藤原ヒロシとユースカルチャーのつながり

中学時代のパンク洗礼に始まり、ロンドンへの遊学、そして裏原ブーム。 その足跡は、今も日本だけにとどまらず、世界中のイノベイターたちに影響を与え続ける。

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20 May 2016, 11:15am

東京のユースカルチャーを語るのに、藤原ヒロシは欠かせない。近年世界中からより一層の熱い視線を集める東京のユースカルチャー、特に裏原宿にあるデザイナーブティックや古着屋は、いまや世界でも稀に見るほどの数を誇っている。原宿といえば「竹下通り」「ラフォーレ原宿」そして「ビームス」だった80年代の始め藤原ヒロシは仲間と共に「goodenough」をスタートさせ、まだ発展途上だった原宿裏通りに旋風を巻き起こした。彼の始めたこの店が火付け役だったのは言うまでもない。本人はただ好きな物を作ったり、プロデュースしたりしているだけかもしれない。だとしても、その独自の感覚が今まで何度となく時流を動かしてきたのは疑いようのない事実だ。

ユースカルチャーをテーマにしたこのタイミングで、藤原ヒロシに現在と過去について、先見の明に秀でた彼の審美眼について、そしてこれからのユースについて聞いてみた。

82年、18歳でロンドンに行ったときのことを教えて下さい。
単に遊びに行っただけなんです。中学の時にパンクの洗礼を受けた自分は、ロンドンのカルチャーや背景がずっと好きでした。そこ以外に行きたいと思ったところがなかったんです。

その当時の東京とロンドンでは、ユースカルチャーにどのような違いがあったのでしょう?
その頃、東京にユースカルチャーはあったのかな。あまり記憶にないですね(笑)。ただ、その当時の東京は、海外に追いつこうという憧れが強かった時代だったのではないかと思います。いわゆるDCブームも並行してありましたが、海外で流行っているものを日本に合うように落とし込んだものだったかと思います。想像しているロンドンとは違いましたが、特に驚きはなく、逆に普通でした。具体的には、外国はおしゃれでかっこいい人たちばかりだと思っていたのですが、そのような人は一部だったということですね。その当時の東京にいた外国人は、モデルくらいでした。みんな背が高くておしゃれでかっこよかったので、それを想像して海外に行ったら、逆に"普通だな"って。

どのくらいロンドンには滞在されていたのですか?
1ヶ月半くらいですね。

とても短い期間で、ヴィヴィアン・ウェストウッドやマルコム・マクラーレンと交流があったのですね。
日本も同じだと思いますが、そういうコミュニティって狭くて、入ってみるとみんな知り合いになるんですね。

『i-D』は80年代からあるロンドン発信の老舗のパブリケーションです。当時は読んでいました?
僕が読んでいた当時、『i-D』は簡単には買えないような雑誌でした。今東急プラザ(表参道原宿店)が建っているビル下に「東倫」という洋服屋があったのですが、そこで売っていました。僕が買ったのは2号で、デッツ(松田)が1号を買ったのかな。というくらい、各号1冊しか手に入らないような状況でした。

まだ持ってらっしゃいます?
まだありますよ。雑誌というか、ただホッチキスで留めてあるだけの紙の束で、中ページもストリートで撮影したスナップ。日本では見ることのできないものを、ワクワクしながら読んでいた記憶があります。今は興味があれば、インターネットやインスタグラムで見たいものはすぐ見られる時代。当時の『i-D』は、モノクロの紙に写真がランダムにレイアウトされてて、ロンドンっぽい感じがしました。メディアとして今のインスタやブログに近いものだったのではないかと思います。そう考えると、先見の明があったメディアだったと思います。

裏原ブームについて、当時のことを教えて頂けますか?
その当時に起こり始めた時のことをあまり良くは覚えてないんです…。自分が憧れてロンドンで体験してきたことは、今でもノスタルジックな憧れと共に記憶にあります。ですが、実際に自分がやってきたことって意外と忘れるものですよね。ただ、"裏原"が始まる前に、ストリートファッションと言われるサーフカルチャーによって、海外との関わり方がリセットされたのかもしれません。ショーン・ステューシーが来日した時に会う機会があり、その後で、洋服の入った段ボールが送られてきました。ステューシー・トライブのスタジャンとか。ショーンが気に入って洋服をサポートする人たちが世界中に何人かいたんでしょうね。僕もその中の一人でした。その時までは日本にいるユースはロンドンやNYに憧れるフォロワーという立場だったのですが、その頃を境にフラットになったように感じました。

