「ボクシングは自分が信じるものを表明すること」:ミシェル・ラミー interview
フランスのファッション・レジェンドがボクシング、詩、パートナーのリック・オウエンスと過ごす自粛期間について語る。
「はい、どうぞ!」とラプサンスーチョン(※松の煙で燻した中国紅茶)のようにスモーキーなフレンチアクセントが響く。この声の主は、ミシェル・ラミーだ。
彼女は今、夫のリック・オウエンスとパリで暮らしている。セーヌ川を間近に臨む5階建ての質素ながら上品な邸宅は、かつてフランス社会党の本部だった。ヨーロッパでも特に厳重なロックダウン下にあるパリにいながらも、彼女はエネルギーに満ち溢れている。
「2ヶ月もリックと家にいるなんて、普段ならありえない。ここにはアトリエもあるから、アイデアを出したり何かを創ることもできる。ガーデニングもできるから、楽しく過ごしてる」
もちろん、外出自粛が及ぼす影響については、彼女も十分に理解している。「確かに私自身は楽しんでいるけれど、もし5人の子どもとパリの狭いアパートで暮らしていて、1日1時間しか出かけられないとしたら、感じ方はだいぶ違ったでしょうね」
ミシェルはこの数ヶ月、さまざまな人びとに深く共感し、世界の現状について、そして私たちが前に進むために果たすべき役割について、考えを巡らせてきた。
「私たちは何のためにここにいるのか、という難題の答えを探る」試みとして、彼女はインスタライブで友人やコラボレーターと〈私たちは何のために闘っているのか〉というテーマについて話し合ったという。

このテーマには、彼女の遊び心が込められている。確かに、〈何のために闘うのか〉という疑問は、今の世界に蔓延する漠然とした実存的不安を乗り越える方法を、独善的に論じることに繋がりかねない。しかし、ミシェルを知るひとなら、彼女のいう闘いが〈格闘〉を意味することがわかるはずだ。
彼女にとっての闘いとは、すなわちボクシングだ。ミシェルについて注目されがちなのは、ヘナで染められた髪、染料に染まった指、金メッキをはめた歯だが、それと同じくらい彼女のキャラクターに不可欠なのが、ボクシングへの情熱だ。
彼女が初めて(リングを外して)この「高貴な武術(noble art:ボクシングの別称)」に挑んだのは今から35年以上前、ハリウッドのサンタモニカ大通りにあるワイルド・カード・ボクシングジムでのことだった。
それ以来、彼女の情熱の源となってきたのは、この競技に結びつけられがちな血に飢えた獰猛さではなく、その中心的な教えである集中力と鍛錬だ。「チェスみたいにいろんなルールがある」と彼女は説明する。「相手と目を合わせて次の動きを予想する方法とかね」
つまり、ボクシングの技を極めれば、それは繊細なダンスや俊敏で野生的なバレエのようになるのだろうか。「すごく近いと思う。音楽があって、舞台があって。でもそこに汗の匂いとかバンデージ、儀式が加わってくる」と彼女はひと言ひと言に重みを持たせるように語った。
「大切なのは勝負じゃなくて、私たちの文化や人間性など、自分が信じるものを表明すること。私にとってはパフォーマンスがすべてなの」
パフォーマンスへの愛は、彼女の血に流れている。それはボクシングへの愛よりも深い場所に、彼女がフランスの寄宿学校で合唱に打ち込んでいたときから存在するものだ。
このパフォーマンスへの情熱は、彼女がより大きな夢を目指すために辞めた、被告側弁護士という俳優と同じくらい舞台上でのカリスマを求められる仕事でも、存分に発揮されていた。
「ストリップショーをしたこともあるの!」と彼女はバーのMCのように大げさなトーンで語る。「女友達のエレーヌ・アゼラと、パリ郊外の村の小さなバーでね。楽しかった」

