中東のミュージシャンは何と闘っているのか? 中東音楽のポリティックス

中東のアーティストにとって、音楽を作ることは本質的に政治的なアクションなのだ。

by Amelia Abraham; translated by Aya Takatsu
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apr 2 2018, 12:56pm

This article originally appeared in The Sounding Off Issue, no. 350, Winter 2017.

あなたが中東出身か、ワールドミュージックのファンでなければ、知っている中東のアーティストを数えるのに片手で足りるだろう。まずは、〈Wild Thoughts(ワイルド・ソウツ)〉の立役者でもあり、チャートをにぎわすパレスチナのプロデューサー、DJキャレド。そのほかにも、クウェート出身のファティマ・アル・カディリ、イランのセヴダリザ、そしてイギリス×イランのラッパー、ロウキー(Lowkey)など、欧米に進出し、有名になったミュージシャンは数多い。レバノンのロックバンド、マッシュロウ・レイラ(Mashrou' Leila)もそのひとつだ。アラビア語で歌っているにもかかわらず国際的な評価を受け、ハーキュリーズ・アンド・ラヴ・アフェアの最新アルバム『Omnion』でも客演を果たしている。

成功を収めた中東アーティストが少ないということは、この地を故郷とするミュージシャンたちも気づいている。2008年、ベイルートで建築を学ぶ学生グループだったマッシュロウ・レイラは、自分たちの周りに、自身が抱える問題をアラビア語で歌う若いバンドがいないことに気づいた。「アラブの音楽の多くは、遠く隔たった過去についてのものなんだ」とギタリストのフィラース・アブー・ファーヘル(Firas Abou Fakher)は話す。女性のミュージシャンは、さらに少ない。サウジアラビアのポップシンガーであるロターナ(Rotana)に、故郷で影響を受けたミュージシャンについて聞くと、答えに窮したようだった。「本当にないんです」。この国でのイスラムの保守主義に起因するミュージシャンの少なさを、27歳の彼女はこう評した。「今年、(音楽活動を初めて7年目で)サウジで初めてのライブをしたばかりです。もちろん中東にもアーティストはいますが、この国の人たちは西洋と同じようにはアーティストを見ていません。下の階層の人間だと思っているんです」

中東で音楽活動をする者たちに課される制約は、国によって異なる。例えばイランでは、DJとして合法的に音楽をプレイするには政府の許可が必要となる。一方でイスラエルーー中東の一部と考えられているが、アラビア人よりユダヤ人が多数派――は、そうしたことに対してずっと寛容な態度を見せている。この国では音楽産業が黎明期を迎えており、ビクトリア・ハンナやエスター・ラダ、シャイ・ツァバリ(Shai Tsabari)のようなオルタナティヴ・アーティストが国内で話題となっているほか、イスラエル出身の姉妹タイル(Tair)、タゲル(Tagel)、リーロン(Liron)からなるスリーピースバンドA-WAが、2015年に発表したイエメン方言で歌う「Habib Galbi」で世界に羽ばたいた。このミュージックビデオの観覧数は800万以上にのぼり、『VOGUE』や『Rolling Stone』でも取り上げられた。

「こっち側のミュージシャンにとって、欧米に進出するというのは大きな挑戦。女性ならなおさら」とA-WAの長女タイルは言う。「幸運なことに、わたしたちは女性が自由で権利もある現代的な社会に暮らしているから」と、リーロンは話す。「主張すること、自分の着たい服を着ること、受けたい教育を受けることが許されているから」。A-WAがイスラエルよりもっと保守的な国の出身であれば、自分たちはバンドを職業とし、2枚のアルバムを制作して世界を周ることなどできなかったであろうことをほのめかしながら、彼女はそう話した。シンガーのロターナは、故郷のサウジアラビアについてこう言っている。「女性は外に出て歌うことを許されていません。子どものときは、そんなことできないと思っていました」

もちろん、彼女たちの国際的なキャリアの障害になるのは、保守主義だけではない。今でも市民戦争の渦中にあるシリアや1967年からイスラエルに占領されているパレスチナのような国では、そもそも組織だった現代的な“音楽シーン”すら存在しない。例えば、ガザのパレスチナ自治区の住人なら、歌うことはできても、どこか他所に出かけてパフォーマンスをすることはできそうもないし、頻繁な停電でレコーディングも難しい。だが、国によって困難は違えど、この地域出身のアーティストたちが抱える苦難に対応する手段は一致しているようだ。若いミュージシャンに限っていえば、こうした国々の多くで大量の人材流出がみられている。

2018年公開されたドキュメンタリー『Raving Iran』は、こうした問題を取り上げている。テヘランのテクノ・シーンに入り込み、スイスの音楽フェスからの出演依頼をきっかけに、永久にイランを離れることを決めた地元のDJ、ブレード&ビアード(Blade&Beard)に密着したのだ。「16歳のときに、CDJとソングバード(音楽プライグイン)を使ってDJを始めたんだ」と、ブレード&ビアードの片割れアノーシュは言う。「だけど合法のライブは、そのあと10年くらいできなかった。違法なレイヴだけさ」。40年ほど前の革命以降、イランのナイトライフはレストランでの飲食以外すべて禁止されているのだと彼は説明してくれた。でもそれは悪いことばかりではないと、アノーシュは主張する。彼によれば、イランの若者たちは「人生の楽しみがないことに飽き飽きして」いて、それがクラブカルチャーを生んだのだという。「だから誰かのアパートや砂漠で、自分たちのパーティを催すようになったんだ。それで満足だった。すべてがアンダーグラウンドで行われていたから、入場料もセキュリティチェックもなかった」

