共犯への誘惑:Dos Monos interview

LAの名門レーベル〈Deathbomb Arc〉との契約から、台湾IT担当大臣オードリー・タンとのコラボまで──常に話題が絶えないヒップホップ・ユニットDos Monos。彼らとの自由闊達な対話は、現代のメディア環境に始まり、いつしか作品論へ。

by Fumihisa Miyata; as told to Sogo Hiraiwa
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27 May 2020, 8:00am

答えのない話をしよう。過去と、今と、未来を見つめながら──。今年3月、SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)出演に伴うアメリカツアーが中止になった、3人組ヒップホップユニット・Dos Monos。そのうち荘子it(MC/トラックメーカー)、TaiTan(MC)が、とめどない対話に応じてくれた。オンラインで、オフラインで、彼らはときに静かに、ときに激しく、次なる試行を始めている。

──おふたりとも最近、ツイッターから距離をとっているそうですね。

TaiTan(以下、T):なんて居心地の悪い世界になったんだろう、とは思います。この際、ほんとに免許制にするとか、一時間以上使ったら課金される時間制にするとか荒療治が必要なのでは。ずいぶん前から交わされてる議論だけど、プラットフォーマー側があまりにも野放しにしすぎなんじゃないかな。

荘子it(以下、S):使う人間のほうが、プラットフォームの持つポテンシャルに永遠に追いつけないよね。最初は革新的なシステムだったとしても、どちらかというと利用する人間の問題で年々廃れていってしまう。自分もたまには見ますし、告知ツールとしては便利だから一概に肯定も否定もしませんが、必要以上に時間を奪われてしまうからアプリは削除しました。

T:僕もアプリは消しました。以前は、面白い人はとにかくフォローする常時接続型の人間だったんですけど、その接続をいったん解除した。結局、Twitterでみんな同じことしか言えなくなるのは、情報ソースが同じだからであって、自分をその場に浸し続けるのは脳に悪すぎますね。よく人格を変えるなら、住む場所を変えるしかないと言われますが、そのネット版。ネット上の住所を引っ越したというか。引っ越した先でもまた別のジレンマがあるでしょうが、それはまた引っ越せばいいので。

S:タイムラインに同期した喋り方だと、どうしても貧しい発話になっちゃうんですよね。どこにも答えがないことについて、本当はもっと複雑なことを考えて、豊かな話ができる人でも、スポイルされて書かされてしまうというか。「こんなことを書くのはなんて馬鹿な/非道い奴なんだ!」みたいにお互いを過小評価しあって、すべてが存在しない他者へのエアリプであるような状況。友達や尊敬する人のアカウントが変なことを言っていても、ぬいぐるみが生き物自体でないように、アカウントはその人自身じゃないですよ。

──最近は何をしているんですか。

T:引っ越し先でいうと、今は、ポッドキャストばっか聞いています。編集者の若林恵さんや、いとうせいこうさん、タナソー(田中宗一郎)さん、あとはダースレイダーさんのYouTubeチャンネルも時々ポッドキャスト的に聴いています。タイムラインに流れる、潮目を読んでるだけのポジショントークや大喜利など一瞬で忘れられるようなフローではない、密な情報や知識に触れることに意味があるな、と感じる。ポッドキャストは、海外ではすごい伸びてるし日本でももっと色んな話者が参入すれば、情報発信の方法としての「オーラル革命」が起きるのではと思っています。

S:きちんとパッケージされて、じっくりと味わえる「情報コンテンツ」、ということだよね。一方で、ほとんどそんな「情報」さえも含まれていないようなコンテンツもいいな、と思う。本来、「情報」に対置される「芸術作品」とはそういうもののはずだし。ファーストアルバムの『Dos City』もそういうつもりだったんですよ。ライブに行く前に予習として聴く、というものではない作品。どこか遠い国の中学生とかが、やっすいイヤホンでひっそり聴きながらふつふつと妄想を燃え上がらせるような(笑)。

S:そもそも僕が自然にそういう”今”アツいものから自然に外れてしまうタイプの人間で、Dos Monosを始めた頃も、ヒップホップが流行っている時代の空気はわかりながらも、ジャズやプログレや、もっと言えば映画や演劇の他ジャンルを経由して、全然違うところに接続していったほうが面白いと感じていました。“今”はすでに共有されているのだから、古いものと、反対に全く新しいものこそが面白い、とも思う。

