「男の子より女の子の方が好きなだけ」:クロエ・セヴィニー interview

X-girlとその最初期から関わりの深いクロエ・セヴィニーがコラボし、ブランドが誕生した1994年へのオマージュを表現したコレクション「Chloë Sevigny for X-girl」。なぜいまX-girlが再び注目されるようになってきているのか? クロエがX-girlの革命性、若い女性クリエイターを支援する理由、アラーキー、#MeTooを語る。

by Nakako Hayashi
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04 October 2018, 9:53am

1994年、キム・ゴードンが創設したX-girlはなにを象徴していたのか? NYの路上で行われたデビューショーに、19歳で参加していたクロエ・セヴィニーが2018年のこの東京で、ブランドを再定義する。「他の女性を愛する女性がX-girlを着るってことに意味があった」「X-girlを着ることで、自分が大胆になったように感じてほしい」。女性が女性をエンパワーメントするとは一体、なにを意味するのか? さまざまな写真家の被写体になっても消して消費されない存在、クロエ・セヴィニーにこの時代を生き抜く心構えを訊く。

——1994年にはじまったX-girlのことを、当時20歳前後だったあなたはどう感じていましたか。

クロエ 私は19歳だった。あのころ、私たちが熱中していたものといえば、A.P.C.とか60年代フランスのAラインのドレス、60年代のモッズとか。X-girlのあのロゴはアイコニックな存在になって、キム・ゴードンがデイジー・ヴォン・ファースと作ったブランド以上のものを表現するようになっていった。女の子たちが自分たちのブランドを持てるってことにパワーをもらったわ。

——創成期X-girlの象徴でもあるピンクのミニスカートは、当時私もはいていました。

クロエ そう! 私は白のジーンズをもっていたんだけど、自分でピンクに染めたくらい。いまでも持ってる。X-girlの服はいまもコレクションしてるの。ベルベットのブーツカット・パンツや、濃いデニム。Tシャツは10 枚くらい、長袖やストライプもある。かなり充実したアーカイヴね。でもピンクのスカートだけはなくて……だから私に譲ってくれない? 大切にするから(笑)。

——ごめんなさい、もうないかも。マイク・ミルズがデザインしたX-girlのロゴが入ってるTシャツはまだある。でも汗染みがあるからあげられない(笑)。

クロエ ああ残念! 素晴らしいストリートウェアの問題はいつもそれ。着すぎるし、洗いすぎるから長く残らない。

——1994年といえばパリコレで、トップの人気はJean Paul Gaultier、Vivienne Westwoodもロンドンからパリコレに参入したころで、Martin Margielaがエッジーな新人デザイナーとして注目されていました。

クロエ でもマルジェラはまだタビ・シューズを作ってる。最近も赤のストラップ付きのを出したの。私、NYでウェイティング・リストに名前載せてるんだ。ゴルチエもデザインはやめたけど、いまでもクチュールはやってるし、ショーでエキサイティングなものを見ることができる。

——ファッションはあなたにとって重要ですか?

クロエ あのころはいろんな雑誌をむさぼるように見てたし、ストリートウェアが大好きだった。買えなかったけどハイ・ファッションにも夢中で。HELMUT LANGとか、革新的なことをしてる人たちはみんな好きだった。でもいまは……同じような興味は持ってない。当時みたいにファッションにお金を使いたくなくなったし。

——あなたが2018年のいま、X-girlを着ることによって何を伝えたいですか?

クロエ 若い女性がこのブランドの名前を目にするだけで、自分のもつ力を自覚できると思うの。エンパワーメントになるというか。みんなに自分のなかにある強さを見出してほしい。X-girlは最近またリバイバルしてるんじゃないかな。NYでエリン・マギーっていう女の子がやってるストリートウェアのMADE MEがX-girlとコラボレーションしてるんだけど、その新作を見るたびにワクワクしてる。ボーダーのワンピースや、いま私が着ているようなものを若い女の子が着ることで、自分が大胆になったように感じてほしい。

—X−girlはいま日本の会社のブランドですが、まもなくアメリカでもX-girl.comがリローンチするんですね。

クロエ そうね。

——ブランドが始まった90年代といまでは、いちばんの違いは何でしょう。

クロエ 19歳のころ、私にとってはニューヨーク・シティが世界のすべてだった。この服は私にとってすごくニューヨーク的だったし、自分たちのネイバーフッド(近所)って感じだった。X-girlのジャケットを着てサンフランシスコに行ったとき、女の子たちがみんな、「うわ、すごい! それ欲しい!」ってなったことを覚えてる。ニューヨーク以外ではまだX-girlは買えなかったから、X-girl のジャケットを着てる私は最高にクールだと思われたの(笑)。当時はモノを手に入れるのがいまより難しかったから。でもだからこそ、モノは特別で大きなパワーがあった。

