『ヌヌ 完璧なベビーシッター』:レイラ・スリマニ interview

現代の女性らしさの矛盾と問題を暴く小説『ヌヌ 完璧なベビーシッター』。映画化も決まっている本作の著者レイラ・スリマニが、香りや政治、登場人物の肌色を決めないことの重要性について語る。

by Malou Briand; photos by Leo D’Oriano
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10 April 2018, 3:54am

2016年、フランスの権威ある文学賞〈ゴンクール賞〉を獲得した、フランス人小説家レイラ・スリマニ(Leïla Slimani)による『ヌヌ 完璧なベビーシッター』。この息つく間もないサスペンス小説の中では、そのタイトルからは想像できないほどの犯罪が繰り広げられる。作者が新聞で読んだ実際の悲劇的な事件をもとにしたストーリーは、ルイーズという名のベビーシッターの子どもへの愛情が極端な欲望に変化し、やがて血みどろの犯罪へといたる過程を描いたものだ。肉感的で感覚を刺激するその筆致は、苦もなく文章に感情をまとわせる。タルカムパウダーや子ども時代の香り、休暇中の波音や快適なパリのアパルトマンに響くポルターガイストの笑い声。日常と非日常のそのスリルある対比こそ、この小説が映画化される所以だろう。

——この小説を執筆するにあたり、実際に起きた事件(NYのベビーシッターが預かっていた子どもを殺害した)からインスピレーションを得たそうですね。新聞でその事件を目にしたとき、どのように感じましたか?
初めてあの事件のことを『パリ・マッチ』紙で読んだとき(写真付きの見開き記事だったのを覚えています)、すでにいつかこういう登場人物が出てくる話を書くだろうと思っていました。読んだあと、あの子たちの母親が感じたであろう恐ろしさに支配されました。母親なら誰もが見たことのある悪夢が現実になった事件です。でもほとんどの記事は、その話を小説に落とし込もうとするひとりの作家として読みました。

——小説の舞台は、高級住宅地化が目覚ましいストラスブール・サン=ドニ地区です。それは大事な点だったのでしょうか。
あの街全体とその変化が、フィクションとして、そして政治的な意味合いから、私にインスピレーションを与えてくれました。舞台に10区を選んだのは、もちろん意図してのことです。一般の人たちが避けているあの地区は、“ボボズ”と言われる、裕福ですごく文化的なミドルクラスが、自分たちが住めるように変えてしまっている場所です。彼らは、昔からの住人とはほとんど交流がないにもかかわらず、庶民的な場所に住むことを誇りに思ってるような人たちです。だけど頭の中では、そしてそれに価値があると考える場合、そこの住人と関わりを持ちたいと思っている。彼らは社会の多様性、反人種差別、肯定的な評価を良しとしているからです。しかし、実生活で実践しているかどうかは別の話です。そんな家族の中に現れた庶民的な乳母ルイーズの存在は、その生活を根底から覆してしまったんです。

——デビュー作では、セックス依存の女性について書いていました。2作目に登場するミリアムは、ある種の仕事中毒です。女性らしさと依存性の関係は特に気になる事柄なのでしょうか。
依存性は女性らしいとも、男性らしいとも言えません。性格や来歴、経験から派生するものです。しかし、現代における女性らしさは再構築されるかもしれませんね。すごいスピードで発展していますから。わずか数世代で、女性であること、女性らしくあることの両方が、驚くほど変わっています。2〜3世代でなんども改革が起こるのは急だし、だからこそ暴力的になった。まさにそれを分析したいんです。この新しい社会では、ミリアムやルイーズみたいな女性が、日々独自の女性らしさを創出し、実践している。私は女性らしさを定義したいのではありません。ジェンダーはつねに動き続ける動的なものだと思っていますから。

——主人公は、子どもの教育に人生を捧げたあと仕事復帰した女性です。仕事復帰は難しいことですよね。2017年においても、女性でいることは大変だと思いますか?
すごく端的に言うと、人間、それもいい人間でいるのはすごく大変なことです。たとえ主人公が男だったとしても、結末は同じだったと思います。

——あなたの小説2作が映画化されます。なぜあなたの作品は映画関係者を魅了するのでしょうか。
私はすごくはっきりとシーンを描写しますから。それから日常を深く掘り下げる。映像化するのに楽だし、画的にも映えるんじゃないかと思います。私の頭の中に映像があって、それを第三者の視点から描写する。映画のワンシーンが目の前にあるみたいに、映像を使って書くんです。でも登場人物の顔は見えないんですよ。プロフィールをつくることはできても、登場人物たちの顔をスクリーンで見たら変な気持ちになるかもしれないです。

——日常の嗅覚に関する描写が鋭いですね。乳母がつくる食事、きれいなシーツ、子ども、アパルトマンの中。どのように言葉にしていくのでしょうか?
この小説は幼い子ども時代と、それと対をなす母性の話です。この時期は、感覚が一番鋭くなるでしょう。妊娠すると、その初期症状のひとつとして、すべてが不均衡に感じるようになる。そのせいで素晴らしく感じたり、逆に最悪に感じたり。母親になれば、子どもの香りを嗅ぐことに時間を費やすようになる。赤ちゃんの香りは落ち着くし、普遍的なものです。

『ヌヌ 完璧なベビーシッター』という小説は、本質的に香りと結びついています。香りについて描写することでより直接的に読者に訴えかけられるし、場所や雰囲気、壁の色なんかをだらだら書くよりよっぽどわかりやすいこともある。小説の中で私が描写する独特な香りを感じ取るために必要なのは、母性や父性、そして育児の経験です。タルカムパウダーの香りは、人生の中でもかなり限られた時期を心に呼び起こすでしょう。香りは経験や親密さ、官能を運んでくるのです。

——この小説では、女性の地位、社会の多様性、社会的格差など、社会的、政治的問題にも実質触れています。それに登場人物の肌の色については描写がないですね。これは政治的なアプローチなのでしょうか、それともフィクション的なものなのでしょうか?
よく考えられた文学的、フィクション的なアプローチというのがぴったりきます。小説というのは、規則や言語、日常のフィルターといったものから解放された自由な場所です。小説の中でなら、より自由な表現、異なる見方が可能なんです。遠回りしたり、トップダウン的、ボトムアップ的な視点でものを見ることもできる。ですが、大いに責任がともなう分野でもある。ありとあらゆることに気を配らなければなりません。ですから、トニ・モリスン[訳注:米国の黒人作家として初のノーベル賞を受賞した作家]が成し遂げた、登場人物の肌の色に言及しないという手法にとても心を惹かれました。すごく力強いフィクションの手法だし、人種的に登場人物を決めつけないという政治的なコミットメントにもなる。黒人の作家として、モリスンは登場人物のアイデンティティを描写することを拒否したんです。白人の作家は誰もやっていないことでしたから。

私にとって小説は、戦いの道具ではなく、自分の化身です。物語を伝えるため、登場人物に息を吹き込むために小説は存在する。登場人物については、相互作用や自らの経験を通して、読者が自分なりに解釈するかどうかを決めることができると暗示しています。これでなきゃいけないという設定は、私の小説にはないし、登場人物をがんじがらめにしたくありません。小説には自由に解釈できる部分を残しておかなければならないのです。

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