Photography Douglas Coupland via Somerset House

私たちはもう、スマホを切れない? 不眠不休文化と資本主義のうんざりする関係

サマセット・ハウスで開催中の企画展「24/7: a wake up call for our non-stop world」で探る、私たちが〈ログアウト〉できない本当の理由。

by Moya Lothian-McLean; translated by Ai Nakayama
|
13 February 2020, 6:35am

Photography Douglas Coupland via Somerset House

サマセット・ハウスの冬の企画展「24/7: a wake up call for our non-stop world」を訪れたひとびとが最初に体験するのは、つかの間の〈盲目〉だ。エントランスに設置された電球が点滅することで、私たちは何も見えなくなる。電球はゆっくりと、ひとつずつ点滅しているが、数秒経過すると、点滅は激しく、高速になる。最後はすべての電球がいっせいに光り、それから消える。そして、その悪夢のようなサイクルが繰り返される。

この企画展は美術評論家のジョナサン・クレーリーの2013年の著書『24/7: Late Capitalism and the Ends of Sleep』からインスパイアされた。本展のキュレーターによると、エントランスの展示の点滅する光が象徴するのは、現代の危機、すなわち機械のスイッチを切ることができない状態をもたらした、産業の発展。電球は19世紀後半以降に登場し、資本主義のもとで、生産と消費のサイクルの激化を助長してきた発明品──人工光、労働時間を記録するタイムカード、ワールドワイドウェブ、SNS、社会における監視──を表している。

それに続くのは「クリエイティブな反応」と触れ込まれた、50の領域にわたる作品群だ。それは、休息の理由がどんどん奪われ、わずかな余暇の時間を有効に使うべし、というプレッシャーをかけられ、人間らしい生活ができなくなっている世界で、多くのひとびとが感じている疲労感への「反応」である。

〈昼と夜〉〈活動と休息〉〈人類と機械〉〈労働と余暇〉〈個人と共同体〉という5つのゾーンに分けられた本展の主要な目的は、鑑賞者に内省を促すこと、そしてスクリーン越しではない〈刺激〉に満たされる瞬間を、短い間だけでも鑑賞者に与えることだ。

しかし、夜明けまで稼働する機械を描いた18世紀の絵画や、SNSのアルゴリズムを強化するランダム報酬というコンセプトを再現するアニマトロニクスの鳥たちなど、展示作品にはひとつのゾッとするような疑問が通底している。「私たちはもう、スイッチを切ることはできないのだろうか?」

まだ本展に足を運んでいない方々は、「できない」と答えたくなるだろう。不眠不休文化に関する論調は、最大限の能率で長時間モノを生産し、人間に消費することを促している強力な資本主義的産業より、つながりを断つことのできない個人に責任を負わせがちだ。

スマホの使いかたに関するサウンドバイト(たとえば英国人は12分おきにスマホをチェックするらしい)や、インフルエンサーから英国放送通信庁まで「デジタルデトックス」のための「ログアウト」の必要性を声高に叫ぶひとたちからは、ただ数時間スマホをどこかにしまっておけば、それらの縛りから簡単に自らを解放できる、という主張が読み取れる。

つまり、私たちは不眠不休文化に簡単に出入りできる、ということを、彼らの主張は暗に示しているのだ。数日間Twitterを見ずに過ごしたり、Instagramから距離を置いたりするだけで。

しかし本展の作品は、そんなに簡単な話ではない、と反駁する。私たちが使用しているテクノロジーは、不眠不休文化の徴にすぎない。それを助長しているのは資本主義であり、資本主義は、人間に常に稼働すること、常に機械を動かすことを要求する。資本主義において、休息は疎まれる。

米国人アーティストのベンジャミン・グロッサーのビデオインスタレーションは、2004年から2018年のあいだ、Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグが口にした「成長」「より多く」という言葉、そして彼が言及した大きな数字を切り取り、1本の映像として繋げた作品だ。本作は、ユーザーにとって〈行動的コカイン〉のような役割を果たすために開発されてきたFacebookをはじめとするテクノロジーの産物と、成長や利益を明確に結びつけている。

Alan-Warburton-Sprites Somerset House
Alan Warburton, Sprites

人間が何かに夢中になっているほうが、資本主義にとっては都合がいい、と本展は指摘する。この社会全体の基盤も、消費の拡大、あるいは私たちの消費疲れから利益を得ることを目的としている。それを嘲笑うのが、自分の代わりに眠ってくれる富裕層向けの「代理スリーパー」が登場する未来を語る、皮肉なインスタレーション作品だ。

これは、数時間スマホを機内モードにすれば解決するような簡単な問題ではない。私たちが直面しているのは、資本主義のせいで多くのひとに蔓延してしまった行動嗜癖だ。まさに『マトリックス』が最悪な形で実現したような状況だ(しかもクールなレザーのトレンチコートはない)。

不眠不休文化は人間を不安にさせ、うつにさせ、悲惨な状態にすることが複数の研究からわかっている。それでもなお、私たちがその文化から脱け出せない責任は、自分自身にある、とされてきた。資本主義の最大のトリックは、私たちが不眠不休文化のツールに依存していることを、個々人の過失と思い込ませてきたところにある。

