Kom_i and Moodoid Photo by Nobuko Baba

Kom_iとMoodoid:国境を超えるふたりの化学反応

EP『ガラパゴス』にある、水曜日のカンパネラ・Kom_iとMoodoidのコラボレーション。マントラのようなサイケデリック感と言語を超えたふたりの饗宴が語られた。

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aug 20 2018, 10:29am

Kom_i and Moodoid Photo by Nobuko Baba

独自の進化を遂げている日本の現代音楽へのメタファーとして、日本で生まれたビジネス用語「ガラパゴス化(孤立した日本市場)」を意図し名付けられた、最新作EP『ガラパゴス』。ここ数年の海外フェスへの出演が多くなっている水曜日のカンパネラ、国内外さまざまなアーティストらとの交流が近年の楽曲作りにも影響しているのかもしれない。この最新EPをさらに際立たせているのは、メロディーズ・エコー・チャンバーのギタリストである、パブロ・パドヴァーニ率いるフレンチポップバンドMoodoidとのコラボレーションなのではないだろうか。『ガラパゴス』に収録されたMoodoidとの楽曲「マトリョーシカ」と、同じタイミングでリリースされたMoodoidからのアルバム『Cité Champagne』の楽曲「Language」には、水曜日のカンパネラが参加というように、お互いがそれぞれのアルバムに登場し、それぞれが外国の言葉遊びを楽しんでいる。今回は国境を越えたふたりの言語の化学反応について語ってもらった。

── なぜ「マトリョーシカ」というタイトルをつけたんですか?

パウロ(以下、P)「コムアイから歴史上の人物とか何か名前を付けてほしいって言われて、そんなことできないよって思ったんだけど、繰り返し聴いていくなかでイメージが湧いてきて、特にシンセの反復に惹かれていって、これって永遠に続いていきそうだなって。そのイメージの波に身を任せていたときに出てきたのが、マトリョーシカの人形が出しても出してもどんどん出てくる感じ。そういうイメージが延々と続いていって、小さいのを入れていくとどんどん大きくなっていったり、そういう行っても行っても終わらない感じ、ちょっとサイケデリックな感じはシンセの使い方で、水カンの音楽のなかにある要素なので、なおかつマトリョーシカというのはモノとしてもかわいらしくて。君も素敵なものだと思わない?」

── 素敵だし、確かにサイケデリックだって今、気づきました。今回の「マトリョーシカ」のサイケデリックなサウンドはムーイドイドのセンスなのかなと思ったんですけど、水カンのサウンドなんですね。

コムアイ(以下、K)「『ガラパゴス』は全体的にサイケデリックなのかもしれないですね、ずーっと八の字を描いているみたいな曲が多いのかも。「マトリョーシカ」もそうだし、他の曲もほとんど歌詞は関係なく、ずっとぐるぐる、ダンスミュージックみたいにBPMは早くないんだけど、永遠にぐるぐるしてるから。曲自体はこっちでデモが仕上がった状態で投げて、名前を決めてもらって、「マトリョーシカ」っぽい歌詞をケンモチさんが書き足してくれました。〈身体のなかに宇宙 宇宙の中にあなた〉とか、「輪廻転生」って言葉も入っているんですけど、そういうループしていくものを、命がバーッて続いていって、DNAの螺旋がバーッて続いていくみたいなイメージもあって、それでお経の歌詞が入ったり。「お経は歌ってもらった方がかわいいんじゃないの?」と提案されて、それでパブロに「究竟涅槃~」って歌ってもらいました」

P「究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故」

── 気に入ってるんですね(笑)。じゃ、かなり完成されたものを送って、歌を入れてもらったんですね。

K「そうです。逆に「Langage」っていう彼らの曲に私が参加しているのもあります。「Langage」はいくつかバージョンがあって、私は日本語バージョンに参加して、ほとんどフランス語の歌詞だけど、私が歌わせてもらった場所では「エヴァー」って歌詞を「めっちゃ」に変えたりとかしてます」

── コムアイさんはフランス語ってあまり使わないじゃないですか? ムードイドとコラボしたことで自分の曲のなかにフランス語が入るっていうのはどう感じましたか?

