MOMENT JOON 自伝的小説「三代 兵役、逃亡、夢」完全版 6/6

ラッパーのMOMENT JOON(モーメント・ジューン)が書き下ろした自伝的小説「三代 兵役、逃亡、夢」完全版、ここに完結。

by Moment Joon; photos by Syuya Aoki
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18 September 2019, 12:00pm

《MOMENT JOON「三代 兵役、逃亡、夢」完全版 5/6》

国連軍に捕まって捕虜になった祖父は、朝鮮半島の南の巨済島に設けられた北朝鮮軍捕虜収容所に送られた。国連軍に監視される捕虜収容所の中で、捕虜たちは共産主義に賛同してまだ北朝鮮側に立ってるグループと、共産主義や戦争を起こした北朝鮮に反対するグループに分けられていた。共産主義側の捕虜たちは、共産主義は日本・アメリカからの干渉だけではなく、矛盾した経済構造などの全ての旧悪から祖国を解放させると信じていた。一方、共産党に財産を奪われたり強制的に徴兵されて地獄を味わった人々は、世界の何よりも共産党と、戦争を起こした金日成を憎んでいた。両側とも最初はお互いを牽制するぐらいだったが、敵対心は徐々にエスカレートして暴力的になっていった。毎日喧嘩が起こって、喧嘩はリンチへ、リンチから集団抗争へと発展し、収容所の中で死亡者が出てくる状況になっていた。

祖父が収容所にたどり着いた頃は、共産主義捕虜と反共捕虜、どちらかに所属していない捕虜は命を守れない状況だった。祖父は、反共捕虜のグループを選んだ。なぜ反共グループを選んだか、生前に父が聞いてみたそうだが、祖父ははっきりした答えを避けた。共産主義がなんなのかを理解して、祖父がその選択をしたとは思えない。ただの偶然、それとも反共捕虜に友好的だった国連軍から何か食べ物でももらえたからじゃないだろうか。
その理由はともかく、祖父は反共捕虜グループに入った。収容所の状況は小さな戦争だった。特に共産主義側の捕虜たちは、自律的に理念教育を行ったり、緻密に捕虜たちを組織して反共捕虜と国連軍を緊張させた。夜になると、反共捕虜側のキャンプへのテロが相次いだ。祖父が収容所に着いて始めに学んだことは、夜眠るときに絶対に枕に頭を置いて寝ないことだった。夜、テロを行う共産主義側の捕虜が、石で頭を殴って殺そうとするからだ。だから枕の上には頭サイズの石を置いて、頭は枕の下に入れて毛布で枕までを覆ったまま寝ていたそうだ。それでも大勢の人々が殺された。だが十七万人近くの捕虜が入っていた収容所で、数人の死亡者が出るぐらいは大した事件では無かっただろう。
やられたら、こっちもやり返さなければならない。祖父が収容所で具体的に何を経験したかは分からないけど、祖父はいつも、初めて人を殺したのは戦場ではなくて収容所だったと言っていた。毎日の抗争はどんどん激しくなって、その頂点は一九五二年五月の暴動だった。共産主義側の捕虜たちが一挙に収容所内の施設を占拠して、収容所の所長の米軍准将を拉致した。所長が人質になって国連軍が何の行動も出来ない間に、反共捕虜の百人近くが共産主義側の捕虜によって殺された。銃やナイフがなくても石や木の枝で人々は殺しあう。祖父はその地獄に一年半以上いたのだ。

