Photography Alex Gerry

デヴィッド・ホックニーやデレク・ジャーマンが審査員を務めた〈オルタナティブ・ミス・ワールド〉とは?

約50年前に始まったオルタナティブ・ミス・ワールド。以来、自らを顕示する者たちと〈ボワヤー〉が集う熱狂的な安息の地となった本イベントの創始者アンドリュー・ローガンに話を訊いた。

by Alex Gerry
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02 November 2018, 8:23am

Photography Alex Gerry

4年のブランクを経て、10月20日、ロンドンへ戻ってきたオルタナティブ・ミス・ワールド。熱心なファンたちは、タガが外れたのかというくらい奇抜で過激でちっとも組織されていないカオスの帰還に歓喜した。〈サイケデリック・ピース〉をテーマに、シェイクスピア・グローブ座で開催された今年のオルタナティブ・ミス・ワールドでは、私たちの期待を裏切らない、このイベントらしい常軌を逸した立ち居振る舞いを観ることができた。大成功といって差し支えないだろう。

イベントはここまで大きくなったが、オルタナティブ・ミス・ワールドの創始者、アンドリュー・ローガンについてはあまりよく知られていない。誰に聞いてもチャーミングで優しい人だと評される彼の顔には、常に大きな笑みが浮かんでいる。実に高い社交性を身につけつつ、計算高い用心深さも備えたアンドリュー。昔からの仲の良い友人や家族に囲まれながら、1972年来のパートナー、マイケルと人生を共にしてきた。アンドリューは、イベントの狂乱から離れれば、ジュエリーデザイン、モザイク画、ガラス細工、彫刻など、アート制作に勤しんでいる。拠点はインド、そして静かで穏やかなウェールズの田舎。後者には1991年にアンドリュー・ローガン彫刻美術館(Andrew Logan Museum of Sculpture)を創立した。

Alternative Miss World

オックスフォードで彫刻家として研鑽を積んだアンドリューはロンドンへ移り住む。彼の個人的な体験ふたつがオルタナティブ・ミス・ワールドのインスピレーション源のいち部となった。ひとつは、いちどだけクスリをキメたこと。もうひとつは、英国で開催される世界最大級のドッグショー〈Crufts〉を観にいったこと。数多くの視聴者(主にエロオヤジ)たちが時代遅れの性差別が根強いテレビ番組を支持する、そんな状況を変えるのがアンドリューの目的だった。

とにかく彼は、人生を肯定する場をつくりたかった。ユーモア、皮肉、トランスフォームが実現する場所。ステージ上で自らのファンタジーを実現することに心血を注ぐ、きらびやかに着飾った目立ちたがり屋たち全員に、スポットライトを当てる場所。ジェンダー、人種、肌の色、年齢、体型、バックグラウンド、美の基準など問題ではない。制限も、既成概念もない。

Alternative Miss World

ザンドラ・ローズのレインボーペントハウスで、マオカラースーツを着こなし、正面に自作のブローチをふたつ付けたアンドリューは、オルタナティブ・コンテストの重要性について、じっくり考えてこう説明した。「心の底から湧き出るものですね。私も、ステージを歩くたびに感じます」とアンドリュー。「私は金儲けのためにやってるわけじゃないし、参加してくれてるみんなも、ただその幸福感のためだけにやってるんです。純然たる祝祭です。それってすごくレアなんですよね」

1972年にスタートした当初は実に控えめで、会場はアンドリューが働いていたロンドン、ハックニーの小さなスタジオ。参加者は普段着、水着、イブニングウェアのカテゴリーでそれぞれステージを歩いた。約100名の観客が集まり、審査員のなかにはアーティストのデヴィッド・ホックニーもいた。その翌年、第2回目も、同じスタジオが会場だった。集まった観客のなかには、ザンドラ・ローズ、オジー・クラーク、ティム・カリー、リチャード・オブライエン、デヴィッド・ベイリーなど、著名人も大勢いた。特筆すべきは不機嫌顔のアンジー・ボウイ。彼女は、人が集まりすぎて当時の夫、デヴィッド・ボウイが参加者としてエントリーできず、いら立っていたという。想像するだに夢のようだ。優勝者は手造りの段ボール製王冠をアンドリュー・ローガンから授与された。イベントの一部始終は、あの有名映画監督、故デレク・ジャーマンの手によりスーパー8で撮影された。

Alternative Miss World

その後、時が経つにつれ、オルタナティブ・ミス・ワールドはどんどん過激になっていった。1978年、クラパム・コモン公演に建てられていた巨大なサーカスのテントが会場だったさいには、アンドリューと共にホストを務めていたディヴァインが階段のてっぺんから華々しく入場した。しかし突然サウンドシステムが壊れてしまい、ディヴァインはしんと静まり返った会場のなかで、険しい顔をしながら自分の股間を掴み、ウィッグを振り回して抗議を示しながら入場するほかなかった。1986年、地球がテーマの回では、赤いチュチュに、同じ赤のバケツを頭にかぶったリー・バウリーが、全裸のファット・ジルを引き連れて現れた。大きな目玉焼きでちょうどいいところを隠すファット・ジルに笑いが巻き起こった。また、同じ年、グレイソン・ペリーが十字架にかけられたキリストに仮装して登場したこともあった。

個人的なお気に入りは、2004年、ヒッポドロームで開催された回だ。アンドリューとジュリアン・クラリー、マシュー・グラモーアがホストを務め、ロンドンのクラブキッズのファビュラスな新世代が殺到し、数々のセレブやパフォーマーも集まった、超満員の楽しい夜だった。

Alternative Miss World

これまで同イベントでは、ホックニーやジャーマンだけではなく、数々のレジェンドたちが審査員を務めてきた。ブライアン・イーノ、ピーター・ブレイク、ディヴァイン、シアン・フィリップス、アマンダ・バリー、リチャード・オブライエン、フェネラ・フィールディング、モリー・パーキン、ジャーヴィス・コッカー、ゾーイ・ワナメイカー、ダギー・フィールズ、ニック・ローズ、ルラ・レンスカ、そしてザンドラ・ローズ。今回、14名もの勝者が選ばれたが(そのうちひとりはロボットだった)、アンドリューのイチオシはいたのだろうか? 「いません」とアンドリューはほほ笑む。「だってみんなが勝者だから」。アンドリューは、「人生はすばらしい経験です」と断言する。「でも、私たち人間は、ほんのちょっとの期間しかこの地球上にいられなません。だったら、できるうちにめいっぱい楽しみたい。それがこのイベントの意味なんです」。アンドリュー・ローガンは、自分が死ぬまでオルタナティブ・ミス・ワールドの伝統を絶やさない、と約束してくれた。どうか末永く続きますように!

This article originally appeared on i-D UK.