© 2016 Bando a Parte – Double Play Films - Gladys Glover – Madant

『ポルト』 ゲイブ・クリンガー監督インタビュー

ブラジル出身、アメリカで映画批評家、映画学教授としても活躍する1982年生まれの新鋭監督ゲイブ・クリンガー。初長編劇映画『ポルト』のプロモーションのために来日した監督が語る、独学で学んだ映画術、そして映画への熱い思いとは。

by RIE TSUKINAGA
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02 October 2017, 5:14am

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『ポルト』は、ドキュメンタリー映画『ダブル・プレイ:ジェームズ・ベニングとリチャード・リンクレイター』(2013、日本未公開)でデビューした新鋭ゲイブ・クリンガーの初長編劇映画であり、ジム・ジャームッシュが製作総指揮をつとめたラブストーリー。ポルトガルの湾岸都市ポルトで出会ったアメリカ人のジェイク(アントン・イェルチン)とフランス人のマティ(ルシー・ルーカス)。一瞬で惹かれあい燃えるような一夜を過ごしたふたりだが、それは一瞬の夢のような出来事でしかなかった。過去、現在、未来。走馬灯のように巡ってゆく時間のなかで、ふたりの記憶は常にあの一夜へと引き戻される——。

2016年に急逝したアントン・イェルチンが主演をつとめる本作には、『ママと娼婦』(1973)のフランソワーズ・ルブランが出演するほか、エンドクレジットでは、ポルト出身の映画監督マノエル・ド・オリヴェイラや、2015年に亡くなったシャンタル・アケルマンへ謝辞が捧げられている。見るからに"シネフィル"な若手監督の意欲作だが、一方でとてもシンプルでロマンチックな映画。いったいどのようにこの映画が誕生したのだろうか。

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——まずはあなたの経歴について教えてください。アメリカでは雑誌で映画批評を書かれていて、大学でも映画学について教えていらっしゃるそうですが、ご自身も大学で映画について学ばれたのでしょうか。
「映画については大学とは違う種類の教育を受けたんだ。つまり映画館に通うという教育法だね。それから映画について書かれた本をたくさん読み、いろんな人たちと映画についての話をした。そして実際に映画をつくるなかでさらに学んでいった。結局のところ、映画を撮るベストな方法というのは、なるべくたくさんの映画を見ることから始まると思う。ヌーヴェルヴァーグの監督たちもみなそういう形で映画を学び、映画を自分たちでつくることによって作家になったしね」

——つまりあなたは独学で映画作りを学んだわけですね。
「多くの間違いや失敗を経てね。(処女作である)『ダブル・プレイ』は、僕にとって修士論文あるいは博士論文のようなものなんだ。試行錯誤しながらこのドキュメンタリーを完成させることで、僕はようやく映画の教育を終えられた。もし映画学校に通っていたとしても、学ぶ内容は同じだったと思うよ」

——それにしても『ポルト』での構成や撮影手法の巧みさには驚かされました。35ミリ、16ミリ、スーパー8という3つのフォーマットを使い分けるというアイデアはかなり野心的ですね。
「映画を作る道具は多ければ多いほどいい。普通は予算の関係でひとつの道具しか使えないけど、これは僕にとって初めての長編劇映画だから、貪欲にいろいろなものを試してみたかった。初心者というのは、常にバカなことをしたり、リスクをおかしたりするものだよね。当時の僕は若くて愚かで、だからこそ野心的になれた。そしてプロデューサーともたくさん喧嘩をした(笑)」

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——実際のフォーマットがどう使い分けられていたのか確認させてください。ジェイクとマティふたりが出会った夜は35ミリのシネスコサイズで、彼らの現在あるいは未来の出来事はスーパー8あるいは16ミリのスタンダードサイズで撮られていますね。
「その通り。映画の大部分は35ミリでの映像で、実際に彼らふたりの間に流れた時間の多くはスーパー8の映像だ。彼らの人生はこんなふうに過ぎていったという客観的な説明(マティが結婚して子どもをもつまでの数年間の描写)、あるいはあの夜はこうだったかもしれないという主観的な希望(ジェイクが見ている夢)。それらすべてをスーパー8で、彼らの現在(未来)の姿を16ミリで、そしてあの一夜の生き生きとした思い出を35ミリで撮影した。映画には顕微鏡的な性格があって、最初は全体を広くとらえ、それからどんどん細部にフォーカスしていくことができる。つまりカメラによって時間の主観的な吟味をしているんだ」

