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ハンザ・スタジオはいかにして時代を象徴するサウンドを創り上げたのか?

デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、デペッシュ・モードがで数々の名曲をレコーディングした、ドイツの伝説的なスタジオ〈ハンザ〉。そのスタジオの歴史を紐解くドキュメンタリーが公開された。

by Juule Kay; translated by Yuichi Asami
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05 February 2018, 11:51am

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デヴィッド・ボウイのカルト的な人気を持つアルバム『Low』『Heroes』と、イギー・ポップの『Lust For Life』、デペッシュ・モードの『People Are People』の共通点とは何か?この4枚のアルバムはすべて、ベルリンのレコーディング・スタジオ〈ハンザ(Hansa)〉でレコーディングされているのだ。

「その土壌とそこを訪れる人たち、そして都市とが組み合わさった結果です」と、ドキュメンタリーを監督したマイク・クリスティー(Mike Christie)はハンザ・スタジオが多くの人々を惹き付けてきた理由について語っている。マイクは90年代に音楽業界でのキャリアをスタートさせて以来、ペット・ショップ・ボーイズやスウェードらのプロモーターを努めてきた人物だ。現在ロンドンを拠点に活動している彼は『Hansa Studios: By the Wall 1976-90』で、当時を知る熱狂的なファンから、初めてその歴史に触れる世代までを魅了するドキュメンタリーを創り出すことに成功している。今回i-Dはマイクに電話インタビューを行い、ハンザ・スタジオについてのドキュメンタリー映画を制作するに至った経緯などを訊いた。

デヴィッド・ボウイやイギー・ポップ、デペッシュ・モードといった人たちがハンザ・スタジオでレコーディングをしていますが、何が彼らをそこへ向かわせたのでしょう?
デペッシュ・モードのマーティン・ゴアも言っているように「僕たちはボウイの影響でハンザを知った」ということです。雪だるま効果のようなもので、自分たちの尊敬するバンドがレコーディングしていたという理由で、自分たちもそこへ行くのです。ボウイについて言えば、ハンザでレコーディングすることになったのは偶然だったと私は考えています。しかし彼がそこでレコーディングしたことによって、大勢の人たちがベルリンを訪れるようになりました。当時のベルリンは、悲惨なまでに特異な都市でした。ベルリンという特異な都市にあるハンザという素晴らしいスタジオに、才能豊かなプロデューサーが集まるようになったのです。魅力的な場所として人々が集まるようになり、自由な創造空間となったのです。

『Hansa Studios By the Wall 1976-1990』は監督にとって初となる音楽ドキュメンタリーですが、なぜこのスタジオに注目しようと思ったのでしょうか?
ベルリン時代のボウイについては、すでに多くの人々によって探究されてきているはずです。それについて書かれた本もたくさんあるわけです。私たちはそれを考えたときに、誰もまだハンザの歴史について探究していないことを不思議に思いました。それでこのスタジオの歴史を掘り下げてみることにしたのです。ボウイ1人ではなく、ハンザがドイツの音楽シーンにおいて果たした役割を明らかにすることが重要だと考えたのです。ドイツの音楽業界やマイゼル兄弟がハンザを創り上げたのであって、ボウイやデペッシュ・モードが創り上げたわけではありません。そのことですら、あまり知られていない歴史のひとつに過ぎないのです。

ドキュメンタリーでは伝説的な楽曲の秘密も解き明かされていますが、歴史を明らかにしていく上で新たな発見などはありましたか?
スタジオの歴史については知っているつもりでいたのですが、制作を進める中で、実に多くのことを新たに発見しました。なかでも発見だったのは、ハンザが隆盛する経緯でした。その土壌や人たち、ベルリンという都市が組み合わさったことで隆盛につながったのです。またそれらすべてが一ヶ所で起こったことも非常に幸運だったのだと思います。

現在と比べて、当時のベルリンや音楽シーンはどんな印象を持たれていますか?
印象的だったのは、現地の人たちから伺った話でした。興味深いことに、現地の方々は当時の音楽シーンは小さいものだったと言うのです。当時は誰もがバンドを4、5つ掛け持ちしていたようです。それはまさしく実験的で挑戦的なことで、とてもポジティブな風潮だと思いました。現在の音楽シーンは、当時よりもグローバルになったと思います。ベルリンには世界の他の都市が失ってしまったエネルギーが今でも存在しています。世界では国特有の差異がなくなりつつありますが、ベルリンはそれを上手くくぐり抜けているのです。資本主義社会となった現在において、それは一筋縄ではいかないはずです。

このドキュメンタリーは、昔の映像と新たに撮影したインタビューで構成されていますが、それにはどのような理由があったのでしょうか?
ある特定の場所についての作品を撮るときには、その場所や空間との意思疎通ができるものにする必要があります。理想としては、それを観た人たちに実際にその場所にいたのだという感覚を与えたいと思っています。その場所へ行ったという感覚を持ってもらうことで、作品で撮影している場所の雰囲気を感じてもらうことができるのです。ハンザは過去のものではなく、今でも実在している現実を写しているのであり、映画の終盤は現在の話になっています。ドキュメンタリー作品はタイムマシーンのようなものであるべきで、過去と現在をミックスさせたことで観た人がそう感じてくれることを願っています。

ベルリンの壁が崩壊した後、スタジオにはどのような変化があったのでしょうか?
スタジオはかなり求心力を失ってしまいました。ドイツ国内の有名アーティストたちは未だにスタジオを使用していましたが、ベルリンをベルリンたらしめていたのはそこに訪れるビジター、観光客によってであり、それは私にとって明白な事実でした。今とは状況がまったく違っていたので、昔の方が遥かに影響力のある場所でした。ベルリンの壁が崩壊したとき、おそらくその頃からだと思いますが、テクノロジーも変化した時期でした。アナログでのレコーディングからサンプリングの時代を経て、完全なデジタルな時代へと移行していったのです。

『Hansa Studios By the Wall 1976-1990』を1曲で表現するなら、何を選びますか?
デペッシュ・モードの「People Are People」です。私がハンザに魅了された理由のひとつが、ボウイがアメリカという国やその音楽から逃れるために、ベルリンに拠点を移したという事実だったのですが、デペッシュ・モードはそれと正反対のことをしたのです。彼らはベルリンに赴いて、そこで多大な影響を受けた楽曲を創り上げると、それをアメリカに持ち込み世界的なビッグ・バンドとなったのです。ですから究極的には、それは「People Are People」に表れていると思います。これはベルリンの影響を強く受けた楽曲で、ハンザでレコーディングされた他のどの楽曲よりも多くのスタジオを利用してできた楽曲です。デペッシュ・モードは3つのスタジオで録音することで独自のサウンドを創り上げたのです。

This article originally appeared on i-D UK.

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