ロンドンの伝説的ストアに見るファッションムーブメント

ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンが始めたWorld’s Endから、現在のMachine-Aまで。時代のスタイルを決定づけ、訪れるひとに夢を与え続けてきた伝説のショップをロンドンのファッショニスタ達が語る。

by Stuart Brumfitt
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07 April 2016, 11:50am

オンラインや大型ショッピングモールで買い物の選択肢は果てしなく広がっているいま。しかし手の込んだ作品や、オーナーの美意識や価値観によってセレクトされた商品が並ぶ店はそこにあるだろうか? ロンドンの独立独歩、DIYの精神がルーツの私達i-Dは、スタイルだけでなく雰囲気、コミュニティを通じてオリジナリティの強い店々とは同じDNAを共有している。ここではファッションの重鎮たちへのインタビューを通じて、80年代のケニーマーケット、90年代のコヴェント・ガーデン、2000年代のショーディッチの歴史を、そして時代ごとのスタイルを牽引してきたロンドンのショップを振り返る。そして現在のロンドンに新しい風を吹き込んでいるキャリン・フランクリン、スティーブン・ジョーンズ、ナシル・マズハルらのショップを紹介しよう。日々変化するシティを探索するこのシリーズから、ロンドンの変貌ぶりを感じて欲しい。

World's End. Caryn Franklin (Fashion Commentator) 

「私に一番のスリルを与えてくれた店、それがヴィヴィアン・ウエストウッドの"World'End"だった。ターコイズブルーの壁、斜めになった床、逆に進む時計、そして店から溢れるエネルギー、どれも魅力的だったわ。当時、i-Dで働きだしたばかりの私は、まったくお金に恵まれていなかったの。当時、海賊コレクションを発表した頃で、ヴィヴィアンは唯一無二の存在だった。シルエットは海賊船の乗組員が着ているようなだぶだぶの特大サイズだし、色にも明るい赤、白、金、オレンジが使われていて、まさにどこにもない感じだった。ヴィヴィアンの服は買える値段じゃなかったけど、店の前にはよく通っていたわ。当時はいろんな人が店に来ていて、店の外で何時間もだらだら喋っていたのよ。私が服を買えないことは皆、分かっていたと思う。だからこっそりその輪の中にいたの。話しかける勇気もなくて……。さすがに恐いとは言わないけど、無視できないほどクールな雰囲気が"World'End"にはあったわ。中に入ってもドリンクすら注文できない高級クラブに足を踏み入れるような感じで、「やった、中に入った!」って。その時感じるスリルは本当に凄かったわ。

お店に入って店内を隈なく見渡すと、服を吊るすレールは一切なくて、全部畳まれているの。小さい棚に入っているから服を取り出すだけでも緊張したわ。服を動かさなくて済むように自分が屈んだり背伸びしたりね。"World'End"に訪れた客は全員、店内を窓越しに覗いて、そこにある服を買える世界がくるのを夢みてたんじゃないかな。私は店の周りをうろついて、セールをやってないかいつもチェックしていたの。今でもVivienne Westwoodを買えるのはセールの時ぐらいなんだけどね。

店には大体、背が高くて金髪のマネージャーの男性とヴィヴィアンのショップアシスタントとして有名だったジョーダンという女性がいて、ヴィヴィアンは一度も見かけなかった。だけど、SEXとSeditionariesのことを本で読んでジョーダンのことは知っていたから、彼女を見かけるだけで興奮したわ。私が近づきたい、そこで買い物をしたいと思っていた世界に彼らはいて、自然に生活しているんだから。お店で流れていたのはバウ・ワウ・ワウ【1980年代前半に活躍したイギリスのニュー・ウェーブバンド】だった気がするけど、音楽はあんまり記憶にないの。覚えているのは店中が斬新でクールな服で溢れてたことだけ。

Flip. Stephen Jones (Milliner)

Stephen Jones, Blitz, 1979. Photography Peter Ashworth. i-D, The Disco Issue, No. 294, December 2008