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——映画は3つのパートに分かれていますね。パート1がジェイク、パート2がマティ、そしてパート3がマティとジェイクふたりの視点。この3つ目のパートの冒頭に、予告編(WEB限定)でも使われた非常に印象的な長回しのシーンがあります。
「優秀な俳優やスタッフたちと一緒に映画を作るうえでは、長回しで撮るほうが断然おもしろいんだ。シーンを細かく切ってしまうと、みんなフラストレーションが溜まってしまうから。僕が好きな映画のほとんどが、こうした長いショットをパーフェクトに撮っている。たくさんテイクを撮り、編集室で新しい何かを生みだす方法もあると思うけど、編集室で生まれた何かは、撮影現場で生まれるものとはやはり別のものなんじゃないかな」

——本当に素晴らしいワンシーンでした。ふたりの視線がぴたりと合う瞬間、どちらが先に相手を見つめたのか、あるいは同時に見つめあったのか、その微妙なタイミングが見事に映されていて。
「そう、まずはふたりの姿がそれぞれに映り込む。観客はふたりが惹かれ合っている事実にすぐに気づくけれど、彼らの間にどれくらいの距離があるかはまだわからない。やがてジェイクがマティに向かって歩いていく。そこで初めて、ふたりの間の物理的な距離感を見せたんだ。それによって、ジェイクがどれほど勇気をもって彼女に近づいていかなければいけなかったのか、あるいは彼女がどれほど強く彼に訴えかけていたのかがわかる。僕は、映画のツールを使って、その瞬間におけるふたつのまったく異なる出来事を表現したかった。ひとつは、彼らがどう惹かれあったのかという記憶を伴う出来事を。もうひとつは、実際にその距離を歩いてみてどうだったか、という現実の出来事を」

——映画は当初ポルトではなくアテネで撮る予定だったそうですが、この変更はストーリーや設定にも変化を与えましたか。
「変更箇所はそれほどなかったと思う。でもこの映画をアテネで撮ったり、同じポルトでも夏に撮っていたら、全然違う映画になっていただろうね。光や景色もすべて変わってしまうから。その一瞬にしか現れないすべてをとらえる。それが映画のリアリティであり、美しさだと思う」

——やはり映画にとって、場所というのは大きな要素なのでしょうか。
「大事なのは、撮りたいテーマをより鮮明にしてくれる場所を探すこと。ポルトがこの映画を撮るのに適した場所だと思ったのは、そこが昔の時間にとどまっている美しい街だったから。現代的なビルばかりがある街だと、昔のことを語るのが難しい。その点では、もし予定通りアテネで撮っていたら、時間の流れを現すのにもっと工夫が必要だっただろうね。アテネは、遺跡は素晴らしいけれど、全体的には新しいビルばかりがある街だから」

——監督はシカゴで育ったそうですが、今後シカゴや自分のよく見知った場所で映画を撮るというアイデアはありますか。
「いや、まったくないよ」

——でも自分の生まれ育った場所を舞台に映画を作り続ける映画作家も多いですよね。
「もちろんトリュフォーのように、自分が生まれ育ち庭のように知り尽くしているパリで、素晴らしい映画を作り続けた人もいるよね。僕の場合は、子どもの頃あちこちを移動しながら育ったから、常にアウトサイダーの視点で新しい場所を発見するという経験をしてきた。だから、生まれ故郷よりもよく知らない場所で撮りたいと思うのかもしれない。それにあまりにも知りすぎていると、逆に大事な部分を見逃してしまうこともあるしね。要はストーリーやビジョンにあわせて場所を探すことが重要で、そこで必要なのが好奇心という視点なんだ」

