9人のユースが語る、ウクライナの今

ウクライナの若者たちが今の故郷への思い、恐怖、そして未来への希望を打ち明けた。

by Juule Kay; translated by Alex Xepaces, and Nozomi Otaki
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13 April 2022, 2:00am

今年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始した。それ以来、300万人以上がいつ帰国できるのか、そもそも帰国できるかすらもわからず、家と愛するひとを残して国を離れた。「我々は今、歴史上、そして人生で最悪の試練の中にあります」とウォロディミル・ゼレンスキー大統領は3月のスピーチで訴えた。「我々は最も大切なものを守り、持ち堪え、戦わなければらならない。そうすればきっと勝利できる。そう信じています」。ここでの〈最も大切なもの〉とは、この国の独立だ。ウクライナは1991年、ソ連崩壊の数ヶ月前に独立を宣言した。

ウクライナは抵抗、連帯、恐れ知らずの若者で知られる勇敢な国だ。若者たちは自由のためならいかなる犠牲もいとわない。たとえそれが、侵略から国を守るために素手でロシアの戦車を止めることでもだ。「私たちがNATOにこの国を受け入れてもらうように懇願するのではなく、向こうから私たちを招き入れるべき」と25歳のアーティスト、ダリナはハルキウから語った。「ウクライナ人ほど強く勇敢な民族を見たことがある? 私はない」

今回i-Dは、9人のウクライナの若いクリエイティブ──亡命したひとと故郷に残ることを選んだひとの両方──に、自身の体験や今すぐできるウクライナへの支援について聞いた。

a woman in a yellow jumper and large glasses reclines in a chair

ルシア(23歳) ミュージシャン

──出身はウクライナのどこですか?

生まれはオデーサだけど、今はキーウに住んでる。

──どうやって国外へ脱出したのですか?

私たちは本当の地獄を見た。数千人がパニックになっていた。幸い、私たちはリヴィヴ行きの満員電車に乗れて、ポーランドの国境に一番近い駅に行く電車に乗り換えることができた。電車には定員の2倍の1800人が乗っていた。国境を越えるのに14時間もかかって、みんなおかしくなっていた。精神的に追い詰められているひとも多かった。それでも私は誰かの子どもを抱えながらなんとか眠り、目が覚めるとポーランドだった。現地の人たちが食べ物、薬、宿泊施設など、必要なものを全部用意してくれた。これでもう安全だということと、みんながこれほど親身になってくれることが信じられなくて、泣いてしまった。

──今、わたしたちにできるウクライナへの支援は?

私たちはロシアの政権を転覆させなければいけない。全世界が積極的に人道的支援をしてくれていることに、心から感謝してる。私たちにはあなたが必要なの! デマを追跡してくれる人たちも本当にありがたい。SNSには消去すべき違反行為やウソの情報があふれているから。

──政治家に伝えたいメッセージは?

死、戦争、デマの拡散に関わっているすべてのひとに、今この瞬間、ウクライナと世界中で苦しんでいる人びとの痛みを味わってほしい。地球上に地獄をつくり出したひとは、本当の地獄に行くことになる。

@rusyashithaus

a selfie of a man in a black hoodie with curtains

アレックス(23歳) PR/フォトグラファー

──出身はウクライナのどこですか?

つい最近まで世界中から来た学生で賑わっていた、ウクライナの首都ハルキウ。

──2月24日はどんな1日でした? ロシアがウクライナに侵攻したときはどこにいましたか?

外の爆発音で目が覚めて、そのすぐ後に友だちから電話があった。とても怖くて、まともな判断ができなかった。自治体から民家がロケット弾で攻撃されるかもしれないと通告があり、ここにいるのは安全ではないとわかった。戦争が始まった翌日、姉妹と僕を都心部にある僕たちの家の地下から、もっと安全な場所、ハルキウから30キロ離れたところにある別荘に連れていってほしい、と父に頼んだ。近くの小さな町が空爆で跡形もなく破壊されてしまったから、今いる場所も安全かどうかはわからない。でも、心理カウンセラーと話したおかげで、最初の頃とは違って重度のパニック障害は起こらなくなった。こんな状況だけど、好きな音楽を聴いたり、普段通りに過ごすようにしてる。

──世界に伝えたいメッセージは?

今ウクライナで起きているのは、僕たちの国、自由と民主主義に向けて急速に変化していたひとつの国の大虐殺。嫉妬や欲望に突き動かされ、嘘にまみれた残虐な侵略者たちは、僕たちを叩きのめすことにした。彼らはウクライナがどんな国なのか、ウクライナ人がどんな人びとなのか、どんな能力があるのかを忘れている。世界中が公正さと信念を表明してくれたおかげで、ウクライナは勝利を確信する力をもらえた。もともと明るい性格のおかげで、僕たちはきっと悪を打ち負かし、さらに輝くことができるはず。加害者は必ず捕らえられ、絶対に自由を諦めないこの国の子どもや女性の命を奪った代償を払うことになる。

@xepaces

a photo of a model in a metal hoodie, standing in the sunlight

アンナ(21歳) モデル

──出身はウクライナのどこですか?