祖父が生き残るために毎日収容所で戦ってる間、戦線は戦争前の三八度線に近い地点で膠着して、南と北は朝鮮半島の腰を切って、手のひらぐらいの面積でも領土を広げるために高地戦を続けていた。裏では各国政府が休戦の交渉を始めていた。外交官・将軍・政治家たちが話している間も、若者たちは命を奪われていた。
休戦自体に否定的だった当時の韓国大統領の李承晩は、特に捕虜問題に関して不満を抱いていた。戦後に捕虜たちをどこに送還するかという問題で、国連軍は捕虜自身が北か南かの行き先を決めてよいという捕虜個人による選択の自由を主張した。しかし捕虜に選択権が与えられた場合、北への送還を拒否する人が多数発生することを恐れた共産軍は、捕虜全員を一括して北朝鮮に送還することを求めた。共産主義と資本主義、どっちにとっても何万人に至る捕虜たちは戦後の貴重な労働力であり、自国の理念の宣伝道具としても活用できるはずだった。長い交渉の結果一九五三年六月、北朝鮮への送還を望む捕虜たちを優先的に北へ送還した後、北への送還を拒否する兵士には両側の顧問団が面談を行うことでそれぞれの意向を聞き、北か南か、それとも中立国へ送還する妥協案が発表された。
李承晩は共産軍と国連軍の主張の折衷であるこの妥協案に激しく反発した。捕虜全員を一括して北へ戻さないという方針までは良かったが、送還を拒否する兵士たちに両側の顧問団が合同で話をすることになると、共産軍側の顧問は絶対に故郷や家族の話をしてくる。そうすると心が弱くなって北へ戻ることを希望する人が大勢出てくるはずだ。戦線で一坪でも領土を広げようと必死で戦っていたみたいに、北と南は捕虜一人でも自分側に連れていこうと戦っていた。「何があっても反共捕虜は全員を韓国側に送るべきだ」と主張した李承晩は、捕虜問題は妥協案通りに実行するとアメリカに言われた後、国連側の誰にも予測できなかったことを考え始めた。

その時点で祖父の収容所生活はもう二年半を超えていた。一九五二年の収容所暴動事件で危機を感じた国連軍が、反共捕虜だけを全国各地の他の収容所に移送させたため、巨済島みたいな収容所内の抗争はなくなったが、それでも労役と飢えで辛い時間だった。一九五三年六月のある日、祖父は国連軍として収容所の監視を務めていた韓国軍の兵士から、二日後の夜は全員眠らずに待機していろという指示を受けた。何が起ころうとしてるんだ。今まで聞いていたニュースは全部嘘で、実は共産軍が勝機を掴んで南進しているから逃げる前に我々を処刑しようとしている、とか、収容所の外の炭鉱に我々を送って奴隷みたいに働かせようとしている、とか、捕虜たちの間では不吉な噂が出回った。
二日後の深夜、緊張したままテントの中で座っていた捕虜たちの前に、韓国軍の兵士が現れた。兵士は小さな声で「これからここを出るんだ。脱走だ、付いて来いよ」と言って、捕虜たちを鉄柵の近くまで連れていった。鉄柵には人が通れる大きさの穴が空いていて、柵の外には韓国軍の兵士たちが祖父と捕虜たちに小さい声で「急げ! 急げ! 早く!」と言いながら手を振っていた。祖父が鉄柵を通ったら、そこには韓国の警察官が何人か待っていて、祖父たちにこの道をまっすぐ行くとトラックが待ってるからそれに乗れと伝えた。その瞬間、後ろの収容所内のサーチライトが付けられて、サイレンが鳴り出した。米兵たちの叫ぶ声が聞こえてきて、やがて銃声も聞こえた。祖父たちは先の警察官が教えてくれた道を必死で走りだした。畑を通って小さい村が見えてくると、確かにそこには十数台のトラックが祖父と捕虜たちを待っていた。

李承晩は捕虜収容所の管理を務めていた国連軍の中の韓国軍に秘密命令を下して、一九五三年六月一八日、全国の反共捕虜たちを独断で釈放させた。脱走には韓国軍だけではなく各地の警察や民間人も協力して捕虜たちの夜逃げを手伝った。捕虜たちの脱走を阻止するために米軍によって武器が使われたり、捕虜たちを手伝う韓国軍と米軍がぶつかることもあったが、結果二万五千人の捕虜がその日脱走した。祖父を乗せたトラックは光州の近郊で捕虜たちを降ろした。昨夜まで戦争捕虜だった祖父は、朝には民間人になって大韓民国に足を踏み出した。これからどこで何をすれば良いか分からないまま。

