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      fashion Sophie Abriat 20 April, 2017

      Coletteの創始者が語る、カルト・ショップの作り方

      パリにColetteが誕生して、今年で20年。i-Dフランスが、パリのシーンを牽引してきたショップの創始者のひとり、サラ・アンデルマンに話を訊いた。ショップが今日性を失わない秘訣、20年前から変化したこととは?

      Coletteの創始者が語る、カルト・ショップの作り方 Coletteの創始者が語る、カルト・ショップの作り方 Coletteの創始者が語る、カルト・ショップの作り方

      パリのヴァンドーム広場やテュイルリー庭園からほんの少し離れたところにあるサントノーレ通りの213番地に、パリでもっともアイコニックなショップColetteはある。ロンドンにDover Street Marketがあり、ミラノに10 Corso Comoがあるように、パリにはColetteがある——Thom Browneのスパンコールとシルクのドレスが1万ユーロで売られている隣で、カワイイ小物が数ユーロで置かれたりする、そんな"クールの宝庫"だ。ミュージシャンのドレイクやファレル、リアーナ、モデルのケイト・モス、そしてこのショップの大ファンとして知られるカール・ラガーフェルドなどが訪れることで有名だ。

      1997年、パリ2区サンティエ出身の元職人コレット・ルソー(Colette Rousseaux)と、ルソーの娘で、エコール・デュ・ルーヴル(Ecole du Louvre:ルーブル学院)を卒業して『Purple Magazine』誌にインターンとして勤めていたサラ・アンデルマン(Sarah Andelman)が、アートとファッション、デザイン、音楽、ストリートスタイルをすべて融合した空間を作るべく、Coletteを設立した。そこからの歴史は、語るまでもないだろう。

      20年後となる現在、Coletteには1日平均1,000人の客が訪れる。ファッション・ウィーク開催期間ともなれば、それが1日4,000人にまで膨れ上がる。ファッション界の最高峰と消費をつなぐことを目的としたColette。これまでに取り扱ってきたブランド数は8,600を超える。新進気鋭の次世代ブランドを発掘し、結果としてその後の活躍の支援となった例も少なくない。Palace、Gosha Rubchinskiy、OAMC、COMME des GARÇONS、Delfina Delettrez、Sies Marjan、Simone Rocha、Thom Browne、Edward Bessといったブランドの服飾品が、電子機器や限定出版の本、お菓子とひとつ屋根の下に並び、その横には100以上もの種類を揃えた水を販売する、あのウォーター・バーが——サラに、20年にわたりセレクトショップ界のトップに君臨し続けるColetteについて聞いた。

      Coletteの20年間を振り返って、何を感じますか?
      この20年で、すべてが変わりましたね。1997年当時、パリでは何も大きなことは起こっていませんでした。ファッションという意味でも、これといった大きなことは起こっておらず、サントノーレ通りは陸の孤島でした。当時は、多ジャンルからまったく違う世界観の商品を集めて見せるというアイデアが真新しかったので、Coletteは、立ち上げてすぐに話題となりました。私たちが何をしようとしているのかと、ひとびとが興味を持ってくれたわけですね。パリでの流通経路を持たないロンドンやニューヨークのブランドがたくさんあったという背景もあり、私たちは本当に最高のタイミングでColetteを立ち上げたんだと思います。もちろん、「すぐダメになる。時間の問題だ」と非難する声も、直接的ではなく、間接的に耳に入ってきました。でも、私たちの頭には、お店の成功と正しいセレクションのことしかなかったので、そういった声に耳を傾けてなどいられませんでした。プレスはすぐに興味を持ってくれましたが、成功と呼べるものが起こったのはずっと後のことでしたよ。パリには海外からの観光客がたくさんいます。そのほとんどは、買い物といえばセレクトショップではなく、DiorやPrada、Gucciなどの路面店でするものと考えているひとたちですから、そういった人々にColetteへ足を運んでもらうまでには時間がかかりました。

      最初に取り扱ったブランドは?
      開店当初から、Coletteはストリートウェアを打ち出していましたね。開店当日から、Reebokのフューリー(Fury)をはじめ、AdidasやNike、New Balanceのスニーカーを取り揃えていました。他には、Bathing ApeのTシャツや、後にSupremeも扱うようになりました。PradaやCOMME des GARÇONS、Paul Smith、Hussein Chalayan、Alexander McQueenも扱っていましたね。Alexander McQueenといえば、ロンドンまで買い付けに行ったんですよ。当時のファッション界では、ロンドンがもっとも元気でした。Jeremy ScottやBlessといった、当時の若手の商品も置きましたよ。ブランドごとにコーナーを作るのではなく、すべてをごちゃまぜにして見せる——マネキンにも様々なブランドの商品をミックスして見せるというのが、私たちにとって重要なテーマでした。店内ディスプレイは、毎週火曜の夜に総とっかえしていたんですが、毎週寝ずに作業していましたね。でも、「平日の夜に徹夜をするよりも健康的だろう」ということで、ディスプレイ変更は日曜の夜に行なうようにしました。