ロターナもまた自らの音楽キャリアを求めて故郷をあとにし、2013年にカリフォルニアに移住した。23歳だった彼女は、サウジアラビアの厳しい保守主義に気分が落ち込み、ついに違う人生を歩む決断をしたのだ。2017年にファーストEPを発表した彼女は、この移住が有利に働いたと話す。まずはじめめに、今、遅い青春を謳歌している彼女は、それをテーマに生き生きとした歌詞を書くことができる。男性や神、自然など故郷では自由に話せなかったあらゆることが、そこに表現されているのだ。「これが長いあいだ封じ込められてたなんて、本当に馬鹿らしいです」と彼女は話す。イスラムの厳しい理想に従うことを拒否しているサウジの女性であるロターナにとって、音楽を作ることは本質的に政治的なのだ。「私のInstagramに、地獄へ落ちろと書く人もいます。でも、退屈な人生から抜け出す人は実際にいます。その人たちは怒っているけど、それこそアートがなすべきことですから」と、彼女は心からの喜びとともにそう話した。

ナルスィー(Narcy)はイラン生まれのラッパーで、アブダビに住んでいた90年代に曲を書き始めたという。彼が思い出せるかぎり、アラブでは、ラップは破壊分子とみなされていた。「子どものころ、アブダビ政府は政治的思想や社会意見をよしとしていなかった。でも俺と友だちは、両親の古いアラブ音楽をヒップホップとミックスしたり、自分の部屋でフリースタイルをやったりしてた」と彼は思い返す。2000年代の初頭に、ナルスィーはモントリオールに拠点を移し、その後すぐ、9・11以降の西欧社会で、アラブ人がポジティブな評価を受けるかどうかは自分にかかっていると感じるようになったという。「”俺はテロリストじゃない”と言うことじゃなくて、”俺は人間で父であり、兄弟であり、息子なんだ”と示すことが大事なんだ」。そしてまた、メディアが彼のことを西洋社会で仕事をする形だけのイラク人ミュージシャンだと考えて報道することに対し、苛立ちを覚えるようになった。記憶をたどって、彼はこう話す。「彼らは『ほら、すごく普通』と言ったり、音楽の話をするのではなく、『ほら、あいつらは平和的だ!』って言うんだ」

マッシュロウ・レイラはいちども政治的なバンドになろうとしたことはない、とヴォーカルのハメッド・シンノ(Hamed Sinno)は言う。「自分たちのための音楽を作ろうと始めたんだ。その考えは今でも変わってないよ」。しかし、彼らの音楽は明らかに政治的なレベルで若者たちと共鳴している。2012年、「Inni Mnee7」の歌詞は、アラブの春に参加した抗議者が掲げるスローガンのひとつになった。「『この町を焼きつくして、もっと公正なものを打ち立てよう』というオープニングのフレーズが、突然壁にグラフィティされたり、チャットルームで使われるようになったんだ」とフィラースは話す。「みんな自分流に使っていたね」。そして、レバノンのゲイ男性がよく行く映画館を警察官が襲撃した事件をテーマにした「Strong」。「こうしたことは通常公にはされない」とフィラースは言う。「その代わり、ごく親密なやり方で伝えられるんだ」

ごく薄いベールしかかけられていないその歌詞では、アラブの権力者たちとのトラブルを避けるのに十分ではないということをそれとなく示しつつ、2016年、次いで2017年も、マッシュロウ・レイラはヨルダンでのパフォーマンスを禁止された。「そこで起こったのは、俺たちの音楽に対する違法な攻撃だよ。俺たちは誰かさんにとっての冒とく者、国家的モラルや品行、もしくは文化にとっての脅威になってしまった」と、ため息をつきながらフィラースは説明する。ブレード&ビアードもまた、自分たちが同じようにイランでは歓迎されない存在になったと感じている。音楽に対する規則がなぜそれほど厳しいのかという質問に対して、政府が恐れているのはエレクトロニック・ミュージックではなく、そのまわりで規模を拡大するコミュニティなのだとアノーシュは答えた。「彼らは、若者がつるみ、ドラッグを使用し、人生の歩み方について政府とは異なる考えを抱くこと、そしてそういう考えを若い世代に広めることを恐れているんだ」と彼は言う。「だけど、音楽を禁止したところで、若いやつらはそれを解決する方法を探し出すだけだよ」

変化はまさに起きようとしている、とロターナは信じている。彼女は「中東、特にサウジアラビアで勃興しているアーティスティックなルネッサンス」のことを話してくれた。サウジの政府さえ、彼女にコンタクトを取り、どうしたらその音楽活動を手助けできるかと尋ねてきたのだという。「王の2030年構想の一環です。若者を理解しようとしていんです。なぜなら、もうすぐミレニアル世代やZ世代が、人口の大半を占めるようになるから。その子たちだってバカじゃありません。外の世界にアクセスすることだってできる。彼らは外を見続けているし、、それを渇望しているんです」。ナルスィーもまた、ライブをしに戻ったとき、オマーンやドバイ、UAEで同じようなことが起こっているのを目撃した。「中東の国で、戦争を経験していない場所はほとんどない。でも文化的には多くのものが残されているんだ。それをどうするかは自分たち次第。マイクは俺たちの手の中にある。『やらせてもらえなかった』とは言えないね」

This article originally appeared on i-D UK.