『トレインスポッティング2』を原作者ウェルシュが語る

人生を選べ。仕事を選べ。キャリアを選べ。そしてアーヴィン・ウェルシュの最新小説を選べ。

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jan 5 2017, 3:19am

小説家アーヴィン・ウェルシュは体調を崩している。最新小説『The Blade Artist』の発売イベントで各地を回っているが、インフルエンザに感染してしまったという。90年代初期に経験したとき以来のインフルエンザだそうだ。

ウェルシュは『トレインスポッティング』の、そして同じくエジンバラを舞台にしてアンダーグラウンドシーンを描いた多くのスピンオフ作品の作者である。今回の最新作『The Blade Artist』もまた、その延長線上にある作品だ。ハードボイルドな探偵ものに残忍極まりない暴力が描かれた、読ませるスリラー小説だが、ファンにとってなにより嬉しいのは『トレインスポッティング』の登場人物が現在の姿を見せてくれているということだろう——俳優ロバート・カーライルが演じて、その精神異常ぶりで私たちに強烈な印象を残したフランシス・ベグビーが、どうやらリハビリを経てドラッグから足を洗い、現在は彫刻家としてロサンゼルスに暮しているようなのだ。

暴力性を極めたこのキャラクターに再びスポットライトを当てるというアイデアは、数年前に「雑誌『Big Issue』のクリスマス号に寄稿しないか」とのアプローチを受けたとき、ウェルシュが思いついたものだったという。現在はジム・フランシスと名乗っているベグビーは、美しい家と美しい妻を得て幸せに暮らしている。しかし、そんな生活に息子の死が大きく影を落とし、ベグビーを故郷エジンバラへと導く。ベグビーは再びかつてのサイコパスへと成り下がってしまうのだろうか?ウェルシュに『The Blade Artist』について、映画の続編について、そしてドナルド・トランプがいかに政界のベグビーになったかについて語ってくれた。

生まれ変わったベグビーを書こうと思ったきっかけについて聞かせてください。
Big Issue』の話が持ち掛けられる前、『トレインスポッティングUSA』という舞台をやっていたんだ。カンザスを舞台にした戯曲でね。カンザスでは今、ヘロインが大きな問題になっているんだよ。キャラクターをアメリカ人として書き直す際、レントンとスパッド、シックボーイは比較的簡単だった。シニカルで知的なやつ、押しの強い詐欺師、憎めない負け犬っていうキャラクターは普遍的だからね。でもベグビーは難しい。そのままアメリカ人に置き換えることができない。だってアメリカの暴力は、銃によるところが大きいからね。"パブで他の客にコップを投げつけるのが楽しい"っていう狂気の感覚は、アメリカ人にピンとこないんだ。それはとてもイギリス人的な感覚のバイオレンスなんだよ。その違いについて考えたとき、ベグビーのことを改めて深く考えるようになったんだ。

あそこまで極悪のキャラクターがいまだに高い人気を誇っているという事実は、作者のあなたにとっても不思議でしょうね?
不思議だね。不思議としか言いようがない。『トレインスポッティング』でのベグビーは、誰もができれば出会いを避けたいと願うような人物のはずなんだ。基本的に、ネガティブな存在として登場させたんだよ。どこか笑えてしまう暴力性を持った男としてね。そんな男が、今や英雄のように扱われているんだからね。ちょっと心配にもなるよ。

なぜ彼がヒーローとして扱われるのだと思いますか?
"男の怒り"みたいなものが共感を呼ぶんだと思うんだ。"白人男性の怒り"っていう現象がね。大金持ちの白人男性——まさにドナルド・トランプだよ。トランプが何に対してそんなに怒りを持ち得るっていうんだ?親から莫大な遺産を受け継いで、アメリカ全土に自分の名前をつけたタワービルを無数に所有しているほどの億万長者のくせに、それでも惨めでいつもイライラしていて、何かに対して怒りを燃やしているわけだろ。一般市民も何かに怒りを感じているように見える。しかも、自身もなんでそんなに怒っているのかよくわからないままにね。そういう気風を体現しているんだよ、トランプは。

