涌井智仁インタビュー:人類の外に向けて

商品に広告、リアルからネットに至るまで、消費を促す“わかりやすい”情報が乱れ飛ぶ中、「わからなくていい」と気を吐く現代アート作家・涌井智仁。わからないけれど高揚する。わかったつもりの次元を超える。誰も知らないアートが、そこにある。

by Keita Fukasawa
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31 October 2017, 3:58am

「今の世の中には、わかりやすくコントロールされたものばかりが溢れている。だけど、人間には元々、わけのわからないものを見て楽しむ能力が備わっているはず。自分は、その部分に訴えかけたい」

東京・高円寺の商店街に佇む超個性派ファッション&カルチャーの牙城・キタコレビルへとポートレイト撮影のために向かう道すがら、涌井智仁が呟いた言葉。アーティスト集団Chim↑Pomのリーダー卯城竜太が講師を務めた現代美術クラス「天才ハイスクール」への参加を経て頭角を現し、近年は渋谷ヒカリエのTomio Koyama Galleryなどで個展を行う涌井だが、その表現コンセプトの壮大さは同世代のアーティストたちの中でも群を抜いている。いわく、「僕の作品は人間に向けたアートではない。人類がいなくても成立するというか、いなくなった後のことも語ることができるものを作りたいんです。例えるなら、映画『2001年宇宙の旅』の冒頭に登場する謎の黒い物体<モノリス>のイメージ。どこから飛来したのか、何なのかもわからない抽象的な物体を前に、人類の祖先の猿人たちが『ウェーイ!』ってなるじゃないですか。ああいうのが理想ですね」

事実、涌井の作品は無機質で抽象的でありながら、どこか深遠なる意図のようなものを感じさせる。でも、それが何かは決してわからない。音響や映像の装置や廃部品などが組み合わされ、プログラミングされたサウンドとともにザラザラとした質感の映像が繰り返される。モニタに映し出されるアブストラクトなヴィジュアルが明滅し、既存の文脈への接続や安易な解釈を拒むかのように、底知れない心象を刻んでいく。「具体性はあえて排除したい。僕はノイズミュージックもやっていますが、ノイズには明確なリズムがなく、音量や音圧などがひたすら不規則に変動していく。普通の音楽のように言葉に置き換え可能な解釈ができないからこそ、聴く側の中に自発的なインスピレーションが生まれるわけです。そもそも現代において主流になっている表現は、コンセプトと意味を物語状に編んでいく手法のもの。そういう、わかりやすい物語を感じさせるようなものは嫌ですね」

しかし言うまでもなく、ただわかりにくいだけではアート作品は成立しない。天才ハイスクールでも、その前に参加した会田誠の巨大な段ボールオブジェ作品の個展での作品でも、涌井はこれまでに数々の共同制作の現場を体験している。仲間とともに作品を作り上げる体験は、それ自体が物語だと言えるのではないだろうか。「天才ハイスクールの展示のときはアートの素人ばかり、十数組も出展者がいて、誰もやり方がわからないから、本当にグチャグチャだった。『こういうことをやろう』と思い描いたものがどんどん破綻していき、みんなほとんど寝てない状態で設営作業をしてギスギスして……でもその最中に予期せず突発的に作ったものが超よかったりするんですよ。結果的に、それが何よりも作品の意図を雄弁に語る部分になったりして。破壊的に組み上がった展示が、言葉にできないけれどエネルギーだけは感じさせる、みたいな。あの体験はその後の制作に大きな影響を与えている気がしますね。要は、どうやって"面白い偶然"を呼び込むことができるか。でも、破綻をあらかじめ物語として意図してしまうと超つまらなくなってしまう。だから、苦しみあがいて破綻していくという全然楽しくない作業を続けるしかないんです」

そう語る涌井だが、近年は音楽家の渋谷慶一郎とのコラボレーションを重ねている。2016年12月には、菊地成孔と森山未來が参加した渋谷のピアノコンサートの空間構成を手がけ、記録映像を制作。今年7月にも、渋谷とともに旧ソ連のジョージアで開催された現代音楽フェスティバルに参加している。ライブという1回性の現場だけに当然、破綻は許されないはずだ。

「なるべく抽象的に、文脈を外していく僕のアプローチに対して、刻々と新しい文脈が更新されていく様子が非常にスリリングでした。この秋にも、オーストラリアのアデレードで開催されるオーケストラ・ライブに参加します。渋谷さんがピアノを弾いて、ボーカルを務めるのはロボット工学者の石黒浩さんと人工生命研究者の池上高志さんのチームによって制作されたロボット。ロボットは人間に似ているけど人間ではない存在だから、その不気味さに対してアプローチするのが僕の映像の役割だと思っています。あらかじめ物語的なものを用意するのではなく、あくまで抽象的に、観に来てくれた人が、わからなくてもいいけれど何故か感動したり、ノイズを聴いたときのようなトランスっぽい体験をしたりしてくれたらいいなと。願わくは自分に無関連なもの、まったくお膳立てされていないものに触れてほしいですね。この考え方は、僕の表現の根本的なテーマである"人類以外に届けるためのアート"の思想につながってくる部分でもあります」理解を拒みながら心動かすもの、<モノリス>のように人類をネクストステージへと導くもの——。しかし、そんなおそるべき未知のものを、一体どうやって現実のものにしていくのだろう。もしや、わからないものを追求する行為の中に、抗い難く甘美な快楽の瞬間があるのだろうか。「ないです。実際に自分の作品を後から見ても『何だこれ!?』って思いますよ。過去にやったことが自分でもわからなくて、そのどうでもよさが面白い。でも、実際にやっているときのどうでもよさと、後で見たときのどうでもよさは全然違う。後で観察者になって見たほうが、もっと味わい深いんです。とはいえ、本当に失敗ばかりですよ。夜中に作業したときは手応えを感じたのに、朝起きて見てみると絶望する。それを積み重ねていくうちに、ごく僅かだけど、エラーや偶発的な何かが起きる。そのときだけはちょっと興奮します。誰も予想しなかった、まったく偶然的なものが生まれたら最高だなと思いますけど、そんなことは絶対にあり得ないってわかっている。だから理想論だけど、そういうものができたらいいなって」

Credit


Photography Takao Iwasawa
Text Keita Fukasawa