K「このEPには英語とか日本語以外の言語が入ってきても全然いいと思ったんですけど、できなくて。自分で英語の歌詞を書くぞと思っても、書けないし、歌えない。恥ずかしいんですよ。できたとしても歌えないなと思って。何かを伝えるために英語を使うってことが歌詞ではできなくて、自分のテクスチャーの表現とか、景色の表現って日本語で歌いたいって思っちゃうんですよね。『ガラパゴス』ってタイトルだから余計に皮肉っぽいっていうか、境界を深くした感じがすると思っていたところでパブロが参加して、フランス語で歌って壁を壊してくれたっていうか。すごく気持ちが良かったです」

── フランス語って英語ともニュアンスが全く違いますけど、そこはどうでしたか?

K「パブロが、終わらない連続性とか、マトリョーシカのスペイシーな力とかイメージみたいなことをフランス語で喋ってくれてて、そこもすごいトリッピー。喋り方のタイミングとかがグル―ヴィーで持っていかれるんですよね」

── そこも詞の内容の含めて投げたんですか?

K「そうです。何かフランス語で入れてもらえますか?って」

P「「マトリョーシカ」の歌詞はムードイドの世界観に重なっている部分があると思ったんだ。ムードイドっていうプロジェクト自体がムードっていう言葉を含んでいるでしょ?僕は自分に何かが起きたとき、何かを見たとき、その瞬間に感じる気持ちを大事にしていて、その瞬間を切り取るようなことを音楽でしたいと思ってる。だから、「マトリョーシカ」で起きたこともそういうことで、曲を聴いて感じたものを歌詞にしたら「終わりのないムーブメント」ものになったんだ。そのあと、「時計みたいにずーっと動き続ける」って意味のフランス語を入れているんだけど、時計って基本はずーっと動き続けるものじゃない? その終わりのない感じは、マトリョーシカが表しているものときっと同じだと思ったんだ」

── パブロさんの話は哲学的ですごく面白いですね。

P「科学的と言ってもいいかもしれないね。ちなみにさっきの「時計みたいにずーっと動き続ける」って言葉は時計のメカニズムのことを表していて、「マトリョーシカ」における科学的なイマジネーションは日本からのインスピレーションなんだ。日本は自分にとってテクノロジーの国だし、サイエンスの国でもある。日本がすごく進んでいるイメージと水曜日のカンパネラのモダンな音楽は重なると思ってる。水曜日のカンパネラの音楽はつねにキックがあって構造とはちょっと違う脱臼した感じがありつつも、ずっと続いていく感じが曲のなかに同居していて、そのアシンメトリーな部分がモダンだし斬新だなって」

── ムードイドの「Planète Tokyo」って曲は今、パブロさんが話してくれた東京のイメージそのものだと思います。たしかに水曜日のカンパネラの音楽にもそういう東京のイメージがあると思うんですが、一方で、「マトリョーシカ」の歌詞にお経の一節があるようにある種の東洋思想的な部分も併せ持っているのが水曜日のカンパネラでもあると思うんですよ。その部分はどう感じましたか?

P「今、君が言ったことは僕が東京に感じていることとと、水曜日のカンパネラの音楽に対して感じていることと重なっているね。初めて日本に来たときに大きなカルチャー・ショックを受けたのは、モダンでありながら伝統的なものも生き続けていて、それらが自然に共存していること。ものすごく煌びやかな場所のすぐ横にお寺や神社があったりとか。そういう形での文化とテクノロジーの両立がフランスではありえない。フランスだと伝統的な場所とモダンな場所はたいてい分かれているから。その両方を生活のなかに自然に取り込んでいて、その両方のあいだにハーモニーがあるっていうのは日本的なことだね。それと同じことを水曜日のカンパネラの音楽には感じるよ」

