『ハイ・ライフ』クレール・ドゥニが語る、管理下に置かれた性のゆくえ

舞台は近未来。死刑囚たちが乗った宇宙船ではある実験が行われていた。巨匠クレール・ドゥニ待望の新作『ハイ・ライフ』。14年ぶりに来日した彼女が、罪の意識と生の関係性、コントロールされる生殖と欲望、密室で生まれる〈タブー〉を語る。

by Shinsuke Ohdera; photos by Nobuko Baba
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18 April 2019, 9:29am

デイヴィド・ホックニーのスマホケースを手にした彼女は、すこし遅れてインタビューの場に現れた。インタビュアーである私と以前会ったことがあると主張して譲らず、同席した編集者にはその服装についてコメントし、撮影時に帽子を取ってくださいとお願いしたフォトグラファーに対しては、その理由を明確に説明してほしいと望んだ。そこにあったのは、自由と優しさと、そしてすべてを理解し納得しようとする強い精神の存在。それは、クレール・ドゥニの映画そのものだった。

——『ハイ・ライフ』の舞台は宇宙船で、周囲は何もない宇宙空間です。宇宙船に乗る囚人たちは、与えられた刑期を務める代わりにブラックホールからエネルギーを取り出すという自殺的ミッションを与えられてそこにいます。彼らは、人生の目的や宇宙空間という複数の意味で虚無に囲まれていると言えるでしょうか? 冒頭の場面でモンテ(ロバート・パティンソン)の手から落ちていった工具や、タイトルバックに映し出される亡くなった囚人たちの遺体は虚無に落ちていったのでしょうか?

クレール・ドゥニ:私の言葉では、彼らは虚無に落ちていったのではなく、宇宙の深淵に落ちていったのだと考えています。そこは大気がない場所で、あの工具や遺体は無限に落ち続けていくのです。宇宙の果てまで落ちていきます。一方、モンテや他の乗組員たちは囚人であり、彼らの人生は虚無のなかにあったという言い方はできますね。でも宇宙には大気がなく、本当に空っぽなのです。これは虚無とは違います。たとえば、私たちが高層ビルに上ったりすると目眩がして、まるで虚無に落ちそうな気がするといった言い方をします。虚無とはそういったものだと私は考えます。宇宙の深淵は、したがって、さらに激烈な何かなのです。

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© 2018 PANDORA FILM - ALCATRAZ FILMS

ドゥニ:もう一つ、工具や遺体がまるで落ちていくかのように見えること。そこで感じられる重力の問題は重要だと思います。幸いなことに地球には重力があります。私たちは重力がある環境の中で、それに慣れて生きています。重力がなければ生物も生きられないし、植物も生えてきません。宇宙船の中では重力を発生させていますが、その外側には存在しません。太陽系の外にある場所がどれほど苛烈な虚無なのか、それはむしろ人間の想像を超えていると言うべきです。

工具が手から離れたのは、赤ん坊が余りに大きな声で泣き叫んだので、驚いたモンテが思わず手を放してしまったからです。そして工具が落ちていくのを見たとき、モンテはおそらく何かが永遠に落ち続けて消えていくという考えに取り憑かれました。そこから彼は、死体を投げ捨てるアイディアを思いついたのではないでしょうか。宇宙船のエネルギーを節約するというプラグマティックな目的も備えていますが、宇宙空間が終わりのない無限の虚無であるという考えに彼が取り憑かれていたからこそ、死体を投げ捨てるという選択をしたのだと私は思います。

——モンテの手から落ちていく工具は二つのイメージに結びつきます。一つは乗組員たちの遺体、そしてもう一つは断片的にインサートされる、子供時代のモンテが友人を殺した後、血の付いた石を井戸に落とす映像です。

ドゥニ:それらは確かにつながっています。ただし、つながり方がそれぞれ少しずつ違っているかもしれません。工具が落ちるのを見て、モンテは子供時代の記憶を思い出す。それは彼が罪を犯したときのことで、井戸に落ちる石のイメージでした。おそらく、ここで彼はこう思ったのではないでしょうか。つまり船の中には死体がある、そのかたわらで子供が育っていくのは良くないということです。自分の子供時代は死の映像と共にあった。しかし、自分の娘に同じ状況を与えてはいけないとモンテは考えたのでしょう。

