『ザ・スクエア 思いやりの聖域』:リューベン・オストルンド監督 インタビュー

現代美術をとりまく状況、そこに関わる人々の本質を浮き彫りにしてみせた話題作『ザ・スクエア』。現代美術という聖域を与えられたとき、人はどのような行動をとるのか? カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した本作の監督が、アート界の怠慢、フォトショップのもつ可能性、映画製作の参考にしているYouTube動画を語る。

by Nakako Hayashi
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09 May 2018, 9:46am

現代人が自分以外の人に無関心になっている状況を憂いて発想された、横断歩道のような白い線で囲まれた路上の四角形「思いやりの聖域(=ザ・スクエア)」。2017年カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した『ザ・スクエア 思いやりの聖域』は、映画監督リューベン・オストルンドが起草したインスタレーション作品「ザ・スクエア」を設置しようとする美術館が舞台になっている。展覧会のキュレーターやそこに集まる人々を、終始アイロニカルな目線で物語るこの映画を観ているとき、人は終始どこか居心地が悪く、観終ったら誰かに話さずにはいられない。人ごととしてすますことはできない刺激的な内容なのだ。

——観た人の行動を変えてしまう力を、あなたの映画はもっていますね。

私は風刺に興味があるんです。風刺によって、現代において自分たちが嫌だと思っていることや議論すべきことに注意を向け、疑問を呈することができるから。『ザ・スクエア』で私は、コンテンポラリー・アートの世界にカメラを向けました。映画の世界に向けることもできたんですが、どんな領域であれ、カメラを向けるのであれば、批評をするべきだと思っています。その行為によって、さらに良くすることができますから。アート界に対して私が感じているのは、ちょっと怠惰なのではないかということです。マルセル・デュシャンが美術館に小便器を展示して以来、あるオブジェクトを展示して、それがアートかどうか議論する、ということをやっているだけだから。当時は「アートとは何か?」を問うという意味で挑発的な行為だったけれど、もはや慣習でしかないから。

——『ザ・スクエア』のなかで現代アートの世界を痛烈に批判していますが、この映画のもとには最初に監督の現代アート作品「ザ・スクエア」が、あったんですよね?

私はアート作品というより、横断歩道と比べられるような存在として「ザ・スクエア」をつくりたいと思ったんだ。横断歩道っていうのは、ファンタスティックだよ! 道路に線を引くだけで、「車は歩行者に注意しなければならない」という同意、新たな社会契約をつくりだしているんだからね。「ザ・スクエア」は、交通ルールと同じくらいシンプルなものにしたかった。その正方形のなかでは、別の社会契約をつくりだすことも可能だ、と思い出させるものにしたかった。最初は私が住んでいる町に「ザ・スクエア」をつくろうとしたんだけれど、アート界が関わっていないうちは、実現は不可能だった。ある日、美術展に招待され、アート界が関わってくると突然、実現可能になったんだ。だから、アート界のすごいところは、まだ形になっていないアイデアを受け入れ、美術界の威信によって、突然都市のなかにそれを建設させてしまうところ。つまりアート界には、既存の枠外で思考する可能性があるんだ。その可能性は、社会の他の領域では、存在しなかったりする。つまりアート界は、物事を実現させるための橋渡しでもあるんだよ。

——そのようにして生まれた「ザ・スクエア」は、現実のなかではどんなふうに機能しているのですか?

これは三ヶ所に作られたんだ。スウェーデンの二都市と、ノルウェーの一都市。で、最初に作られたスウェーデンのベーナムーでは、人道的な信念を表明する場所として使われた。例えば、機能障害を持ちながら、国からの補助を失った人たちのグループがそこでデモを開いた。それを報道機関が取材して、ニュースとして報道したんだ。同じようにスウェーデンの高校で銃乱射が起きたときには非暴力の表明として、人々がキャンドルに火を灯したし、スウェーデンでの居住が許されなかった移民が送還された際には、そこで抗議集会が開かれた。スウェーデンから移民が強制送還されているという事実に、注目を集めるためにね。だから私の横断歩道というアイデアではなく、代わりに意見の表明の場となっている(笑)。とはいえ、素晴らしい使われ方だと思う。いくつか画像を見せよう。これがベーナムーの「ザ・スクエア」。で、これが私が住んでいる町、ヨーテボリの「ザ・スクエア」で、公園の中にあるんだ。どれも同じに見えるけれど(笑)。

——アート作品としての「ザ・スクエア」と映画『ザ・スクエア』では違いがあるということですね? 社会や人々への影響の与え方において。

うーん……アート作品の「ザ・スクエア」はむしろコンセプトであって、概念的で知的なものなんだ。この四角形のなかは、すべての人に平等な権利と義務が与えられる人道的な聖域である、という。それを映画にしようとしたときに私が苦心したのは、どうやって長い映画でそのことをみせるのか、ということ。同様のトピックに注意を向けさせながら、違うやり方が必要だから。美術館を舞台にした映画にした理由のひとつは、それだった。展覧会を開くという状況なら、「ザ・スクエア」というアイデアを自然な形で言語化できる。映画が素晴らしいところは、それがオスカーの候補になったり、ゴールデン・グローブ賞の候補になったり、パルムドームを受賞したりすると、それぞれの都市で「ザ・スクエア」を作った人たちがとても誇りにしてくれる。『自分たちが作った「ザ・スクエア」についての映画だぞ!』とね。その街でまた報道されたりすることで、このアイデアをさらに広めることができる。私がこのプロジェクトで本当に気に入っているのは、映画の外でも機能しているところ。映画監督という私の職業でしばしば問題なのは、映画をつくったら、ただ映画として終わってしまうこと。でも『ザ・スクエア』ではとても具体的に、映画の外で同時に物事が起きていることがすごい。

