Collage by Douglas Greenwood

今最もホットな俳優、ティモシー・シャラメの持つエモーショナルな知性

『君の名前で僕を呼んで』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』から、最新作『DUNE/デューン 砂の惑星』『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』まで。大人気俳優の出演作を通して、彼の魅力を分析する。

by Carrie Wittmer; translated by Nozomi Otaki
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05 November 2021, 3:00am

Collage by Douglas Greenwood

ティモシー・シャラメといえば、真っ先に思い浮かぶのはキノコ柄のStella McCartneyのスリーピース、メットガラの白のジョガーパンツとChuck Taylorのハイネックトップス、もしくは2000年代初頭のファックボーイを思わせるGORILLAZのTシャツ姿かもしれない。個人的な彼のイメージは、床に置かれたプリンターだ。私はそのことを毎日考えている。しかし、レンガを温かなチーズのようにスライスしてしまいそうなあの信じられないくらいシャープな顎のラインや、いつも完璧な位置で留まっているくしゃくしゃでボリューミーなダークヘアのことを考えると興奮せずにいられないのは、私だけではないはずだ。

『君の名前で僕を呼んで』で誰もを魅了する青年を演じてブレイクしてからわずか4年、ティモシー・シャラメは次々に新たな挑戦を続け、一身に注目を集めてきた。今や髪型を変えたり外に出るだけでネットの話題を独占するセレブだ。豊かな表現力と率直さをあわせ持つ彼の魅力をさらに増しているのが、その謎めいた雰囲気だ。有名になるにつれ、彼がなぜここまで有名になり得たのか、その理由は曖昧になっていった。おそらく、彼のグリーンの水晶のような瞳があまりにも澄んでいるせいかもしれない。

しかし、これだけは忘れてはいけない。ティモシーが名声を得たのは、彼が人間の感情の無限に近いスペクトラムを驚くほど幅広く捉えることのできる、すばらしい役者だからに他ならないのだ。彼は決して感情を出し惜しみすることはない。感情を封じ込めて重要なシーンで爆発させるのではなく、常に身体中にそれをまとっている。演技経験は長いものの、彼がようやくこの表現力を存分に発揮できる役を得たのは、2017年のことだった。

嵐のような感情を描き出す、彼の幅広い表現力が最も顕著に現れているのが、おそらくドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の最新作『DUNE/デューン 砂の惑星』だろう。彼は主人公ポール・アトレイデスの繊細だが深く胸を打つ感受性を静かに、徐々に強めながら表現している。ためらいがちで混乱した救世主で、悲しき砂漠の少年ポールとして、ティモシーは深みのある柔らかな声で言葉を発する。その声は恐怖と迷いに満ちていて、まるで話すたびに身体が痛むかのような緊張感に満ちている。これこそが彼のボディランゲージの威力だ。アダム・ドライバーのような体格には恵まれていないものの、それに勝るとも劣らない存在感を放っている。

『DUNE』冒頭のシーンで、ティモシー演じるポールは、彼の彫刻のような頬骨を引き立たせる艶やかなロングコートを羽織り、広大な砂漠を歩く。その重い足取りから、彼が抱える迷いと不安が伝わってくるようだ。i-Dコントリビューターのジャック・キングも述べたように、「彼の肩には、まさしく文字通りこの宇宙全体の重みがのしかかっていて、それは彼の物憂げな瞳からじんわりと染み出している」。

ポールのボディランゲージと感情表現は堅苦しく抑制されていて、ポールの後継者としての動揺が、その茎のような身体にはっきりと表れている。ティモシー演じるポール・アトレイデスなくして、本作は成り立たない。ポールの背中は宇宙時代の地政学のプレッシャーで痛みを訴えているかもしれないが、ティモシーの背骨にも、この2時間半超の大作の重みがのしかかっているはずだ。彼は全シーンを通してほぼ出ずっぱりなことをうまく利用して、ポールという人物を、無秩序に広がる世界で、複雑でしばしば危険を伴う外交に向き合う、ちっぽけで感情的な案内人に仕立て上げた。

今、声高に異議を申し立てているSFオタクたちに伝えたい。ティモシーの出演は、カジュアルな映画ファンを、惑星間やサンドワーム、宙を漂うステラン・スカルスガルド、そしてダンカン・アイダホなる人物との戦いにまつわる興味深いが奇怪な物語に投資させる主な要因であることは、誰も否定しようのない事実だ(シーンの合間合間に登場するゼンデイヤも実にゼンデイヤらしい演技を見せているが、残念ながらこの第1作にはほぼ見せ場はなかった)。

