ステューシーの40年史:ある男の名前がストリートウェア文化の代名詞になるまで

ステューシーがなければ、シュプリームもストリートウェアも存在しなかった。発祥の地・オレンジカウンティの遊歩道から、Diorの2020年メンズプレフォールコレクションまで。サブカルチャー生まれのブランドが、現在のファッションをかたちづくっていった軌跡を辿る。

by Joe Bobowicz; translated by Ai Nakayama
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21 February 2020, 2:35am

Stüssyが生まれた日は、公式には確定していない。ミュージシャン/映像作家であり、ブランドのアフィリエイトOGだったドン・レッツは1984年というが、ショーン・ステューシーの記憶では、あのパンクの美学を踏襲したロゴを初めて描いたのは1979年のことらしい。

もともとあのロゴはオフィシャルなロゴではなく、ショーンがデザインしたサーフボードに描いていたシグネチャーだった。しかし、そのサインには本人も気づかないとてつもないポテンシャルが秘められており、のちにそのサインをプリントしたTシャツがカルト的な人気を誇る。

それから数年のうちに、ストリートウェアブランドの元祖として知られるようになるStüssyというブランドが生まれた。

ショーンのアイテムにはアンダーグラウンドカルチャーが根付いており、様々なシーン、アイデア、嗜好を、シンプルでエフォートレスな1着の衣服に融合する、ウィリアム・バロウズ的な才能が発揮されている。

ショーンはヒップホップ、レゲエ、グラフィティ、サーフィン、スケート、パンクなど、幅広いアーバンカルチャーをひっくるめて、グラフィックを前面に出した服へと結実させた。しかも、それらのカルチャーがそこまで一般的に受け入れられていなかった時代にだ。Stüssy以前、若者たちは、現存するものを再解釈したり、拝借したり、アイテムを切り貼りしたり(あるいは上流階級的な装いをしたい場合は、Ralph Laurenのポロシャツを盗んだり)するほかなかった。

そんな若者たちの欲求に答えたのがStüssyだ。ショーンのアイテムには、誰もが欲しくなるような魅力が詰まっていた。

Alex Baby by James Lebon
Alex Baby - Photography by James LeBon

ショーンのアイデアは自然と発展したが、その刺激になったのは彼自身の拡大し続ける人的ネットワークだった。「ショーンは同じような考えかたをして、同じようなものに興味をもっているひとたちとよく会ってた」とStüssyの元クリエイティブディレクター、ポール・ミトルマンは語る。「それでどんどん進んでいった感じ」

ブランドの心臓的な役割を果たしていたのが、ショーンが創立した〈International Stüssy Tribe〉だ。NYで活動するロンドン出身のヒップホップDJで、トライブのオリジナルメンバーのひとり、アレックス・ターンブル(aka アレックス・ベイビー)は、初めてショーンと会ったときのことを覚えているという。

当時アレックスは、バスキアのパートタイムアシスタントだったDJのジュールス・ゲイトンとつるんでおり、彼らはレアなレコードコレクションを手に、よくロンドンとNYを往復していた。あるとき、ふたりはポールにStüssyのウェアハウスに招待された。

「そこは何か別のもののためのスペースだったけど、服がかけられたハンガーラックがいくつか置かれてた。そこにポールが座ってた」とアレックスは回想する。「そのときはTシャツ1枚と、ビーチパンツ1枚を持って帰ったんだけど、マジでヤバいアイテムだったよ」

これほどまでにヒップホップカルチャーを取り入れた服は見たことがなかった、と彼はいう。そしてそれからしばらくして、ショーンがロンドンにやってきた。アレックスがプレイしているクラブへ遊びにきて、6人ほどのメンバーに、かの有名なトライブジャケットを配った。ロゴ入りで、フロントには名前入り。さらに〈Staff〉の刺繍入りジャケットだ。一般的な雇用プロセスとはまったく異なる。

International Stüssy Tribe London Chapter
International Stüssy Tribe London Chapter - Photography by Mark LeBon

やがてトライブは成長した。ロンドンからは、ヘアドレッサーのジェームズ・ルボン、Gimme 5の創設者マイケル・コーペルマン、ストリートウェアシーンの王バーンズリー・アーミテージ、THE CLASHのミック・ジョーンズ、BIG AUDIO DYNAMITEのドン・レッツ、ジャングルのパイオニア、ゴールディーが、そしてNYからはスケーターのジェレミー・ヘンダーソン、ヒップホップ界の伝説のA&Rダンテ・ロス、LAからはスケーターのトニー・コンバースが、東京からは同地のストリートウェアシーンを代表する藤原ヒロシが加入。流行を生み出すスケーターや尖ったミュージシャンたちのネットワークとして、アレックスの言を借りれば「文化的にもっとも成熟した世界の都市」で広がっていった。

「もちろん、ジャマイカのキングストンっていう例外はあったけど」と彼は付け加える。このトライブを通して、ショーンはコミュニケーションのメソッドを発見し、それを習得した。それはいまだに数多くのブランドが解明を試みているメソッドだ。

「ショーンはいわゆる〈バズる〉方法っていうのを誰より早く取り入れたんだ。巨額の予算を投じた広告よりも、口コミで自然に広まっていくことを信じた」とドン・レッツは語る。