「大好きな店Flipはアメリカの古着屋で、当時ロングエーカーに2軒しかなかった店のうちの1軒だった。それ以外には本当に何もないところでね。80年代の初めだったから、ブランドで店をやる時代ではなく、どんなラベルがついていようがそこはまったく問題ではなかったんだ。当時、ファッションと音楽は常にセットだった。例えばニューロマンティック、ニューウェーブ、そしてテクノ。音楽に結びついていないファッションには意味がないっていうような時代だったね。ロンドンはちょうどサッチャリズムが始まった頃で、70年代の不況から脱却して、景気の良い80年代に入っていった。Flipはストリートファッションを扱っている珍しい店だったんだけど、当時はそういうのは本当のファッションとされず、主要なファッション雑誌で取り上げられることもなかった。だからi-Dが創刊されることになった訳だけどね。そこに集まってた人たち? ヴィヴィアン・ウエストウッドの店Seditionariesのラベルに書いてあった"兵士、売春婦、レズビアンとパンク"を地でいくような人たちで、友達になれそうな感じじゃなかった−−なにしろ怖かったんだ! 今思い返すと、かなり無法地帯な店だったな。盗んでくれと言わんばかりの雰囲気だったよ。」

PX. Tony Glenville (Creative Director at London College of Fashion)

「ロンドンにおけるファッションの中心地は常に動いているけど、PXがコヴェント・ガーデンに開店したときは、みんな探し求めていたもの−−つまり真のオリジナリティをそこに見つけてファッション通たちは大注目したんだ。PXはニューロマンティックで、少しクラフトワーク【1970年結成のドイツのロックグループ】的でもあるんだけど、ロンドンの香りがたっぷりとする店だった。デザイナーは若くて、新しいアイデアが生まれるとすぐにそれを客に提供していたよ。だから扱っている服はどれも尖っていて刺激的だった。

70年代終わりにオールドマーケットでオープンしたPXは、その後エキゾチックな雰囲気のあったエンデル・ストリートに移転した。プリンセス・ジュリアやスティーブン・ジョーンズ、それにヘレン・ロビンソンみたいな人たちが出入りしていたし、単なるショップじゃなくて、Blitzや他のクラブが開くまで集まっていられる場所だったんだ。

クラブがオープンすると、雨後の筍のようにロンドン中からPXや他の小さなブティックで買った服を着た連中が集まってきてね。あちこちでいろんな服が生まれてくるなかで、ジャンルを問わずスタイルをミックスしていくのが流行ったんだ。今のドーバーストリートマーケットの感じが一番近いかもね。

そういえば、PXはスティーヴ・ストレンジやミッジ・ユーロ【バンド・ヴィサージのメンバー】にもミリタリーテイストの影響を与えていたね。斜めの線と留め具を多用した服が一番特徴的かな。それにブラックに強めの赤や青を合わせたり、袖章みたいな装飾をしたりした服ね。

あの頃のロンドンは今よりもずっと店を見つけるのも、刺激的なことをしたり、売ったりするのも簡単だった。何事も今が一番で、長くブランドを続けるなんて誰も考えてやしなかったよ。毎日がパーティみたいだったけど、PXはそれに着ていく服を山ほど提供していたんだ。友人やクリエイターたちと一緒にいれば、店内は永久に続くパーティそのものだった」

Shop. Paul Gorman (journalist and author of The Look: Adventures In Pop & Rock Fashion)

「1994年から2000年半ばまでブルーワーストリート5にあったShopという店ね。地下にあって、アンダーグラウンドの隠れ家みたいな雰囲気を漂わせていたわ。主にレディースを扱ったお店で、友人のピッパ・ブルックスと彼女のパートナー、マックス・カリィが経営していたの。DJをしていた彼女は、イーストロンドンにあったパブ、George & Dragonではマダムとして活躍していたし、Shopの綴りを並び替えたポッシュ(Posh)という3人組のバンドもやっていたわ。90年代に流行ったロモ【ロマンチックモダニズムの略称】、つまりニューロマンティックと電子音楽のリバイバルと一緒くたにされていたけど、本当はもっと迫力のあるキュートなバンドだったの。

Shopは、常にジャンルをミックスしたような個性の強い服を扱っていて、ニューヨークのイーストビレッジに似た感じだったわ。他の店はまだどこも手を出していなかったスタイルを発信していたお店だったの。イギリスで初めて、キム・ゴードンのX-girlを置いてあるのを見たのもShopだったな。

偉大な先輩たち−−Granny Takes A Trip、Biba、SEX/Seditionaries−−と同じように、オーナーのピッパとマックスは自然発生的に生まれる音楽と強い結びつきを持っていたのよ。音楽フェスティバルに出資するトップマン【世界20ヶ国以上で展開するイギリスのファション小売店】とは全く違うでしょ。日本限定でマクラーレンが展開していたレーベルのDead In England、Sonia Rykiel、ヴィンテージのFiorucci、それからスティーヴィー・スチュワート(ボディマップ創業者)の服も販売していたわ。同じような考えを持つ人たちに会いに行ける素敵な店で、ぶらぶらするのにも最適だった。このときのソーホーはまだ素晴らしかった時代のソーホーで、そこら中にミュージシャンや、テレビの司会者、作家、スタイリストらがうろうろしていたの。Shopは異なるジャンルの人たちが交流する中心だった。当時のロンドンは、今のイーストビレッジのように、汚くても魅力的で、めかし込んだ街だったのよ。

