2010年代を象徴するクィア映画50選

20世紀が舞台のレズビアン・ラブストーリーから、現代のハリウッドで繰り広げられるトランスジェンダーのセックスワーカーの復讐劇まで、激動のテン年代を代表する50本のクィア映画を紹介。

by Douglas Greenwood; translated by Nozomi Otaki
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04 February 2021, 5:46am

10年というのは、かなり長い期間だ。大統領が何度か交代し、あらゆる業界が新たな消費のあり方に順応し、かつて政界でほぼ注目されていなかった地球が死にかけているというニュースは、現代でもっとも重要で意欲的なムーブメントへと発展していった。しかし、なかにはほとんど変わってないコミュニティもある。何十年も闘い続け、スポットライトの当たる瞬間を待ち続けている……。それが映画におけるクィアの表象だ。クィア表象にとって、テン年代はまさに転換期だった。ヘテロノーマティブな主役のおまけとして登場するクィアのラブストーリー、トランスの身体の不適切な描写、クィアのキャラクターを過度に性的に描いたり安っぽいジョークのネタにするシーンが、やっと見直されはじめたのだ。

 スクリーンに登場するキャラクターが、ようやく現実世界の生活を表象するようになった。クィアの映像作家にスポットライトが当たり、クィアの俳優たちも何十年も奪われ続けてきた役柄を演じられるようになった。その変化を祝し、i-D編集部がテン年代を象徴するクィア映画50作を選出。トップ10は過去10年で上映された傑作をカウントダウン形式で発表するが、他の40作は順不同だ。順位にかかわらず、一見の価値ある珠玉の作品が揃っている。

God's Own Country Queer Cinema
God's Own Country, courtesy of Picturehouse Entertainment

50. ゴッズ・オウン・カントリー(2017)

現代の英国映画史に燦然と輝く本作。セクシュアリティを隠している農業従事者と移民の羊飼いの静かなラブストーリーは、ゲイのストーリーテリング復興期における重要作のひとつとして広く認められている。2017年のサンダンス映画祭で『君の名前で僕を呼んで』や『ブルックリンの片隅で』とともに上映され、フランシス・リーは華々しい長編映画監督デビューを飾り、Netflixドラマシリーズ『ザ・クラウン』で知られる主演のジョシュ・オコナーとともに高い評価を受けた。

49. They(2017)

アートハウス界隈の外でアナヒタ・ギャナヴィニザデの名前を耳にする機会はほとんどないが、クィアの視点から語られる、彼女の静謐で巧みなストーリーテリングの才能は本物だ。『トップ・オブ・ザ・レイク』のジェーン・キャンピオンがエグゼクティブプロデューサーを務めた2017年のアナヒタのデビュー作『They』(原題)は、二次性徴抑制療法を受けているノンバイナリーのティーンエイジャーが、身体的な性別移行(トランジション)を進めるべきか迷う姿を追う。アイデンティティ、家族、迷ってばかりの生き方を優しい眼差しで見つめる穏やかな作品だ。

 48. Kiki(2016)

ジェニー・リビングストンが90年代のボール文化の形成期をとらえた傑作『パリ、夜は眠らない。』で、謎めいた華やかなキャラクターがハーレムのアップタウンのボールルームを闊歩してから30年。その姉妹作とも呼ぶべきなのがこの『Kiki』(原題)だ。クリストファーストリートの桟橋を中心に、ホームレス、セクシュアリティ、HIVなどさまざまな悩みを抱えるNYの非白人クィアの若者を追う本作は、批評家からも絶賛を浴び、2016年のベルリン国際映画祭でテディ賞を受賞した。

 47. ラフィキ:ふたりの夢(2018)

現代において、『ラフィキ』ほど波紋を呼んだクィア作品は少ないだろう。2018年のカンヌ国際映画祭で上映され、ナイロビを舞台に愛を育んでいくふたりの女性を描いた本作は、同性愛を歓迎しない社会で壁を乗り越え(本作はケニアで上映を禁止されるも、その後解禁された)、多くの観客の心を掴んだ。それは本作が陳腐なクィア描写を超え、初恋の機微を完璧に捉えた物語へと昇華しているからに他ならない。主演のサマンサ・ムガシアとシェイラ・ムニヴァは、繊細な演技で一躍脚光を浴びた。

 46. あの子は私の初恋(2015)

あの『ブックスマート』がLAの高校を舞台にエネルギッシュなクィア映画として大成功を収める前、ケレム・サンガの『あの子は私の初恋』は、思春期に恋に落ちるとはどういうことか、その悲しく複雑な想いを描いていた。

Miseducation Cameron Post Queer
The Miseducation of Cameron Post, courtesy of Vertigo Releasing

45. ミスエデュケーション(2017)