T:荘子君は“今”よりも、100年後の未来に作品としての耐久性があるかを考えるよね。もちろん僕も、2100年の子どもが聞いて「やべえ!」って思う──その感覚は信じているけれど、でも同時に、“今の人間たちとのコミュニケーション”としての作品のあり方も信じている。それは諦めきれない感覚がある。今とコミュニケーションしながら、未来に対しても届くようなものが理想形なんだよね。

S:”今”と同期することでこそ面白いものが生まれる、というのは基本的に同意するんだけど、放っておいても“今”の感覚は入ってくるし、積極的に合わせなくてもいい気がする。ていうか、自分から合わせにいったものなんてつまらないわけで、無意識に混ざってくるものが本当の”今”の感覚でしょ? 僕が好きなゴダールのような作家主義・作品主義の内側での洗練はもう終わっていて、それを根底から叩き壊すプラットフォームが生むもののほうが新しい、という意見もよくわかる。けれど、それだけを突き詰めすぎると作家としてのアナーキーなリビドーが死ぬでしょう(笑)? プラットフォーマー的発想にはないアイデアもあると思うんだよね。こんなこと言うと時代錯誤で馬鹿っぽいわけだけど、作り手である以上この感覚に嘘はつけない。だから僕は例えばTaiTanのような身近な他人にそういう役割を任せないと分裂してしまう。甘えた話ですけど...…。

──他方でTaiTanさんは、オンラインライブは基本的につまらない、と思っているそうですね。

T:オフラインの下位互換というか、これまでのライブの現場の様相をそのままオンラインに移行するだけになってしまうと、面白くないし、持続可能ではないんじゃないか、と思います。

ヒントになるのは、かつてt.A.T.u.がMステをドタキャンしてミッシェル・ガン・エレファントが急遽演奏したとき──あのときにお茶の間で多くの人が感じた、事故を愛でるような共犯関係かもしれない。場の熱狂の共有が失われたとき、生の時間を共有できるか、どれだけ予定調和を外れることができるか、ということを僕は考えていますし、オンラインライブでも試しています。

──先日の「CROSSING CARNIVAL'20」でのライブも激しかったですね。

T:本当に、まだ仮説の段階なんですけどね。メンバー間でも、「何言ってるんだ」と思われているかもしれない。

──即興的な演奏をできる人が強くなる、ということでしょうか。

S:場所を共有できないからじゃあライブ配信でせめて時間を共有するというのも、ただの消去法の結果の消極的な選択ですし、生配信で用意されたものを見せてもつまらないから即興ができるのがいいといっても、即興を探究しつづけたデレク・ベイリーから見たらまったく革新的ではないでしょう。

先日のCROSSING CARNIVAL'20に出演したときにもらった感想で面白かったのは、「未来に宛てる手紙になっている」というものでした。過去や未来をまざまざと感じる“今”の使い方というか、“今”を起点に未来へのアーカイブに記録されている感覚を持てればいいですね。そうした積極的な意味で、オンラインライブを活用できればいい。

──並行して、Dos MonosのYouTubeチャンネルで新しいトライアルをする構想もあるとか。

S:たとえば過去に喋ったラジオ音源にコメンタリーをつけたものだとか、単発で完結していたコンテンツ同士が緩やかにつながって、さらにその枝葉に他の人も関与できるような形を考えています。

T:既存の文脈を借りるのではなく、自分の文脈は自分でつくる、ということですね。

S:微妙なバランスなんです。ただでさえ音楽はなし崩し的にすべてをつなげがちだけど、適度に切断されていたほうが面白いこともありますから。リスナー側のつなげる想像力に最大限期待するからこそ、こちらの、時には分断を求めるようなロマンティックな部分も隠さない。その思想は大事にして設計したいですね。


昨晩公開されたDos Monosの新曲「Civil Rap Song」は、COVID-19対策の手腕で世界的な注目を集めた台湾史上最年少(35歳)のIT担当大臣オードリー・タン(唐鳳)とのコラボ。先日彼女が黒鳥社・若林恵と行なったインタビュー内での発話にDos Monosがビートとラップを加え、アンプリファイした。映像は気鋭の現代美術家Yuma Kishiが手がけている。

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