ベグビーは、必要に迫られて変わったわけですよね?あのまま生きてはいけなかった……
そう。作者として、ベグビーにはもう書くべきことが見当たらなかった。物語性が残されていなかった。もしあのままだったら、ベグビーは今も服役してるか、死んでるかのどちらかしかない。だから、変わらなきゃならなかったんだ。彼の内側から来る何かしらの変化みたいなものが必要だった。成長というかね。勉強することに目覚めてアートと出会い、人生の選択肢を見出すというね。

最初にベグビーを生み出した頃から、あなた自身も変化したのでしょうか?
そうだね。今は当時よりも作品に力を注がなきゃならない。あの頃は夜通し遊んで、むちゃくちゃの状態のまま仕事に取り掛かることができたぐらい、エネルギーが満ち溢れていたけど、今は違う。今あんなことをしたら、翌日は後悔と自己憐憫の気持ちでいっぱいで、ベッドから出られなくなるね。つまらない中年になったように聞こえるだろうけど、今は散歩に出たり、どこかへ出掛けたりするほうがよっぽど多くのものを得られるように感じるんだ。ある程度の歳になると、バーだ夜遊びだってものから卒業するんだと思う。

生まれ変わったベグビーとご自身に共通点はありますか?あなたもベグジーも失読症ですし、ふたりともエジンバラを後にしてアメリカへ向かいますね(ウェルシュは現在、米シカゴに暮している)?
作家というのはそういうものなんだと思う。内側から出てくるものを形にする、というかね。自分の周囲で起こっていることからキャラクターを作り上げて、そこに普段からの人間観察で見ている人間の複雑な行動心理を加えて、人間としての奥行きを生み出していくんだ。この間、妻が僕を、僕の13作目の小説『Sex Lives of Siamese Twins』のルーシーみたいだって言っていて、「おいおい……本当だ……」って思ったんだ。架空の背景は僕のそれとは大きく違うけど、キャラクターの深いところにあるものはすごく似ているんだ。ベグビーの場合は、その反対であってほしいな。

ベグビーの今を書く上で、映画『トレインスポッティング』の脚本家ジョン・ホッジと監督のダニー・ボイルには相談などしましたか?
まあ『The Blade Artist』は、映画『トレインスポッティング』の続編について話を進めていたときに書き始めたからね。脚本を練りながら、僕の小説『ポルノ』やベグビーについて話したんだ。すでに今回の本には着手していたから、彼らには「ベグビーのその後を描くよ」とは言ったね。そして数年前に『Big Issue』で短篇を書いて、そこからすべてが動き始めた。そのストーリーの朗読をやったとき、ダニーがイーストロンドンまで見に来たんだ。ダニーはそういうものに顔を出したりしない男。だからそこで、ダニーが『ポルノ』か『トレインスポッティング2』を映画にしたいと真剣に考えているんだとわかった。本気だと思ったから、ジョンとプロデューサーのアンドリュー・マクドナルド(Andrew McDonald)も交えて、続編映画について話をし始めたんだ。ジョンはずっと続編を作りたがっていて、それまでに幾通りかの脚本を見せてくれていたんだ。話し合いのなかで、僕が考えるベグビーの今が形成されていったんだと思う。

映画はどの程度原作に忠実であるべきなのでしょうか?
やりたいように、はちゃめちゃに描いてくれればいいと思っている。原作に忠実ではあってほしくないね。僕が見ても驚くような要素がほしい。

発表からすでにかなりの時間が経っている『ポルノ』は、忠実に描く事すら難しいのではないでしょうか?
そうだね。あれは時代的に違う作品だからね。俳優たちもあの頃から20歳年をとっているし。『ポルノ』は『トレインスポッティング』の9年後の世界で、ポルノ業界、特にゴンゾポルノの業界もその頃から大きく変化した。『ポルノ』で描いた世界はもう現代には存在しないんだよ。だから現代的なものにする必要があった。そこが脚本を書くときに苦心したところだね。『ポルノ』の精神をそのまま打ち出すというところがね。本では、ふたつの重要な要素があった。ひとつは「復讐」。復讐が物語を前へ前へと進めていく重要な要素なんだ。もうひとつの要素は、背徳の産業という存在。この"背徳産業"の部分を徹底的に見直す必要があった。復讐の部分はほとんど手を加える必要がなかったよ。