同性愛矯正キャンプで宗教教育に抵抗する少女を描いた、エミリー・ダンフォースのデビュー作。その同名小説を映像化した本作は、デジレー・アカヴァン監督の手によって深く胸を打つ、思いやりに溢れた映画となった。クロエ・グレース・モレッツが主役を、『アメリカン・ハニー』のサーシャ・レーンがキャンプで彼女の頼れる友人となる少女を演じた。信じる相手から自分の存在を疑われるとはどういうことか、その裡なる葛藤を描いた傑作だ。

 44. Girl/ガール(2018)

 カンヌ国際映画祭で観客から絶賛されたものの、公開後は批判を浴びた本作。ベルギーのルーカス・ドン監督の長編デビュー作は、バレリーナを夢見ながら、性別適合手術の準備を進めるトランスジェンダーの少女、ララを追う。彼女はレッスンのたびに増えていく傷や水ぶくれと格闘しながら、性別違和やトランスフォビアにも向き合わなければならない。クィアの批評家には、他の数多のトランスの物語と同様、悲惨な面ばかりにフォーカスしていると非難されたいっぽうで、主人公のモデルとなったバレエダンサー、ノラ・モンセクールは、本作を擁護する発言をしている。

 43. アクトレス 女たちの舞台

オリヴィエ・アサイヤス監督の作品は、物語の本筋とは関係のない部分でクィアフレンドリーなことが多い。強い女性を主役に据えた、他とは一線を画するストーリーテリング、キャスティング(特にみんな大好きクリステン・スチュワート!)が、そのステータスを確固たるものにしている。しかし、本作『アクトレス 女たちの舞台』は、紛れもなくレズビアンの物語を中心に据えている。この爆竹のような作品で、ゲイアイコンのジュリエット・ビノシュが、出世作となった戯曲に再出演することになった大女優を演じる。実生活でも苦境に立たされた彼女は、徐々にクリステン演じるアシスタントに惹かれていく……。芽生えたばかりの女性同士の関係性を描く物語。

 42. ソーリー・エンジェル(2018)

静かな駐車場の片隅で、セックスとつながりを求めてふたつの身体が踊る……。クリストフ・オノレ監督の知る人ぞ知る名作『ソーリー・エンジェル』のなかで最もパワフルで美しいこのシーンは、みだらな行為をアートへと昇華している。それこそオノレが得意とするところであり、本作でもその才能を遺憾なく発揮している。中年に差し掛かったHIV陽性の男性が、年下のアーティスティックな学生を親交を深めていくストーリーは『君の名前で僕を呼んで』を彷彿とさせるが、それは本作が史実を取り入れず、時代設定をエイズ危機の前にしていればの話だ。過小評価されているものの、物憂げで記憶に残る本作は、現代のクィア映画史を語るには欠かせない1本だ。

41. ナチュラルウーマン(2017)

女性が最も愛する人を亡くしたとき、何が起こるのだろう。普通は嘆き悲しむだろうが、ダニエラ・ベガ演じる本作のトランスの主人公は、恋人の死をきっかけに、自らの身体と存在を見つめ直すようになる。年老いたパートナーと死に別れたトランス女性が、トランスジェンダーへの偏見に満ちた彼の家族と闘い、尊厳を勝ち取るまでを描いたこのセバスティアン・レリオ監督作は、アカデミー外国語映画賞を受賞。チリ政府にトランスの人びとのジェンダーアイデンティティを認めさせるに至り、芸術は現実を変えられるのだということを証明した。

Laurence Anyways Queer
Laurence Anyways, Courtesy of Network Releasing

40. わたしはロランス(2012)

あるカップルの10年をドキュメンタリー調に描く、グザヴィエ・ドラン監督の約3時間に及ぶ大作『わたしはロランス』は、彼が自信を持って独自のスタイルを打ち出した最初の作品といえるだろう。 主人公のロランスは、恋人のフレッドと暮らす聡明な作家。ある日、ロランスがトランジションを決意したことをきっかけに、ふたりの関係に大きな亀裂が生まれていく。クィア映画を代表する壮大な意欲作。

39. 17歳にもなると(2016)

アンドレ・テシネと現代フランスを代表する脚本家セリーヌ・シアマの強力タッグが手がけた陰の名作。クィアネスを真っ向から描くというよりは、青春映画と呼ぶべき作品だ。高校で衝突を繰り返していたが、ある日突然同じ屋根の下で暮らすことになる十代の青年たち。お互いへの敵意はすぐに破綻した人生を送ってきたことへの称賛へと変わり、本作の隠れたテーマであるクィアの物語が巧みに展開されていく。

38. 傷(2017)

コサ人のコミュニティでは、十代の少年は大人としての人生の歩み方や一家の大黒柱となるすべを学ぶ伝統的な巡礼を通して、初めて成人として認められる。本作はその過程を追いながら、ふたりの青年が攻撃的なまでに異性愛規範を強要される場で恋に落ちるさまを描く。悲痛なストーリーのなかで、主演のシンガー/アーティストのNakhaneの見事な演技が光る。