ティモシーの『DUNE』への出演は、彼がウェス・アンダーソン監督の『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』で演じる(よりマイナーな)役への完璧な布石となった。本作でティモシー扮するゼフィレッリは、政治運動に熱中する学生だ。またしても物憂げな青年役だが、ゼフィレッリはより強烈な個性を持ち、自信にもあふれている。口数が少なく抑圧されたポールとは真逆で、自分自身を過信していると言えるかもしれない。彼の足取りからも感情からも、断固とした決意が感じられる。ゼフィレッリには、その弱々しい声と小さな口ひげをのぞいて寡黙なところはひとつもない。彼のマニフェストとルシンダ(フランシス・マクドーマンド)に対する敏感さは、彼の無造作に撫でつけられた髪と同じくらい巨大だ。

しかし、今世紀もしくは史上最高の演技のひとつ(ファンのひいき目かもしれないが、このスタンスは私が塵になるまで守り続ける覚悟だ)は、彼が『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で演じたローリーことセオドア・ローレンスだろう。

ミームとしても人気の高い、ティモシー演じるローリーが幼い頃から想っていたジョー・マーチ(シアーシャ・ローナン)にプロポーズを断られるシーンで、彼は緊張しているが断固とした足取りと大きな迷いを示す動きによって、不安をあふれ出させる。その質問を口に出す前にすでに結末は悟っているものの、とにかく一度は訊かずにはいられない、とでもいうような、今にも泣き出しそうな面差しだ。

ローリーの型破りなプロポーズは、小さなため息と頭の揺れから始まる。秋の紅葉を背景に、髪と白のブラウスの袖が風に揺れる。ジョーが申し出を断り立ち去ろうとすると、ティモシーは本領を発揮する。針のような身体全体を使って、自分がどれほどジョーを愛しているか叫ぶのだ。この瞬間、彼は他の誰も直面したことのない未曾有の危機に立ち向かう、世界で唯一の男に変身する。それはほとんど怒りに近いが、それだけではない。ティモシーは、ローリーがジョーを深く愛し、理解しているからこそ、決して彼女に怒りをぶつけたり傷つけるリスクは冒さないということを理解しているのだ。


もちろん、『君の名前で僕を呼んで』も、ティモシーはとりとめのない複雑な感情(多くのLGBTQ+映画の傑作で見られるような切望や欲情など)を見事に表現した。その最たる例が、暖炉の前で4分近く泣き続ける場面だ。彼が演じるエリオは、ひと夏の恋に落ちたオリヴァーが婚約したことを知らされる。このクローズアップで、ティモシーはまばたきをする目と今にも漏れ出しそうな泣き声を呑み込む口以外、ほとんど身体を動かさない。時折手で顔に触れながら前後にゆっくりと揺れ動き、激しく呼吸を繰り返すだけだ。

ティモシーの演技は、一見するととても身体的だ。彼の身体性へのこだわりは、いつも顕著なわけではないが、常にそこにある。先ほども述べたように、ティモシーの体格はどちらかといえば小柄だ。ちょっと強めのそよ風に吹き飛ばされてしまいそうな細身で、〈Pop Buzz〉の記事によれば、身長は177.8センチほどだという。そんな小柄な俳優が即座に部屋中の注目を集めたり、すぐにわかる方法でボディランゲージを変えるのは難しいはずだが、ティモシーのキャラクターはいつもまったくの別人に感じられる。彼らは紛れもなくティモシーだが、ティモシー・シャラメその人を見ている気分にはならないのだ。

例えばブラッド・ピットやベン・アフレックは、両者ともにすばらしい俳優だが、あまりにも有名なために、彼らがどれほど努力しようと、普段の彼らを消し去るほど役に入り込むのは難しい。しかし、私たちがティモシーを観るとき、私たちはポールを、ゼフィレッリを、ローリーを、そしてエリオを観ている。そこには近いうちに、時代錯誤なほど若くてセクシーなウィリー・ウォンカも加わるだろう。ティモシーが最新作『DUNE』と『フレンチ・ディスパッチ』で演じる役柄には、ニューイングランドの風景の中で愛する女性の前で泣きわめく場面も、パチパチと音を立てる炎の前ですすり泣くシーンもないが、それと同じくらいエモーショナルな重みがある。

今にも泣き出しそうな物悲しい青年を演じ続けることで男性の抑圧の歴史を表現するのが、ティモシー・シャラメという俳優なのだ。有害な男性性を拒絶し、脆さに向き合うことで、彼自身の世代を定義づける。彼はそれを、ドナテッロが彫ったような見事な顎のラインで見事にやってのけている。これこそが真の才能というものだ。

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