北の故郷にはもう帰れないと祖父が分かったのは、恐らく脱走の直後だったと思う。捕虜送還協約の内容が民間にも漏れていたらしく、戦争はもう終わるという噂が出回っていた。光州でその噂を聞いた祖父は、何を思っただろう。もし捕虜として収容所に残っていたら、反共捕虜だったとしても北に送還される機会があったはずだ。そのまま残っていたら、そこに残っていたら、北の妻と子供に会えたのに、何てことをしたんだ。部隊から逃げたことも、殺されないために粘った収容所生活も、一瞬の選択で無駄になってしまった、と思っただろうか。それとも開戦以来初めて、どこの組織にも縛られずに人間キム・チャンスとして味わった自由に感激しただろうか。
祖父が何を思ったかは分からないけど、祖父が何をしたかは知っている。祖父は一瞬たりとも生き抜くための戦いを止めなかった。三年間の戦争で朝鮮半島は何十年かけても治せない傷を負った。街は戦闘で破壊されて、美しい自然も砲撃でぼろぼろになった。何十万もの人が殺されたし、また何十万人もが行方不明になった。北朝鮮軍から逃げた時に家族と別れてしまった人々、北朝鮮軍が村を占領した時に人民裁判で家族を殺された人々、数十万人の怪我人やみなしごたち。死なずに生きていた人々の誰もが一生癒えない傷を負って、それでも生きようとしていた。祖父もその一人だった。ゼロからやり直さなきゃいけない。
何をどうすれば良いんだ。ちゃんとした教育も受けておらず、技術を持っていた訳でもなかった祖父に出来ることは、少なかっただろう。戦争が終わった後も家族を背負うために人々に軽蔑されがちな仕事を選ぶしかなかったぐらいだから、まだ戦争も終わっていなかった一九五三年の夏は、祖父には絶望しかなかっただろう。

小学校に入ったばかりの時、祖父は北朝鮮の人だと聞いて驚き、祖父に直接聞いたことがあった。
「お祖父さん、北朝鮮の人だったの?」
「あ、そうよ」
「へええ⋯⋯北朝鮮は、怖くない?」
「いや、そんなことないよ。わしの故郷やもん」
「お祖父さんは、韓国に来て、人々に嫌われなかったの?」
「そりゃ、最初は皆そうやったけど⋯⋯でもわしはいつも皆に堂々と言ってたで」
「え? なにを?」
「はい、わしは北の出身の一文不知の農夫の息子です、と。でも、わしも、この大韓民国のために銃を持って、誰よりも頑張って戦いました、と。ほな、それだけでも、わしとわしの家族は、この地で胸張って生きていってええやないですか?」

「お金も何もないまま光州に着いて、お腹が空いたので店に行って食べ残しでも少しあったらいただけませんか、と頭を下げて頼んだら、訛りから北の出身だとバレて街中の人々に殴られた。もう、なにも出来ないと思ってた時に、お祖父さんが何をしたか、知ってるか?」
「⋯⋯もう一度、戦争に行った」
「そうだよ! 人が殺したいからじゃなくて! お金が稼ぎたいからじゃなくて! ただこの国で生きていくために! 自分の息子! 孫! 子供たちが生きていくために! 韓国のために戦わなきゃ胸張って生きられないと知ってたから! 『北朝鮮人』てレッテル貼られたままじゃ、まともな家族も、生活も出来ないと分かったから! だから⋯⋯」

だから祖父は韓国軍に入隊して、もう一度戦場へ向かった。戦争が終わる直前の六月と七月、小さい面積でも相手から奪うために北と南は持ってる全てを使ってお互いを攻め立てた。祖父が一生右腕を肩より上に上げられなくなったのも、その時に銃弾でやられたからだった。休戦直前のその二ヶ月は、戦争のどの時期よりも激しい戦いが続いていた。そこに、祖父は自分の足で歩いて行った。息子、そして⋯⋯

「孫のために! 軍隊? 戦争? そう、もう一回行かなくても何とか生き延びれたかも知れない。でも、それだったらお祖父さんがお祖母さんと結婚できたと思うか? お祖母さんのお兄さんを、説得できたと思うか? 誰がクソ北朝鮮人なんかを信用するんだよ! 韓国のために戦いましたと言えなかったら、皆がクソだと思う仕事さえ出来ずに永遠に道端で乞食してたはずだ! お祖父さんには俺が、俺の兄弟たちが、お前のお祖母さんが夢だったのよ!」
分かるよ。僕にも、分かるよ。
「お前、お祖父さんが泣くの見たことあるか? 俺が小さい時に、お祖父さんがどっかで酔っ払って夜遅く家に帰ってくると、便所に入って一人で何時間も泣いてたぞ? 北の訛りで『ごめんなさい、ごめんなさい、許してください』と言いながら、ずっとずっと泣いてた。それで内の兄弟もみんな起きて、泣きながら『お父さん、泣かないで』と叫んだら、やっと便所から出てきて、それでも笑顔で『ごめんごめん、皆はよ寝ようよ』と」
泣きそうなのを必死で我慢して父は僕に話してた。
「なのに、お前の逃亡を、お祖父さんが戦争で一回逃げたことと同じものにするつもりか? お祖父さんは、逃亡者なんかじゃない。お前は、全てを賭けたこと、あんのかよ。生きるために、まともに生きるために! いや、生きるためじゃなくても良い。お前のその『夢』というのがそんなに重要なら、それに全部賭けてみたことはあるか? どんだけ傷ついても、それとも誰かを傷つけても、一回でも逃げずに向き合ったこと、あるのか? あるか?」

