ライアン・マッギンレーのはかなき世界

ライアン・マッギンレーが毎年ニューヨークの美しい若手アーティストとともに繰り広げる壮大なロードトリップは、伝説的な恒例行事となっている。

by Rory Satran
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07 April 2016, 10:50am

「自分の写真のなかで生きたい」とライアン・マッギンレーは言う。それはある意味、すでに実現している。彼がいつも持ち歩いているヤシカで撮った初期のまばゆい写真(『Dash bombing』『Tim falling』『Lissy jumping』)から、最近のジャンルを超えたヌード写真まで、若手アーティストたちを撮り続けてきた。彼らに影響をうけ田舎からニューヨークに上京する若者たちは今も昔も多い。尊敬する7人の兄弟たちと育ったニュージャージー州の田舎町ラムジーからアーティストになる決意をし、ニューヨークに出てきたライアンのように。

彼は「現存する最高の写真家」の1人であるといわれている。それは弱冠37歳のアーティストに与えられる表現としては過度に思われるかもしれない。だが16年もの間、真のアートを創出し続けてきた実績をかんがみれば、その表現が的を射たものであることがわかる。彼は史上最年少の25歳でホイットニー美術館での個展も実現している。しかしライアンはライアンだ。彼は今でも青いリュックを肩からさげ、汚れの目立つ白いコンバースを履いて地下鉄に乗っている。彼はやさしくて、まじめで、美しい心をもった愛すべきひとりの若者なのだ。

ホイットニー美術館での個展以来、彼の展覧会は次々と開催され(2015年夏、オランダでは開催された『Ryan McGinley Photographs 1999-2015』展が開催)、多くの写真集が発売されている。インスタグラムのフォロワー数は数千人に膨れ上がり、日々追加されていく経歴でプロフィールは長る一方だ。そんな彼は多忙な生活を送りながらも、毎年必ず長期のサマーブレイクを取っている。その年の最もフレッシュで魅力的な若者たちと濃密なフォトセッションをしにロードトリップにくり出すのだ。

最近のロードトリップの写真を収めた写真集『Way Far』が今秋、Rizzoli社から出版される。ライアンはスタジオを訪れたわたしを準備万端の状態で迎えてくれた。壁には拡大されたロードトリップの写真が掛けられ、彼が静かに腰かけているテーブルには写真集のダミーブックが置かれていた。

それらの写真は驚くほど美しく活気に溢れていた。裸体の若々しさ、その姿勢、落ちていく瞬間、都市から遠く離れた場所で友人たちと過ごすひととき、そして星が現れた瞬間など、高揚感がもっとも純粋なかたちで表現されている。ロードトリップの撮影は、ニューヨークのビューストンにある自宅から車で3時間以内の場所で行われることが多いようだ。「若者たちを北部地方に連れていき、自身をさらけ出せる場所で彼らの子どもっぽい純真な部分を引き出すんだ」と彼は言う。 彼の被写体は、ニューヨークの卓越したアーティストたちだ。(彼らは実際には大人の男女であるが、ライアンの写真の中では常にキッズである。)その中には、泥沼に背中を浸からせた写真家のペトラ・コリンズや、霜で覆われた原っぱに横たわるパフォーマンスアーティストのインディア・メネズなどが含まれる。だが彼らはひとたび肩書きを取っ払えば、いつでも<だれでもない誰か>になりうるのだ。ライアンは被写体に、兄姉たちが成長していった姿をみいだすのだと話す。

ライアンは10代の頃に、兄のマイケルをAIDSで亡くしている。33歳という若さだった。HIV薬(抗レトロウイルス薬)が普及する以前でマイケルの友人たちもその後の数年間に次々と亡くなっていった。ライアンはその頃のことを「暗黒のとき」と表現している。兄とその友人たちの死により、彼はゲイであることを打ち明けるのをためらうようになった。「なにしろまだティーンエージャーだったからね。カミングアウトしたら死んじゃうとでも思っていたんだろう」と彼は言う。18歳でカミングアウトした時には「最高の気分だった」そうだ。しかし兄の死により、彼は人生について深く考えるようになった。「兄の死は今でも僕の写真に影響を及ぼしている。誰だって身近な人を亡くしたら、死についてつくづく考えさせられるようになるだろ。健康だった体が骸骨のようにやせ細って死に至る経過を見せられたら、好きなことをして生きようと思ったんだ」

