タヴィ・ゲヴィンソンが選ぶ、「愛」についての映画・本・音楽42作

『ありがとう、トニ・エルドマン』からカーソン・マッカラーズまで——タヴィ・ゲヴィンソンが選ぶ、「愛」について読むべき・観るべき・聴くべき42の作品。

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01 February 2018, 8:00am

This article was originally published by i-D US.

タヴィ・ゲヴィンソンは愛についてなら、いくらか知っている。最新刊『Rookie on Love』はRookieチームからの、これで5冊目の本。エッセイやインタビューからコミックまで(何もかも)すべてが、私たちを結びつける関係性についてのアンソロジーだ。45人の寄稿者には、評論家のヒルトン・アルス、作家のデュルガ・チュボース、ミュージシャンのフローレンス・ウェルチやミツキ、女優のガボレイ・シディベ、アクティビストのジャネット・モックなどがいる。「〈愛〉は寄稿してくれた人たちにとっても、書きたい気持ちをかき立てられるテーマだったみたい。普遍的で、同時にすごく具体的な記憶や想いを呼び起こすものだから」と、この本についてタヴィはi-Dに語ってくれた。「私は〈愛〉というのが言葉では表現しきれない感情であるというところにすごくひかれていて。だからこそ、この本に参加したたくさんの人たち、私の好きなたくさんの書き手たちが、そんな私の考え方が必ずしも正しくないことを作品で示してくれたことに、とても衝撃を受けました」

ゲヴィンソンによる包括的な愛の定義(家族、友情、恋愛、そして何かのファンであることまで)によって、書き手たちはこのテーマに含まれるあらゆる領域を自由に探ることができた。初めて恋に落ちた経験についての個人的な語りから、真正面から失恋に向き合った漫画まで、『Rookie on Love』に収録されたどの作品も、いちばん素敵な友達からとっておきの告白を聞くみたいな気分で読める。

ここではタヴィが、さまざまな形の愛を見せてくれる曲や本、映画、演劇のリストをシェアしてくれた。

[音楽]

小さい頃にミュージカル『コーラスライン』の 「愛した日々に後悔はない(What I Did For Love)」を聴けたことは、すごく良かった。ミュージカルのあらすじも知らなかったけど、それでもこの曲が、必ずしも恋愛のことだけを歌っているんじゃないということは明らかだった。パフォーマンスをすることや、観客とつながることから得られる愛という、もっと広い意味を含む感情なんだとわかったの。

それと同じようなテーマで挙げたい音楽として私が夢中なのが、ジャネット・ジャクソンの 『The Velvet Rope』。このアルバムの中には、賞賛と信頼、そして愛が行き交っている。

ビヨンセの 『Lemonade』。傷跡や過ちや歴史は愛を破滅させるのではなく、より深いものにするということを示しているから。

[映画・ドラマ]

『The Larry Sanders Show』。ギャリー・シャンドリング(主演・脚本)が、このドラマに出てくるのは有名になりたい連中じゃなく、ただ愛されたい人たちなんだと主張していたから。

『バイ・バイ・バーディー』。架空の人気スターと、彼に対するヒロインのティーンらしいホルモン過多気味の熱狂が、演じる23歳のアン=マーガレットにも火をつけているの。映画の冒頭と最後を比べると、彼女の声は実際に深みを増しているし、肉体的にも成長しているのがわかる。

『Girlfriends』(1978)は完璧な映画。そして、女性同士の友情と自分を愛することへの完璧な賛辞。

『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』。兄弟(姉弟)の愛を美しく描いた作品だから。

『ありがとう、トニ・エルドマン』。父と娘の愛。

『愛と追憶の日々』。母と娘の愛。特に、演じたデブラ・ウィンガーとシャーリー・マクレーンの撮影中の様子と役柄を比較するとおもしろい。例えばあるとき、ウィンガーは振り返ってスカートをまくり上げ、マクレーンの顔にオナラをしたらしい。

ムーンライト。この映画の、忘れられない愛の描き方。

『乙女の祈り』。映画の中心に描かれている二人の関係以外、世界のすべてが受け入れがたいほど退屈なものに見えてくるところ。

『ファントム・スレッド』。私はこの映画を、仕事に熱中するあまり愛を知らない、完璧主義者の狂気的な天才についての話だと思っていたけれど、違った。愛の持つ力というものを、他のどんな映画の中でも見たことがないと思えるくらい、痛ましいほど的確に描いた作品。

『パリ、テキサス』。この映画を見ると、本当に胸が痛む。

『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』『ミニー&モスコウィッツ』。エキセントリックな人間同士の愛の関係を描いているから。

エレイン・メイが監督した 『ふたり自身』。この映画は『卒業』の主人公のベンジャミン・ブラドッグみたいなタイプを、深みのある若い男性ではなく、しょうもないバカに見せてくれるから。