20年前に生み出したキャラクターたちをここまで頻繁に見つめなおせるのはなぜなのでしょう?
それはたぶん、キャラクターたちが僕の心の中でそれだけ鮮明に描かれてしまっているからなんだと思う。これまで彼らについてたくさん書いてきた。彼らと多くの時間を過ごしてきたわけだよね。ここまで彼らとともに生きてくると、彼らは、なんていうか……何も書くべきことを思いつけない時や、書きたいことがまったく思い浮かばない時、僕は「今ごろあいつらは何をしてるだろう」って考える。だから、発表してないけど、彼らについて書かれたものはたくさんあるんだよ。彼らが「生きてる」とは思わないけど、彼らの人生はその後も続いている。僕がそれを探って文字にしていないだけでね。

世の人々が今でも彼らに興味を持ち続けているのはなぜだと思いますか?
理由はふたつあると思う。ひとつは『トレインスポッティング』がイギリス発の最後のユース映画であったということ。90年代は、イギリスのカルチャーにとって決算セールみたいな時代だった。「ここにあるもの全部まとめてグローバルマーケットに売ろう!」というようなね。その後、時代はメディアカルチャーにとって代わられた。インターネットの登場で、それまではアンダーグラウンドでじっくりと生み出されてきたようなカルチャーが、もう生まれなくなった。何かが生まれそうになれば、それがすぐにインターネットでとりあげられるからね。だからもう、カジュアルやアシッドハウス、レイヴ、モッズ、パンクといったイギリス発祥のカルチャーは生まれない。イギリスの労働者階級文化は、イキイキとした生のものとしては存在しえないんだと思う。もうひとつの理由は——特にこれが重要だと思うんだけれど——『トレインスポッティング』が変革についての作品だったというところにあるんだと思う。産業が力を失って、人々が仕事なしに生きることに慣れてしまった社会——それが人間の心に歪みを生んで、その歪みをドラッグが埋める、そんな物語だから。でも『トレインスポッティング』はドラッグについての物語じゃない。生活できるだけの給料が払われる仕事がない社会と、そこに生きる人々の物語なんだ。最初は労働者階級で起こっていた物語が、今や中流階級でも現実のものとなってきている。だから今は、20年前に労働者階級の人々が生き抜いていた現実に、中流階級やプロフェッショナルな人たちまでもが感情移入できてしまうんだね。

あなたご自身もおっしゃったように、映画『トレインスポッティング』はユース映画でした。今回は中年になった俳優たちでユースを描かなければならないわけですが、そこに不安はありますか?
まさにそこなんだよ。あの頃は若かったけれど今はもう若くない"トレインスポッティング世代"にとって、この続編は大きく肯定的な力を持つような気がするんだ。「そうだそうだ!最高じゃねえか!」ってね。みんな歳をとって、みんな少し悲しくもあり、人生の哀愁も滲み出てるけど、やつらが戻ってきて、なんだかんだ一生懸命生きている。不安なのは——結婚式でおじさんが踊るのを見て、こっちが恥ずかしくなった経験があるだろう? トレインスポッティング世代の子供たちや孫たちが『トレインスポッティング2』を観て、それと同じような感覚を覚えたらどうしよう……ってことかな。

映画であなたが演じる役はもう決まっているのですか?
またちょっとだけ出ているよ。マイキー・フォレスターとしてね。たった2シーンだけ——最終的には1シーンになるかもしれない。でもそれ以上は何もまだ彼らから「これをやってくれ」とは言われてないんだ。いま僕は最新本のプロモーションで世界を回っているから「いく先々でこの映画について話さないでくれ」ってきっと言ってくるだろうけど、時すでに遅しだね!もう会う人会う人みんなに話しちゃってるから!」

Credits


Text Matthew Whitehouse
Photography Rankin
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.