愛をうたう孤高の吟遊詩人Grimm Grimm

ロンドン在住の日本人アーティストであるグリム・グリムことKoichi Yamanoha。叙情的かつエキセントリックなアシッド・フォークはどのようにして生み出されるのだろうか。

by Naoko Okada
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27 January 2017, 2:53am

2015年6月、イギリス発の音楽フェスティバル「オール・トゥモローズ・パーティーズ」が主宰するATPレコーディングスからデビューアルバム『Hazy Eyes Maybe』をリリースしたGrimm Grimm。同レーベルからは初となる日本人アーティストのリリースとなるこのアルバムの完成度の高さはあらゆる音楽人たちを唸らせた。その後、ヨーロッパツアーを行うなどして精力的にライブ活動を行うかたわら、新たなアルバムの制作に取り組んでいる。異国の地で歌い続け、「地球のため、人間のために歌いたい」と語る吟遊詩人は、音楽を通して私たちになにを語りかけようとしているのだろうか。

渡英された時期ときっかけを聞かせてください。
2004年に渡英しました。それまで2年ほど日本でバンド活動をしていたんですが、アルバムを出した直後になんのプロモーションもせず、なにもわからない状態でイギリスに行きました。きっかけとしては、当時工場でバイトをしていたんですが、隣に座っていたパチンコ好きのおばさんに「ロンドンに行って音楽をやれば?」と言われて、そうしようと思ったんです。

おばさん……?
そうです。笑いのツボがすごく似てるというか、すごく面白い人で、変に馬があってしまって仲良くなっちゃって(笑)。それである日、「ロンドンで音楽すればいいじゃん」みたいなことを言われて、イギリスに行くことを決めました。

すごいですね(笑)。
不思議な関係でしたね(笑)。それで渡英して1年後に、スクリーミング・ティー・パーティーというバンドを結成しました。

Grimm Grimmとしてソロの活動に至った経緯はどういったものだったんですか?
しばらくバンド活動をしてリリースやツアーもしたんですが、2010年の終わり頃に解散したんです。それから2013年までヨーロッパを周遊しました。廃墟とかに足を運んでフィールドレコーディングをしていたんです。それでベルリンに滞在しているときに、マルクス・ブラザーズっていうコメディアンのドキュメンタリーがテレビで放映されていて。そのなかで「ひとりで舞台に立って人を笑わせるのが怖い」と言っていたんです。それを観て、せっかく生きているんだからひとりでなにかしてみようと思ってソロ活動をはじめました。

Grimm Grimmが生み出すサウンドは、曲ごとに、また聴く者の状況により色を変える。エクスペリメンタル・フォーク・プロジェクトと形容されているように、実験的な表現が用いられているフォーク・ミュージックは、未知なる宇宙を旅するようなサイケデリック感もあれば、荘厳な風景のなかを孤独に歩いているようなアンビエント感もある。どんな景色にも不思議と似合う楽曲たちは、私たちの心のなかに、それぞれのストーリーとして刻まれていく。

なぜフォークというジャンルを選ばれたんですか?
聴いたときに懐かしい感じがする雰囲気を出したいっていう気持ちがあって。廃墟や塔、巨大建築物を見たときにそういう感覚になるんです。その感覚を音にしたいと思って辿り着いた感じです。

景観からインスピレーションを得られることが多いのでしょうか。
そうですね。でも日常生活からくることも多いです。誰かが言ったこととか、テレビで聞こえてきた一言とか。たとえばレコードを開けて、静電気がぶわっとなる感じとか。いつもメロディが最初に浮かぶので、随時iPhoneに吹き込んで録音します。シャワーを浴びているときでもトイレの中でも、パッと浮かんだらすぐに。それをあとから聴いて、いいなと感じたものをつないで曲にします。歌詞は結構後付けですね。

意図して見聞きするよりも常日頃の感覚を大切にしている。
意図してやろうとするとうまくいかないんですよね。感覚を大事にするために普段から考える、みたいな感じです。

では楽曲制作において、明確な意図や目的はありますか?
曲によって変わりますが、特定の誰かのために曲を作ったことはあまりないかもしれません。音楽をやることにおいては根本的には地球や人間のためにやりたいなと思っていて。車を運転する時や、ダンスをする時、非常事態の時のために。じゃないとなんとなく空しくなってしまうかなって。