そもそも私たちは、依存症の対処に秀でているわけではないが、そこにテクノロジーが関わってくるとさらに盲目状態となってしまう。ニューヨーク大学レナード・N・スターン・スクールで助教を務めるビジネス心理学者のアダム・オルターは、テクノロジーへの依存の強さについて詳述した2017年の著書『Irresistible』の最初の5ページでこう指摘している。私たちは依存を「特定のひとに固有のもの」、そして個人の意志の弱さとして捉えるように仕向けられ、何かに頼りきってしまったひとを「依存症患者」という独立したカテゴリーに入れてしまう。

しかし実際、依存症の原因は環境や個人を取り巻く状況にある。「私たちは一歩間違えば簡単に依存症に陥ってしまう」とアダムは記し、今や厳密にいえば、私たちの大半がスマホやPC、インターネット、アプリなど様々なものに依存している状態だと指摘する。

しかし、それらの行動があまりに一般化されているため、そして〈依存〉というものが独立したカテゴリーと捉えられてしまっているために、私たちは自らの裡に依存を認めることを拒絶している。さらに、それに対して急いで対処しなくてはいけないとも思われていない。なぜなら多くのひとが、いろいろなかたちで利益を得ることができるからだ。

より多くの大衆へリーチすることを福音のように何度も繰り返すザッカーバーグの面白いほど特徴のない顔(ディープフェイク版ザッカーバーグがニセモノに見えなかったのも当然だ)を眺めていると、そう考えさせられる。

さらに、不眠不休文化から貪られる暴利は金銭だけではない、と本展は訴える。監視社会をテーマとしたセクションでは、私たちが使用するサービスに残すデータがどのように使用されるかを提示する。私たちにはゴミとしか思えない情報は、国家の圧制に関与する機関にとっては貴重な宝なのだ。それは、グーグル検索で〈パラッツォパンツ〉と調べたせいで出てきたInstagramの広告にイライラする以上に大きな結果をもたらす。

Hasan Elahi, Scorpion at Somerset House
Hasan Elahi, Scorpion

2018年、英国のダラム警察は激しい非難を浴びた。人権擁護団体Big Brother Watchによる調査で、警察が消費者信用調査会社Experianに報酬を支払い、同社が収集したデータをもとに「郵便番号ごとのステレオタイプ」を算出していたことが明らかになったのだ。同社のプログラムでつくられたこの人口統計では、個人、世帯、居住地をカテゴリー分けしてデータベース化。たとえば「伝統的なアジア系」と名付けられたカテゴリーのひとびとは「大家族」の一員で、「住宅が密集した地域にある、ビクトリアン様式の安い住宅」に暮らしており、「仕事は基本的に、交通機関や食品業界で、低賃金のルーティン業務についていることが多い」とされる。

その情報が供給されたAIシステムを、ダナム警察は身柄拘束の決定に使用していた。その事実が明るみにされてから3週間後、警察は密かに同システムの使用を中止し、Experianは同システム内のプロファイリングのカテゴリー名を変更していたことがわかった。

本展では、そのような出来事も扱っており、ジェレミ・ベンサムのかの有名なパノプティコン(囚人を功利的に恒常的な監視下に置ける設計の施設で、のちに社会管理システムのメタファーとなる)のデザインや、米国人アーティストのハサン・エラヒのすべての行動を収めた10年分の写真が展示されている。

米国同時多発テロ事件後、テロリストと誤解され搭乗拒否リストに掲載されたエラヒは、自分の行動を逐一記録したデータベースをつくりFBIに共有し、現在それをアート作品として発表している。鑑賞者は彼が食べたすべての食事、彼が飛行機に乗ったすべての空港、彼が用を足したすべての便器、彼が疲れた体を横たえたすべてのベッドの写真でつくった大きなコラージュを眺めることができる。

現在は、このように膨大なデータを集積することが誰にでも可能となっている。しかしそれは、自らの意志でアートプロジェクトとして集められたものではない。自分の携帯に残る位置情報の記録をチェックするだけでも、ゾッとするような感覚を得るはずだ。

私たちを包み込む〈服〉となっている不眠不休文化。本展は、その拘束服がどれほど強力に私たちを縛りつけているかを見事に捉えている。それは確かに面白いが、一方で、私たちがミノタウロスの棲みつく迷宮の奥深くへと入り込んでしまったことを目の当たりにするのは実に恐ろしい。私たちは、そこから脱出するためのアリアドネの糸玉を持っていないようなのだから。
しかし本展は最後に、一縷の望みを与えてくれる。モントリオールのデザインスタジオ、Daily Tous Des Joursの作品だ。

会場から出るさい、重いカーテンを引くと、あたたかい光が灯された部屋に出る。そこには何十ものマイクが、電球のように天井からぶら下がっている。隠れたスピーカーから、レナード・コーエンの「ハレルヤ」の合唱が聴こえる。カウンターが、世界中で何人がこの曲を聴いているかをリアルタイムで記録している。そこに敵意はなく、平和だ。

ここにいると、私たちを恒常的に〈ログイン〉させたがる機械やシステムに別れを告げるために必要なものが見える気がしてくる。この大人数での合唱は、人間性の賛美だ。私は部屋に立ち、もしかしたら私たちには、ログアウトして戻ってこない、という決断をする力がまだ残っているのかもしれない、と考える。あるいはそんなこと不可能かもしれないが。

サマセット・ハウスの企画展「24/7: a wake up call for our non-stop world」は、2020年2月23日まで。

This article originally appeared on i-D UK.

Tagged:
Technology
Somerset House