中学校一年生の中間試験、学年の成績トップ3になった日のことが思い浮かぶ。恐らく人生で一番純粋に嬉しかったその日の僕の笑顔は、父さんの笑顔に似ていた。世界で一番大きい人、僕の巨人、僕のお父さんと同じ方向を向いて、同じ道を歩いている時の喜び。世界で怖いものなど一つもないその気分が、忘れられなかった。
僕には、そのお父さんが必要だった。軍隊のトイレで死にたかったその日、これから日本には居られないと絶望した日、背負っているものが重すぎて歌わずにステージから逃げたかった日、僕には中学校一年生の時に見た笑顔の父さんが必要だった。
でも、そのお父さんは居ない。中間試験で成績トップ3になった僕がもう居ないからだ。その代わりに、大坂池田井口堂のグリーンハウス二十五号室に住む自分が居る。歌で人を怒らせて、泣かせる自分が居る。そこから出会った人々も居た。軍隊での出来事を書いた『DOG TAG』を歌う時に、一緒に泣いてくれる人々だ。小説では書ききれない、ライブ会場でしか語れない僕らの物語り。父が居なかった所にその人々が居てくれたから、僕はまだ生きている。
今はもう居ない記憶の中の大きい父さんと、Moment Joonを待っている人々。どっちにも嘘をついてきた。親に嘘をついている罪悪感と、自分の全てを見せていないのにリスナに愛してもらっている罪悪感。僕は、堂々と愛されたい。残業、コンセプト、会社、嘘。それがなくなった時の自分で、愛されたい。なら、本当の自分を前に出せるのか? 誰かは絶対に傷つくとしても? 僕に、出来るだろうか。もし父さんなら、どうするだろうか。お祖父さんなら、どうしただろうか。

「⋯⋯ない」
いくら父に逃げてると言われても、僕は自分なりの道を見出したことだし、決して逃げたことじゃないと思ってた。
「そう、今まではなかったよ」
でも、いくら否定しても、僕は父からは逃げてきた。父の期待、父の世界観、そしてその中に存在する僕から。
「確かにお父さんが言ってた通りだ。俺は逃げてた」
僕は、自分らしく生きられる今、そのチャンスが与えられた今を、愛してるのか?
「でもお父さんが思ってるものから逃げてた訳じゃないよ。俺は、お父さんから逃げていた」
僕は、今やってるこの音楽、この夢を愛してるのか?
「お父さんを傷つけたくないから。いや、正直に言うと、怖かったから」
父に一生治らない傷をつけても、それでも、自分らしく生きる今を、夢を追いたいのか?
「子供みたいだけど、単純にお父さんに怒られるのが怖かったし、その怒りが終わったら、一生お父さんと俺の関係が、壊れてしまうことも怖かった」
頭の中で数百個の質問が出てくるけど、答えは全部知っている。全部、全部イエスだ。

「お前⋯⋯何が言いたいんだ」
「俺、会社なんか通ってないよ」
もう逃げない。
「全部嘘だった。何とかして金稼いで、学費払いながら大学院通ってるよ」
嘘もつかない。
「もう一年以上そうだった。大学では音楽学を勉強してる」
自分が傷ついても、お父さんを傷つけても、俺は、これを背負っていくと決めた。
「そして、音楽もやってるよ。一瞬も止めたことない。アルバムも出したし、順調だよ」
俺はお父さんの息子だし、
「大好きだよ。これからもやるよ。死ぬまで」
お祖父さんの孫だから。

《完》

MOMENT JOON(モーメント・ジューン)
韓国ソウル生まれ。移民者ラッパー。ロサンゼルス、ニュージーランド、ソウル育ち。2010年大阪大学の留学生として来日。2010年以降、日本にスミながら独特の言語感覚と日本社会に対する目線を音楽にしている。2012年に徴兵のため韓国に帰国したが、2014年除隊し日本に戻り、楽曲「Fight
Club」を発表。日本語ラップシーンに旋風を巻き起こす。アルバム「Immigration EP」が発売中。

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