるヒューストンで育ちました。国外最大のナイジェリア系の教会も、僕の家の居間で生まれました。友人はみんなナイジェリア系で、食べるのもほぼナイジェリア料理ばかり。コミュニティを通して、自分の文化にどっぷり浸かっていたような気がします。(ナイジェリアに)戻るたびに、僕はそこに住んでいないから理解できないことがたくさんあると思われていました。でも、ここはヒューストンの〈ミニ・ナイジェリア〉なんです。
──わたし自身、幼い頃に米国に渡り、ここで育ったベネズエラ系移民として、同じような体験をしました。帰国したときに家族に〈米国のいとこ〉と呼ばれたりとか……。スペイン語だって完璧に話せるし、アレパ(※すり潰したトウモロコシから作られる薄焼きパン。コロンビアやベネズエラの伝統料理)も食べるし、自分の文化をよく知ってるのに。なんだか妙な隔たりがあるんです。
マイアミにいたときにリトルハイチやリトルハバナのことを知り、そのコミュニティも、僕がヒューストンやナイジェリアで体験したのとまったく同じことを体験していると気づいたんです。それからニューヨークのチャイナタウンやロサンゼルスのコリアタウン、ワシントンDCのエチオピア系の人たちも。これらの移民文化には、みんな祖国を模した地区があり、そこは海外移住者が故郷とのつながりを実感する場所になってきました。
これこそが米国の顔だ、と主張するひとは大勢いますが、米国の〈顔〉には移民も有色人種も含まれます。このプロジェクトの狙いは、その〈顔〉をつくりかえることでした。米国を偉大な国にしているもののひとつは、出身に関係なく成功と自由を掴むチャンスが平等に与えられるという、アメリカン・ドリームの概念なんです。

──このプロジェクトは、わたしたちの親世代にとっての〈アメリカン・ドリーム〉を視覚的に定義づけようとしているんですね。あなたもご存知かと思いますが、どんなに苦労したとしても、移民の親ほど米国への憧れが強いひとはいません。でも、ここで育った第一世代や若い移民は、それに違和感を抱くことが多い。
まったくそのとおりです! だからこそ、さまざまな世代のひとと話すことが重要なのだと思います。僕にとっての米国のイメージは、母とはだいぶ違います。ここへ渡ってきた人たちは、米国を約束の地だと思っていた。でも、ここで生まれ、現実を目の当たりにすると……「ほんとにこれがみんなの言う約束の地なの?」って(笑)。もちろん米国への希望は持ち続けたいけれど、これからもみんなが誇る約束の地に住み続けるなら、いったん立ち止まって、自分たちのコミュニティや国を、僕たちが望む姿を提示する場所に変えなければいけない。間違いに気づき、それを正していく必要があると思います。
──初めて撮った移民の居住地区は?
ナイジェリアです! パンデミック中にヒューストンの実家に戻って母の世話をしていたとき、15歳からの仕事仲間の女性を指名したんです。今回のプロジェクトでInstagramとタッグを組んだのは、キャスティングから移民コミュニティの人たちへのDM、ストーリーでの公募まで、あらゆることにアプリを活用していたから。マイアミに住むハイチ系の家族もそうやって見つけました。
(アレキサンダー・サラドリガス、ピーター・アッシュ・リー、トラヴィス・マシューズ、オーリー・アンアンなど)海外移住者のフォトグラファーとコラボできたのも楽しかった。このプロジェクトに参加するひと全員に、僕のパーソナルなプロジェクトを同じようにパーソナルに感じ、自分の文化にレンズを向けてもらいたかったんです。僕はプロジェクト全体の写真のスタイリングを手がけていますが、そこの出身でないと、リサーチだけではわからないことも多い。
結果として、このプロジェクトは携わったみんなにとってパーソナルなものになり、鳥肌が立つような瞬間も何度もありました。もちろん、すばらしいものを目指していましたが、これほど自分の心が動かされるとは思ってもいませんでした。例えば、キューバの家族の撮影では、現場でスペイン語を話せないのは僕だけでした。でも、言語の壁にもかかわらず、彼らからの大きな愛を感じました。おばあちゃんは、もう僕も家族の一員だと言ってくれて。家庭に迎え入れて、彼らの体験を記録させてくれたことに、心から感謝しています。

──第一世代の移民として、自分自身について、そして自分と移住の関係について学んだことは?
僕は誰かを見て、その人をその人たらしめるものについて考えるのが好きです。僕にとって、このプロジェクトは自分たちの文化をたどるためのもの。人類学を通して、文化がいかに融合し、進化するのかを探るのが好きなんです。例えば、キューバの人びとがスペインやナイジェリアのヨルバ人の影響を受けていることを知り、彼らを遠いいとこのような存在に感じました。それから、それぞれのコミュニティが直面するさまざまな苦労も思い知らされました。フィリピン、韓国、中国系の家族の撮影中は、アジア系米国人への暴力的な犯罪を目の当たりにしました。ハイチ系の一家を撮影したときは、多くのハイチ系移民が米国外へ強制送還されていた。撮影を通して、世界で起きていることに目を向ける必要性を痛感しました。
──このプロジェクトは、特にこの国に移住してきた有色人種のコミュニティに大きな励ましを与え、米国の移民の物語を根本から変えていると思います。このプロジェクトがどんな効果をもたらし、どのように発展していくことを期待しますか?
世界のさまざまな場所にルーツを持つ家族たちも、この国に貢献してきたということを理解してほしいです。今は米国の美しさとは何か、という意見が対立している時代。このプロジェクトをあらゆる人に届けるためにInstagramとタッグを組みました。理想としては、この写真展が全米を回り、ニューヨークやロサンゼルス、マイアミだけでなく中部でも見られるようになってほしい。今、僕とあなたがしているような対話を生み出すようなきっかけになるといいですね。



