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『BPM ビート・パー・ミニット』:ロバン・カンピヨ監督 インタビュー

オスカー候補として話題の映画は、現代のLGBT文化がアクトアップのムーブメントにどれほど多くを負っているかを描き出す。「これは歴史を伝えるというより、私の個人的な記憶についての映画です」

by André-Naquian Wheeler; translated by Atsuko Nishiyama
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12 March 2018, 9:42am

BPM ビート・パー・ミニット』がその冒頭シーンですでに示されるのは、アクトアップの強い働きかけがいかに世界規模の保健機関を動かし、エイズ危機への取り組みを始めさせるために有益だったか、ということだ。
アクトアップ(エイズの感染による差別や不当な扱いに抗議し、政府や製薬会社などへ変革に挑んだ団体)のメンバーは保健衛生関係の公的な会議を乗っ取り、中でも常に情熱的なショーンは、お偉い役人に偽物の血液をぶっかける。このようないくつかのシーンこそが、ロバン・カンピヨのこの新作(アカデミー外国語映画賞へのフランスからの出品作でもある)を、造形的な映画たらしめている。
この映画が扱う題材は、1990年代初頭のフランスでの、アクトアップのムーブメントだ。カンピヨは自身がアクトアップのメンバーとして過ごした5年間の経験を生かして本作の脚本と監督を務め、実話を元にHIV/エイズで亡くなった友人たちに捧げる物語を作り出した。熱狂的なアクティビズムのシーンに織り込まれるのは、HIV感染者のショーンと非感染者のナタンとの胸を打つロマンスだ。『BPM』は重要なことを思い出させてくれる。もし当時のエイズ・アクティビストたちが、私たちの人生の価値を公にうったえていなかったなら、現在LGBTコミュニティが当然のように享受しているもの(例えば、Grindrや『ル・ポールのドラァグ・レース』)の大半は存在していないだろうということだ。

喜ばしいことに、この作品に描かれているのは厳しく辛いものばかりではない。淡く靄のかかった、オーケストラの音楽が流れているような場面もある。クラブで遊んだり、セックスしたり、笑ったりするシーンだ。そして実はあるラブシーンこそ、この映画の中でいちばん力強い瞬間のひとつでもある。ショーンとナタンは自分たちの恐れや愛情、混乱を、率直で不器用なやり方で、肉体を使って表現する。

『BPM』の脚本を書き演出することにともなった個人的な痛みの感覚について、そしてスクリーンでのHIV/エイズの描かれ方をどのように変えたいと考えたのか、カンピヨ監督がi-Dに語ってくれた。

——この映画を作ったきっかけをおしえてください。
1992年、20歳のときに加入したアクトアップのメンバーだった頃の記憶が、インスピレーションの源です。(エイズ危機の只中にいた)若いゲイ男性として「自分の人生にとって重要なこの経験を伝えるために、映画でできることはなんだろう?」と考えていました。何年もの間それについて書こうとして来ましたが、いつもHIVに感染した孤独な男の話になってしまう。自分が伝えたいこととは違うと思い、満足できずにいました。そして7年前に、語りたいことが何か、ようやくわかったんです。自分が5年間を過ごした、あのアクティビストのグループについてなのだと。私は、孤独ではなく集団の力に焦点をあてたかったのです。

——フランスのアクトアップは、アメリカとはどのように違うんでしょうか。
この作品がフランスからのオスカー出品作に選ばれてとても光栄に思っています。というのは、アクトアップ発足の地であるニューヨーク、アメリカで上映されることを心から願っていたから。フランスのアクトアップのいちばんの違いは代表が置かれていたところで、アメリカのアクトアップはもっと民主主義的だったと思います。もうひとつ、フランスではこういうアクティビズム自体がとても新しいものでした。だからとても「アメリカ的」なものとして見られていました。メディアも、フランスでの私たちの活動にとても注目していました。かなり目新しいものだったので、アクトアップは「フランスらしさ」がなさ過ぎる、と言う批評家たちもいました。そんな風にかなり話題になったんです。メンバーは100名ほどでしたが、何をしても常にメディアに撮影されていました。

—— 従来の映画の中でのエイズの典型的な描かれ方と、どんなところを変えたいと考えていましたか?
他の映画と比べようとは思いません。ひとつはっきり考えていたのは、病気そのものを見せすぎないようにしたいということ。その側面に焦点を当てた素晴らしい作品はすでに十分たくさんあるからです。例えばドキュメンタリー映画『Silverlake Life: The View from Here』では、監督が自分のボーイフレンドの死を記録している。私は自分の作品では、ただその孤独について語ろうと思いました。ショーンは死へと続く廊下にいて、自分に残された最後の日々を生きている、という事実を描こうと。ある人物が生と死の狭間にいるという、とても特殊な状況です。

——映画を見ていて驚いたのは、メンバー同士がお互いにかなり違う意見を持っていたことです。自分たちのアクティビズムにはラディカルで衝撃的な要素が必要だと考えるメンバーもいれば、もっと冷静に科学的根拠を用いるべきだというメンバーもいて。
私にとっては、この相反するふたつの立場を映画の中で描くのは重要なことでした。ショーンとチボー(グループの代表者)は、この病気を世間に向けてどのように表象するかという問題を巡って、対立しています。ショーンは自分の病気が進んでいるために、運動を積極的に前に進めるあり方を望んだ。チボーはもう少し距離をはかりながら、HIV/エイズをどのように知ってもらうべきかを考える余裕があった。ショーンにとっては、「戦略」について話している場合などではなかったのです。

——『BPM ビート・パー・ミニット』は監督自身の個人的な痛みや喪失に多くを負っている作品ですね。作っていていちばん辛かったのはどんなことでしたか?
脚本を書く段階です。これは歴史を伝えるというより、私の個人的な記憶についての映画です。リサーチのためにあたった資料もそれほど多くない。アクトアップのメンバーだったころは、きっと自分が「記憶モード」になっていたんでしょう、本当にすべてを覚えているんです。脚本を書いているときは、とても悲しかった。自分の若かった日々に別れを告げるような気分でした。プロダクションが始まって、クルーを集める段階になってホッとしました。もうひとりきりではないからです。私の感情を受けついでくれる人たちと一緒だったからです。
映画は集団としての創作活動で、そう意味ではアクトアップもそうでした。自分が実際に知っていた人たちをたくさんの若い男女の俳優たちが演じ、彼ら/彼女たちと一緒に働けたことはとても刺激的で、ワクワクしました。ときどき編集の過程で、圧倒されてしまうこともあったほどです。

——完成した作品を観て、どんな気分でしたか?
最初に上映で観たのはカンヌで、編集作業が終わったばかりでした。飽きるほど観た直後だったので、少し辛くて。でも完成した作品を観て、これが自分の経験の頂点だと感じました。自分が何をしたのか、アクトアップの目的はなんだったのか、はっきりと理解できたんです。映画の最後の5分には、いつもとてもとても胸を打たれます。とても誇りに感じているし、心の底から愛しています。

BPM ビート・パー・ミニット』日本公開は3月24日(土)


Images courtesy of Les Films de Pierre

This article originally appeared on i-D US.

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