KOTONAのアティチュード:山下琴菜インタビュー

「あくまで自分のペースは崩さず。でも、少しずつ世の中に接近して」。7シーズン目を迎えた2018年春夏コレクションを沖縄の地で発表したKOTONAのデザイナー山下琴菜が、少女時代の記憶と現在のクリエーションのつながり、ブランドコンセプトにある「現代の高等遊民」についてとバーチャルな世界に危惧することを語った。

by Tatsuya Yamaguchi; photos by Takao Iwasawa
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16 February 2018, 9:17am

真冬が顔を覗かせる寒い夜だった。デザイナーの山下琴菜とは、彼女の行きつけだという外苑前の喫茶店で待ち合わせていた。KOTONAの2018年春夏コレクションのショーを沖縄の地で発表したばかりの彼女との対話は、互いに少しの気後れもなく、飄々と始まった。「沖縄は20度超え。なんだか春夏シーズンの発表に相応しかったですよ(笑)。それでショーの後にトークショーがあって……」。コートを脱ぐよりも先に、純朴そうな現地の女子高生からある質問を投げかけられたことを嬉しそうに話す。「なんで人間は『装う』のですか?」。こう答えた。「装うことと本を読むことは同じだと思う。本から学んだ知識や気付きはすぐに活用できないことがほとんどだけど、人生を豊かにする力がある。無駄に思えることが、自分の武器になっている。『装い』も同じように、小さな自信を自分にもたらす武器になるし、心の変化は人が変わる大きなきっかけになるのかなって」

宮崎県生まれ。上京して四年制大学を卒業後、一年間のサラリーマン生活をするうちに「一生仕事を続けるならクリエーションの世界に身を置きたい」と思い立ち、最も自分と近いところにあったファッションの道に進む。文化服装学院、ここのがっこうで学び、そして海外放浪の旅を経て、KOTONAをスタート。以降、長らく変わらない想いの一つなのだという。

ショーの場に沖縄の地を選んだわけを尋ねた。「本当にご縁と、周囲の人のお力に恵まれて」。その言葉の真意には、KOTONAの行く先を示唆する明快な理由があった。例えば今ではSNSで即時速報がなされ、その現場にいなくても見た気になって満足できてしまう。東京でのショーは自分にとって最適解でないと語りながら「自分のクリエーションをネットではないところに広げたいのが本音です。東京以外の“ローカル”の中で、沖縄は土地の優位性に魅力があったし、SNSを介さず実際にコレクションを見てもらうことの意義を改めて見出していきたくて」。彼女は決して「バーチャル(仮想世界)」そのものを批判するわけではないが、ある一定の距離を置きたいとも語る。「現実社会で真面目さが求められる時代だからこそ、その対極にあるバーチャルな世界に居場所を求める多くの人たちは、そこで『夢』や自己実現のために演技をしているように見える」。確かにリアルの真逆がユートピアとは限らない。「画像だけ映えているというか。ファッションでも社会から現実逃避するような、地に足のついていない夢見がちでリアリティのない服を目にするし、バーチャルの先に人間の未来を感じていないのは私だけではないと思う」。人の欲求はバーチャルに向けられ、リアルでの「豊かさ」を疎かにしているのではないか。彼女は、熟考して導いた一つの確信をむねに淡々と話しを続けた。

KOTONAが掲げるブランドコンセプトは「現代の高等遊民価値を築く」というものだ。少々難解な世界観を理解するために、偉大な女性画家、ジョージア・オキーフの人となりに大きな着想を得たという2018年春夏コレクションについて聴いた。「オキーフにはずっと惹かれていたし、いつかコレクションのテーマとして真っ正面から向き合いたいと思っていた人でした」

そのきっかけは、2017年の春。画家のエリザベス・ペイトンが描いた『ジョージア オキーフ 1918年のスティーグリッツにならって』という作品を観て。「あらゆるリサーチを通じて、彼女の、誰にも媚びない姿勢、芯の強いつつましさ、その一方で女性らしく生きることを捨てていない姿に共感したのです」。花弁を描いたオキーフの絵画は女性器の暗喩として解釈され、時に男性中心主義的なアート評論で語られることも。きっとオキーフはその捉え方に嫌気がさしていたのではないかと話しながらも、「デザイナーとしては、見過ごされがちな、そうした時代の癖や傾向に価値を見出すべきだと思います。そうでなければ何事も更新できない。私が女性アーティストに惹かれるのは、彼女たちが何かと闘ってきたからなのです」

