『花咲くころ』映画評

ジョージア映画の新しい波。ベルリン国際映画祭国際アートシアター連盟賞を初め、世界中の映画祭で高く評価され、30もの受賞を果たした本作を翻訳家の三辺律子がレビュー。

by Ritsuko Sambe
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29 January 2018, 8:48am

岩波ホール創立50周年記念作品第一弾である本作『花咲くころ』は、ジョージア(グルジア)映画。「大手興業会社が取り上げない」(岩波ホールHPより)ような作品を紹介し、また近年では積極的に女性監督の映画を取りあげている岩波ホールらしい選択だ。

もともとジョージア(グルジア)は、多くのすぐれた監督を世に送り出してきた。テンギウ・アブラゼ監督(『懺悔』)、エルダル・シェンゲラヤ監督(『青い山 本当らしくない本当の話』)、ギオルギ・シェンゲラヤ監督(『放浪の画家 ピロスマリ』)などが代表だ。

しかし、1991年にソビエト連邦から独立後、大統領派と反大統領派の対立などから内戦に発展。社会・政治・経済も危機的な状況に陥り、その影響で、映画も冬の時代がつづく。

だが、ここにきて、ジョージア映画はめざましい復活を遂げつつある。『落葉』のオタール・イオセリアーニ監督の『素敵な歌と舟はいく』『月曜日に乾杯!』、ナナ・ジョルジャーゼ監督の『シビラの悪戯』などは日本でも公開された。一方で、この数十年の急激な価値観の変容を経験した、新世代の台頭も目立つ。50歳代のザザ・ウルシャゼ監督は『みかんの丘』、ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督は『とうもろこしの島』で、現代までつづくアブハジア紛争【注:アブハジアがジョージアから独立を求めたことに端を発する紛争】をテーマにした作品を発表している。

そして、本作の監督ナナ・エクフティミシュヴィリとジモン・グロスはそろって70年代生まれだ。二人とも海外で教育を受けていることも共通しており、こうした外から祖国を見つめ直す視線が、ジョージア映画界に新風を吹きこんでいると言えよう。

本作の舞台は、1992年、独立後の不安定な首都トリビシ。主人公は、当時のエクフティミシュヴィリ監督と同じ14歳の少女エカとナティアだ(制作は2013年)。恒常的にものが不足し、食料や暖房用の燃料さえ手に入れるのが難しく、大人たちには余裕がない。エカの父親は刑務所に入っており、ナティアの父親はアルコール中毒でしょっちゅう暴力を振るう。

そんな環境下でも、年ごろのエカとナティアは友だちの話をしたり、恋に胸をときめかせたり。友だちと過ごすそうした時間だけが、荒れた街や不機嫌な大人たちのことを忘れられる大切なひとときだ。

© Indiz Film UG, Polare Film LLC, Arizona Productions 2013

しかし、そんな時間すら奪われてしまう。ある日、いつもの通りふたりでパンの配給の列に並んでいたとき、ナティアが連れ去られてしまうのだ。ナティアに熱をあげていた男コテが、ナティアと結婚するためにむりやり誘拐したのだった。このとき、共に列に並んでいた大人たちの反応(とりわけ、一人の年配の男の仕打ち)は、強烈な印象を残す。

誘拐婚は、つい最近までジョージアの大きな社会問題の一つだった。男性が、時に友人たちの協力を得て女性を力づくで誘拐し、家に連れ帰って結婚するよう説得する。一度誘拐されてしまうと、他に結婚相手を見つけることは難しくなるため、女性は結婚を受け入れることが多い。

ナティアにほかに好きな男性がいたことを知っているエカは、どうしても納得することができない。そんな思いをこめて、エカがジョージアの民族舞踏を踊るシーンは胸に迫る。この踊りは本来なら男性が踊るものだと、山田せつ子氏(舞踏家)の解説で知った。それを知ったうえで、この長回しのシーンを味わってほしい。エカの力強い動き、エカの表情、ナティアの反応、周囲の人々のようす……忘れがたい場面だ。

ジェンダーの問題、戦争、暴力、といったテーマが、思春期の少女のまっすぐな視線上に浮かびあがる。困難な状況の中で、エカがなにを選択し、どう生きていくのか、思いを馳せずにはいられない。

© Indiz Film UG, Polare Film LLC, Arizona Productions 2013

花咲くころ
2018年2月3日(土)より岩波ホールほか全国順次公開予定

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