リジー・ボーデン監督が振り返る、幻のスペキュラティブ・カルト映画『ボーン・イン・フレイムズ』

NYの世界貿易センター爆破倒壊、警官による人種差別--1983年に完成しながらも、その後の世界を不気味なほど正確に予見していた映画『ボーン・イン・フレイムズ』。日本での初上映を記念し、この思弁的フィクションの監督リジー・ボーデンのインタビューを公開。フェミニズムの芸術性や、ジム・ジャームッシュ映画への愛憎を語る。

|
05 March 2019, 3:47am

リジー・ボーデンは生まれながらの反逆者だ。しかし、マサチューセッツ生まれの彼女が自分自身を本当の意味で受け入れられたのは、誰もが経験する不器用な十代をやり過ごし、代表作を数本発表したあとのことだった。フェミニズムやセックスワークをテーマに、数十年先の未来を予測する衝撃作『ボーン・イン・フレイムズ』を世に送り出し、1970〜80年代にかけて米国の映画制作に異を唱え続けたリジー。類まれな知性に恵まれた彼女は、自らが本当に伝えたいこと、それをもっとも効果的に伝える方法を心得ていた。

リジーが反逆の狼煙を上げたのは学生時代、名前をリンダからリジーに改名したときだ(彼女曰く「学校にリンダが多すぎた」)。彼女は自らをマサチューセッツのもうひとりの〈異端児〉、すなわち19世紀に両親を斧で殺害したリジー・ボーデンに結びつけ、リジーと名乗ることを決意した。のちに彼女は映画誌のインタビューで、改名は当時の彼女にとって「精一杯の反逆だった」と明かしている。

ロサンゼルスにいるリジーと電話がつながると、私は真っ先にこのコメントについて質問した。「思春期の反逆というより、バカにされたくないとか、両親に反抗したいっていう思いのほうが強かった」と彼女は答え、自身の発言がずっと誤解されてきたと述べた。実は、彼女がリジー・ボーデンに改名した本当の原因は、高校でのいじめだった。いかにも十代らしい、賢い方法で彼女はいじめを克服したのだ。ボーデンという名字をからかわれた彼女は、エルシー(乳製品メーカー、ボーデン社の牛のマスコット)と呼ばれ続けないために、殺人鬼と同じ名前を選んだ。

しかし、リジーの学校の記憶は今や曖昧で、子ども時代のことはほとんど覚えていないという。その代わり、彼女の驚くべき記憶力は、映画制作当時の思い出を語るさいに存分に発揮された。リジーの話を聞いていると、当時の彼女の日記を読んでいるように感じるほどだ。その作品こそが今回のインタビューのテーマ、『ボーン・イン・フレイムズ』だ。彼女が明かした本作にまつわる情報、その力強いテーマ、本作が予測した未来は、様々な点において不気味なほど正確だった。

ドキュメンタリータッチの映画『ボーン・イン・フレイムズ』に登場するのは、荒廃した陰鬱なニューヨークで活動するふたつのフェミニスト団体。両者ともラジオの海賊放送によって、それぞれの主張を発信している。饒舌なレズビアン、イサベルがパーソナリティを務める〈ラジオ・レガーザ〉と、温和なアフリカ系米国人女性ハニーが運営するライバル局〈フェニックス・ラジオ〉。彼女たちは異なる理想を掲げながらも、ともに女性を敵視する恐ろしい政権の転覆を目指し、直接的な行動を起こす。本作は長らく「政治SF映画」と呼ばれてきたが、そのテーマはフィクションと呼ぶにはあまりにもリアルだ。

この作品に対する世間の反応に、ここ数十年で変化はあったのだろうか。「すごく小規模な作品で、製作費はたったの3万ドル(当時のレートで約630万円)だった」とリジーは回想する。「挑戦的な作品といわれましたが、作中に出てくるような女性たち、つまりフェミニストの観客は受け入れてくれました」。しかし批判の声も大きかった。人種、性差別、同性愛者への偏見を包み隠さず描いた本作は、思いがけず劇場に足を運んだ保守的な観客に衝撃を与えた。「私たちが非難されたのは、この作品が政府の資金援助を受けていたから。当時は政府が援助する作品といえば映画的で美しい映像が当たり前で、血気盛んなレズビアンたちが駆け回るシーンなんてなかった。一般の観客を呼びこむにはちょっと刺激が強すぎたのかも」

政治と女性を結びつける作品は、今でこそメインストリームの文化に根付いているが、フェミニズムのイメージを変える最善の策は直接的な行動である、というリジーの持論は、当時としてはかなり大胆な考えだった。ニューヨークの彼女の監督仲間のあいだでも、映画によるアクティビズムは敬遠されていた。

「『ボーン・イン・フレイムズ』が描く政治は、同時期の作品と比べると少々過激だった」とリジーは認めている。当時映画という媒体によって、危険を冒してまで自らの主張を表明した女性は、リジーを除けば、ドキュメンタリー作家のヴィヴィアン・ディック、『Variety』監督のベティ・ゴードンだけだったという。ちょうど同じころ、ジム・ジャームッシュも同性の仲間とともに、ブルージーな雰囲気漂うニューヨークのダウンタウンを舞台に、ローキーな作品を制作していた。彼らはマンハッタンを舞台にした映画の黄金期を築いたが、リジー自身はジャームッシュ監督のファンを自称しながらも、彼らの作品のテーマには共感を覚えなかったという。「政治的でない映画には共感できなかった。彼らへのアンチテーゼとなったのが『ボーン・イン・フレイムズ』でした」