——そういうことを実現した人は本当に初めてだと思うので、すごいことだと思います。この映画をつくってから、あなたの生活はどうかわりましたか?

よく美術館に呼ばれるようになったよ(笑)。時折、私自身「ザ・スクエア」の広告として、映画について語ったりするんだ。

——本来アートの役割は、なんだと思っていますか?

私自身がアートと考えるものを体験したときのことを思うと、それはやはり、新しい考えが浮かんだ瞬間なんだ。これまで思ってもみなかったような意外な視点から、世界や物事を見ることができたとき。ただそういう瞬間は本当に稀なこと。突然世界をまったく新しい視点で見たり、突然それまで考えたことがないようなことを考えたり。それはめったに体験できないだろう? でも、私にとってはそういうものだね。アートとは、「ああ、こういうふうに考えたことはなかったな!」と思わせるものなんだ。

——あなたがキャリアを積みはじめたときは(たぶん、90年代に20代を過ごしていたと思いますが)どういうものを見ていましたか?

私はスキーの分野の映像作家としてキャリアを始めたんだよ。だから、スキー映画を撮っていた。ヨーロッパや北米の各地を旅して、スキーやスキー・リゾートの撮影をして。両親とも教師で、母はアマチュアだけど画家でもあった。そういう意味では、アートを教えることやアートにも親しみがあった。

——あなたはフォトショップを使うことでも知られているそうですが。

それもちょっとバックグラウンドと関係している。私は高校のときにグラフィック・デザインを勉強していたんだ。今回の映画でも、ストックホルム宮殿を美術館としてみせるためにCGIを使っている。自分の映画の多くで、私は自らCGI、ヴィジュアル・エフェクトを手がけてるんだ。娘にも6、7歳の頃からフォトショップの使い方を教えているしね。イメージによるコミュニケーションを理解するためにもいいツールだと思うし、「マニピュレーション(操作すること)の可能性」も理解できる。そういうことは小学校の教育課程から教えるべきだと思っているよ。

——映画を自分の表現手段に選んだ理由は?

私が若い頃、消費者用のビデオカメラが出てきたんだ。突然、動画が自分でも簡単に撮れるようになった。それに魅了されたんだ。ただ、私の映画製作において、ストーリーテリングは重要な部分ではないと思っている。ストーリーを語ることは文学でも、舞台でもできるからね。私にとっていちばん重要なのは、動画、動くイメージは人間の行動を映しだす多大な力がある、ということ。より社会学的なアプローチに興味があるんだ。つまり、ストーリーを語るよりも、人間の行動を見せるほうが私にとっては興味深いんだ。

——映画のなかでも、固定カメラで人のリアクションを捉えているシーンが何度かありましたね。

だから、映画よりYouTubeを参考にすることが多いんだ。好きなYouTubeの動画で「Cab Driver on the BBC」っていうのがあってね。タクシー運転手の男が、アクシデントでBBCの生放送のニュース番組に出演してしまったことがあった。そのときの動画なんだけど、番組のキャスターは、彼のことをインターネットの専門家だと思っていたんだ。キャスターが「番組にようこそ」と言うと、タクシーの運転手は恐ろしい間違いが起きているのに気づく、ファンタスティックな瞬間を迎える。一瞬ハッとなるんだけど、彼はそれを抑えて「おはようございます」と答えるんだ! それからはインターネットの専門家を演じはじめる。インタビューが2、3分続くんだけど、そのあいだの応対の仕方や、彼のボディ・ランゲージが見ものでね。「町のカフェに行っても、どこでも音楽をダウンロードできますよね」とか、「これからもっと進化していくでしょう」とか答えて(笑)。

意味の通じることは一言も言わないんだけれど、キャスターの方は「なるほど、面白いですね」みたいに受けて、会話が続いていく。二人とも生放送で間違いが明らかになるのを恐れていて、何も問題ないってふりをし続けるんだ。あの動画は人間について本当に多くのことを見せていると思う。誰もがつねに、その場で自分が期待されている役割を演じようとしているんだ。意味が通じなくても、それを演じつづけるためにはなんだってする。私にとっては、あの映像こそが、動画というものの本質を射抜いている気がする。それはストーリーテリングとは無関係で、むしろ人間の行動というものをとらえ、そこに光を当てるんだ。私は映画製作において、そうしたアプローチにインスパイアされる。うん、「Cab Driver on the BBC」に比肩するような映画を撮ることができたら最高だね(笑)。

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ザ・スクエア 思いやりの聖域
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