ナイマ・グリーンが撮る原始的な喜び、身体とクィアな愛

〈A Sequence for Squeezing〉は、全治数ヶ月を要した交通事故から1年を記念した写真展だ。先入観から自らを解き放ち、未知の世界に飛び込んだ先で見つけたものとは。フォトグラファーのナイマ・グリーンにインタビュー。

by Miss Rosen; translated by Nozomi Otaki
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25 July 2022, 4:00am

2021年6月、クィアのアーティスト/教授のナイマ・グリーンの人生は、交通事故によって一変した。ヴァージニア州での仕事中の出来事だった。ニューヨークに戻ると、数ヶ月の絶対安静のあと、腕を元通り使えるようになるための長期間のリバビリ治療が始まった。「ものすごく苦しくて、気分も落ち込んでいた」と彼女はいう。「物を動かすことも掴むこともできなかった。写真のことなんてとても考えられず、とにかく眠ってばかりだった」

回復に専念しながら、ナイマは新たな領域への奇想天外な旅に乗り出した。そこで彼女は、既知のものから自由になり、快楽、遊び、官能性、親密さというレンズを通して、新たな世界を発見した。事故から1年を記念して、ナイマはNYのバクスター・ストリートで〈A Sequence for Squeezing〉を開催。私たちが日々なんとなく感じてはいても、本当に大切なものを見直さざるを得ない状況に陥るまでは意識することのない、日常のプライベートで原始的な喜びに焦点を当てた写真展だ。

目まぐるしい人生を送っている多くのひとがそうであるように、ナイマもまた、仕事のために健康を犠牲にすることは決して褒められたものではないということに気づいた。「自分のキャパシティがどれくらいなのか、それからペースを変えることについて考えるようになった」と彼女は打ち明ける。「こんなことはもう無理だ、と気づくいい機会になった。こうやってペースを落としたり、主体的になること、関わるひと全員が健康的に過ごせるように、気晴らしの時間を確保することから自由が生まれる。私が誰かと一緒に過ごすのは、そのひとが心から大切な存在で、関係を深めたいと思っているから」

a tray with coffee on a bed and someone with their legs spread peeling open an egg
The whole thing is the hard part (2021). Archival Pigment Print, 28 x 28

コミュニティとコミュニケーションは、ナイマの作品に不可欠な要素だ。2019年、彼女はフォトグラファー、キャサリン・オーピーの90年代前半の代表作〈Dyke Deck〉を着想源とする、有色人種のクィアの人びとにフィーチャーしたトランプ〈Pur·suit〉を発表した。ナイマの詩情溢れるポートレートは、見ること、そして見られることをテーマに、相互理解や発見の余地を生み出した。彼女は今回発表した最新作でも、それを実践している。

「私がコラボレーションする相手は主に友だちで、写真がきっかけで知り合ったひとが多い」と彼女は説明する。「今回の展示の気に入っているところは、自分の活動において新たな試みができたこと。アーティストの活動とはこうあるべき、という自分の先入観から自由になり、思い切り遊びながら、ルックやみんなと一緒に過ごす時間を楽しむことができた。何もかもセッティングして厳密なアイデアをもとに作品をつくったというよりも、楽しんでいる過程で自然に写真が生まれた」

先入観から自らを解放し、ナイマは思い切って未知の世界へと飛び込んだ。そこで彼女は、想像もしていなかったものを発見した。それは、自らの欲望を可視化することの危うさと強さだ。「今回は自分が見たいもの、一緒に過ごしている相手、自分にとっての喜び、私が撮るひとを、はっきりと人びとに提示している」と彼女は明言する。「自分の欲望をもっとさらけ出し、始める前に完成形の明確なプランを立てるというより、流れに身を任せて進めることができた」

naima green naked and taking a self portrait in the mirror with her partner
Almost Exalted (2020). Archival Pigment Print, 20 x 20

ナイマが思いがけない〈天啓〉を得たのは、ある友人の言葉がきっかけだった。「最終日に、ある子に『食べると喜びを感じるものは?』と尋ねたら、彼女は『半熟卵』と答えた」と彼女は回想する。「そこで『あなたの喜びの瞬間を撮らせて』と頼んだの」。その瞬間、〈A Sequence for Squeezing〉が生まれた。すなわち、手に取って包み込んだり、消費して解放したり、最終的には地球と一体になる瞬間に、私たちの五感を恍惚とさせる優しい親密さを発見する旅だ。

ポラロイドを使い、ナイマは官能的な果実を食べる友人や、フィアンセのセーブルがカリフォルニア州サンバーナーディーノのジョシュアツリーの砂漠で用を足す姿を捉えた。「キャサリン・オーピーの作品で、誰かが道端で裸でおしっこをしている写真を見たことがあるんだけど、その写真が大好きなの。私もハイキングしたり森の中でおしっこするのが好き」と彼女は語る。「自由もテーマのひとつなの。公共の場でおしっこをしてる男性はよく見るけど、女性にとってはそう簡単なことじゃない。人里離れた自然の中で、トイレに駆け込んでムードを台なしにしなくて済むような場所を探した。私たちふたりきりなら、タブーでも何でもないでしょ?」

それでも、女性が排尿する写真の大半が性的な視線を向けられるという、根強いダブルスタンダードが存在する。ナイマは彼女自身、そしてすべての女性にとってこの瞬間を再び自分のものにするために、二元的なジェンダーに基づく境界線を打ち砕くという意味でも、静止画の限界を突破するという意味でも〈解放〉を実現した。彼女は本シリーズでカメラが切り取る瞬間の余韻を残し、双方向的なまなざしを歓迎する手段として、連続写真や二重露光に加え、彼女の初の映像作品〈The intimacy of before〉を取り入れている。

hands holding a bloody pearl necklace over spread legs
Film still from Naima Green’s The Intimacy of before (2020)

2020年7月、ナイマは6年間生活したブルックリンのアパートを引き払った。多くの人びとが孤立感に苛まれていたパンデミック下に、故郷と人間関係の両方から同時に去ったのだ。1998年の著書『ぼくは静かに揺れ動く(原題:Intimacy)』で「もう二度と戻ってこないとしたら何を持っていく?」という疑問を投げかけた英国の脚本家ハニフ・クレイシの言葉を振り返り、ナイマは官能的な身体接触に向き合う映像によって、自らの想いを伝えることを思いついたという。

この映像作品は、写真シリーズと同様、今こそ自らを解き放ち、前に進むことで、与えられるものや自然の恵みを享受するときだという気づきから生まれた。「自分が愛するプライベートなものを公にすることができた」とナイマはいう。本作を通して、彼女は私たちも後に続くようにと背中を押しているのだ。

a woman standing next to her partner reflected in a mirror at the beach
Every Long Drop (2021). Archival Pigment Print, 20 x 20
bare feet and sandal on the sand
Purification ritual (2022). Archival Pigment Print, 28 x 28
a close up of hands holding pearls in a shiny liquid
Film still from Naima Green’s The Intimacy of before (2020)
an outstretched hand squeezing a grapefruit down a woman's underwear at the kitchen table
I am tasting myself (2022). Archival Pigment Print, 30 x 30

Credits


Photography Naima Green

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