『シェイプ・オブ・ウォーター』映画評

米アカデミー賞で作品賞・監督賞を含む4部門受賞! 捕らわれの半魚人と声を失った掃除婦のロマンスを描いたギレルモ・デル・トロ最新作を、映画評論家の大寺眞輔がレビュー。

by Shinsuke Ohdera
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06 March 2018, 1:45pm

『シェイプ・オブ・ウォーター』の物語はきわめてシンプルだ。一人暮らしで聴唖者のイライザはある日、清掃員として勤務する秘密研究所で不思議な生き物と出会う。魚のような外見の「彼」は、厳めしくサディスティックな軍人ストリックランドから激しい虐待を受けるが、その鱗の下に豊かな人間性を秘めていた。次第に「彼」と心を通じ合わせたイライザは、同僚のゼルダや隣人ジャイルズたちの協力を得ながら、彼を研究所から連れ出そうとする。

かつて童話やモンスタームービーとして無数に語られてきたこの原型的物語は、ギレルモ・デル・トロ監督自ら述べるように、『大アマゾンの半魚人』やコクトー版『美女と野獣』を下敷きにしたものである。だが、監督自身の言葉を待つまでもなく、イライザの住む小さな部屋がハリウッド映画を2本立てで上映する名画座の2階にあることこそ、その事実の十分な証明となるだろう。過去の名画への愛とオマージュは、この作品の血肉そのものなのだ。例えば彼女の部屋に設えられた巨大な半円形の窓は、パウエル&プレスバーガーの『赤い靴』を想起させる。イライザとジャイルズがテレビで楽しむ『小聯隊長』の名場面は、二人にシャーリー・テンプルとビル・ロビンソンを真似たタップダンスをささやかに披露させる。声の出ないイライザが夢見るミュージカル場面は、『艦隊を追って』のアステア&ロジャースだ。デル・トロは、「これはミュージカルやスリラー、メロドラマ、そして恋愛映画がミックスされた作品であり、監督はダグラス・サークとスタンリー・ドーネンだ」と述べている。サークとドーネンは、共にハリウッド黄金期にメロドラマやミュージカルのジャンルを支えた巨匠であり、彼らの偉大な作品への敬愛からこの映画が作られていることを意味している。

だが、『シェイプ・オブ・ウォーター』は過去ばかりに視線を向けた作品ではない。また、古典映画のマニアックな細部とポストモダンに戯れてみせる浅薄な現代的方法論からも、この作品は限りなく無縁だ。むしろ、現代では通用しない保守的な価値観からクラシックを切り離し、その本質である美しさや風格のみを純粋に取り出そうと試みることこそ、この作品の成功を支えた精髄であるだろう。そのためにこそ、1962年のアメリカに物語が設定されたのだ。それは米ソの緊張が最も高まった冷戦の時代であり、キューバ危機が起こり、マリリン・モンローが亡くなった。恐怖を背景に保守化する社会の中で、「彼」やイライザ、そして黒人女性のゼルダやゲイであるジャイルズたちは全て社会から疎まれ抑圧され排斥された他者でありマイノリティたちだ。いや、成功と支配を唯一の金科玉条として生きる軍人ストリックランドでさえ、その虚勢を支えるためには日々膨大なエネルギーを費やしていたことが容易に見てとれる。彼らの物語は、現代を生きる私たちにとって決して他人事ではないのだ。

(C)2017 Twentieth Century Fox

『シェイプ・オブ・ウォーター』はまた、大人のための童話でもある。一人暮らしのイライザにとって、生活のルーティーンの中に浴槽での自慰が組み込まれていることは決して不思議でも露悪的でもない。そして、熱中するあまり仕事に遅刻しないよう卵形のタイマーを設定する微笑ましい細部は、「彼」が棲む水槽の縁にイライザがゆで卵を並べる姿へと反響する。それは、明確なセックスの隠喩だろう。一方で、「彼」の部屋に落ちていた卵を拾い上げたストリックランドは、そのオブジェが含意する事実に気づかない。同じ事実や映画の細部が、見る者によってその意味する内容を変えること。そこにこそ、この映画の真の主題と深みがあるだろう。水の形(シェイプ・オブ・ウォーター)は、それを入れる容器によって自在に変化するものなのだ。イライザの首の傷は、ストリックランドにとって彼女が声を失った外傷的原因でしかない。だが「彼」にとっては、水の中で暮らすための鱗へとトランスフォームされるものだ。自らを旧約聖書の「サムソンとデリラ」のサムソンになぞらえ、神に近い存在だと自惚れていたストリックランドは、映画のラストに至ってついに本当の神が誰かを知る。それは「彼」が不死身であったことへの驚きを示す台詞であるばかりではない。ストリックランドの自信を支えてきた権力の自己肯定、その虚妄を自ら発見した悔悟の言葉でもあったのだ。

(C)2017 Twentieth Century Fox

『シェイプ・オブ・ウォーター』は、古典映画の愉しみを軽快なタッチで現代映画に取り戻した素晴らしい作品であり、必見の映画である。ただし、私たちはしばしば子ども向けとみなされる童話やジャンル映画に意外な現代性や深みを見いだすや否や、あまりにたやすく評価の敷居を下げがちなものでもある。この作品は今年のアカデミー賞で作品賞を含む多くの部門で受賞し、素晴らしい成果を上げた。そのこと自体にケチを付けるつもりは全くないが、この作品が現代に向ける眼差しにはやはり一定の限界があり、物語的な深みや映画的な細部の豊かさもまた、それ相応のものであるのは間違いないと思われる。何より、全てが端正に磨き上げられてはいるものの、予定調和の範囲を超えることはなく、根本的に驚きの感性を欠落させていることは気にかかる。ジャイルズがテレビで見るのを拒んだ生々しい差別の現場、その痛みや驚き、意外性からはじまる現代映画の姿もあるのだ。

『シェイプ・オブ・ウォーター』
3月1日(木)より全国ロードショー

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