オデーサ。私が最高の生活を送っていた、黒海に面するクールで趣のある町。今は出国して、友だちとベルギーにいる。

──今のあなたの思いを教えてください。

最初は混乱したし、今起きていることに対して自分は何もできないと無力感を覚えた。そのあとは罪悪感に変わった。自分は安全な場所にいて、大切なひとたちはまだ戦闘のまっただ中にいる。それでも、困っている人びとを助けるために最善を尽くして、Instagramのストーリーで役に立つ情報や必要な情報を積極的に発信してる。

──032cとウクライナ人デザイナー、アントン・ベリンスキーがコラボしたチャリティTシャツにあなたの顔がのっていますね。今のファッション業界にできるウクライナへの支援は?

自由を求める戦いの中で、このコラボレーションに参加できたことがとてもうれしい。売上げは全額慈善団体に寄付される。ファッション業界には、信頼できる情報を多くのひとに広める力がある。それがみんなが真実を知り、行動を起こすきっかけになればいいと思う。

──ウクライナについて知ってほしいことは?

私たちは戦争を望んでいない、平和に生活したい、ということ。それでも攻撃を受けたら、最後まで自分たちを守り抜くしかない。軍事作戦ではなく、この国の文化や、豊かな才能でさまざまな分野を席巻している自由を愛するウクライナ人を通して、この国のことを知ってほしい。

@annatarasyukk

a selfie of a woman with Euphoria-like makeup

ダリナ(25歳) メイクアップ&パフォーマンスアーティスト

──出身はウクライナのどこですか?

〈ウクライナの石油の首都〉と呼ばれるアフトゥイルカ。でも、7年前からハルキウに住んでる。

──ハルキウを離れ、特に危険な都市のひとつであるアフトゥイルカに帰ったそうですが、現地の状況は?

両親はハルキウが真っ先に激戦地になると考えたので、故郷に帰らなければならなかった。この先何が起こるのか、どこへ行けばいいのか、どこが安全なのか、誰にもわからず、みんなパニックになって街を出た。重装備のロシア軍がウクライナの部隊がいる場所に向かっていくのが見えて、そのあと最初の恐ろしい戦闘が始まった。私たちは、ジュネーヴ条約で禁止されている燃料気化爆弾でも攻撃された。ロシア軍は給油施設、市庁舎、学校など、すべてのインフラを破壊した。電気も水も止まって、暖をとることもできなかった。最初の数日間が特にひどかった。子どもたちやお年寄りの避難所になっていた幼稚園に炸裂弾が落とされた。今のアフトゥイルカは、世界滅亡後の地球みたい。

──今いる場所は? 安全に過ごしていますか?

3月5日に、私たちは〈緑の回廊〉を待たずにアフトゥイルカを発つことを決めた。それでも、今いる場所が100%安全だとは誰にも確信は持てない。代わり映えしない毎日が続いてる。私の人生も、世界も止まってしまったみたい。私の思いはだんだん恐怖から怒りへと変わっている。〈軍事作戦〉なんかのせいで、たくさんの家族が家を失っただけでなく、大切な人たちを喪った。死亡者リストで知り合いの名前を探すのは本当につらい。

──ウクライナの未来についてどのように考えていますか?

こんなことは言いづらいけど、今ウクライナで起きていることによって、私たちは団結できた。こういう大変な状況では、人びとは戦いに備えること以外考えられなくなる。私たちは、この国が注目と尊敬に値するということを証明した。私たちがNATOにこの国を受け入れてもらうように懇願するのではなく、向こうから私たちを招き入れるべき。ウクライナ人ほど強く勇敢な民族を見たことがある? 私はない。

@dicrimewave

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レシャ(31歳) フォトグラファー

──出身はウクライナのどこですか?

ルハンシクの小さな村で生まれた。今はキーウに住んでる。

──2月24日はどんな1日でした? ロシアがウクライナに侵攻したときはどこにいましたか?

妻のアガタと家にいて、朝の5時半頃に爆発音で目が覚めた。友だちから「大丈夫? もうすぐ起きると思うから、電話はしないでおく」というメッセージが届いていた。その瞬間、ついに始まったんだと思った。ロシアが本格的な戦争を始めたんだ、と。アガタは音に気づいていなかったので、そのあと数時間はそのまま寝かせておいて、キッチンに行った。荷造りをして車に乗り込むひとが見えた。友だちが街を出るのを見るたびに、ここに残るという自分の決断が本当に正しいのかと悩んだ。2014年にドネツィクの家を出なければならかったときも同じ経験をしたから、なおさら悩んだ。二度も家を離れられないと思ったから。

──今の生活はどんな感じですか?