——そのクールさは、キム・ゴードンの存在ともつながっていましたか? 私にとってはX-girlといえばキム・ゴードンでした。

クロエ ええ。キム・ゴードンだったし、キャスリーン・ハンナがX-girl のTシャツを着て踊ってるビデオだった。彼女は私が大好きなバンドのひとつ、ビキニ・キルのメンバーだったの。だから彼女があれを着たこと自体が、またひとつ認証スタンプが押されたようなものだった。「クール」って言葉は嫌いなんだけど、そういうものが女の子たちのために現れたっていうことが大切だった。他の女性を愛する女性がそれを着る、ということに意味を見出したの。X-Largeがすごく男の子っぽかったから、それと対になるような存在が「二人の女性」によって作られたことに意味があったと思う。私たちみんな、当然だけどそれをサポートしたかったのよ。

—X-girlがデビューしたとき、ファッションショーはNYの路上で行われましたね。

クロエ 私も出ていたの。すごく懐かしい。いまでもNYで、あのショーに出てた女の子たちを見かけることがある。このあいだも地下鉄でアンバーっていう子に会ったし、レコード屋で働いていたライアンっていう男の子も顔見知りだった。家族っぽいところがあったのね。

——90年代には雑誌に文化的な力があって、同じ興味を持つ人々をリンクしていたのですが、雑誌が消えたあとはインターネットだけが残って、みんな自分の関心だけを追うようになった。だからこそ、多くの人がひとつの場に集まっていた90年代のムードが求められているのかもしれないですね。

クロエ コミュニティの感覚やトライバリズムがあった、ってこと? うん。それにシーンがあった。インディロックとかヒップホップとかね。いまでもあるんだけど、前よりいろんなものが混ざってる。あと、当時はイベントをしかけるのが簡単だった。マイケル・ジャクソンやマドンナの新しいビデオが出ると、全世界が一斉に見たでしょう? いまはもうそんなことは無理。情報が多すぎて、すべての人に影響を与えるものがほとんどなくなってるから。

——一方でSNSによって個人が声をあげる機会は増えています。

クロエ ペトラ・コリンズはインスタグラム・ガールだったけど、いまじゃカーディ・Bの音楽ビデオを監督してる。女の子が発見されて、トップに上っていくのをみんなも求めてるんじゃないかな。最近はかつてなくチャンスが増えていると思うし、若くて優秀な女性のフォトグラファーが大勢出てきてる。ニューヨークからも、イギリスからも。ハーリー・ウィアーやブリアナ・カポッズィ(Brianna Capozzi)だとかね。だから私は、できるかぎり彼女たちと仕事をするようにしてる。

——彼女たちと仕事をすることが、あなたにとっても重要なんですね?

クロエ ええ。ブリアナとは特によく一緒にやってる。彼女には自分の作品集を出す予定があって、その本のために何度も彼女と撮影したしね。無償で、プロモーションでもなくて。もうすぐ『Well-behaved Women(行儀のいい女たち)』っていうタイトルでアイデア・ブックスから出る予定(笑)。自分がインスパイアされた若い女性、才能があると思った女性とはなるべく仕事をしようとしてるし、プッシュしてる。ジャネット・ヘイズやオーレル・シュミットとか、若くて優秀なアーティストはたくさんいる。私はInstagramで彼女たちを紹介したり、作品を買ったりしてサポートしてるの。彼女たちを勇気づけたいから。

——そういった姿勢は、キム・ゴードンにも通じますね。

クロエ 私はただ、男の子より女の子の方が好きなだけ。

——オッケー(笑)。

クロエ 彼女たちの作品により共感できるし、女の子と話をする方が好きなの。連帯意識もあるしね。特にいまは、ボーイ・カルチャー全体がそんなに良くないし……もちろん男性アーティストで好きな人もいるし、男だからって否定するわけじゃない。ただ、女性に囲まれている方が好き。ニューヨークでは女性だけのパーティや集まりがよくあるの。私自身もよく主宰するし。

——ほんとに?