楽曲を聴いていると、心が洗われていくような感覚になるというか。大人になるにつれて失くしてしまう子ども心や純粋さを感じるんですが、Grimm Grimmさんにとっての音楽とはどういったものですか?
言葉で説明できないものを音で出している感覚はあります。音楽の存在についてはただの表現方法というか。バンドをしていたときも、音楽が僕にとって一番やりやすかったからで、たまたまその形がしっくりきたというか。表現できるなら絵でもなんでもいいんです。演奏だって僕がしなくてもいいんじゃないかって思うこともあります。僕よりも形に近づけられる人がいたらやってほしいですね。あと仏教でいう臨終只今のような、生死観は創作の過程であります。

人間にとっての音楽のあるべき姿、音楽の理想の在り方についてはどのように考えますか?
たとえば、曲名も誰が演奏しているかもわからない音楽がラジオから流れてきて、その曲が忘れられなくなる。そんな状況がどんどん起きてほしいですね。あの人が「この曲いいよ」って言ったからとか、有名だとかアンダーグラウンドだとか関係なく、一人歩きしてしまうくらいの音楽がもっと無秩序にあればいいなと思います。

では「いい音楽」とはどんな音楽だと思われますか?
生きようと思える音楽ですかね。いつ死んでもおかしくないじゃないですか、人間って。そのなかで、聴いたときに「今を生きよう」と思える音というか。中学生の頃からパンクミュージックを聴いていたんですけど、怒りの音楽なので生命力が出てくるんですよね。全力で今を生き抜こうみたいな。そうして音楽を通して自分と向き合うことは、社会に向き合うことでもある。音楽にはすごい力があると思うんです。見えないし触れられないものだけど、政治も動かしてしまうくらいの力があるし、人の生き方にすごく影響する。音はなんでもいいんですよ。歌詞や曲の内容も大事なんですけど、聴いたときにインパクトがある、宇宙や死があって踊れたりする音楽。それが僕にとっては「いい音楽」なのかなって。

インターネットが普及したことで、音楽は簡単に国境を越えられるようになった。さまざまな音楽に触れる機会が増えたことで、「いい音楽」の判断は個人のなかで測られる時代となった。しかし、世界中の音楽がいくら簡単に手に入る時代になっても、ここ日本においてはオーバーグラウンドとアンダーグラウンドを隔てる壁はまだまだ分厚く、壁を越えることは容易ではない。10年以上にわたり異国の地で活動する彼は、海外と日本の違いについて「音楽で食べていくことにおける生きやすさが違う」と語る。

イギリスと日本の違いはどういったところでしょうか?
イギリスだけじゃなくて恐らくヨーロッパ全体だと思いますが、個人主義みたいなところがあるんですよね。破れた服を着ていても問題ないみたいな(笑)。日本にいたときのネガティブなことはあまり覚えていないんですが、「なんか疲れるな」っていう感覚はありました。日本で育ったし日本も好きなんですけどね。イギリス、特にロンドンでは横のつながりが強くて、夢があるとかないとか関係なく人間関係が築かれていく。利益を気にせず、化学反応が面白いからコラボレーションするし。東京では利益優先で音楽が回っている傾向が感じられるんです。でも、先日神戸と大阪に行ったときに、東京よりも人同士のつながりがあって、ジャンルが違ってもお互いちゃんと混ざっている感じがしました。それは面白いですね。そういう場所から新しいシーンは生まれるし、それがまた壊れてさらに面白いものが出てくるんだと思います。

日本とイギリスを見比べてみて、日本の音楽シーンがもっと健康的に回るにはどうすればいいと思われますか?
日本のポップミュージックとアンダーグラウンドの違いってすごいなと前から思っていて。地下のバンドがポップシーンに上がれないというか(ゆらゆら帝国やたまみたいな例外もあるとは思いますが)。信念を持っている大抵のバンドはずっと地下にいる。でもそういう音楽はヨーロッパでは結構浸透していたりしますよ。日本のノイズミュージックを海外の小さなレコード屋さんから教えてもらったりもします。だけど、日本で地上に出るのはやっぱり難しいんですよね。水と油みたいな関係性で音楽業界が成立しちゃってるというか、権力のある人たちが作ったシステムがあるというか。それを壊そうとしている人たちはいると思いますけどね。イギリス、欧米では突然変異が地上に出てこれる土俵がまだ文化としてあるんだと思います。勿論イギリスも言ってみれば階級社会で、絶対に下級の人は上がれないっていう絶望的な風潮もあるんです。美術館で黒人の人が働いていないみたいな。けど音楽にはそれを越えられる可能性がある。そこが大きな違いですかね。

今後日本に拠点を置いて活動することは視野に入れていますか?
未来のことはわからないので、もしかしたらそれもあるかもしれない。なにかが崩壊したらいいなと思っています。

Credits


Photography Shun Komiyama
Text Naoko Okada

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