K「うれしい。」

──「Planète Tokyo」って、パブロさんが話してくれたテクノロジーの街としての東京って意味で、日本の外からすごくロマンティックに好意的に見てくれている東京像だと思うんです。そういう曲を作っている人が『ガラパゴス』ってタイトルの作品のなかに参加しているってすごく面白いと思うんですよ。

K「私、日本にいる外国人の友達と遊んでいるときって、自分がトラップドされている感覚から解き放ってくれる感じがするんですよ。割と似たような民族がひとつの言語を話してて、そこの多くの人がそこにあるカルチャーを把握しているって状態に息苦しく感じるところがあって。だから、日本って遊びに来るのが一番だなって思うんですけど(笑)。知ってると守らなきゃいけないことも多かったり、寂しく思うことも多かったり、お互いが冷たかったり、丁寧なんだけどどこか冷たいみたいな部分を日本人はなかにいて感じているけど、外から来た人はそういうことをまったく言わないから。日本に来ている人と外を歩くと、たしかにこれ面白い形してるなとか、全然違う視点の人と歩いたり、モノを見たりすると自分がもう一回東京を好きになれる感覚があるんですよね」

── その感覚って、水曜日のカンパネラにも通じると思うんですよ。例えば、歌詞で言うと、日本人が気づかなかった日本語の響きの面白さとかキャッチ―さとかをプレゼンテーションしているっていいいますか。

K「歌詞を書くようになって、日本語って面白いなって思うようになって。私は日本語の母音の響きがすごく好きで、それは自分の身体が発するのに合っているというか。一音伸ばすだけでも、英語の一音だと全然イメージが違うんですよね。なんでなんだろう?「We」とかってどう伸ばしたらいいかわからないんだけど、「はい」とかだったら「はぁーーーい」って伸びるじゃないですか。その形みたいなものが好きですね、文字の波形っていうか、言葉の母音が持つウェーブがすごく好きで、それを楽しんでいる感覚は自分のなかにすごくあります」

── 言葉に形を見出してるってすごく面白い。

K「英語ってもっとリズミカルで、「もわーー」っとしてなくて「スタッタラタラッ」って感じがする。それが英語のきれいさだけど、日本語は樹木っぽいというか、もっと太くて長いイメージなんです」

── 水曜日のカンパネラの歌詞は、言葉の意味がわからなくても、テクスチャーとか言葉の響きで何かが伝わるようになっていて、海外で日本語がわからない人の前に出しても響きだけで面白がられたりする歌詞を狙って書いているのかなって思いますが、どうですか?

K「日本でライブするときもあまり歌詞のことを考えて歌ってないんですよ。ただのリズムというか。だから海外だとさらに「関係ないから、ね!」って感じで歌ってます。「ヴァイブスだからね!」って。「ただ身体でぶつかっていってるだけだからね」っていうのを前面に出してますね。あ、それって日本でも同じか(笑)」

P「それすごくおもしろいね。僕もフランス語に対してはそういう思いがあって。フランスの音楽って歌詞の内容が大事なんだけど、僕は歌詞の内容をあまり重視していないから、あまりフランスで褒められないんだ(笑)。僕の曲作りは最初にメロディーができて、そこに合う言葉を当てはめていく。美しく響く言葉を当てはめていくから、フレーズとしては特に意味がなかったりするんだ。マントラっぽいというか。意味がよくわからないようなものを重ねていくことで美しくメロディーに乗っていくことを大切にしているんだよね」

── では、「マトリョーシカ」の日本語の響きはどう感じましたか?