音楽ジャーナリストのエレーヌは、ミシェルの声がマリアン・オズワルドにそっくりなことに気づき、彼女に「King Kong Blues」の未発表の音源を渡した。この詩は、作家のラングストン・ヒューズが、マリアンがボリス・ヴィアンの曲を歌っていたサンジェルマンのクラブで、紙ナプキンに走り書きしたものだ。
1970年代、フレンチポップスに飽き飽きし、ボブ・ディランに憧れたミシェルが、29歳で渡米し、ハリウッドにレストラン/キャバレー〈Les Deux Cafés〉をオープンするときまで、この詩は彼女とともにあった。
「そこでステージをやり始めたの。Les Deuxでの夜の終わりにちょっとしたパフォーマンスが欲しくて。ボビー・ウッドのバンドと一緒に「King Kong Blues」のパフォーマンスを始めた」と彼女は当時を振り返る。
舞台に上がったのはミシェルだけではない。1996年から2003年まで、ヒース・レジャー、マドンナ、デヴィッド・リンチなど、ハリウッドの名だたる有名人が、ハリウッド大通りの南側の駐車場にあるこの店に詰めかけ、ヴーヴ・クリコ片手にジョニ・ミッチェル、ボーイ・ジョージ、グレイス・ジョーンズなどの即興のステージを楽しんだ。マドンナがテーブルの上で踊ったこともある。
「Les Deuxは私なりの劇場だった」とミシェルは明言する。あらゆる演劇と同様、肝心なのはキャスティングだ。「店の電話に出るのは私だけ」。彼女はテーブルを確保する前に、見込みのあるパトロンかどうかをじっくり見極めたという。
「良い舞台になるように、誰を誰の隣に座らせるかよく考えなくちゃいけなくて」と彼女は笑う。
彼女のアプローチは、気まぐれにも計算高くも思えるかもしれない。しかし、このエピソードは、ミシェルがパフォーマンスにおいて大切にしていたことを物語っている。それは気の合う人びとが集まることで、そこから自然発生的に新しいものが生まれ、アイデアが実現する可能性だ。
「人との出会いをいつも大切にしている」と彼女はいう。それはよりフォーマルなパフォーマンスでも同じだ。例えば、彼女がカエシリア・トリップ、セシリア・ベンゴレアと手がけた作品も、計算し尽くされているというよりは、ある瞬間をとらえた温もりのある仕上がりになっている。

これはミシェルが娘のスカーレット・ルージュ、パンクミュージシャンからアーティストへと転身したニコ・ヴァセラッリとともに結成したエクスペリメンタルロック・バンドLAVASCAR(バンド名はラミーのLA、ヴァセラッリのVA、スカーレットのSCARを組み合わせたもの)についても言えることだ。
2017年に結成されたこのバンドは、これまでに2枚のアルバムをリリースしている。2017年のデビュー作『A Dream Deferred』のタイトルは、前述のラングストン・ヒューズの詩〈Montage of Dreams Deferred〉から取ったものだ。打楽器メインのエレクトロニック・ボディ・ミュージックに合わせて、ヒューズの詩が時に囁くように、時にしわがれた声やうめき声で歌われる。
続く2018年の『Garden of Memory』は、より壮大で、ドリーミーで、馴染みやすいメロディを用いながらも、前作同様に陰うつさをにじませるアルバムだ。また、本作は、ミシェルのお気に入りの詩人、ラングストン・ヒューズから離れた作品となっている。
「マラケシュに行ったとき、ずっと前から知っていたようなひとと出会ったの。それがエテル・アドナン。思わずオーマイガー!って叫んじゃった。ラングストン・ヒューズはもういい、エテルがいるから、って」
しかし、LAVASCARのパフォーマンスは、単にサウンドトラックに合わせて詩を朗読するだけではない。ミシェルはそれぞれの詩を「辞書」として、自分なりの方法で言葉を並び替えているという。
「私が好きなのは言葉、提案、意見。始まりと終わりがある物語は好きじゃない」と彼女は主張する。
「どの詩にも重要なキーワードがあるけれど、それを全部口に出す必要はない。そこに自分のなかのストーリーを加えていくの」
最近では、自らペンをとり執筆を始めることも考えているという。「思い切って何か書いてみようと思うんだけど……。でも、この世界には見事な表現力を持つ偉大な詩人がたくさんいるでしょ」
これほど豊富なエピソードがあれば、ミシェルの決意は大いに歓迎されるはずだ。彼女自身、自らの人生観について訊かれたとき、『千夜一夜物語』の語り手であるシェヘラザードを何度も引き合いに出している。
彼女にとって魂の姉妹のような存在のシェヘラザードは、ミシェル自身と同じく「喉をかき切られないように物語を語り続ける」ことを強いられている。
パンデミック後の生活は、不確かさに満ちている。私たちは何のために闘ったらいいのかもわからない。どこか達観した雰囲気を漂わせるミシェル自身さえもそうだ(彼女はよく、パリのタクシー運転手にタロットカード占い師と間違われるという)。
しかし、ひとつだけ確かなことがある。「答えを探すのは時間がかかるけれど、それを見つけたら全てが変わることを願っている」と彼女はいう。「きっと何か良い方法があるはず」
未来がどこへ通じていようと、ミシェル・ラミーはこれからもずっと、私たちのそばにいてくれるだろう。いつの日か、新たな物語を紡ぐために。



Credits
Photography Tyler Kohlhoff and Lana Jay Lackey