2007年へのラブレター

まだ10年と経っていないが、2007年こそが歴史上最高の年だったと言い切ってしまって良さそうだ。

by Wendy Syfret
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01 June 2016, 2:50am

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人類の歴史上、最良の年とはいつだったのだろうか? ばからしい質問であることはわかっている。ウッドストックが開催され、それまで「愛で社会を変えていこう」と全米各地で巻き起こっていた"サマー・オブ・ラブ"ムーブメントが大きく実を結んだように1969年こそが人類史上最高の年だと主張するひともいるだろう。楽観主義で贅に美を見出すひとにとっては、F・スコット・フィッツジェラルドが『The Beautiful and Damned』で書いた1922年の世界こそが最高だと信じて疑わないかもしれない。今こそが最高だと譲らないひとも多いだろう。

あなたのノスタルジアや白昼夢をぶち壊すつもりはないが、2007年こそが最高の年だ。それ以外の答えは受け入れられない。「2007年?」と首をかしげるのも無理はない。表面的な出来事を見れば、2007年はどちらかというと最悪な年だったということになるからだ。アメリカでは不動産バブルが崩壊してサブプライム問題が起こり、それを引き金に世界規模の経済危機が起こった。あの年が世界数百万人の生活に及ぼした影響を軽視するつもりはない。しかし、その年大学生だった若者たちは、そこに完璧な環境を見出したのだ。

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大人の世界が崩壊していくとき、大学こそは"いるべき"場所だった。大学を卒業しても、好条件の安定した職に就くことが難しいとわかった途端、就職アドバイザーや講師たちの学生に発するメッセージは変わった。アート専攻の学生は、現実と折り合いをつけて学位の取得に走り、景気が回復するのを待った。もしくは、パートタイムで働きだした。

突如として、誰もがそれまで熱く語っていたそれぞれの野望を捨て、燃え尽き症候群への道を進み始めた。両親は「大学を卒業したらどうするの?」と問い詰めることをやめ、社会での研修経験がないことなど誰も気にしなくなった。家賃を支払えるだけの職を見つけられさえすれば、それがどんな仕事であれ、立派な成功とされた。

18歳から25歳の若者からキャリアや財力への期待を外してあげると、そこには何か特別なことが起こる。就職のプレッシャーが取り払われると、彼らはそこに費やしていたエネルギーを他のものに注ぎ始める。DJを試してみたり、レーベルを立ち上げてみたり、安いギターを買ってみたり−−要するに、フルタイムでパーティを謳歌するようになるのだ。

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当時、クラブやパーティはファッショナブルなニヒリズムに満ちていた。「お前たちに未来などない」とため息をつかれていた私たちは、それに対する「だから?」という姿勢を服装に反映させていった。聴く音楽や、つるむ仲間のチョイスにも、それは反映されていった。

崩壊を見せていたのは、経済だけではなかった。かつて私たちが大きなリスペクトを寄せていたアイコンたちもまた失脚していった。パリス・ヒルトンは投獄され、リンジー・ローハンは逮捕と釈放を繰り返し、ブリトニー・スピアーズの奇行はもはや見るに堪えないほどだった。新たなヒーローを、自分たちで作り出すべきときがきた—誰もがそう感じていたように思う。

かつてハリウッドスターの卵や天真爛漫なお嬢様たちが君臨していたティーンアイコンの座は、新たなクラブアイコンたちによって取って代わられた。例えば、コリー・ケネディ(Cory Kennedy)やアフィ(Uffie)。こうした新しいスターの誕生が、崩れゆく世界に対して微塵も期待していない私たちの時代精神を体現してくれた。彼女たちは、不思議と心地よく、達成可能に思える、ある"在り方"を示してくれていたのだ−−安定した職には就けなくても、スーパークールな存在になれるのだ、と。

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2007年は音楽も豊作の年だった。アーケイド・ファイアが『Neon Bible』をリリースし、カニエ・ウェストが『Graduation』を発表。私のヒップスター像を体現するM.I.A.が『Kala』でそれに続き、ジャスティスが『』で鮮烈なデビューを果たした。

また、レディオヘッドやディジー・ラスカル、ゴーストフェイス・キラー、ザ・ホワイト・ストライプス、アニマル・コレクティヴ、LCDサウンドシステムらが次々と傑作を作り出していった。もちろん、良質なアルバムはいつの時代にも生まれる。しかし、2007年を特別な年たらしめているのは、あらゆるジャンルの音楽を一夜にして聴けるクラブ文化だ。DJがデッキに立ち、「1, 2, 3, 4」から「Pop the Glock」、「Good Life」を立て続けにプレイしても、その雑多ぶりにたじろぐ者はいなかった。

パーティのあり方も時代を表している。2007年には、安くこぢんまりとしたパーティが主流となり、それまでは入場料金も高く勿体ぶったパーティが王道だったのに対し、そこで流れている音楽にもアットホームなものが増えていった。選曲にはパーティ参加者の存在が色濃く反映されていったのだ。またこの頃から、ジャンルを超えて "良いものは良い"という評価の姿勢が広がり始めていた。

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ジャスティン・ビーバーやマイリー・サイラスなど、オルタナティブなメディアが生んだポップスターを語る際に、「カルチャーのフラット化」という言葉が必ずと言っていいほど聞かれる。そう、サブカルチャーとメインストリームの境界線は今や、あってないようなものだ。もしかすると、もう存在していないのかもしれない。こうした流れができ始めていたのも2007年のことだった。当時の若者がサブカルチャーの壁を壊しにかかったのだ。

かつては、パーティには同じような格好をした者だけが集まったし、誰もが自分と同じような仲間が集まるパーティを選んだ。2007年、パーティはエモやパンク、キッズやヒップスターが一緒くたになる空間を意味するようになっていた。世界でオルタナティブのパーティシーンを率いていたバンド、ミスシェイプスがニューヨークでパーティの写真を見てみるといい。そこには、アンバー・ローズ時代のカニエ・ウェストやケイティ・ペリー、マドンナが写っている。

初代iPhoneが発売されたのも2007年だ。カメラ内蔵ケータイは、一般消費者にとってまだ高額すぎて手が届かなかった時代。有名人たちは盗撮された画像がどこに流れるかを気にせず、その空間と時間をともにする人々との楽しい時間に耽ることができたのだ。皆が貧乏なコミュニティに超有名人が来ることで、そこには超現実的な雰囲気が生まれた。誰かのイエガーボムを頭から浴びることになるかもしれないし、ひょっとすれば昼ドラのスター俳優に見初められる可能性もある−−そんな期待に胸を躍らせたものだ。

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あれから9年の歳月が過ぎ、時代も変わった。あの頃の若者たちはみんな職に就き、ビールの価格も上がった。カニエ・ウェストは自分でパーティを開いている。美化された記憶も手伝って、耽美な感傷に浸っているにすぎないのかもしれない。しかし、かつてカセットテープで髪を飾っていたような人に、「2007年の思い出を聞かせて」と訊いてみてほしい。彼らは一瞬にして表情を明るくするはずだ。

パーティは終わった。そして、世の中の現状を見る限り、あのような時代が再び訪れることは決してないだろう。しかし、時代が移り変わろうとも、今後生まれるエキサイティングなカルチャーはすべて、2007年という年なしにはありえなかったのだということを覚えておいてほしい。そして、『†』が永遠の傑作だということも。

Credits


Text Wendy Syfret
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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