37. ダンサー そして私たちは踊った(2019)

ジョージアの国立舞踊団で、若く機敏なダンサーは新たに入団した青年に惹かれていく。伝統舞踊のマッチョイズムと羽のような軽やかさのあいだで揺れる主人公。その後に待ち受ける展開は、ありふれた若いゲイのラブストーリーを軽々と飛び越えていく。同性愛が禁じられた場所でのクィアの初恋を、繊細かつ鮮やかに映し出す本作。ジョージアでのプレミア試写は抗議によって中止になったが、今も世界中の観客を魅了し続けている。

36. 彼の見つめる先に(2014)

ブラジル、サンパウロの高校で自立を目指す盲目の少年レオ。そんな彼の物語は2014年、世界中の映画祭で絶賛を浴びた。街に越してきたばかりのハンサムな少年、ガブリエルと友情を深めていくレオ。先の展開は読めてしまうが、揺るぎない自信に満ちたストーリーテリングに魅入られずにはいられない。サウンドトラックもボウイの「Modern Love」からBELLE & SEBASTIANまで名曲揃いで、耳にも心地よいラブストーリーだ。

Beach Rats
Beach Rats, courtesy of Peccadillo Pictures

35. ブルックリンの片隅で(2017)

ブルックリン郊外のビーチで繰り広げられる狂乱のカーニバルの光が、親友たちの溢れんばかりの男性ホルモンにあてられたフランキーの顔を照らす。自身のセクシュアリティを模索する彼は、女性の恋人ができても、夜な夜な同性愛者向けのチャットルームを開いてはセックスの相手となる地元の男性を探し続ける……。セクシュアリティの悩みを複雑かつ美しく描く本作は、エリザ・ヒットマン監督と英国俳優ハリス・ディキンソンというふたりのスターを生み出した。

 34. 追憶と、踊りながら(2014)

文化、伝統、言語の境界線がぼやけていく……。ベン・ウィショー主演の切なさにあふれた作品だ。息子のカイを喪い悲しみにくれる中国人の初老の女性。介護ホームで暮らす彼女を唯一慰めてくれるのは、カイの仲間で、晩年の息子の時間をほぼ独占していたことを苦々しく思っていた相手、リチャードだった。彼女は知らないが、リチャードとカイは恋人同士だったのだ。90分間で、追憶と寛大な心で相手を受け入れるまでの物語がゆっくりと紡がれる。

33. 女王陛下のお気に入り(2018)

ヨルゴス・ランティモス監督作のなかでも最も不条理な1本。18世紀を舞台に、療養中の垢抜けない女王の愛情を勝ち取るべく競い合うふたりの女性の物語は、クィアネスをユーモアのツールとして用い、それに成功した数少ない作品のひとつだ。このアカデミー受賞作を傑作たらしめるのは次の4つ。ランティモスの奇妙な映像演出、正装に身を包んだオリヴィア・コールマンの〈女王様〉としての魅力、レイチェル・ワイズの明らかにクィアなエネルギー、ふたりの「Gay rights(同性愛者に権利を)」というコメントだ。

32. End of the Century(2019)

想像してみてほしい。偶然出会い、恋に落ちた相手が、昔好きだった相手と同一人物だったら? それが本作のあらすじだ。バルセロナを舞台に、21世紀のゲイのラブストーリーが、アンドリュー・ヘイ監督作『WEEKEND ウィークエンド』のようなトーンで映し出される。ヘイ監督の作品は基本的にクィア描写は薄めだが、本作は紛れもなくエロティックだ。セクシーかつモダンで、2019年のクィアネスの多様さを自覚的に描いている。

31. アリーケの詩(2011)

『ムーンライト』がブラッククィア映画のお手本となる6年前、『マッドバウンド 哀しき友情』のディー・リース監督はブルックリンのレズビアンを描く繊細な作品を世に送り出していた。半自伝的な本作は、コミュニティの奥深くに根付いた想いが時とともに表面化し、そこからぎこちないながらも嬉しい出会いが生まれ、かと思えば家族だと思っていた存在から予想外の反応が返ってくる様子を描く。クィアの人生は決して平坦ではない。誠実さに根ざす本作は、クィアとして生きるとはどういうものか、その現実に深く切り込んでいる。

Bambi Documentary
Bambi, courtesy of Epicentre Films

30. Bambi(2013)

セバスチャン・リフシッツ監督は、社会の周縁にいるクィアの人びとの物語を語ることに人生を捧げている。2013年のドキュメンタリー『Bambi』では、アルジェリア生まれのスターで、フランスの伝説のキャバレー〈Carrousel de Paris〉の舞台に20年間立ち続けたトランスジェンダーのショーガール、マリー・ピエール・プリュヴォーにカメラを向けた。現在は普通の生活(退職前は大学講師を務めていた)に戻ったスターの慈愛に満ちたポートレートは、ベルリン国際映画祭でテディ賞ドキュメンタリー部門を受賞後、フランスでテレビ放送された。