      ファッション業界では、よく「昔の方がよかった」という言葉を耳にします。この20年間に起こったファッション業界の進化について、あなたはどう考えていますか? 特定の時代を特に懐かしく思い返したりしますか?
      いいえ。誰もが懐かしく思う60年代や70年代といった時代を除いては、特定の時代を神格化して考えることはありませんね。もちろんAlexander McQueenのデビューショーは鮮烈だったし、マーク・ジェイコブスが現れたときのことも、2000年前後にほかの多くのブランドが出現したことも、鮮明に覚えています。でも、今のファッション・デザインも健全だと思うんです。10年前、いや、5年前には、今Gucciでアレッサンドロ・ミケーレが起こしていることを誰も予見できなかったし、デムナ・ヴァザリアのBALENCIAGAも同様です。クリストファー・ケインがクロックスを作ることになるなんて、誰が予想しましたか?ああいうものがColetteで扱われることになるなんて、わたしですらまったく予想すらしませんでした!それがファッションというもので、驚きが常にあるのがファッション界なんです。以前持っていた強さを失ってしまっているデザイナーのことを思って過去が懐かしく感じられたりすることはあります。そこが、川久保玲や渡辺惇也といった、常に前へ前へと革新を続けるデザイナーたちの素晴らしさであり力だなと感心します。

      あなたはプライベートをとても大事にすることで知られています。あなたのお母様は、最近の『The New York Times』紙とのインタビューで、「残念なことに、現代は隠れて生活するなど不可能」と語っていましたが、ソーシャルメディアでの露出と、それに伴って謎めいた存在であるのが不可能になっている現代について、あなたはどう考えていますか?
      ひとに見せたい自分を誰もが演出している——それが現代なのだなと思います。よく、マルタン・マルジェラのことを考えるんです。現代だったら、彼は自分のプライベートを死守しながら同じだけの成功を収めていただろうか?とね。ショーの裏側では誰かが写真を撮っているだろうし、それがSNSで露出され、拡散されて——数年前には、Daft Punkのふたりの素顔がパパラッチによって露出されましたね。わたしも以前は写真を撮られるのをすべて断っていたんですが、断るのも相当のエネルギーを要するもので、断ることをやめました。自分の顔が嫌いというわけではなく、自分の顔を晒す理由が見つからなかったんです。Coletteという存在において唯一大切なのは、ここで取り扱う商品を作るデザイナーたちであって、私たちではないのです。

      Coletteを生まれ変わらせ続けているあなたですが、その取り扱う商品を選び、見せる手段工程は、まるでエキシビションのキュレーターのようですね。自分の仕事を、どのように捉えていますか?
      そういったキュレーション的要素は、やはりありますね。ひとつひとつの商品を選んで、ほかの商品との関係性をそこに作って、どのようにそれらを配置するかを考えぬき、電子機器とともに置くのが良いのか、1階の若手デザイナーたちの服飾品とともに置くのが良いのかを決めるわけですから。わたしの役割はひとつに限定されていません。すべてに関わっています。ひとつのことだけに自分を限定しているわけにいかないのです——次のエキシビションへのインビテーションをデザインしたり、デザイナーを発掘したり、新しいTシャツのブランドを見つけたり……そういうことが楽しくてしかたがないんです。

      Coletteのコンセプトは、ほかの場所でも機能しうるものでしょうか?
      わたしたちが考えるColetteとは、ブランドやコンセプトというよりも場所なのです。ひとつの世界とでもいうべきものですね。わたしたちは、100人ほどの人間が集まって良い空間を作ろうと懸命に働く、ごくごく小さなチームです。良い空間をColetteに作ることに一所懸命すぎて、ほかの場所にお店を作って運営することも、ほかのグループに権限を委任することも考えられません。

      この前、Vetementsがパリを離れてチューリッヒに拠点を移すとの決断を発表しましたが、パリの現在についてあなたの見方は?
      ここ10年で、変化が見られましたね。デパートやギャラリー、レストランが新たな境地を開き、そしてファンジン(ファンが作るジン)が盛んになったことなどが手伝って、プレスまでもが変わってきました。そういった変化の影響は感じますが、わたしたちは海外からの顧客に依存した事業形態はとっていません。ファッションデザインはパリに息づいていると思いますし、若手デザイナーが多く誕生してきてもいます。パリのファッションは今後も生まれ続けますよ。

      いま注目している若手デザイナーは?
      まだColetteで扱えていませんが、Jacquemusの最新コレクションがとても気に入りました。今季は、Victoria/Thomas、JOUR/NE、Jourden、Sies Marjanといったブランドの商品を展開します。わたしたちの目標は、かならずしも"誰よりも早く若い才能を発掘する"ということではなく、今後も引き続き、一貫して世界の素晴らしいもの紹介していくということです。それは、「そこにルールなどというものはない」ということを前提として、今後も、「これまで取り扱ってきたデザイナーだから」などという理由で最新コレクションをバイイングしたりせず、縁のあるものは先入観なしにすべてきちんと見て、これまでは取り扱いを見送ってきたブランドの商品でも評価すべきものは評価するということです。Coletteの取り揃えは、柔軟さが特徴です。失敗することもありますが、失敗したときは、問題を解決すれば良いのです。わたしたちは、直感で仕事をすることが多いですが、取り扱う服飾品に関しては、一定の基準を満たすクオリティを求めます。例えば、Simone Rochaは、デビューしてすぐに完成されたクオリティのコレクションを作り上げました。デザイナーのアイデアがそこに色濃く反映されています。わたしたちは、若いデザイナーたちに対する責任というものを感じています。新しいデザイナーの商品を取り扱うには、そこにかなりの可能性がなければなりません。だから、最初のコレクションだけではなく、その先を見なければならないのです。拾ってすぐに気に入らなくなって捨てるなどということはできないのです。

      Credits

      Text Sophie Abriat
      Photography Noah Kalina
      Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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      Topics:fashion, colette, colette 20th anniversary, sarah andelman, shopping, paris, fashion interviews

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