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© 2018 PANDORA FILM - ALCATRAZ FILMS

ドゥニ:もう一つ、死体を宇宙船の外に捨てたとき、モンテは自分も同じように身を投げ出したい、自殺したいと考えたのだと思われます。けれども彼がそうしなかったのは、自分には面倒を見なければいけない子供がいるという思いがよぎったからでしょう。

——モンテは自殺を思いとどまりましたが、ディブス医師(ジュリエット・ビノシュ)は自殺しました。

ドゥニ:この映画で明確に自殺したのは、確かにディブスだけですね。彼女が自殺した理由は、そのミッションが成し遂げられた、終わったからです。そして彼女は内面的にも外面的にも激しく傷ついている。個人的な思いから、ディブスは宇宙で子供を生み出すというミッション、妄執を抱いて生きてきました。そしてそのミッションに成功したわけですが、一方で自分の犯した罪の意識があまりにも重すぎるため、もうこれ以上生き続けていたくないと彼女は思ったのでしょう。そこがモンテとの大きな違いです。

——ディブスが特殊なのは、彼女は囚人であると同時に管理者であり周囲をコントロールする存在でもあることです。そしてもう一つ、彼女は家族を殺した後で自分の腹にナイフを突き刺した。そのため、性器やおそらく子宮も人工のプラスチックになっている。ここから、彼女は自らの内部に空洞を抱えていると言うことができるでしょうか。

ドゥニ:その通りです。彼女は罪を犯したからこそ、あの宇宙船の医者となることを命じられた。その罪とは家族を殺したことで、そのために彼女は死刑判決を受けたわけですが、逮捕される直前に自分自身で死のうとしています。それはギリシャ悲劇のメディアのようなもの(訳者注:エウリピデス作、自分を裏切った夫と幼い子供たちを殺す王女メディアの姿が描かれている)で、彼女は自分の腹にナイフを突き立て自殺しようとした。ところが助かってしまった。再び人生を始めなければならなくなったのです。彼女はそこで空洞を抱えて生きることになったのかも知れません。彼女が考えたことを肯定的に捉えると、ディブスは他人の生命を奪ってしまったわけですから、今度は逆に生命を与えようという妄執に取り憑かれたのだと言えるでしょう。

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© 2018 PANDORA FILM - ALCATRAZ FILMS

ドゥニ:自殺の話に戻ると、もう一人、ミア・ゴスが演じたボイジーもある意味で自殺と考えることができます。彼女は自ら小さな宇宙船に乗り込んで死にますが、あれも自殺に近い行動だったと言えるでしょう。それからもう一人、アンドレ・ベンジャミン(アンドレ3000)が演じたチャーニーも、違うやり方ですが、ある意味で死を選びます。彼は庭に横たわりますが、それは自分が死んでいくのに抗わないということです。彼は、疲れ果ててしまったのでしょう。それはまるで、生を終え、もはや死ぬままに任せる動物であるかのようにも見えます。

——彼らが生きてきた過去や周囲の宇宙空間ばかりではなく、宇宙船内部の環境もモンテたちに大きな影響を及ぼします。その最大の一つは、彼らがセックスを禁じられコントロールされていることです。彼らの満たされない欲望は、その時一体どうなるのでしょうか。閉ざされた空間やコロニー(植民地、人工の居住区)内部でコントロールされることが人間にどういう影響を与えるか、ドゥニ監督はこれまで何度も作品で描いてこられましたね。