 29. プリンセス・シド(2017)

家族とセクシュアリティは、ずっと映画における普遍的なテーマであり続けてきたが、それは問題の解決や理解ではなく、トラブルの元として描かれてきた。しかし、本作『プリンセス・シド』では、そのイメージは根底から覆されている。主人公は親から見放された十代の少女。彼女は自立した生活を送る独身の叔母とひと夏を過ごすことになる。当初は堅苦しかったふたりの会話は、徐々に親密なものへと変わっていき、彼女は自分の中に芽生えたばかりのクィアネスやセクシュアリティについて存分に話し合えるリベラルな相手と、母親がなくなって以来初めての関係性を築くことになる。クィアネスの物語はトラウマと結びつけられがちだが、本作はそれを通して共感も得られるのだということを思い出させてくれる。

28. 52チューズデイ(2014)

タイトルが示す通り、実際に1年かけて毎週火曜日に撮影されたこの青春映画は、両親の離婚後、母親とオーストラリアの田舎で暮らす16歳の少女ビリーの姿を追う。ある日彼女が学校から帰宅すると、母親から性転換を決意したこと、これからはジェーンではなくジェームズとして生きていくことを告げられる。家族の絆と犠牲、自分が望む身体で生きることの美しさを描く作品だ。

27. Kate Bornstein is a Queer & Pleasant Danger(2014)

トランスの映像作家/アーティストのサム・フェーダーによるこのドキュメンタリーは、世界中のクエスチョニング(※ジェンダーや性的指向を探している状態)の若者の心の拠り所であり続けてきた、ジェンダー・ノンコンフォーミングのアーティスト/脚本家/アクティビストのケイト・ボーンスタインの人生とその影響を追う。彼らに共通するトランジションの体験をもとに、弱い立場にある人びとに計り知れない影響を与えてきた人物を讃える意欲作。

26. たかが世界の終わり(2016)

グザヴィエ・ドラン監督作のなかで見落とされがちな本作は、ゲイ男性が実家に戻り、母親、きょうだい、義姉に自分がもうすぐ死ぬと伝える家族の食卓へと観客を誘う。しかし、感動的な最後の再会となるはずだった食事会は、彼らがこれまで一度も解決できなかった確執によって台無しになってしまう。劇中にクィアなストーリーラインはほとんどなく、主人公の最初の彼氏が「Dragostea din Tei」をバックに寝室の窓によじ登る2分ほどの回想シーンだけだが、現代を代表する若きゲイの映画監督が贈る本作は、彼の最高傑作のひとつといえる。

Eastern Boys
Eastern Boys, courtesy of Peccadillo Pictures

25. イースタン・ボーイズ

名作『BPM ビート・パー・ミニット』でクィア映画界に衝撃を与える4年前、ロビン・カンピヨ監督はすでに本作でヴェネツィア国際映画祭でオリゾンティ部門の最高賞を受賞していた。若い男娼のたった一度の逢瀬が、ある中年男性の未来を思わぬ方向へ導いていく。抑圧されたホモセクシュアリティ と意外な場面でのカタルシスを描く甘く切ない本作は、世界中の気鋭のクィア映像作家に影響を与え続ける監督の作品のなかでも、必見の1本だ。

24. Call Me Kuchu(2012)

2010年、ウガンダのタブロイド紙は、すべての同性愛者の裁判と処刑を要求する記事に、LGBT人権活動家デイビッド・カトの写真を掲載した。その1年後、彼は殺害された。本作の出発点となったのがこの事件だ。『Call Me Kuchu』は、同性愛によって極刑を課される恐れもある国ウガンダにおけるクィアの現状を描くドキュメンタリー。低予算で製作され、現実に起こっていることの恐ろしさ、自分の国に存在しているだけで犯罪者にされることがいかに悲痛な体験なのかをありありと映し出している。

23. Mapplethorpe: Look at the Pictures(2016)

あらゆるクィアアートに共通するのは、ヘテロノーマティブな構造に対する抵抗だ。しかし、写真家のロバート・メイプルソープの場合、それは中指を突き立てた壮大な〈ファック・ユー〉だった。

サンダンス映画祭で上映されたこのドキュメンタリーは、メイプルソープが体現するものを決して薄めたりはしない。彼の代表作の拡大された性器も、サディズムやマゾヒズムも、そのまま映し出される。曖昧さを拒絶することで、米国においてクィアな写真表現の一時代を築いた男の生涯を讃える作品。