コレクションには、実際にオキーフが着ていたようなシェイプの効いたビスチェワンピースやガウンコート、彼女が晩年住んでいたエリアから着想した色彩としてサンドカラーも差し込まれている。「オキーフが『現代に生きていたら着てくれそうなワードロープ』という視点の転換もありました」。ただ結局は、オキーフの心の有り様から多くのことをインスパイアされていると言う。

「あらゆる時代の『良いところ』をすくい上げるような感覚で」——彼女が言うところの「現代の高等遊民」とは「高い知識レベルがあって、自身の言葉や表現方法を持ち、自由に生き、精神的にとても豊かな人物」のこと。オキーフの人物像の一片もこれに通じているのだ。「一般的に言われるように石川啄木や夏目漱石を文字通りの『高等遊民』だと思いますが、現代にシフトした時の人物像は、良くも悪くも社会構造と連動しながら常に変化するものだと思っています」。例えば、バーチャルな世界に充足感を求めていない人もその一人だと言う。「決してコミュニティや特定の他者に流されず、自分の美意識を持ち、価値基準を自分で設定できる人。同時に、他人を許容できて、豊かさの探求のために欲張りに生きている人(笑)。そういう人たちがどういう服を着ているのかをいつも想像していますね」

——いわゆる“女性像”への深いこだわりが垣間見える。そこでふと、その原点が彼女の幼少期にあるように思えた。「確かに幼い頃の記憶や経験は今のクリエーションにかなり影響していますね。『三つ子の魂百まで』は真理ですよ(笑)」。幼稚園児の頃に着させられたピンクのワンピースが大嫌い。小学生になってもスカートは絶対に嫌。女の子的なものをすべて拒否して、男の子たちとよく遊んでいたと言う。「私は二人の兄がいる末っ子。母はきっと私を『女の子』にしたかったんですね。卑屈で、美意識が異様に高かった」。しかも、ごくパーソナルな衝撃的事件は、たとえ20年前のことでも昨日のことのように語れるものだ。「小学校二年生の授業参観日。母が赤いシャネルツイードのセットアップを着てきたのです。そこで恥ずかしくて泣いちゃって(笑)。宮崎の田舎ですよ! 他のお母さん達は野暮ったいけど“まとも”な格好をしているのにって」。でも、KOTONAのコレクションにはサマーツイードがよく登場するけれど。「そうなんです。大人になって母のクローゼットを見てみると、すごく魅力的なものが山ほどあって。時間が経って反動的に肯定しているんですね。だから、コレクションには母の服の影響は大いにあります」。「別の視点でいえば、幼い頃からステレオタイプに沿った『女性』になりたくなかったから、メンタルのどこかに『男性』の部分が育まれている。だって、『りぼん』じゃなくて『週刊少年ジャンプ』で育ったから(笑)。男性的な視点がクロスオーバーしながら女性を見ているところが、服にも現れているのかもしれません」

「そう、これをお見せしようと思って」。彼女はおもむろにヘキサゴン型の木製ケースから、鈍く光る銀色の鉱石を取りだした。ここのがっこうを卒業後、自身の進路に思い悩んで始めた放浪の旅の道中で、現地の人の強烈な薦めに根負けしてモロッコで購入したものだ。「その時は綺麗だとまったく思っていなかったのですが、日本に帰って改めて見てみると衝撃的に美しく感じて。現代アートがそうであるように、綺麗なものを綺麗とする価値観ってとても曖昧だし、全人類と共感できることではない。だからこそ、私がモロッコの彼の説明に感動したように、人を説得できるプレゼンテーションがその人に新しい価値観を与えることができる。その可能性を感じたのです」。誰かにとってはなんの変哲もないものかもしれない。そこに美意識の新しい基準を提案したい。それがブランドの発起点の一つだ。「服を作る、売る。そのどちらにおいても、考え方や視点をずらすことが大切だと思っています。今は自分のペースでやっているけれど、もっと時代性や世の中のことを意識してずらした提案ができるようになりたい」。ファッションは軽妙でポップ、少々ニヒルなエッセンスがあってもいい。その一方で作り手の思いが詰まった神経質なものやアングラ的なものは、深みがあるけど簡単には入り難い。「ファッションに深みを与えてくれる大人の女性にしっかりと伝え、ビジネスとして成立させる」。そのためには、それらを良いバランスで服のプロダクションに落とし込む必要があるのだと語る。「ファッションは言葉遊びだとも思っています」。オキーフの人物像を“更新”したことも、そうかもしれない。「どのようにプレゼンに落とし込んで、着てくれる人に伝えることができるか。そう、石を綺麗だと思わせる魔法みたいに」

このインタビューの2日後、今では石の収集が趣味となった彼女は、最も敬愛するデザイナーであるイヴ・サンローランのミュージアムが開館したモロッコのマラケシュに旅立った。

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