私はマックスとピッパのスピーディーなところに惹かれていたの。90年代半ばから後半にかけて、Shopはプレイボーイのロゴのライセンスを受けたけど、それはちょうどその値が下がる直前だった。怖いもの知らずのピッパは、プレイボーイ誌でヌードも披露してたわ。そのあと、ベビーチャムともライセンス契約を結んだときは笑っちゃった。だけど、彼らによる最大の偉業は自らのブランド、Shopgirlを立ち上げ、伝統のブランド、Damartを復活させたことね」

「当時ふたりはガービッジ(アメリカ・スコットランドのバンド)のシャーリー・マンソンに夢中だった。かつてMiss Selfridgeで会計係として働いていた彼女は、当時、快活で不屈な女性を代表する存在だったの。よくShopで買い物をしていたコートニー・ラブもお気に入りだったみたい。その後、かつてグラニーやマクラーレンがそうしたように、その二人はショップの名前と店舗の外観を大胆に変えたのよ。その名も「The World According To……」、場所はディーン・ストリート、メゾン・バトーの目と鼻の先ね。一度きりしか再生できない奇妙なビデオクリップを掲載したウェブサイトも開設していたわ。

私が思うに、音楽とファッションが出会ったときにひらめきが起こるの。90年代から2000年代にかけて、Shopはそういったショップの典型だったわ。閉店してすごく残念だけど、私が書いた本『The Look』の初版表紙に、ピッパとジェームズを載せることができたのは嬉しかった。今のように統合主義(コーポラティズム)の網に絡めとられる以前の、インディペンデントであり、ロンドンファッションが最高に熱狂した最後の時代をまとめ上げたのがこの2人だと思うから。ピッパは、いつも周りにいる人に「自分たちは生まれながらのニッチね」と言っていたわ。つまり大金や栄光を掴むことはできなくとも、記憶に残る偉業を残し、誠実でいられるんだって。つまり、それは彼女自身のことでもあるんだけどね」

Michiko Koshino. Mandi Lennard (Mandi's Basement)

「1989年のロンドンファッションウィークのある日、デザイナーのリファット・オズベックが、ヤスミン・ル・ボンが主演でジョン・メイベリーが監督の映画を上映するというのでウエストウェイ・スタジオに向かったの。サウンドトラックにSnap!(ドイツのバンド)の 「The Power」が使われていると聞いて心を踊らせて会場に行ったわ。

当時のクラブといえばファッション全盛期だった。その頃のThe Wag(ロンドンにあるクラブ)で、コヴェント・ガーデンのJonesで買ったWright & Teagueの冴えないリュックサックを持っている人は皆無だったし、もしBernstock Speirsのフリルつきベレー帽に、Slim Barrettの銀の羽のピン、Josephのごつい銀のイヤリングをしてなかったら鼻にもかけられなかったと思うわ。

当時ショーを見に行くというのはつまりクラブに行くと同義で、会場はThe Wag、City of Angels、Café de Paris、Ministry of Sound、Shoomといったクラブの常連で一杯だった。キャサリン・ハムネット、ニック・コールマン、そしてミチコ・コシノのショーは本当にすごかったわ。観客が席で踊っていたんだから! ミチコ・コシノの店はオックスフォードストリートを下ってすぐの、デーリングストリートにあって、向かいにはアンソニー・ドフェイ(ロンドンの有名なコレクター)のギャラリーがあったわ。まるで誰もそこに店があると気がつかないような、ひっそりとした場所にあるのが魅力的に見えたのね。そこで私はオレンジ色の、空気で膨らむ救命胴衣みたいなジャケットを買ったの。それを着て踊ったことでどれだけ私が痩せたか。なにしろビニール製で一切空気を通さないんだから!