『アダプテーション』。大切に思いすぎるあまり、愛し方がわからなくなってしまうということの恐ろしさを描いているから。

『ワイルド・アット・ハート』。ニコラス・ケイジとローラ・ダーンに尽きる。

タンジェリン。私なら、この映画の一番ラストのシーンを次のゴールデン・レコード(地球上の自然や文化の存在を伝えるために宇宙船に搭載される)に収録して、「友達同士の愛」の例として宇宙人に教えてあげたい。

『シザーハンズ』。エドワードがトークショウに出演してカメラの向こうからキムを見たとき、彼女の心臓が止まりそうになるのが伝わってくるシーンを見て。

『地獄の逃避行』。殺人犯のボーイフレンドと逃亡中なのに、自分は将来どんな人と結婚するのかなあと、のんきに考えているシシー・スペイセク。たぶん私もそういうことを思うだろうな、という気がする。

『サムシング・ワイルド』。恋を冒険に変える映画だから。

『マン・オン・ワイヤー』『素晴らしき映画野郎たち』。どちらも、夢見ることに恋する映画。

『Grey Gardens』『Bright Lights』(デビー・レイノルズとキャリー・フィッシャーのドキュメンタリー)。どちらも、母と娘の間の真の愛情をとらえた巧みなドキュメンタリーだから。

ブランデン・ジェイコブス-ジェンキンスの舞台 『Everybody』。この作品では、死ぬことや年をとることへの恐れを叫びながら走り回ったり、自分の遺伝子が愛に従うように自分を促したりする場面があるから。あと2体の巨大なガイコツのパペットが一緒に踊るところも。

[読書]

イブ・バビッツの 『Slow Days, Fast Company』。名声を得れば「誰かに愛されたい」という苦悩がすっかり解決されるという迷信について、彼女はよくわかっている。理想の王子様とか、神様と同じようなものだとね。

パトリシア・ハイスミスの 『太陽がいっぱい』(『リプリー』)。誰かに対するあまりに強すぎる欲望が、その対象を殺し入れ替わりたいという願望に変わるということに焦点を当てているから。「すべてのファンレターの裏側には、相手を殺して入れ替わりたいという欲望がある」とタイ・バー(Ty Burr)は映画スターとファンについての本『Gods Like Us』に書いている。私たちのセレブに対する愛は、自分たち自身のどこが好きで、どこが嫌いかを測る指針にもなっているということ。

デュルガ・チュボースの 「Heart Museum」(エッセイ集『Too Much and Not the Mood』に収録)。まさにタイトル通りの内容だから。

ヒルトン・アルスのエッセイ 「Tristes Tropiques」。双子みたいにそっくりであることに捧げたオード。誰かを愛したいのか、その相手になりたいのかわからなくなることを書いたテキストでもある。

君の名前で僕を呼んで。小説と映画の両方とも。この物語もやっぱり、自分と誰かが重なりすぎて線を引けなくなるような状態を描いている。そしてキャラクターたちがお互いの中に没頭していくのと同じように、私たちも彼らの中に迷い込んでいく。

『アデルの恋の物語』『アイ・ラブ・ディック』。どちらもラブレターについての作品だから。私もラブレターはたくさん書いた。それから両方とも、ジャネット・マルコムの言葉を借りれば、「私たちが恋に落ちるのは文通の相手ではなく、むしろ手紙を書いている自分のペルソナ」ということについて書かれた作品でもある。

『ロリータ』『ヴァージン・スーサイズ』、それから初期のテイラー・スウィフトも大好き。意図的かどうかはわからないけど、恋に恋したり、自分の思い出を恋しく感じたりという状況を、自分のコントロールによって作り出して、孤独感をさらに広がらせているところがいい。

アニー・ベイカーの戯曲 『John』。愛の三角関係についての物語だけど、三番目の人物は想像の中にだけ存在するの。

キャサリン・ベイカーの 『Whatever Happened to Interacial Love?』。繊細なディテールを拾っていくことで、長く続き形のはっきりしない、恋愛のようなものを描き出しているから。

カーソン・マッカラーズの 『結婚式のメンバー』。主人公のフランキーは12歳のおバカさんで、お兄さんの結婚式に夢中になりすぎているように見えるけれど、実はすべての年代の人間が結婚式には夢中になる。何かの一部であるという感覚、他人同士の愛に自分も関係することで、他者全般とより深い関係を結んでいるかのような感じを覚えることができるから。

トニ・モリスンの 『ビラヴド』。すべてが素晴らしいけど、特にこの一節。「とりわけ意識せずとも、彼は家に入って来ただけで女たちを泣かせることができる男になっていた。彼だからこそ、彼が存在するだけで、泣けてくるのだった」

デヴィッド・フォスター・ウォレスの短編 「Good Old Nelson」。愛することができず、それをひどいクリシェとして嫌う男の物語を通して、言語の非力さや真の共感の不可能性というテーマに取り組んでいるから。そこから結末までにいろいろあって、実際かなり衝撃的に言語が成し得る偉業に到達する。愛を、共感を、クリシェを超越することを可能にする道具としての言語のポテンシャルは、宇宙のように無限だと思わされる作品。

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