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二重整形はいかにして韓国の若者たちの通過儀礼となったか?

韓国の若者たちの多くが、二重を求めて自らの顔にメスを入れる。より豊かになり、より良い職を得て、完璧な伴侶を見つけるために。それほど当たり前化している韓国の二重整形だが、そうした非現実的な美の基準に異を唱える〈#탈코르셋(#脱コルセット)〉ムーブメントも現れている。

by Yae-Jin Ha
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21 June 2019, 8:17am

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第一印象は心に一生刻まれる、という。心に残る第一印象を与えるために、顔のどのパーツよりも重要なのが目元だ。私たちが他人の何に心を惹かれるかといったら、結局目なのだ。特に、見た目重視で超競争社会の韓国では、魅力的な容姿はひとつの経済的資産となり得る。自らの容姿で多くのひとの心をとらえることができるか否かが、成功へのカギなのだ。だから、整形手術を受けて、チャンスを得ようとする若者があとを絶たない。

韓国人には、生まれたときは目が小さく、重めのまぶたや一重のひとが多い。韓国文化においては、そのような目元は美しくない、魅力的でない、とされるようになってきた。西洋的なくっきり二重の目元が社会で広く受け入れられ、そういった目のほうが魅力が高く、より良い第一印象を与えるとされているのならば、一重のひとが自分の目を変えたい、と思うのも無理はない。

運命を切り拓くべく整形手術を決意する韓国人は驚くほど多く、整形は今や、苛烈な就職氷河期をどうにか乗り越えたり、キャリアを築くための必須事項となっている。韓国の整形件数は、人口比では世界一。手術件数は年間で約100万件だ。少なくとも3人にひとりの女性が何かしらの美容整形を受けたことがある計算となる。もっとも人気の施術は二重整形(正式名称は眼瞼形成術)で、多くの女性(男性の数も増えている)が高校卒業後から大学入学までに済ませておくべき通過儀礼の一種になっている。

韓国生まれの筆者も、整形をしたいと思ったことがない、といえばウソになる。まだ韓国社会における西洋化された美の基準にさらされていなかった少女期には、くっきり一重が私のチャームポイントだった。しかし11歳のときに米国に移住すると、私の価値観は180度変化した。十代といえばそもそも不安定な時期だが、学校全体でも数人しかアジア系がいない状況で過ごす思春期は、試練がひとの倍になったも同然だった。

おそらく当時の私には、韓国の文化精神に流れる西洋優位的な価値観が無意識のうちに内在化されていたのだろうが、私ののっぺりした丸顔、黄色みの強い肌、華奢な骨格、そして一重まぶたは、明らかに〈魅力的〉な容姿からかけ離れているように思えた。当時の私は、女子トイレの鏡に映る白人のクラスメイトたちをよく眺めていた。彼女たちの透き通るような肌や、バービー人形のような瞳、くるんとカールしたまつ毛、メリハリのあるボディに私は憧れていた。彼女たちのブロンドやブルネットの髪も、私の真っ黒な髪より優れているようにみえた。

二重整形には、切開法と埋没法の2種類がある。埋没法とは、上まぶたに2か所穴を開け、そこに糸を通して二重のラインをつくる方法だ。無知の人間にとっては大手術のように思えるが、美容整形業界の中心地である韓国では、目を大きくすることが当たり前になりすぎて、〈手術〉とさえ思われなくなり、いうなればボトックスのような、ちょっとした美容術として扱われている。

二重整形がここまで流行しているのには理由がある。二重整形は術後の回復も速く、比較的安価で、美容整形としてはそこまで大きな傷がつくわけではないのに、驚くべき変化が実現できる。韓国では、他人の視線や意見に非常に敏感で、主に通った大学、キャリア、職業、パートナー、財産で自分自身の価値や社会的ステータスが決まる。好ましい容姿であることは、この〈エコシステム〉にダイレクトに影響する。二重整形は基本的に目を大きくみせるためのものだが、全体的な顔色も明るくなるとされている。また、韓国社会の同質性も無視できない。この社会では、ひとびとがひとつの厳格な美の基準に従ってきた。その基準に当てはまる特徴をもって生まれるひとが少数であるにもかかわらず、だ。

統計をみてみると、さらにおもしろい事実が判明する。KOSIS(韓国統計庁国家統計ポータルサイト)によると、美容整形を受けた女性のうち99%が、美を追究するために整形をしたと答え、そのうち41%が〈虚栄心〉をいちばんの動機として挙げている。いっぽう男性のいちばんの動機は、虚栄心、自信を付けたい、自己満足、就職のチャンスを得るため、の4つに均等に割れた。

ソウルでは、日々の通勤中にも否応なしに〈ビフォー/アフター〉を示す美容整形の広告を目にせざるを得ず、二重手術など美容整形を受けたセレブたちが、世間から「美しい」と褒めそやされている。その状況が、整形を当たり前のものとしているのだ。

容姿に異常にこだわる社会で育てば、自分の〈問題を解決〉するために見た目を変えることが、そこまで大ごとでもなくなる。筆者自身も、多くの韓国人が美容整形に飛びつく理由が理解できる。昔から、大勢の整形した韓国人、韓国系米国人に出会ってきたが、彼らが整形した理由は実に様々だった。大学1年生のときにこの容姿のままじゃ彼氏ができない、と考えた友人もいれば、20代半ばになり、大学院入学が決まったお祝いとして、長らく大きなコンプレックスだった細長い目を整形することにした友人もいる。いちど整形をしても、もっと目を大きくするために整形を繰り返す女性たちもいる。目が大きければ大きいほど美しい、とされているからだ。

もし私がずっと韓国で暮らしていたら、社会全体に蔓延するプレッシャーに負けて、私ももっと〈魅力的〉になりたい、と願っていたかもしれないが、私は十代前半のつらい時期でさえも、目の整形を真剣に検討したことはない。社会の美の基準におもねるために、私のアイデンティティと直結している顔を変えることに、私はどうしても納得できなかったのだ。また、韓国人が海外で暮らすときには現地になじむためにアメリカンネームを名乗ることが多いが、私は同じ理由から、アメリカンネームも名乗らなかった。生まれ持った特質を変えることに、私は魅力を感じなかった。それに、韓国社会の同質性に加担したくもなかった。

ただ、この風潮にも変革が起ころうとしている。近年の韓国における女性の権利向上を求める運動や〈#MeToo〉運動の爆発的な広まりをきっかけに、〈#탈코르셋(脱コルセット)〉という、韓国の非現実的な美の基準に異を唱える女性運動が急成長をみせている。はるか遠くの理想の姿を目指して、メイクやスキンケアに途方もない時間やお金をかけるべき、という強迫観念から脱却することを訴える運動だ。運動の参加者たちは、破壊されたコスメアイテムが山のように積まれた写真や、メイク落としや剃髪の様子を収めた映像などを通して、韓国社会のシステムを一変しようとしている。この運動をきっかけに、より多くのひとが整形信仰を考え直すことになれば良いと私は思う。

もちろんメイクや整形は悪ではないし、メイクや整形をしていたら〈フェミニスト〉ではない、というわけではない。しかし女性のエンパワーメントは、すべてのひとびとが美の基準がひとつではないことを受け入れたときにこそ、可能になるはずだ。

This article originally appeared on i-D UK.

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