2013年にV&A(ヴィクトリア・アンド・アルバート)博物館で開催された「2013 Club to Catwalk London Fashion in the 1980s exhibition」のオープニングルックでそれと同じ服を見たときは懐かしくてたまらなかったわ」

Super Lovers (and Shoreditch second hand stores). Daryoush Haj-Najafi (Senior Editor, Style, Complex)

「2000年あたりのニールストリートは、流行発信の場所としての役割を終えつつあったが、スケーターたちはSlam City Skatesや、Carharttの店でたむろしていたよ。カーハートの店に行けばいつでも、そこで働くホットな男の子たちを見ることができたんだ。

僕の友人も大勢、ニールストリートのこのSuper Loversという日本の店で働いていた。写真家のマット・アーウィン、モデルのデビッド・リンドウォール、DJのラブリー・ジョンジョ……。こんな人たちがそこの店員だったよ。その服はニューレイヴ以前のニューレイヴといった感じで、すごく原宿っぽかった。ソーホーには当時、他にもPineal Eyeや、Eley Kishimoto、Kokon To Zaiみたいな尖った店が多くてね。

Kokon To Zaiは、今とはまったく違う店でエレクトロ・クラッシュ系のレコードを置いているとても重要な店だったんだ。そこに行けば誰かと話ができ、たむろし、レコードを買うことができた。という具合に、ソーホーには最先端な店が多くあったんだけど、ぼくが初めてロンドンに来たときはショーディッチに住んでいて、そこにはほとんど店がなかったよ。Hoxtonという古着屋が1軒だけあったけど、他にろくな店はなかった。切りっぱなしのジーンズや、コンバース、スタッズベルトなんかが置いてあってね。クリエイティブなインフルエンサーになるなら、とにかく古着か風変わりな服を買うことが重要だった時代だ。デザイナーズブランドの服を着ているやつなんてひとりもいなかった。みんな、明らかに偽物とわかるブランドものばかり着ていたよ。リドリー・ロードやそこらで、いくらでも偽のルイ・ヴィトンのバッグが手に入ったからね。マックイーンやジャイルズ・ディーコン、ルエラ、ケイティ・グランドのもとで働き優雅に暮らす人や、毛皮のコートを着てアラステア・マッキーと働く人もいるにはいたけど、本当に少数派だったよ。

当時のショーディッチでは、ある種皮肉な消費傾向が確実にあったよ。だからブリックレイヤーズのバーの女の子たちが、その頃毛皮を着ていたら1999年のあの頃はちょっとピントがずれているとされた。それはグロテスクなファッションだと思われていたんだ。まあ、今ではむしろそっちが主流になってるけどね。ある時、ブリックレーンで100ユーロくらいで売っていた超ヤバいバイカージャケットを着て歩いていたら、「クソおかまって書いてある看板を下げて歩いているようなものだ」って言われたんだ。Tom of Finland のジャケットぽいと思ってたんだけどね」

Pineal Eye. Nicola Formichetti (Creative Director, Diesel)

「ぼくにとってここ90年代後半から2000年代初めにかけて最も前衛的だった店のひとつだった。事実、ぼくのキャリアはここから始まったと言ってもいい。90年代の終わりにイタリアからロンドンにやってきて働き始めたのがこの店。もともとKokon To Zaiを開いた日本人ヤビク・ユウコと一緒に、まるでクラブに通う若者みたいにレコードを聴きにこの店に通っていたよ。そのうち彼女は自分の店を開きたいと思うようになり、一緒にやらないかと声をかけてくれたんだ。

初めは日本からおもちゃを持ってきて売るつもりだったんだけど、知り合いにノキといったデザイナーの友人が多くいたから、それじゃあ若いデザイナーの作品を売る店を開けばいいと考えたんだ。今ならそんなに珍しいことではないかもしれないけど、当時Yves Saint LaurentやHedi Slimane、Raf SimonsやViktor & Rolfの店舗の目と鼻の先でノキみたいな若いデザイナーが作ったカスタムの服を扱う店を開くのは特異なことだった。そこでぼくは店を通じてファッション雑誌に服を貸すようになり、それがきっかけとなって雑誌の世界へ転向したから、店には結局2年しかいなかったんだけどね。

店は地下に作ろうってアイデアだったから、床をはがして窓を天井近くに開いているようにして、マネキンを天井からぶら下げたんだ。でも店の外から見てマネキンが浮いているのはとてもインパクトがあったよ。もっとも改装作業は悪夢のように辛かったけどね。ある夜、天井から吊るしていたViktor & Rolfのオートクチュールドレスが落ちちゃってさ。そこに付いてたガラス製の巨大なネックレスが割れたんだ。だけど僕たちは「それこそファッションだ! これぞ芸術だ!」ってはしゃいでいたよ。