Rock My Gold Stüssy Campaign Image
Courtesy of Stüssy

このファッションの一大トレンドを解剖すべく、BBC 4の『The Look』という番組がショーンと仲間たちにインタビューをし、1990年代のStüssyの記録を残している。この番組で、ショーンは自分のアイテムについて「パンツとシャツと…ジャケットとハットだよ」と謙虚に語っているが、彼の簡潔な受け答えに、確かな自信が垣間見える。量より質を重んじる美学があったからこそ、BBCの番組で特集されるほどの関心を集めることができたのだ。

「コレクターは多いですね。たとえばこれは10種類あるけど、全色買っていくひとだっている」と当時のStüssyのストアマネジャー、ジェームス・ジェビアは〈S〉ロゴの入ったベースボールキャップを指して言う。ご存知だろうが、ジェームスはのちにストリートウェアの王者、Supremeを創業した。

Stüssyが過去に行なってきたカルチャーのサンプリング・引用・再解釈は、Supremeのクリエイティブのボキャブラリーとしても重要な要素になった。Chanelのロゴから着想を得た、StüssyのふたつのSが絡み合ったユーモラスなロゴは、Louis Vuittonロゴを配したSupremeのスケートデッキ(LV側からクレームを受け、発売中止になった)にも影響を与えているはずだ。

これも、今振り返ってみれば伏線だったのかと思える。のちにどちらのブランドも、大手コングロマリットの傘下にある一流ブランドとコラボをすることになるのだから。

International Stüssy Tribe Tokyo 1990
International Stüssy Tribe Tokyo Chapter - Courtesy of Alex Turnbull

ポールは、ショーンのアイテムを80年代のポストモダンアートと比較する。ギャラリーでジェフ・クーンズがバスケットボールを水中に浮かべたように、ショーンは米国のヒップホップデュオEPMDの歌詞を衣服にプリントした。たとえば「ベースラインがドスドス鳴ると 鳥肌が立つ」と書かれたTシャツは人気だ。

ショーンは世間的に〈教養がない〉とされていたデザインやカルチャーを周知させ、さらに、アレックスが強調するとおり、当時はまだ単なる違法行為とみなされていたグラフィティを自分のグラフィックスタイルに取り入れた。「犯罪者だよ。アートだと認められてなかったんだから」とアレックスは語る。

しかしそんな世間の声に反して、ショーンの折衷的なアイテムによって、グラフィティを取り巻くカルチャーがより身につけやすくなった、とダンテ・ロスは言う。「仲間うちで騒ぐパーティでも、イケイケのイベントでも、スケートをするときも、いつだって着れた。大事なのはどう着るかってこと」

Alex Baby by JB Mondino
Photography by JB Mondino

ストリートウェアが世に溢れている今、私たちはそもそもストリートウェアがカウンターカルチャーだったことを忘れがちだ。「ショーンがいなければ、ストリートウェアも存在しなかった」と有名ストリートウェアコレクターのロス・ウィルソンは語る(ロスは2018年、1000を超えるSupremeのアーカイブアイテムを売却した)。「そもそも僕がこのカルチャーにのめり込んだのは、ショーン・ステューシーのおかげだよ」

Stüssyの人気はいまだに衰えることを知らず、むしろ、逆に人気が高まっている。ALYXのクリエイティブディレクター、マシュー・ウィリアムスも若い頃Stüssyのファンで、「大手スポーツウェアブランド以外で最初に知ったファッションブランド」と語る。

現在マシューはDiorのキム・ジョーンズと頻繁にコラボしており、Diorの2020年メンズプレフォールコレクションではショーンのグラフィックとともにフィーチャーされた。またキム・ジョーンズ自身も、Stüssyの初期の英国内ディストリビューターのひとつだったGimme 5で働いていた過去がある。「キムはコミュニティの一員だよ。傍観者じゃなくて」とポールは証言する。

現在はインターネットのおかげで、どこに住んでいてもストリートカルチャーに触れる機会はあるが、80年代はそういうわけにはいかなかった。しかし、どんなに環境が変化しても、Stüssyの輝きは衰えていない。逆に、サブカルチャーの代表としてのStüssyの地位は、2010年代に改めて強調され、確固たるものになったといえる。Boiler Roomと組んでパーティを開催したり、Stüssyとのコラボレーションでキコ・コスタディノフが注目を浴びたり。Stüssyはこれまでも、そして今もなお、現代カルチャー/ファッションを牽引するブランドなのだ。

それでも、その核にある価値観は揺るがない。高品質のアイテム、ラディカルなグラフィック、ブランドを背負う世界中のStüssyコミュニティ。ネットワークが広がるにつれ、その繋がりは一層強固になっていく。

Stüssy London Chapterストアのローンチはその好例だ。ローンチ記念に開かれたBBQには、昔からのファンと、若いファンたちとが集まった。ニューカマーのひとり、ジョーダン・ヴィッコーズは、Stüssyコミュニティの輝かしい歴史に感謝しているという。

「入った瞬間から、ここは僕のホームになった。ショーン、アレックス、ゴールディー、ポールが長い時間をかけて築いてきたものすべてが、僕にクリエイティビティとエネルギーを与えてくれてる。感謝してもしきれないよ」

まさに、StüssyのアイコニックなTシャツに書かれたボブ・マーリーの「ノー・ウーマン、ノー・クライ」の歌詞の通り、「こんなに素晴らしい未来でも 過去を忘れることはできない」のだ。

Stüssy campaign image
Courtesy of Stüssy
Stüssy Campaign Image
Courtesy of Stüssy

This article originally appeared on i-D UK.

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