22. Theo et Hugo dans le même bateau(2016)

パリの同性愛者のセックスクラブでふたりの男性が出会い、愛し合ったことをきっかけに、互いの人生に深く関わり始めるまでを描く、汗にまみれたディープな作品。つかの間で終わるはずだった逢瀬が夜を越え朝まで続いていく、その97分間をリアルタイムで切り取る本作は、誰かに自分のすべてを捧げるとはどういうことか、そしてそこには必ずリスクが伴うことを描く、いまだかつて観たことのないセンセーショナルな1本だ。

21. ロニートとエスティ 彼女たちの選択(2017)

ノースロンドンの郊外で、惹かれ合った若いユダヤ教徒の女性たち。しかしすぐにコミュニティによって仲を引き裂かれ、ふたりは別々の道を歩むことになる。セバスティアン・レリオ監督による本作は、彼女たちの関係や家族、大人になったふたりの道が再び交差するまで、彼女たちが歩む数十年を追う。これもまたレイチェル・ワイズのクィア映画出演作として必見の1本だ。

How to Survive a Pague
How to Survive a Plague, courtesy of PBS

 

20. How to Survive a Plague(2012)

『BPM』がエイズ活動家団体ACT UPのパリでの活動を包み隠さず語る5年前、この米国の意欲的なドキュメンタリーは、自らや友人たちを救うために米食品医薬品局(FDA)と戦った勇敢なクィアの人びとの姿を描いていた。当時の米国の薬物連邦取締機関は、HIVの感染拡大を食い止める手立てがあったにもかかわらず、それを実行に移すことはしなかった。LGBTQ+の歴史において極めて重要な時期を振り返るこの衝撃作は、私たちが歩んできた軌跡、そしてこの先に待ち構える険しい道のりを示している。

19. VIVA(2015)

クィアを自認する人びとにとって、自分のアイデンティティを受け入れることは、この先に待ち受ける数々の難関のうちの最初の第一歩だ。夜な夜なドラァグクイーンに囲まれて過ごすハバナ出身の若い美容師は、自分もクイーンになってみたい、と考えるようになる。しかし彼のステージデビューは、帰郷した父親が彼の活動に困惑し、反対したことで、延期になってしまう。ホラー作品で知られるアイルランド人監督パディ・ブレスナックによる、情熱的で魂を揺さぶる作品。

18. Love, サイモン 17歳の告白(2018)

20世紀フォックスがLGBTQ+映画史上最高額となる制作費1700万ドル(約17億5000万円)を費し、カルト的人気を誇るクィアのティーンノベルを映画化すると発表したとき、当然のことながらLGBTQ+コミュニティは少し身構えていた。しかし、ニック・ロビンソンを主役に据えた、やや語り尽くされた感のあるこの青春ドラマは、決して非の打ち所がないとはいえないものの、現代においてもシネコンの上映作品にはほぼ登場することのないコミュニティにとっては、非常に大きな意味を持つ作品だった。本作を観て涙しないとしたら、その人の心は石でできているに違いない。

 17. VITO/ヴィト(2011)

2011年、GLAADメディア賞最優秀ドキュメンタリー受賞作。ゲイ・プライド運動の中心人物ヴィト・ルッソに捧げられた本作は、ニューヨーク映画祭でプレミア上映されるやいなや観客に絶賛された。ストーンウォールの反乱をきっかけに、あまりにも短い生涯を同性愛者の権利獲得に捧げた作家/アクティビストの半生を描く。プライド運動最盛期の日常を知りたい人には必見の1本。

 16. アデル、ブルーは熱い色(2013)

アブデラティフ・ケシシュ監督による、ブルーの髪の女性と彼女にひと目で恋に落ちたティーンエイジャーの長編ラブストーリーは、テン年代のクィア映画復興の発端となった作品といえるだろう。しかし、本作はスクリーンの内外で議論を呼んだ作品でもある。見事な演技をみせたレア・セドゥと本作で一躍脚光を浴びたアデル・エグザルコプロスは、かの有名な12分間のラブシーンの何日にもわたる撮影に疲労困憊したと訴え、クィア女性たちはセックスシーンの行為が間違っていると指摘した。それでも、監督と(それ以上に賞賛に値するべき)主演女優たちがパルムドールを受賞した本作は、スキャンダルも含めて歴史に残るクィア映画であることは確かだ。

Sauvage
Sauvage, courtesy of Peccadillo Pictures

15. ソヴァージュ(2018)

セックスワークとそれに携わる人びとの複雑な関係を描いた作品。『BPM』のフェリックス・マリトーが繊細に演じた主人公は薬物依存症で、この業界から抜け出したいものの、セックスワークなしの生活をいまいち思い描けずにいる。公開後は批評家からも絶賛され、フェリックスはカンヌ国際映画祭でライジングスター賞を受賞した。

 14. 鳥類学者(2016)