ぼくたちの店は小規模だったけど、エディやラフらが積極的に支援してくれ、彼らのコレクションからの作品を買わせてくれたりした。アートや本も扱っていたから、店内は異なるジャンルが混じり合っていたよ。3Dの雑誌って感じでね。ユウコは実験的な音楽が好きで、私はインディーズ系にはまっていたんだけど、ドレスアップをしてお店にいろんな人を呼んでよく遊んでいたよ。クラブに通いづめの若い連中やドラァグクイーン、そしてたくさんの日本人で店はいつも一杯だった。なにしろまだ経済が好調だった時代だよ!」

EUFORIA Carri Munden (Cassette Playa) 

Photography Wolfgang Günzel

「EUFORIAはラドブローク・グローブにあって、イタリア人デザイナーのアネット・オリベリが経営していた。彼女はヒッピーだったんだけど、みんなのお姉さん的存在で、店はジャンルを問わない雰囲気でギャラリーみたいだったの。私がそこで働い出したのは2000年で、お店ではブレスやスビ、フセイン・チャラヤン、ワイルドライフテーラー、ヒステリックグラマーといったブランドから、ラリー・クラークのような人たちが作るアートブックやジンを扱っていた。よく来てくれたのはウエストロンドンの若者たち、日本人観光客、そしてインディーズ界のスターたち。ダマン・アルバーン、イアン・ブラウンにブレット・アンダーソンは皆パートナーと一緒に来ていたわ。

M.I.A.(マーヤー・アルルピラガーサム)とジャスティーン・フリッシュマンもお店に出入りしていたの。当時二人はルエラ・バートリーと一緒に住んでいたみたい。ジャスティーンは14の時から憧れていたから、もうすっかり舞い上がっちゃって。マーヤーもこの店で働いていたんだけど、私は彼女の初個展を企画したの。そのあとも『Arular』や『Kala』といった音楽作品でコラボすることになったんだけどね。当時、わたしはあの店の窓ふき係だったジャマイカ人のバニーに惚れてたの。彼は私のことをイエローって呼んでいて挨拶は「ハロー、イエロー」って。水着を試着しろってしつこく迫る男たちから助けてくれたりもしたわ。

これはまた別の日だけど、店の正面のショーウィンドーにスプレーで「あばずれ」と落書きされたこともあった。アネットの反応は最高だったわ。消さないで落書きをそのまま店の名前にしようか真剣に悩んでいたんだから!」

Machine-A. Nasir Mazhar (Designer)

Photography Maxwell Granger

「僕はアンナ・トレベリアンと初めてふたりでショーを開いたときから、一緒に働いていたんだよ。彼女がニコラ・フォルミケッティのアシスタントをしていた頃だね。ロンドンの中心地に出るたび、スタブロスに会いにMachine-Aに行っていたよ。スタブロスは店に置いてあるブランドのことをよく気にかけてたり、オーナーの鏡みたいな人でね。今度のコレクションがどういうものになるのか、どんな風に作業しているか、スタジオの進行具合はどうか、そういったことを丁寧に聞いてくれるんだ。彼ほど、コレクションとデザイナーに精通している人はいないし、他に誰も知らない貴重な情報も知っていてるから、アドバイスをもらいにみんな、店に尋ねてくるんだよ。

Machine-Aが扱っているのは、まだ他の店で扱っていない新人のブランドばかりだよ。スタブロウスはファッション学校の卒業生に声をかけて、一緒に展示会やプロジェクトを行ったりもしている。コレクションの資金集めをサポートしたり、事業面でのアドバイスも行う。最近だとセントマーチン美術大学の卒業生、ベス・ポストルも彼が手助けしたんだ。

店の周りにはあいからわずマッサージ店や売春婦、酔っぱらいが大勢いるよ。だけど、間違いなく変化してきている。15年前と比べてもね。ソーホーは今よりはるかに無法地帯で怪しげな場所だった。赤い照明が光っていて、窓やドアは開けっ放しにしている店も多かった。今は少し寂しいよ。そういうお店や場所もぼくの好きなロンドンの一面だから。

だけど、ソーホーは今や他の場所と変わりなくなってしまったとは思わないか? セックスクラブやゲイバーに行きたいと思ったら、かつてはソーホーに出かけたもんだ。それが今ではStratford Westfield(ロンドンにある巨大ショッピングセンター)みたいに清浄化されつつあって寂しいね。」

Credits


Text Stuart Brumfitt
Main image photography Marius Hansen. Styling Vivienne Westwood. i-D, The Agyness Deyn Issue, No. 287, May 2008

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