Balenciaga, Gucci and Vetements

ポスト風刺時代を反映する、新トレンド「ツーリスト・キッチュ」とは何か?

チープで、見事なほどの悪趣味。使い捨て用のはずだけど、感情に訴えてくる——。世界中の大量消費文化の一角に、何十年も存在し続けてきた「おみやげ」が、トレンドを席巻している。

by Clementine de Pressigny; translated by Ai Nakayama
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05 October 2018, 10:27am

Balenciaga, Gucci and Vetements

アグリー・ファッション(=ダサかっこいい服)の興隆は、さまざまに論じられ、詳細に分析されてきた。そして今や、ファッション界において定着した現象となっている。もはや私たちがいるのは、「ダサかっこいい」が衝撃的ではない世界、アグリー・ファッションがファストファッションに組み込まれた世界だ。

『デイリー・メール』紙も、〈次に来る奇抜ファッションは?!〉みたいな企画には飽きてしまったようだ。アグリー・ファッションは「ふつう」の仲間入りをしたのだ。しかしファッションにとって、耐えられないものがひとつあるとしたら、「ふつう」であることだろう。ただもちろん、世間一般にとって普通なのではなく、ファッションにおいて新奇さを失った、という意味だが。

そんな私たちは「そもそも今、ダサいって何?」という実存的な美意識の危機に直面している。平坦化してしまった〈ジョリー・レード(jollie laide : 典型から外れたかわいさ)〉に対抗し、そろそろタイトでセクシーな服を着て、グラムロック的なファッションの反逆を起こすべきなのだろうか。しかし、世界の終わりみたいなこの時代に、どうグラムロック的に着飾れというのか。アグリー・ファッションの名のもとに、つまらない、だけど機能性抜群な日常使いのアイテムが、次々とそのダサさを刷新している。スライドサンダル、ボリューミーなダッドスニーカー、オーバーサイズで楽ちんなフーディ、太めのデニムパンツ、ウエストポーチ。「実用的で使いやすい」が、「クールで高級」と同義になっているのだ。消費者がダサいアイテムによろこんで大金をつぎこむ理由は、みんな心地よさを求めているからだ、と説明されてきた。

しかし、今私たちに必要なのは、新しい切り口のダサさだ。魅力の欠片もない心地よさは要らない。そうじゃなく、純粋にダサくて、凡庸であることを謳歌している何か。ひとつ、まだ手をつけられていないインスピレーション源がある。チープで、見事なほどの悪趣味。使い捨て用のはずだけど、感情に訴える力がある…。世界中の大量消費文化の一角に、何十年も存在し続けてきた「おみやげ」がそれだ。ラインストーンで飾られた、国のかたちの冷蔵庫用マグネット。「I♡(都市名)」Tシャツ。街が描かれた、哀愁漂うイラストがプリントされたトートバッグ。ファッションに取り入れられるアイテムばかりだ。旅の想い出の品は、本質的にキッチュである。しかしキッチュなアイテムは、「逆に良い」という皮肉なかたちで長いこと愛されてきた。そして現代のラグジュアリー・ファッションにおいては、皮肉こそが共通通貨である。

それを理解しているのがデムナ・ヴァザリアだ。アグリー・ファッションの第一人者に名を連ねる彼は、ここ最近のBALENCIAGA、そしてVetementsで「ツーリスト・キッチュ」を取り入れている。最初に登場したのは、アントワープのパッチワークTシャツ。それからVetementsの2017年秋冬コレクションで発表された〈Ich komm' zum Glück aus Osnabrück(オスナブリュック出身でよかった)〉と書かれたフーディ。これらは着るという行為のルールやステレオタイプに挑戦している。

最近のVetementsでは、ブランドの新拠点であるスイスに関連したアイテムが多数発表されている。2018年春夏コレクションのルックブックの写真は、チューリッヒの街中で声をかけた老若男女の一般人モデルを、その場で撮影したものだ。注目すべきは〈Vetements Zurich〉ロゴのフーディ。〈Made in Italy〉〈Made in France〉タグを逆手に取ったデザインだ。デムナは、パリで行なわれた2019年秋冬のショーでもスイス旅行を続けており、それぞれ違うかたちやサイズのフォントで〈Switzerland〉〈Zurich〉〈Suisse〉〈Locarno〉と描かれたスカーフが発表された。まさに、好きな国名を入力して大量生産するおみやげのようだ。さらに、モロッコの市場で売っているような野球帽や、パスポート製のブーツ、ロシア国旗のTシャツもあった。

国旗といえば、デムナ自身の人生を、自伝的かつ地理的にたどっていくようなVetementsの最新コレクションでも多用され、ジョージア、ウクライナ、スイス、米国の国旗に似せたジャケットなどが披露された。それらの国々はすべて、デムナにとってゆかりのある場所だ。

ゴーシャ・ラブチンスキーも自らのコレクションで国旗を取り入れ、ポストナショナリズムの、多元的なトーテムとして提示してきた。Gucciも2017年のリゾートコレクションで巨大なユニオンジャックのセーターを発表したが、それは昨今の政治情勢に鑑みると、実に皮肉なアイテムだった。Saint Laurentが発売しているエッフェル塔柄のボンバージャケットは、柄がクリスタルで飾られており、お値段は1万2885ポンド(約190万円)。Louis Vuittonとジェフ・クーンズがコラボレーションした〈MASTERSコレクション〉だって、表向きのテーマは西洋絵画の巨匠たちによる傑作だが、陳腐で悪趣味な雰囲気をあえてまとわせているのは間違いない。陳腐で悪趣味なんて、まさにクーンズらしい。バッグに描かれた作品は、ただのモナリザのコピーというより、ルーブル美術館の近くにあるおみやげ屋さんでよく見かけるものに近い。