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——場所の話でいうと、『ポルト』はとても国際色豊かな映画ですね。舞台はポルトですがパリのパートもあり、俳優やスタッフはアメリカとフランス、ポルトガルそれぞれから参加しています。
「アウトサイダーの視点から見た映画というものにいつも惹かれてしまうんだ。単に外国人という意味ではなくて、その場におけるアウトサイダーという意味で。アントン演じたジェイクはたとえアメリカに住んでいても常にアウトサイダーだったし、マティもまたフランスにいた頃からそうだった。彼らはどこにいてもその場に馴染むことができずにいて、だからこそ互いに惹かれ合う」

——俳優たちの演技が本当に素晴らしかったのですが、特に驚いたのはアントンのルックスです。やせ細り、まるで疲れ果てた老人のようでした。彼のその後を思うととても痛ましく見えてしまいますが……。彼はこの出来上がった映画を見たのですよね?
「アントンは完成品を見てくれたよ。この映画におけるジェイクのルックスはアントン自らが行った役作りの結果なんだ。彼は、サイレント映画やドイツ表現主義の役者のような表現をしようとしたんだと思う。たとえばダグラス・フェアバンクスやピーター・ローレのようなね。というのも、アントン自身がそうした俳優たちが出演している映画の大ファンだったから。それに、『タクシードライバー』(1976)のロバート・デ・ニーロや『ザ・マスター』(2012)のホアキン・フェニックス、そして60年代のフランス映画におけるジャン=ピエール・レオーといった俳優たちも想起していた。僕たちは、ジェイクという人物に何かモンスター的なもの、ダークな雰囲気を付け加えたかった。いわゆるロマンチックなラブストーリーの典型的なタイプではない主人公を作り出そうとしたんだ。アントンとは一緒にいろんな映画を見て、たくさんの話をしたよ」

——『ポルト』を見ていると過去の様々な映画が思い出されるのですが、なかでも私が思い浮かべたのがアラン・タネールの『白い町で』(1983)とリチャード・リンクレイターの『ビフォア〜』シリーズです。
「『白い町で』は特に意識していなかった。だけど、おもしろいね、さっきの取材でも同じことを聞かれたよ(笑)。『ビフォア〜』シリーズの方はもちろん意識していた。何しろ僕はリンクレイターについてのドキュメンタリー映画を作ったくらいだから。『ビフォア・サンライズ』(1995)は、自分の人生のとても特別な時期に見た大切な映画なんだ。その9年後に『ビフォア・サンセット』(2004)を、さらに9年後に『ビフォア・ミッドナイト』(2013)を見た。この3作品を見るなかで、僕自身も変わっていったし、映画のキャラクターたちの関係も変化していった。ある意味では、この3本をひとつにまとめたのが『ポルト』だと言えるかもしれない。『ビフォア〜』シリーズが描いた、長く異なる時間のすべてがこの1本に濃密に込められているわけだから。オープンエンディングである『ビフォア〜』とは違って、僕の映画の場合、冒頭で彼らが数年後にどうなるのかわかってしまうわけだけど(笑)」

——でも『ポルト』もまたオープンエンディングとして見ることもできますよね。私には、このラストシーンが完璧なハッピーエンドのようにも思えました。
「もちろんだよ。ひとつの映画に、ハッピーエンディングとバッドエンディングの両方が存在するのはまったくおかしなことじゃない。自分の人生を振り返っても同じことで、僕たちは常に、無意識に記憶を書き換えている。そこには誇張や省略があるし、たいていは自分の都合のいいように記憶を美化してしまう。でもそれは当然のことだ。過去に起こったことをもう一回生きなければいけないとしたら、それはとても苦しく耐えきれないはずだ。生きるために、人間は常に自分のなかで記憶を書き換えていく。そういう記憶に対する主観性みたいなものを、僕は『ポルト』で描きたかったんだ」

ポルト
9月30日(土)新宿武蔵野館他にてロードショー
監督・脚本:ゲイブ・クリンガー 出演:アントン・イェルチン、ルシー・ルーカス、フランソワーズ・ルブラン、パウロ・カラトレ

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