ここ数日は、時間の経過を追うのが難しくなっている。何も計画が立てられないからだと思う。明日のことも、来週のこともわからない。できるだけ有益なことをしようと思って、防衛軍、病院、その他の困っている人びとのために数日間の炊事のボランティアをした。スーパーや薬局に行って、家から出られず、3時間も列に並べないお年寄りのために生活必需品を買った。ネット上で困っている人びとと他のボランティアをつなぐ活動もしてるけど、時々すごく虚しくなって、ただ横になって何もかもが終わるのを待ちたい気分にもなる。今日は街の他の場所でボランティアをしている友だちに会いにいったけど、大切なことに気づかされた。みんな同じ体験をしていて最善を尽くしてる。真実は僕たちの味方だ、って。

──今、わたしたちにできるウクライナへの支援は?

わかりきったことだと思うけど、抗議活動に参加して、寄付を続け、政府に行動を起こすように働きかけ続けてほしい。それがもう習慣になっているひともいると思うけど。僕たちの勝利は目の前にある。ウクライナには自由になり、独立する権利があるんだ。

@lewa_kartowa

a selfie of a woman wearing a blazer

リナ(24歳) マルチアーティスト/グラフィックデザイナー/DJ

──出身はウクライナのどこですか?

生まれも育ちもキーウ。

──親友と一緒に出国したそうですが、駅はどんな様子でした?

2月25日、逃げなければと思ってリヴィヴに向かった。駅はパニック状態でなんとか助かろうと必死なひとでいっぱいだったから、簡単なことではなかった。警官が人の流れを減らすために威嚇射撃をしたせいで、次の電車を待たなければならなかった。その翌日はポーランドに向かうために、リヴィヴの駅で10時間くらい過ごしたけど、電車が次々とキャンセルされていった。まさに悪夢だった。人が殺到して、どんどん暴力的になっていった。私たちの隣にいた女性が男性に押さないでと言ったら、彼はスーツケースで彼女の頭を殴り始めた。命の危険を感じて、友だちに頼んで駅から離れた。何も持っていなかったから、サイレンが鳴り響くなか、共通の友だちがいる場所に向かった。リヴィヴでもう一晩過ごして、チョップからブダペストへ、それからウィーンへ、その後ようやくベルリンにたどり着いた。結局、ここに来るまでに6日かかった。

──この2週間はどんな思いで過ごしましたか?

自分の気持ちは言葉にできないけど、状況を説明することはできる。私の国、私の文化、私の遺産が冒涜されている。私の家族、大切な友だち、仲間の市民が命の危機にさらされ、すでに多くの罪のない人びとの命がロシア政府と侵略者によって奪われた。多くの人びとの運命が、プーチンの最悪な〈帝国主義ゲーム〉によって翻弄されている。今の私があるのはウクライナのおかげ。これまでプーチン政権と戦ったウクライナの人びとが犯罪者として殺害され、故郷を追われてきた。彼らの痛みはウクライナの文学、美術、音楽の根底にある。私たちはみんな彼らの葛藤をよく理解していて、自由の代償を知っている。それでも、彼らと同じ現実に直面するなんて、誰も考えもしなかった。国を離れたり、家を失ったり、命を脅かされて当然のひとなんてひとりもいない。私たちは生まれながらに独立していて、誰にもそれを奪うことはできない。私は悲しみに打ちひしがれ、精神的に打ちのめされ、トラウマを抱えている。でも、それだけで今の私の気持ちを表すことはできない。

──今、ウクライナの外にいるわたしたちにできる支援は?

リサーチをして。率先して行動し、情報の真偽を確かめ、関心を高め、役に立つ情報源を提供することで、ウクライナ市民の負担を軽くすることができる。ウクライナの陸軍、組織、個人に寄付をして。抗議活動に参加して、ボランティア活動をして、責任ある行動をしてほしい。そもそもこれは私たちが始めたことじゃない。私たちが守っているのは自分だけではなくて、基本的人権と常識を擁護しているの。

@lescoups

a selfie of a person with an aqua mullet

リトル・ヴァーニャ(24歳) DJ/俳優

──出身はウクライナのどこですか?

生まれたのはボヤルカでキーウに住んでいたけど、今はリヴィヴにいる。

──今どんな思いですか?

いろんな気持ちが入り混じってる。最初はショックと拒絶、それから怒りと受容へ変化していった。でも、常にあるのはプーチンのロシアへの嫌悪。今いちばん心配なのは、一時的に占領されていたイルピンの隣にあるボヤルカにいる家族のこと。家族は小さな村で店を経営していて、両親が身の回りのことを自分でできないから、14歳の妹が店番をしてる。なぜ家族と一緒にいないのか、せめて妹だけでも連れてくるべきだったのではないかとよく自分を責めたくなるけど、父を説得できなくて。

──ウクライナの人びとはどのようにフェイクニュースと戦っていますか?