ツーリスト・キッチュの最たるものといえば、やはりBALENCIAGAの〈New York City〉バッグだろう。ジョン・F・ケネディ国際空港で、20ドル(約2300円)くらいで売っているバッグとまさに瓜ふたつだ。すでに報じられているとおり、オリジナルのバッグを扱うおみやげ会社〈City Merchandise〉はこれを喜ばず、BALENCIAGAを相手取り訴訟を起こした。しかし、BALENCIAGAには、訴えられていないおみやげ風アイテムが他にもある。観光名所チャームつきチェーンバッグとスカート、ポストカードにぴったりな朝日をプリントしたパンツ、さらに「おみやげTシャツからインスパイアされた」という、いよいよおみやげ感強めの〈Paris〉パーカーもある。

6月には、Per Götessonのメンズウェア・ショーで、ロイヤルウェディングの記念品だった陶器の破片をブローチとして使用したアイテムが披露された。さらに、Vetementsの2019年春夏プレタポルテでは、ピンクのエッフェル塔ヒールが発表された。そのヒールは、パリの観光地ならどこでも買えてしまうような、チャチいオーナメントにそっくりだ。このヒールは、確かにダサいし悪趣味だ。だけどセクシーでもある。「ダサセクシー」は次の「ダサ心地良い」になれるかって? きっとゼロ年代懐古の波に乗って人気を博すだろう。

目も覚めるようなダサさ以上の意味が、おみやげにはある。「〈マルチ・ローカル〉という考え方が芽生えはじめて、ツーリスト・キッチュに発展しました」とWGSNのトレンド予報士、ハンナ・クラッグスは説明する。「ミレニアルズ、特にZ世代は、徐々に、さまざまな場所を〈ホーム〉と考えるようになっており、さらに、彼らが夢中になる時代もひとつではありません。ストリートカルチャーと、そのグローバル時代への影響を考え直すにあたって、私たちはもっとオープンソース的なカルチャー、コミュニティ、歴史の捉え方をするようになるでしょう」

旅のおみやげを家の冷蔵庫に飾ったり、キーチェーンにぶらさげたり、Tシャツを着たり。かつてはそうやって、行った場所、過ごした休暇、その旅がどんなに楽しかったかを示すのが一般的だった。でも現在、そういうアイテムは必要とされない。だって、無駄だから。SNSのおかげで、誰がどこに行ったかはすぐわかる。旅行のささやかなおみやげは、過ぎ去りし時代や精神を想起させる。「今や、InstagramやSnapchatを通して、文化や歴史は世界じゅうに、そして瞬時にシェアされてしまいます。不安定に思える現状に比べれば、過去はより安全、より魅力的に見える。特に休暇にまつわる想い出は、現実逃避、楽しさ、親密さなどの感覚を与えてくれます」とハンナはおみやげ的デザインの興隆について説明する。ファッション史研究家であり、パーソンズでファッション史を教える助教授のサラ・アイダキャヴェッジ(Sara Idacavage)もその意見に同意する。「おみやげによって、楽しかった旅を想い出す。そういう経験があるすべての人にとって、こういうデザインは、ひとつのノスタルジーとして機能するのでしょう」

ツーリスト・キッチュは懐かしさを呼び起こすだけではない。ファッションの文脈のなかで再創造されたおみやげは、今のファッションに深く浸透している、ハイとローが混ざりあうカルチャーの一部となっている。ツーリスト・キッチュには大量消費の両義的解釈が内包されており、ダサさ抜きでも皮肉を表現できている。アイテムそれ自体が目的ではない。安くて凡庸な大量生産アイテムが、ファッションを通して新たな枠組みへあてはめられ、その生活感を想起させると同時に、ラグジュアリーのひとつの表象となる。「ツーリスト・キッチュの流行は、文化資本やサブカルチャー資本を所有したいという意識に紐づいていると思います。スーザン・ソンタグが1964年のエッセイ「キャンプについてのノート」で述べたところの『私的な規範、もっといえば自らのアイデンティティを示すバッジのようなもの』です」とサラは説明する。「つまり、それらのアイテムは、一般人の目にはよくあるおみやげに映る。だけど、それが何かわかるファッション通の消費者や、あるいはチープにみえるそのアイテムの実際の値段を知った消費者にとっては、まったく違った意味をもったアイテムになるわけです」

旅のおみやげは、ぱっと見奇妙だ。おみやげは、本当にそこに行った、という事実を示すモノであり、実在の場所、文化、体験のしるしであるはずだが、同時に〈本物ではない〉事実を暗示している。ツーリスト・キッチュは、土地の陳腐なヴィジョン、すなわち文脈から切り離され、ひとつのエンブレムに集約された、輝く理想的イメージを大いに楽しんでいる。おみやげは大体、その土地に縁もゆかりもなかったりする大企業が、大量生産している。そういう背景も込みで、おみやげは、今の時代を表現する理想的なアイコンになっているのだろう。〈本物であること〉にひたすらこだわりつつも、バカバカしさを極めてしまっていること、そして人類が〈ポスト風刺時代〉に足を踏み入れてしまったことに何となく気づきつつあるこの世界には、おみやげの体現する美学こそがふさわしいのだ。

「デザイナーのサンダー・ワシンク(Sander Wassink)が、『ゼロからモノをつくるなんて、何もかもが超高速で進むこの社会では時間の無駄だ』と述べ、おみやげ風アイテムの哲学を見事に説明しています」とハンナ。「コラボレーションやブランド公認のブートレグ・アイテムが進化を続けることで、リアルとフェイクは混ざり合い、新鮮かつおもしろいかたちで発展していくでしょう」。アグリー・ファッションは死んだ。アグリー・ファッションよ永遠に。

This article originally appeared on i-D UK.