P「コムアイが言ったように日本語には形みたいなものがあって、それが音楽的だと思ってたよ。最初に「マトリョーシカ」を聴いたときに入ってくる印象もその部分。僕は日本語はわからないけど、その日本語の言葉を自分で発しているときに、変な言葉っていうか、存在しない言葉を喋っているような気持になった」

K「SFっぽい(笑)。ニュー・ランゲージ。パブロは言葉の端々にSF好きを感じる。すぐ話がトリップするっていうか、イメージがインフィニットな、サイケデリックな方向に飛びがちで。一緒にリハーサルをしてても、私もパブロも歌うってことがその曲のシーンを想像する感覚に近いから面白いなって。お互い想像上の何かが好きだし。水曜日のカンパネラに『UMA』ってアルバムがあるんですけど。「Langage」のMVで河童の身体と何かの頭を組み合わせた生き物を使おうと思っているってパブロ言ってて、思考の癖や好みみたいなのが似ているなって」

── 音楽的にも近いところは感じますか?

K「「Langage」は曲に声を入れていくときに「あれ、これ歌ったことない感じだ」って思って。曲のなかで自分が日本語を喋っているんですけど、その日本語が外国語として聴こえてくるっていう不思議な現象が起きて。そこでは外国語として登場しているから、それが自分でも聴いててわかっちゃうというか、すごく不思議な感覚でした。日本語なのになぜかたどたどしく感じたり、なんていうのかな、外タレっていうか、お邪魔している感が出るんですよ。堂々と自分の国で日本語を喋っているのと違う感じがしました」

P「実はコムアイが歌っているのを聴いていて、すごくフランスっぽいって僕は思ってたんだ。シルヴィ・バルタンとか、ブリジット・バルドーとか、声が繊細で壊れそうな感じってフランスの音楽のなかで大事にされていて、女性がちょっと下手になりそうだけど、ぎりぎりのところでとどまっている絶妙な表現って、女性らしくて美しいものだって捉えられている。それってセルジュ・ゲンスブール的な考えなんだけど、ゲンスブールってそういうやり方での女性のプロデュースがうまい人で、自分もそれを意識して色っぽい感じで歌ってみたりとかしてて。だから、この曲はすごくフランス的なものになった気がしてる」

K「「マトリョーシカ」って言葉の歌い方は同じようにも歌えるんだけど、レコーディングしたときにいくつか試して「マトリョーシカ」と「Langage」でちょっと変えてて。「マトリョーシカ」のほうは大きめに歌うっていうか、「Langage」はもう少し小さい感じ。同じ言葉でも歌い方は無限にできるから、そのなかで自分が持っているやり方で、シンプルに歌って少し年齢を下げるというか、「始めたてです」みたいな歌い方なのかな。一枚目のアルバムみたいな、喋るのに近いような歌い方で「Langage」は歌いました。だから、さっき言ってくれたみたいに感じたのもあるのかも。ギリギリか弱かったり。???私もあのテイク気に入ってるんで、歌って「これで!」って思って送ったから、気に入ってくれてよかった」

── その歌うときのニュアンスみたいな話ってうまく歌うって話とは全然違う話ですよね。表現力の話でもあるけど、音楽だけの話じゃない。

K「瞑想に近いのかな。自分のポジションを変えたりすると、どんどん歌が変わるんですけど、それを試しているのがレコーディングです。身体の真ん中に球があって、その球を転がして重心を変えるようなイメージ。低いところに重心を置いて歌ってみるとどうなるかとか、身体の力を抜いてぽけーと歌ってみたらどうなるかとか、姿勢や心持ちを調整するのが楽しくて」

── それって発声の話でもないんですね。

K「全然発声じゃないです。発声に関しては素人なので、やりながら自分の声の出し方ができていってるだけなので。よく思うのは、歌いながら景色がワーッと見える瞬間があって、たぶんパブロもそういうタイプだと思うんだけど、すごく強い「いつか見た景色」を想像できるんですよ。世の中のすべての作品がその作品が持つ世界の感じとか、空気感、匂いみたいなものを持っているじゃないですか。その曲が持っている何かに焦点が合うときがあって、そういうときは歌い終わったら「あ、今のすごい強かったな」って思うことがたまにある。でも、そのテイクが使われないこともあったり、自分で聴き直してみてもいいなと思うときもあればそうじゃないときもあって。景色が見えたときが絶対じゃないんですよね」