LGBTQ+コミュニティへの長年にわたる抑圧を鑑みれば、宗教的な寓話がクィアの映画監督によって弄ばれる格好の的となるのも無理はない。監督の言葉を借りれば、本作は聖パドヴァのアントニオの逸話の「冒とく的な翻案」。ある鳥類学者がポルトガルの自然で体験する冒険を描く。彼はそこで出会ったふたりの観光客に人質として捕らえられ、イエスと呼ばれるヤギ飼いと一瞬の情事に耽る。深遠で難解だが、そのパワーに身を委ねることさえできれば一見の価値ある、現代のクィア映画を代表する作品だ。

 13. WEEKEND ウィークエンド(2011)

『荒野にて』でクロエ・セヴィニーを若い騎手に変身させ、『さざなみ』で高齢者のラブストーリーを描く前、英国の映画監督アンドリュー・ヘイは、ふたりのゲイ男性を取り巻く稀有な物語でブレイクを果たした。彼らの出会いは、本人たちの想像以上に互いの人生を大きく変えていく。思いも寄らないかたちで愛が訪れるさまを既存の枠にとらわれずに描く、無駄を削ぎ落とした意義深い作品。

12. マックイーン:モードの反逆児(2018)

ファッションにまつわるドキュメンタリーは、物事を俯瞰的に照らす光のように気まぐれなことが多い。しかし、ラグジュアリーファッションの伝統を打ち砕き、その残骸から数々の傑作を生んだ男の人生を描いたイアン・ボノート/ピーター・エテッドギー監督作『マックイーン:モードの反逆児』は違う。マックイーンのスタイルの反逆を素早く振り返ると同時に、葛藤に満ちた人生を送ったクィアのアクティビストに肉薄する本作は、ファッション界の異端児に捧げられる魂を揺さぶる1本だ。

 11. ハンパな私じゃダメかしら?(2014)

前述の『ミスエデュケーション』に続くデジリー・アッカヴァンの監督・脚本作。本作では彼女自身が主演も務めている。バイセクシュアルであることを隠している女性のニューヨークでのシングルライフを追う、皮肉な笑いに満ちたロマンティックコメディ。元恋人のアパートから引っ越したばかりの主人公シリーン(彼女の両親は友人とのルームシェアだと思っていた)は、大都会の荒波に揉まれながら、カミングアウトについて考えはじめる。クィア映画史に名を連ねるにふさわしい、デジリーの揺るぎない才能を証明する洗練された作品だ。

10. 私はあなたのニグロではない(2016)

さまざまなマイノリティ要素を併せ持つ人びとのなかで先駆的な存在である小説家/アクティビストジェイムズ・ボールドウィン(彼自身は労働者階級が暮らすハーレムで育ったゲイの黒人男性)の作品は、多くの点でクィア文化史において重要な作品であり続けている。彼の作品は、自身の(複数の)アイデンティティを題材にしていることが多い。『ジョヴァンニの部屋』は、これまでに出版されたクィアのラブストーリーのなかで最も優れた自然な作品と称されている。本作『私はあなたのニグロではない』はボールドウィンの人生をすべて網羅しているわけではないが、彼の未完の原稿『Remember This House』を下敷きにしている。彼が親しい友人であるメドガー・エヴァース、キング牧師、マルコムXの暗殺、そして彼らの死が米国のブラックカルチャーに与えた連鎖反応について綴った作品だ。れっきとしたクィア映画とはいえないかもしれないが、米国文化を代表する人物の芸術的、政治的な力をひも解く本作は、セクシュアリティ、ジェンダー、人種に関わらず、あらゆる人びとにとって一見の価値ある作品だ。

9. トムボーイ(2011)

このリストに3度名前が登場するのは、セリーヌ・シアマ監督だけだ。彼女は15年に及ぶキャリアにおいて、クィアの若者が体験する成長とはどのようなものかを、同年代のどの監督よりも巧みに描いているといえるだろう。彼女の作品は純粋だが、決して綺麗な部分ばかりに焦点を当てるわけではない。深い理解を示しながらも、決して説教くさくなることはない。『トムボーイ』は、夏のパリに引っ越したジェンダーノンコンフォーミングの10歳の主人公ロールが、ミッシェルという子どもとして新たな生活を始める様子を追う。この主人公の試みによって、予想外の友情や自らの身体の変化との付き合いなど、興味深いストーリーが展開する。しかし、物語の結末でミッシェルが学ぶのは、本人が望みさえすればジェンダーは流動的なものになりうるということの大切さだ。人生が淀みなく流れ続けるように、私たちが何者なのかという決断も絶えず変化し続けるのだ。

8. 湖の見知らぬ男(2013)

HIVやエイズの脅威は、映画において大げさに描かれがちだ。つかの間の出会いが死との戯れとして表現される。しかしアラン・ギロディ監督による本作では、危険の根源はより官能的なものとして描かれる。日常の喧騒から切り離され、フランスの大自然に囲まれた湖畔と森は、ハッテン場へと姿を変える。抱き合い、性行為に耽る男たち。彼らを意味ありげな目つきで眺める通行人。そんな場所で、主人公のフランクはハンサムなミシェルに出会う。彼こそが、その近辺で連続しているゲイ男性の失踪事件に関与していると、ハッテン場を訪れるクィア男性たちに噂されている人物だった。しかしフランクの欲望はミシェルの残忍な本性による脅威すらも凌駕し、暴力的で一触即発のラブストーリーが繰り広げられる。ヒッチコックが撮ったLGBTQ+映画、というような雰囲気の作品だ。