クロエ ええ、オール・ガールズのパーティ。ディナー・パーティとか、女性だけで旅行に出かけたりね。女の子が気兼ねなく話したり、ワイルドになったりできる、安全な場所があるのっていいことだと思う。女性、特に若い女の子は遠慮がちだったりするけど、そういう人が私たちの集まりに来ると、「人生で最高のパーティ! 男の子なんて必要ない!」って。

——素晴らしいですね(笑)。

クロエ ハハハ! あなたも来なくちゃ。ニューヨークに来てくれたら、あなたのために開くから。

——最近日本では、アラーキーの被写体だった女性の告発が話題になってるんです。

クロエ なるほどね。でも、彼についてそういう発言がこれまでなかったことが驚きかも。でしょ? 私、荒木の写真は好きだったことがないの。

——アラーキーの写真は国外だと1992年に初めて、オーストリア・グラーツの美術館で個展があったんです。ヨーロッパの美術館で個展が開かれたことが、アーティストとして高く評価されるようになった出発点でした。

クロエ 私がずっと理解に苦しんでたのは、彼ってアーティストとしての名声があるのに、ヌードの比重が大きくて……ファッション写真を撮ってたわけじゃないのはわかるけど、どこがアートなんだろう、って。わかんない、とにかく私は荒木のファンじゃないの。日本のカルチャーだからこそ破壊的だっていうのはわかるし、女子学生なんかが出てくるのもそうでしょう。だけど私には面白いとも、危険だとも思えなかった。

——アラーキーへの評価について理解に苦しむ一方で、テリー・リチャードソンもそうなんですが(笑)。

クロエ ええ。ただテリー・リチャードソンの方がキモチ悪いってだけ(笑)。トラッシー、下品なのよね。

——あなた自身はどうやってそういう危険を避けてきたんですか?

クロエ ヌード撮影の現場は女性だけにしたりね。例えばイネス・ヴァン・ラムスウィールドとか。私はテリーとも何度も撮影した。彼とは友だちだったから、もし何か頼まれてそれが嫌だったら、私はただ「ノー」と言った。私にはその強さがあったんだと思う。あと、私には自信がなかったのよ。自分の体が好きじゃなかったし、撮影されること自体が嫌だった(笑)。もしそう感じてなかったら、違ってたかもしれない。でもやるのが嫌なことがあったら、それに「ノー」と答えてただけ。

——「ノー」って言えたら、全然違いますよね。

クロエ うん。でも、みんなが言えるわけじゃない。その強さがない女の子もいると思う。若い女の子たちがいるファッション界では、彼女たちの世話をするような人が撮影に付き添うべきだと思う。全員きちんと自分を主張できるわけじゃないし、周りにスタイリストやヘアメイク、人が大勢いるでしょう? だからこそ、そこにまた別の立場の人がいるべきなの。そこにいる他の人はみんなフォトグラファーと仕事がしたくて、その意向に従ってしまうのだから。テリーは特にそうだったけど、どんな写真家でも同じ。だから現場にはエージェンシーの人とか、年上の誰かが付き添うべきなの。それ以外に、女の子がその場で「ノー」と言える方法があるかどうか、私にはわからない。

——他の人に話せる強さも必要ですね。

クロエ そうそう。それも私にとっては、いまの#MeTooの大きな意味なのよね。あれは女の子が自分の声を持つことの助けになると思う。「自分だけじゃない」「ノーって言っても、私だけがノーって言ってるわけじゃない」と思えたら、女の子はより強くなれる。やりたくないことはやらなくていい、って思えるようになるから。

——若いころ、あなたは雑誌の編集部で働いていたんですよね。

クロエ 16歳、高校生のときにね(笑)。『Sassy』っていうティーン誌でインターンをしてたの。そのころ、その雑誌は私にとって、すごく大きな意味があった。『i-D』や『THE FACE』みたいな雑誌が大好きで、私にとって重要だった。それを通じていろんな映画やアーティスト、デザイナーについて知ったから。でももう、雑誌は買わなくなったな。いまはニュース雑誌を買ってる。『アトランティック』とか『ニューヨーク』誌とか(笑)。

——東京に来て、フリータイムにしたいことは何?

クロエ 最高のコルセットをつくったのはVivienne Westwoodなんだけど、日本ですごく人気だったから手に入るときいたの。クローゼットチャイルドっていう古着屋に揃ってるって。これが私の今回の東京でのミッション。「ウエストウッドを見つけよ」って(笑)。

Credit


Text Nakako Hayashi
Translation Mari Hagiwara
Photography Monika Mogi

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