1551756990709-LizzieBorden-5_170718_101711

リジーは大胆にも台本なしで、キャストと相談しながら撮影を進めていった。大半の役にはキャストの生活をそのまま反映し、台詞もアドリブだった。「この作品には、いろんな女性の声を取り入れたかった。当時発言力をもっていたのは、『Ms.』を創刊したグロリア・スタイネムくらいだったので。私からすれば、彼女たちだって充分ブルジョワ。もっと革新的な作品がつくりたかった。出演する女性たち自身の言葉が必要だったんです」

そんな彼女の願いはついに実現した。『ボーン・イン・フレイムズ』は今やフェミニスト映画の金字塔となり、世界中の学者やシネフィルによって研究、参照されている。「この作品が現代でもこんなに共感を呼ぶなんてショックでした」とリジーは驚きを語った。「若者が熱心に観てくれて感激しています。私は議論のきっかけになる作品をつくりたかった。これはSFではなく、ひとつの〈思索〉なんです」

思索とはまさにぴったりの表現だ。『ボーン・イン・フレイムズ』は女性、特に有色人種の女性が社会でどんな扱いを受けるのか、様々な点で30年先の未来を見事に言い当てていた。リジーがそれに気づいたのは2016年、初めて本作の修復版を観たときだという。彼女は、ある女性が留置所で不可解な死を遂げるシーンと、2015年に実際に起こったサンドラ・ブランドの死亡事件を結びつけ、「当時の政治的な状況はこの映画にそっくりだった」と述べた。

1983年当時、ビジュアル・メディアはアーティストが抗議を表明する手段だった。リジーもこれを活用し、自らの主張とともに、権利を奪われた女性たちの声を伝えてきた。現代でその役割を担うのはインターネットで、誰でも手軽に意見を発信できる。リジーは過ぎ去った時代を懐かしむいっぽうで、現状もよく理解している。「SNSの登場で『ボーン・イン・フレイムズ』のような作品は不要になりました。SNSのほうがずっと早く発信できるので」。続いて彼女は映画を完成させるまでにかかった労力や時間に言及した。「あのころは、どれだけ時間がかかっても自分の道を突き進もうっていう一心だった。最近になってようやく、当時の苦労とか、本当に完成するんだろうか、って悩んだことを思い出しました」

さいわい、映画は無事に完成した。それは舞台となったニューヨークのおかげでもある。リジーに街の撮影でいちばんの思い出を尋ねると、話題はダウンタウンの混沌としたアートシーンへと移り変わっていった。「まるで開拓時代の西部みたい。誰も気にしないから好きな場所で撮影できた」と彼女は当時を振り返り、この街こそ『ボーン・イン・フレイムズ』の舞台にふさわしいと感じた理由を明かした。「何もかもめちゃくちゃだった。建物はボロボロで、そこらじゅうグラフィティだらけ」

当時のダウンタウンは荒れ果てていたが、アーティストにとっては天国だった。家賃は安価で、高層ビルが立ち並び、住民たちは互いに助け合っていた。「私が住んでいたブロードウェイのロフトに集まって、みんなで作業してた。私の部屋が溜まり場になっていたんです。BLONDIEのメンバーも来たし、ジャック・スミスがパフォーマンスをしたこともある。彼の部屋が取り壊されてしまって」と彼女は笑う。「振り返ってみると、あのころはほとんど寝てなかったかも」

しかし、30年経てばすべてが変わる。ニューヨークには再開発の波が押し寄せ、彼女が街に感じた魅力はすっかり色褪せてしまった。現在彼女が暮らすのは、ニューヨークより晴れの日が多く、ゆったりと過ごせるロサンゼルス。監督業よりも執筆に精を出している。

マンハッタンに帰りたくはないのだろうか。

「まさか! 帰りたいわけないでしょ!」とリジーは言い放ち、30年前に破格の家賃で借りていたブロードウェイのスペース、その跡地にできた豪勢なデパートについて語り始めた。街の再開発は、彼女にとって衝撃だった。「思い出のなかのニューヨークはもう存在しない」と嘆く声には哀愁が漂う。「あそこに帰るたびに懐かしさに押しつぶされそうになるから、今はあまり帰ってない。あの時代や仲間だけじゃなく、コミュニティの概念そのものが恋しくなってしまうから」

結局、リジーを反逆者たらしめたのはコミュニティだったのだ。彼女が仲間と出会わなければ、そして彼らと交わした言葉がなければ、『ボーン・イン・フレイムズ』は誕生せず、後に続く勇敢なフェミニストたちのために道を切り拓くこともなかった。彼女こそ真の先駆者だ。第一線から遠のいた今も、リジー・ボーデンが口を開けば、必ずや全世界が耳を傾けるだろう。


リジー・ボーデン監督の『ボーン・イン・フレイムズ』は、「3月女性史月間特集 Kawasaki FEMINIST FILM MONTH」にて、3月16日(土)と3月17日(日)に上映される。

■関連イベント
[フェミニズム映画講座]
日時:3月17日(日)『ボーン・イン・フレイムズ』上映後
講師:斉藤綾子(明治学院大学文学部教授)

Tagged:
feminist
born in flames
Lizzie Borden
70s NYC