命懸けで戦車を止めるために立ちはだかったり、ロシアのテロリストの列の横を車で通り過ぎて、窓から火炎瓶を投げつけたり、一時的な占領地域で移動中の装甲車にウクライナ国旗を持ってよじ登ったりしているウクライナ人に、フェイクニュースと戦う余裕はない。その代わりに世界中の人びとがフェイクニュースと戦ってほしい。

──世界に伝えたいメッセージは?

みんながサイレンの音ではなく朝のセックスで目が覚める、そんな世界になってほしい。

@littlevanya

a woman wears a face mask with her hoodie up

マヤ(28歳) 音楽ジャーナリスト

──出身はウクライナのどこですか?

キーウ。

──今はベルリンにいるそうですが、この2週間の心境を教えてください。

果てしない愛から果てしない嫌悪まで、人間のあらゆる感情を体験してる。〈逃避行〉の最中は、頭がすっきりしていて自信もあった。まったく泣かなかったし、いつも正しい判断をするように努めていた。でも、週末にベルリンに到着すると、ものすごく気分が落ち込んだ。シュプレー川に行ったらボートで写真を撮る観光客がいて、この世界は不平等だと思った。それ以降、何日も涙が止まらなかった。こんな〈普通〉の生活は私にはもう無理だと思って、キーウに帰りたくなった。でも、心理カウンセラーと友だちが助けてくれたおかげで、今は大丈夫。他人を助けることが、生活に日課のようなものを与えてくれた。これからは、他の難民がこういう心理状態を乗り越える手助けがしたい。

──いちばん不安なことは?

もう二度とキーウに戻れないんじゃないか、ということ。たとえ帰れたとしても、街が破壊されて好きだった場所に行けないのでは、ということ。家族に二度と会えないかもしれないこと。

──今、わたしたちにできるウクライナへの支援は?

まずは経済的支援。ロシアの軍事機構と真っ向から戦っているウクライナ軍をサポートしてほしい。それからUkraine-Hilfe Berlin e.V、LGBTQ+コミュニティへの緊急支援EACH ONE TEACH ONEK-41 Community Fundなどの小規模なNGOや草の根運動をしている団体への支援も。お役所仕事を避けるためには、こういう団体が直接援助と資金を得るのがとても大切。他に必要なのは、別の国に到着したばかりの人びとや本当に苦しんでいる人びとへのメンタルヘルスケア。そして最後に、いちばん重要なのは、関心を高めること。対話を続けること。これは局地戦争でも、冷戦でもない。全世界が、みんなに残酷な結末をもたらす世界大戦の危機に瀕している。これは決して歓迎するべきものではなく、全人類にとっての大きな悲劇。

@mayabaklanova

a man wearing shorts and a vetements tee sits in a staircase

スタニスラフ(30歳) マルチアーティスト/デザイナー

──出身はウクライナのどこですか?

オデーサ。

──2月24日はどんな1日でした? ロシアがウクライナに侵攻したときはどこにいましたか?

爆発音で目が覚めて、友だちから「起きて! 戦争が始まった」と電話がかかってきた。人生で最も長い3日間だった。全然眠れず、何が起きているのかも、いつ終わるのかもわからなかった。それでも、勝利を信じ続けてる。僕はずっと、この国がどのように生き、存在してきたかを見てきた。人生のさまざまな段階にある人びとが一緒に暮らし、ひどい苦痛をものともせず、ウクライナ人がひとつになって、壮大で唯一無二の国をつくり出してきたのを。

──今いる場所は? 安全に過ごしていますか?

僕はまだウクライナ国内にいる。マリウポリや、ロシアの占領者に包囲された他の都市で見てきたことに比べれば、安全だと思う。空襲警報がずっと鳴り響いていて、プーチンはウクライナのあらゆる街と地域を爆撃している。自分に爆弾が落ちてくるかどうかはくじ引きのようなものだよ。

──これから数週間、数ヶ月先の目標は?

とにかく生き残り、大切なひとたちを助け、この地獄でウクライナの文化を守り抜きたい。勝利し、戦争によって破壊されたすべてのものを蘇らせること。

──世界に伝えたいメッセージは?

過去の過ちを繰り返さないで。プーチンは大虐殺を行ない、数千人の人びとが封鎖、爆破、飢えと渇きによって亡くなっている。ロシアはウクライナでは止まらない。プーチンはさらに先へ進み続ける。今、ウクライナがヨーロッパ全土とヒューマニズムの概念そのものを守っている。世界中からの支援があってこそ、僕たちは悪に打ち勝つことができる。

@stanis.slav


Credits

All images courtesy of interviewees

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