それは、何年頃でしょうか?
86か87年ですね。世界とのヒエラルキーがなくなった時です。フラットになった後、A BATHING APE® など、裏原を代表するような東京のブランドが登場し始めたのだと思います。

藤原さんのインターナショナルな交流があったからこそ、東京のユースが世界のカルチャーとフラットに交流できる土台が生まれたのですね?
どうでしょうね。個人的にはタテ社会というか、上下関係というものが好きではありませんでした。若い頃は"生意気"だったということもあり、大人には媚びず、年上には自分の位置まで落としてもらって話をしていました。同じように、年下とは自分の位置まで上がってもらって同じ目線で話すということを無意識にしていたかもしれません。ロンドンにいた時には、年上の有名なデザイナーと一緒に同じような空間で生活し、同じように会話をしていたので、それが良い勉強になりました。

今もそれは感じます?
そうですね。できる限りフラットにコミュニケーションをするように心がけています。その方が僕自身も楽しいですしね。

海外から来たアーティストやデザイナーが、藤原さんに会いたいと話している印象が見受けられます。ルイ・ヴィトンのメンズ・コレクション アーティスティック・ディレクターを務めるキム・ジョーンズ氏とも交流があるとお聞きしているのですが、彼との交流の中で話題になることを教えて頂けますか?
珍しい動物のことをよく話しています。僕も彼も動物が好きなので、よく情報交換をしていますよ。猿とか、オオサンショウウオとか。あとは、僕が18歳の頃にロンドンで遊んでいた人たちがキムの先輩だったりするので、当時のヴィヴィアンの話やパンクのデザイナーなど、共通の人の話をよくしています。内容に関しては今はまだ言えませんが、キムたちと新たなプロジェクトしようと話しています。

キムはパンクブランドから東京ブランドまで、デザイナーの膨大なアーカイブを所有していますよね。藤原さんには収集家というイメージもありますが?
コレクター云々の話になるといつも言っているのですが、僕はコレクターではないんです。ただ、好きなものを買って、着たいものを着ているだけなんです。綺麗に取って置くという行為には興味がない。ただ、所有したいという感情はあります。

ルイ・ヴィトンのモノグラム生誕100周年記念の際に制作されたヘルムート・ラングのミュージシャンとDJのためのレコード用ハードケースも、藤原さんのコレクションの一つと伺いました。
それをもらったのは、僕がDJをしてる時です。ラグジュアリーなブランドが軸のコンセプトとは異なる路線のアイテムを打ち出したりするのは、昔からとても興味があります。

現在開催中の「Volez, Voguez, Voyagez - Louis Vuitton」展の感想をお聞かせ下さい。
板垣退助のトランクなど、歴史的なことも含めて興味深いですね。それに、あのボリューム感を無料で観ることができるのは、素晴らしいことだと思います。パリのグランパレで開催された際に拝見したのですが、その時の空間が、隅々まで忠実に再現されていたのには驚きでした。加えて新たなトランクのアイテムだったり、「JAPAN」ルームも作られていたり、アップデート感も充実していてとても楽しめました。

10年後を想像した時に、どのようになっていると思います?
中学の時に受けたパンクの洗礼から"NO FUTURE"を貫いているので、想像できないですね。10年後を考えることはカッコ悪いと思っているので(笑)。

ユースカルチャーを牽引してきた藤原さんから、若者たちになにかアドバイスはありますか?
今の人たちは自由に生きているから、ある意味でゼロ地点からユースカルチャーを謳歌しているように感じます。どちらかというと、僕らがアドバイスを受けたいです(笑)。ゆとり世代と言われる人たちはすごくいいなと思いますよ。年齢に関係なくフランクに会話が出来る人たちですし。とても良い世代だと思いますね。

Credits


text kazumi asamura hayashi
photography yusuke yamatani