ドゥニ:ここにはいくつかの考えがあります。まず第一にコロニーの件ですが、監獄とはいわば罪を犯した人々を集めて作られたコロニーのようなものですね。宇宙船内に作られた人工の居住区と監獄、植民地の問題には、この意味で明確なつながりがあります。そして監獄とは、都市国家が形成されて以来、人類の歴史の中に存在してきたものです。それは、都市国家の規則に従って生きることができない人々をその内部に設置された外部、つまり別の場所に追いやろうという考えから生まれました。牢獄や受刑者たちが集まるコロニー、処刑場、死刑制度などには、同じアイディアがその背後に存在します。こうした場所、都市国家の内部にある外部では、もはや普通の生は存在しません。生がもたらされる場合もありますが、それは常に盗み取ったものや奪ったものとしてそこに到着するしかない。そこは、都市国家の中で暮らす私たちの想像を超える場所なのです。

第二点として、私は他の作品で植民地の問題を何度か描いてきました。これはご存じの通り、私が子供時代をアフリカで過ごしたからです。ただし、私が体験したフランス植民地時代の最後の時代には、もはや奴隷は存在していませんでした。奴隷制度と植民地でのコントロールには大きな違いがあります。奴隷とは、いわば金銭で買い取られてきた人々のことです。それは労働させるためであり、その目的のために食べるものや生活のすべてを完全にコントロールされてしまいます。奴隷たちは、この映画の受刑者たちのようにセックスを禁じられました。なぜならば、奴隷たちに自由に家族を作らせると、彼らは自立した存在になってしまい、それが反乱の原因となることを所有者たちが分かっていたからです。子供を作る場合には、精子提供者となる男性と受胎する女性を所有者が選ぶことで完全な管理下に置かれました。こうした部分では、植民地の問題とこの映画の宇宙船には明確な違いがあると言えるでしょう。それは、奴隷制度の問題に近い。

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© 2018 PANDORA FILM - ALCATRAZ FILMS

ドゥニ:最後に、宇宙船の乗組員たちはセックスを禁じられていましたが、彼らのオーガズムはコントロールされていなかったと思います。なぜなら、生殖行為は見張られていましたが、快楽のボックス(訳者注:撮影中にはファック・ボックスと名付けられていたとのこと)の中に入ってしまえば、そこでは見張られることなしにオーガズムを得られたわけですから。しかし、彼らが置かれた閉塞状況では、コントロールのあるなしに関わらず、一種の欲求不満が生まれ強い欲動が生じます。こうした欲動は人間を突き動かす原因として最も強いものであり、それは監獄の問題に通じると思います。

——その欲動に対して、モンテたちの宇宙船は、犬だけが徘徊する地獄のようになった別の宇宙船との対比から、かろうじて人間性が保たれていたということができるように思います。その理由として、両義性を孕んだコントロールの問題以外にタブーという概念があったのではないでしょうか。実際、映画の冒頭でモンテは娘ウィローに対して「ダダ(父親)」という言葉と共に「タブー」という言葉を教えます。ところが、この作品のラスト近くでは、モンテとウィローはまるで恋人同士のようです。ウィローは父親のベッドに入ってきますし、二人はまるで手を取り合ってタブーを踏み越えていくカップルのように見えました。

ドゥニ:医師からコントロールされているにせよされていないにせよ、モンテは自ら純血を保とうとした人で、それは自分のセクシュアリティを自分でコントロールしたいと考えていたからです。ところが、彼は自分に子供ができてしまったことから、愛情の扉を開いてしまいました。映画の冒頭でモンテがタブーという言葉を口にするのは、生まれた子供が女の子だと知ったからです。この先二人とも死ぬかもしれない絶望的状況の中で、二人はある意味で運命を共有している。それは父と娘であり、同時に一人の男性と一人の女性でもあります。だからこそ、彼は自分に言い聞かせるかのように「タブー」という言葉を娘に教えたのでしょう。けれども、これは最初から難しいことです。なぜならば、親子の近親相姦以外にもタブーは存在する。つまり、宇宙船内のエコシステムでは、すべてがリサイクルされており、したがって彼らが飲んだり食べたりするものの中にはもう十分にタブーが入り込んでいたからです(笑)。タブーはすでに踏み越えられていたのです。

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Claire Denis

ハイ・ライフ
4月19日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、ユナイテッド・シネマ豊洲ほか全国順次公開!

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