7. タンジェリン(2015)

型破りなフォーマットが革新的な映像制作というより一種のジョークとみなされる時代につくられたのが、このショーン・ベイカー監督による『タンジェリン』だ。低予算のためiPhone 5sで撮影され、ベイカー監督のブレイクのきっかけとなった本作の主役は、シン・ディとアレクサンドラというトランスジェンダーのセックスワーカーたち。クリスマスイブ、出所間もないシン・ディはアレクサンドラと協力して、彼女の留守中に浮気をしていたポン引きの恋人を探し回る。そして始まるのがハリウッド全体を巻き込んだ、恋人に報いを受けさせるためのいたちごっこだ。ヘテロノーマティブな白人監督が撮る映画は、往々にしてクィアネスを諍いの原因として描きがちだが、ベイカー監督はトランス同士のシスターフッドのユーモアやその大切さを、他の監督は決して及ばない見事な手腕で表現している。また、本作はこの痛烈ながらきらめくようなストーリーをベテラン俳優のように演じ切ったキタナ・キキ・ロドリゲスとマイヤ・テイラーという奇跡的なスターを誕生させた。

6. 燃ゆる女の肖像(2019)

名作ロマンス映画とは、表面上は穏やかだがその下に煮えたぎるような欲望を秘めているもの。このリストに2回目のエントリーとなるセリーヌ・シアマ監督は、本作で時代劇にありがちなやたら感傷的な面を一切排除し、誇り高い女性の完璧なストーリーをつくりあげた。舞台は18世紀、見ず知らずの求婚者との結婚を拒み続けている主人公のエロイーズ。フランス北部の海沿いに立つ彼女の家を訪れた画家は、ひとりとして(求婚者に彼女の美しさを示すための)肖像画を完成させることはできなかった。そんなある日、マリアンヌという女性が現れる。彼女はエロイーズの散歩の相手役を装って密かに肖像画を完成させるが、それはエロイーズの美しさのなかでも最も控えめで目立たない部分を描いたものだった。ふたりは次第に距離を縮めていき、機知に富んだ、ゆったりとしたラブストーリーが繰り広げられる。どのシーンも素晴らしいが、特に最後の5分間はこの10年の映画のなかで最も心揺さぶる場面といえるだろう。

5. お嬢さん(2016)

長きにわたって人間の残虐さや狡猾さを容赦なく描いてきたパク・チャヌク監督。それは『オールド・ボーイ』でありありと描かれ、10年後の『イノセント・ガーデン』では倒錯したエロティシズムをもって歪曲して表現された。

しかしサラ・ウォーターズの小説『荊の城』に基づく三部構成の『お嬢さん』では、騙し合い、セックス、クィアネスが完璧に調和している。原作の舞台はイングランドだが、本作の舞台は1930年代の日本統治時代の朝鮮。スリとして貧しい生活を送る少女スッキは、詐欺師の伯爵の計らいである裕福な一家の侍女となったことで人生が一変する。彼女の役目は、若い遺産相続人である秀子を遺産から引き離すことだった。

複雑な三角関係が織りなすサイコスリラーは、本作の2年前に公開された『アデル、ブルーは熱い色』にはない、新たな視点からのレズビアンセックスを描いている。クィア映画の模範となるだけでなく、映画としても圧倒的な完成度を誇る作品だ。

4. 君の名前で僕を呼んで(2017)

あまりにも影響力が大きい作品は、後世になってもそれが文化に与えた影響の全貌を計りかねる場合がある。それがアート系クィア映画の枠を越え、ポップカルチャーにおいても分析、賞賛されている紛れもない傑作『君の名前で僕を呼んで』だ。ご存知の通り、本作の舞台は1980年代の真夏の北イタリア。一家の広大な屋敷で暇を持て余している17歳の米国人の青年エリオは、楽譜を読んだり湖で泳いだりして日々をやり過ごしていた。そこに到着したのが彼の父親の助手、オリヴァー。そんなふたりの気怠く、のびのびとしたロマンスが描かれる。メランコリーに浸る映画のサブジャンルにとって、ルカ・グァダニーノ監督が理想を追求したこの現代の傑作は素晴らしい贈り物だった。この先もクィアネスのポジティブな面の象徴となるであろう作品だ。

3. キャロル(2015)

