エリカ・バドゥ:Twitterで“スラットシェイミング”を議論

「男性職員にとって最善の職場環境を保つために女子生徒のスカート丈を規制する」とニュージーランドの学校が取り決めたとの報道を受け、エリカ・バドゥが、Twitterで170万人のフォロワーを巻き込み、議論をはじめた。

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maj 31 2016, 4:36am

『The Cut』誌に掲載された記事を受け、ネオソウル界のファーストレディ、エリカ・バドゥ(Erykah Badu)が、Twitter上で女子学生のスカート丈について大きな議論を繰り広げている。彼女は、若い女性たちを守るのは社会の責任であり、若い女性たちは自らのセクシュアリティについて認識すべきで、ヘテロセクシュアル(異性愛者)の男性が若い女性に惹かれるのは"自然なこと"だと、11のツイートを通して訴えた。その後も、彼女の意見に賛同するツイートも異論を唱えるツイートをもリツイートし、自らのフォロワーに議論参加を呼びかけた。この議論はいまだ続いている。自らのプラットフォームを使って開かれたディスカッションをし、フォロワーが熟考して、それぞれの意見を持つように促す。炎上の様相を呈しているこの彼女の議論は、彼女は自身がTwitter上で最も思想的なセレブリティであることを改めて証明することとなった。その結果、この議論は、女性が常に性の対象とされる現状、スラットシェイミング(Slut-shaming:社会が押しつける女性観に基づいて女性の性行動を批判する性差別)、そして男性と女性の生物学的違いに関する議論にまで発展している。

「女性は男性の性的本能を考慮した服装を心がけるべき」という議論は真新しいものではない。アンバー・ローズやキム・カーダシアン、ジジ・ハディッドらが、服装や行動で批判された自らの経験をもとに、メインストリームの世界でスラットシェイミングについて声を上げたのはつい昨年のこと。さらにたちが悪いのは、レイプの犠牲者が"肌の露出を控えれば、男性の注意を引くことを回避できたのでは"とするビクティムシェイミング(Victim-shaming)という差別だ。残念ながら、"きわどい服装の女性は性の餌食となることを望んでいるのだ"という古い考えは依然として社会に根付いている。また、そのような服装が乱れた性生活を反映しているのだという考えも依然としてあるのが現実だ。ここで重要なのは、女性はそれぞれ自分自身のために服を選び、着ているのだということだ。男性のために服を着ているわけではない。残念なことに、これらの議論はまた、女性が少しでも腿を見せれば、すべての男性の理性のタガが外れるという間違った解釈も可能にしてしまっている。ひとつ確実に言えることは、すべては物事の前後関係によるのだということだ。男性の目を考慮して服装や行動を合わせるなど、女性の役割ではない。

バドゥの議論は、これが女性一般にではなく、あくまでも制服という校則が課せられた環境に身を置く若い女性に焦点を当てているものだと強調したことでさらに発展を見せている。スカート丈を短くしたい時や場所があるのもたしかだ。しかし、学校はそのような場所ではない。議論は公正で、かつ教育機関が制服をはじめとする校則を課す目的が"秩序"であることも広く認識されている。制服という校則が持つ問題点は、スカート丈にあるのではなく、「男性職員にとって良い職場環境を作り出すため」、そして「女子生徒たちの安全を確保するため」という正当化がなされているところにある。バドゥは、「健全な男性は、妊娠が可能な年齢に達した若い女性に惹かれるもの」で、セクシュアリティという領域において何が正しく、何が社会的に逸脱しているかを見極めるのは法律であるべきだとしている。それでも、それらの規則は最終的に男性に有利に働くよう設計されており、「若い女性は"自らの身を守るため"に、男性を意識したうえで自らの行動を振り返り・見直すべき」とほのめかしているように思える。男性職員のニーズに合わせた校則作りは、フェミニズムの観点から見るまでもなく、あまりに後退的だ。私たちが住む世界は男の世界なのだと諭しながら若い女性を教育し、若い女性たちに自信を持たせるなど不可能だろう。

"男性が女性を常に性の対象とすることが"自然だ"とする意見は断固として受け入れられない"

しかし、性行動と異性への関心において、男女間にある違いを知っておくことは重要だ。ウェブサイトsexscience.orgで発表された研究結果では、男女の性的パターンに関する徹底した調査がなされ、そのプロセスでいくつかの重要な発見があったことが明らかにされている。それら発見には、男性は女性に比べ性的逸脱行為に走る傾向があり、女性に比べ自慰行為も多く、不貞行為に走る傾向が強い、などといったものがある。また、この研究結果は、メディアがこれまで唱えてきたほどの程度ではないにしても、平均的に男性は女性に比べ頻繁にセックスについて考えるものであることを確認している。この研究結果においてバドゥの議論にもっとも関係するのは、男性には特定ではない性的パートナーに性的興奮をおぼえるときが頻繁にあるという点だ。これは、男性職員が勤める職場に出入りする未成年女子にも当てはまる。つまり、教育システムにあって女子は男子よりも高いリスクにさらされていると言うことができるだろう。しかし、この研究結果は平均的統計を基にしたもので、ユタ州の元教員ブリアン・アルティース(Brianne Altice)が未成年の男子生徒3人と性的関係を持ったことで有罪判決を受けたケースが存在するのも確かだ。

男性がより"性的に活発"とする科学的裏付けがあるにしても、男性が女性を常に性の対象とすることが"自然だ"とする意見は断固として受け入れられない。それは、問題の根源を矮小化するだけでなく、問題を社会的文脈から科学的文脈に置き換えることとなり、生物学的な性別にのみ基づいて男性にフリーパスを渡すことになるからだ。「若い女性が自らのセクシュアリティを認識し、性の対象となる可能性を認識したうえで、そこから学び、成長するべき」としたバドゥは正しい。しかし、若い女性たちが男性の活発な性衝動をよく認識するだけでなく、それに合わせた行動を心がけるよう促すような校則を正当化することは、フェミニズムの観点から見ても、時代錯誤のように思える。男性は性衝動に左右されやすく、自制力に欠けるとも解釈できる学校側の言い分もまた、男性全体に不利益に働く。セックスとセクシュアリティは、今も昔も複雑なものだ。この記事中にある例はすべて日常生活からの事例研究とステレオタイプを基に引用している。すべてはコンテクスト(前後の関係)によるのだ。人間なら誰しも衝動を感じるときはあるだろう。しかし、それを必要なときに抑制するからこそ、文明というものが存在するのだ。学校で膝丈のスカートを強制したいならすれば良い—それが、誰にとっても満足のいく結果をもたらすものなのであれば。男性の性的衝動のためでなく、正当な理由のためにかけられるものだろう。

Credits


Text Jake Hall
Still from Britney Spears video for One More Time
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.