ライアンは"リアルライフ"について話すことが多い。彼にとってのリアルライフは、生活のために単調な重労働を繰り返すことではない。活気に満ちたアートのことだ。彼がこの結論にたどり着いたのは、父親の影響によるところが非常に大きい。彼の父親は軍を除隊してから巡回セールスマンになり、8人の子どもたちを育て上げた。「父は人生に対して現実主義者だった」とライアンは言う。「父はいつも"実社会"という表現を使った。実社会に出るまで待つんだ、とかね。僕はああいやだと思った。その実社会とやらをものすごく恐れていてね。そして人生をアートに捧げることに決めたんだ。別のことをしろという提案にはしたがわなかった。このやり方で生き残っていけるかって今でも時々不安になるけど、そのほうが刺激的でやる気もでるよ」

ライアンの輝かしいキャリアには、父親譲りの偏狭な労働倫理と、彼自身の持つロマンチックで空想的な性格を共に反映されている。彼は"若さ"からエッセンスを抽出し正確に捉えることで、彼特有のリアリティを創出することに成功している。「僕の写真はリアルライフではない」と彼は言う。「しかし限りなくそれに近いものだ。僕はいつも被写体の若者たちにルポタージュのような雰囲気を感じ取ってほしいと思っている。目の前のあらゆる瞬間は実際に起こっていることだが、すべて疑似ドキュメンタリーだ。僕は雰囲気を設定するだけで、あとは彼らに好きなように動いてもらう。詳細な指示は出さない。あとはすべてが偶発的に起こるんだ。写真のなかで、彼らは花火や咲き乱れた花畑の中を駆け抜ける。世界の果てにある秘境みたいだろ。だけどそこに居続けることはできない。僕たちが住むような場所ではないんだよ」

彼が最も影響を受けたアーティストはおそらく、究極のWASPであるドキュメンタリー写真家、ティナ・バーニーであろう。数年前にフリーマーケットで彼女の初の写真集『Theater of Manners』を手に取って以来、今でも繰り返し見返しているそうだ。「この本は、僕に何かを与え続けてくれるギフトだ」と彼は言う。「今までに経験したこのない生活、きわめて幻想的な、ウエストチェスター的というか、ハンプトンズ的な生活を垣間見ることができる。ジョン・ヒューズの映画、たとえば『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』の世界に近い。だけど写真に映し出されているのは現実だ」現実(real)。そう、これが彼のいう"リアルライフ"なのだ。あなたが想像するリアルライフと比べてどうだろうか?

12歳のときに地元の画材店でアンディ・ウォーホルの本を見つけて以来、ライアンは数多くのアーティストの伝記をむさぼり読んできた。今年の夏はサリー・マンの伝記に没頭した。「昔からアーティストの情報には飢えていたよ。彼らがどうやってアーティストであり続けているのかを知りたくてたまらないんだ。アーティストでいることはものすごく難しいだろ。ルールのようなものもないしね。アーティストで居続けるには、(西部開拓時代の)ワイルドウェストの開拓に匹敵する興奮と困難が伴うんだ」

熱心な読書を通じて、あるいはアーティストのジャック・ウォールズやパーソンズ美術大学時代の恩師であるジョージ・ピッツから、アートライフに関するさまざまな教訓を得てきたライアンだが、今では彼自身が経験から培った独自の叡智を伝えられる立場にある。2013年にニューヨークタイムズに掲載されたある記事では、コインズ、マイケル・ベイリー・ゲイツ、サンディ・キムといった若手アーティストたちのキャリアを支援した功績から、「ダウンタウンアートの世界におけるハーメルンの笛吹き」と称されている。彼は昨年、(首からカメラをぶらさげて)母校のパーソン美術大学の卒業式で開会の辞を述べた。そこでは、「夢中になるものを見つけ、そのものに夢中であり続けろ」と卒業生たちに呼びかけ、アーティストという職業はロマンチックなものであることを訴えた。また「"返す(give back)"ことは大切だ。何であれ自分のもとに留めておくことはできない。返してあげない限りね」と自らの信条を伝えた。

ライアンは今でも、スタジオに来ている実習生や、ニュージャージー州の両親の家の近所に住むナプキン工場のオーナー等、あらゆる人々から学び続けている。「ナプキン工場のオーナーとは毎晩、話しているよ。彼は人生を歩んでいく方法や、正気を失わないようにする方法について、すばらしい知識と知恵を与えてくれるんだ」長年の間アートの世界にとどまり続けているだけでなく、自身を新たな高みに押し上げ続けているのだ。彼は言う、「16年間ずっと写真を撮り続けてきた。それはある意味、クレイジーだ」そしてこう続けた。「だけど、あっという間だったな。思い返すと、長い一日のようだ」

Credits


Photography Ryan McGinley 
Text Rory Satran
All images are courtesy of Ryan McGinley and team (gallery, inc.), New York.

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Culture
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