パトリシア・ハイスミスが〈レズビアン作家〉とレッテルを貼られることを恐れ、別名義で小説『The Price of Salt』を発表したのは1952年のこと。本作のインスピレーション源となったのは、米国の百貨店ブルーミングデールズのおもちゃ売り場でアルバイトをしていた彼女が体験した、ミンクのコートを着た女性が来店し、彼女から人形を買い、去っていた、という出来事だった。この女性こそが、キャロル・エアードのモデルとなった女性だ。パトリシアは、本作の主人公で彼女の恋人であるテレーズ・ベリベットになりきる。1950年代のニューヨークを舞台に、この小説を映像化した『キャロル』(脚本はパトリシアの親友フィリス・ナジーが担当)は、クリエイティブ業界においても広く傑作とみなされている。ケイト・ブランシェット扮する魅力的で心優しく力強いキャラクター、キャロルは夫との単調で虚しい生活に背を向け、(ルーニー・マーラが淑やかに、かつ巧みに演じ切った)テレーズと逃避行へ繰り出す。アメリカン・ドリーム最盛期の米国を舞台に、本作はクィアのラブストーリーに当てはめられがちな希望のない展開を逆手に取り、衝突もあれば和解や解決もあるのだということを証明した。監督のトッド・ヘインズと撮影監督のエドワード・ラックマンが映し出す、優しさに満ちた世界。舞い落ちる初雪が目に浮かぶような、カーター・バーウェルによる繊細な音楽。魅惑的で、どこまでも純粋な、非の打ち所がない作品だ。

2. BPM ビート・パー・ミニット(2017)

1980年代から1990年代にかけて、フランスのLGBTQ+コミュニティはあらゆる機関、政府、製薬会社にHIV/エイズによって数十万人が犠牲になっている事実を認めさせるべく、熾烈な闘いを繰り広げていた。なかでも有名なのが、この事実を断固として認めない人びとのせいでHIVの脅威に晒されるクィアを守るため、世界各地でダイ・インや抗議を行なっていた国際団体ACT UPだ。ロバン・カンピヨ監督による痛烈で躍動感あふれる本作の主役は、ACT UP Parisに所属するふたりの青年。1990年、団体に加わったばかりのHIV陰性のナタンは、長らく活動を続けていたHIV陽性のショーンとの出会いをきっかけに、この闘いに身を投じていく。ふたりはパリのクラブシーン(本作の原題『120 BPM』は心拍数とハウス・ミュージックのビートの速さを意味する)に現実逃避を求め、迫害や死が日常茶飯事だった時代をクィアとして生きる現実に立ち向かっていく。クィアネスを祝福する反面、暴力に惹かれていく人間の暗部を暴いた本作は、カンピヨ監督の鋭い洞察力を持つ優秀なクィア映画監督としての地位を確固たるものにすると同時に、ナウエル・ペレーズ・ビスカヤートとアーノード・ヴァロワという新たなスターを生み出した。この10年のクィア映画史を振り返っても類例がないほど、真に迫る生命力に満ちた作品だ。

1. ムーンライト(2016)

ごくまれに、時を超えて広がり続ける映画というものがある。その作品を観るひとが際限なく増え続けるのだ。そういう意味で、バリー・ジェンキンス監督の『ムーンライト』は素晴らしい人生の教訓を与えてくれる。ニューヨーク・タイムズ紙の映画評論家A・O・スコットは、それを「無限のつながり」と呼んだ。すなわち、『ムーンライト』は私たちを無限の愛のループで繋ぐ、単なる映画にとどまらない作品なのだ。
ひとりの人物の物語を、リトルという少年期、シャロンというティーンエイジャー期、ブラックという成人期の3つの章から描く本作。タレル・アルヴィン・マクレイニーの戯曲『In Moonlight Black Boys Look Blue』に基づくこの物語は、クィアネスとブラック・アイデンティティが交差する個人のストーリーとみなすこともできる。

この映画を〈普遍的〉と形容するのは野暮な気もするだが(本作は決して説教じみてはいない。誰もがいつかは耳を傾けなければならない真実へと静かに導いてくれるだけだ)、交差するアイデンティティ、そして自分の存在はこの社会全般より遥かに複雑だと知りながら育つことを多層的かつ難解にしすぎずに描いている。どの章においても、シャロンは自分とはアイデンティティの構成要素が異なるものの、似たような葛藤を抱える人物に出会う。彼を育てた母親は薬物依存症で、彼を守ってくれたフアンは近所の麻薬取引を独占する男だった。それにもかかわらず、シャロンは泳ぎ方から学校のいじめっ子への立ち向かい方、人生で道を切り拓き、どうでもいい人たちを無視する方法まで、フランから多くを学ぶ。『ムーンライト』は本質的にクィアだが、それ以上に示唆に富んだ作品だ。多くの人びとが触れることのない体験へと観客を優しく誘い、理解へと導いてくれる。誰も抗えない圧倒的な魅力を放つ、この唯一無二の傑作は、まさにテン年代の映像制作を定義づけるにふさわしい。

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