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蜷川実花から見た世界

蜷川実花の作品から放たれる色彩はカラフルで強烈だ。それでも私たちが彼女の写真や映画に魅了されるのは、誰もが感じることができるリアルな人間性がにじみ出ているからだろう。蜷川がi-Dとのインタビューで「善・悪」では分かつことができない、曖昧で矛盾した人間のリアルな世界を語る。

by Chihiro Yomono
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21 February 2017, 8:35am

鮮やかな花や魚、鋭い挑発的な視線を向ける被写体たち。蜷川実花の作品は一目見てそれとわかる。今、日本を代表するアーティストのひとりとして名が挙がり、若い女性を筆頭に人気のあるアーティストと知られながらも、どれだけの人が、彼女が創作を通して伝えたいと考えている意図を理解しているのだろうか。第二子の誕生や最愛の父の他界——人生における大きな節目を迎えた彼女が、両親からの影響、命のつながり、あらゆる物事がもつ二面性について語った。

蜷川さんの作品を見たときにまず感じるのが「色の強さ」です。この特徴的な色彩について教えてください。
実は私にとって、色の優先順位は低いんですよ。事務所に来た人には「本当にこういう人なんですね」とよく言われます。色を戦略的に考えたり、関係性をあえて作りこむことはしません。例えば、映画を作るときでも色調は最後に調整します。得意だし自然と表現に出てきてしまうので、優先順位を上げなくてもいいんですよね。呼吸するのと一緒で私にとってはこの色は自然なんです。

クリエーションに育った環境やご両親からの影響はあると思いますか?
家族全員、小物が大好きで、心地良さを感じる物量が普通の人より多いんです。それは多少、私の作品の「過剰さ」に関係しているかもしれません。色については、家はわりとモノトーンでしたし、父親もアンティークが好きだったので、くすんでいる色が多かったです。私が着せられていた服もネイビーやモノトーンが多かったので、作品に影響はないかもしれないですね。ただ、私が高校生くらいのときに女優だった母がキルト作家になって、私もほぼ同じ時期に写真を撮りはじめていたのですが、ふたりの作品が全く同じ色合いをしていたんです。母のその色を見て育ったわけではないですが、「ああ、やっぱり"血"ってあるんだな」って実感しましたね。

母と娘で同じ色彩感覚を共有しているんですね。
仕事のやり方や物事の考え方は父からすごく影響を受けていますが、色については完全に母の影響ですね。それも、環境がどうこうというのではなく、血です(笑)。

撮影ではどのように色のバランスを組み立てていくのでしょうか?
スタジオみたいな完全にセットアップされた空間ならまだしも、基本的にはそこにあるものやストリートを撮っています。作り上げたものというより、すでに世界に存在する色彩をただピックアップしているだけに過ぎないんです。

被写体はどのように選んでいくのでしょうか?
成り行きに任せています。冬にベルリン国際映画祭にいったんですが、寒いし建物も四角が並んでいるだけで色味もなくて、全然撮るものがなくて(笑)。私の中で切り取るものが見当たらなかったんでしょう。私はたとえば(写真を見ながら)、人工的な交配を繰り返した、さまざまな色の金魚や熱帯魚、お墓の上に飾られてる造花——人間が作り上げた矛盾性や、生と死のあいだにある歪み、もしくは光と影の表裏一体の関係——そうしたものに反応しているだけというか。あるがままを撮り、一切手を加えないというポリシーに基づいて、世界を切り取っているだけなんです。

そのことはあまり世間に伝わっていないことかもしれませんね。
言っているのですが、スルーされてしまいますね(笑)。私にとっては、ケータイで撮ったとしても変わらないポリシーなんですけどね。

身の周りの出来事が作品に影響することはありますか?
2015年に子どもが生まれ、去年は父が亡くなったということもあり、"繋がっていくこと"を体感した年でした。産まれたばかりで"生命の塊"みたいな子どもと、緩やかに具合が悪くなっていった父とのグラデーションは本当に鮮やかに重なっていました。「自分で自分の表現がしたい」という思いが強くて私自身のことを欲深いと思う一方で、私も生命を繋いでいく鎖のひとつなんだと思いました。息子が0歳、父が80歳。そのふたりを43歳の私が「繋いだ」という感覚があったんです。おそらく、とてつもなく大きな愛の連鎖の上にいて、昔からずっとこうした繋がりが続いてきたから今が在るのだなあと。言葉や理屈でないものを感じて納得できたのが、大きな出来事でした。こうした感覚や経験は、今後写真にも現れてくると思います。映画を製作する際にも入ってくるんじゃないかな。特に映画は写真より自分の感情が入ってしまうものなので……。

さまざまな意味で中間地点だったということですね。
偶然なのか必然なのかわかりませんが、本当にすごいなあと思いました。周りの人が健康で、仕事も順風にできている時期って宝物のような時間なんですよね。それから家族の愛について感じたり。やはり肉親でなければここまでビビッドに自分の中に入ってこなかったかもしれない。

愛によって変わったと思うことはありますか?
私は自己中心的な人間ですけど、子どものためなら何でもできると思うのです。「命をかけて守る」ってこういうことなんだと、日々母親であることの面白さを感じます。無条件の愛を知り、私自身もそれを両親から受けとっていたんだと子どもが生まれて気がつきました。
はじめは「母」になることでクリエーションに影響が出るんじゃないか、表現が丸くなるんじゃないかと怖くて。ここで満足したら終わりだって考えながら、自分に鞭打って生活していました。そのとき作っていたのが『ヘルタースケルター』です。これまでは尖った表現のものも多かったけれど、今は「可愛い!」「幸せだ!」という気持ちをいったん受け入れることにしています。どんなシチュエーションでもモノは作れるという自信がついたのかもしれません。

『ヘルタースケルター』のように、蜷川さんの作品には現代社会のなかで様々な矛盾を抱えながら暮らしている人たちの姿が描かれていますね。人の華やかな面と影の面のコントラストを強調されているのが印象的です。
すべての物事は一面的ではなく、鮮やかに見えても、その分闇が濃かったりします。いつもそう思って撮ってます。例えば、さっき話した金魚やお墓の造花もそうですが、この着色されてる花(写真を見ながら)——どうやって作るかわからないですが、本来白の花にこのような人工的な色を入れると早く枯れちゃうそうです。菊やバラといった強くて大きい花でないとこの方法は使えないそうで。その花を切り花にして花瓶に入れるとその色素が逆流して、水があっという間に真っ青になるほど、植物という生命体に負荷がかかっているんです。綺麗に見える花も、実はとんでもない虐待を受けてる。だけど、一方で青い花を見たいという人の欲求を背負っている。綺麗で可愛いという見方もあるけど、私自身はその奥に潜んでる影や闇みたいなもの、人間社会に存在する矛盾を見ているのだと思います。

個展「蜷川実花展
会場:静岡県立美術館
住所:〒422-8002 静岡市駿河区谷田53-2
会期:開催中〜3月26日
www.ninamika.com

Credits


Text Chihiro Yomono
All Images ©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

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