Mark Baker

カルト的存在のフェミニスト作家、キャシー・アッカーとは?

クリス・クラウスの最新作はキャシー・アッカーの評伝『After Kathy Acker』。近年、再評価が高まる作家キャシー・アッカーとは何者か?

by Anastasiia Fedorova
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15 May 2018, 7:47am

Mark Baker

作家がカルト的存在になる——それは著作の力だけでは起こり得ない現象だ。作家が持つスタイルや主張、性生活、生き様、そしてときに死に様が、作家をカルト的存在にまで押し上げるのだ。そしてカルト的存在の作家のイメージは本人の死後も、著作とともに生き続ける。作家の生き様は、寓話のように生き続ける。

その好例がキャシー・アッカーだ。彼女の著作に思いを巡らせるとき、わたしたちは即座に、彼女を捉えた写真の数々を思い浮かべる。パンクで、男勝りで、セクシー。体にはタトゥーがたくさん彫られ、髪は短く刈り込まれ、Harley Davidsonバイクにまたがったキャシー。その半生をロンドンに暮らしたアメリカ出身のパンク詩人は、特に文学界からは黙殺された。彼女の作品には、ポップカルチャーやパンクロック、急進的フェミニズム、実験文学の影響が入り混じっている。通り一遍な言い方をすれば、彼女の作風はいつの時代も「極めて今日的」なのだ。このデジタル時代に活躍する急進的ポップ・フェミニズム実験文学作家には、多かれ少なかれ、もれなくキャシーの影響が見られる。

1997年、癌との戦いに敗れ、50歳の若さでこの世を去ったキャシー。彼女は今でもアンダーグラウンド的作家としての存在感を放っている。デジタルが当たり前となった現代社会、わたしたちは誰のどんな作品もきちんと保護され、その価値も引き続き評価されているものと思いがちだ。しかし男性の作品に比べ、女性のそれは無視され、忘れ去られる傾向が強い。パンクで実験的で急進的なフェミニストのそれであればなおさらだ。『アイ・ラヴ・ディック』の著者で、フェミニズムのカルト的存在の作家クリス・クラウスは、最新作『After Kathy Acker』でキャシー・アッカーという存在を解き明かし、その重要性を一冊の本にまとめて説いている。

キャシーが作家としての活動を始めた時代と今の決定的な違いは、まず彼女の名を世に知らしめた作品が、郵便で配られていたという点だ。1973年、キャシーは『The Childlike Life of the Black Tarantula』を書き上げた。そして、アート世界の要人たちの連絡先をアーティスト仲間のエレノア・アンティン(Eleanor Antin)から得て、そこに書かれた住所にその本を送りつけた。『The Childlike Life of the Black Tarantula』は手作りのチープな作りだったが、そこにキャシー・アッカーという謎多き力強い存在感が生まれ、多くのひとびとが惹きつけられてファンとなった。キャシーはこのデビュー作で独自の実験的ライティングの手法を確立した。そこには、キャシーがつけていた日記からの抜粋が、チープな殺人小説や下着広告、19世紀犯罪小説からの文章の断片とともに織り交ぜられていた。

続く第二作『I Dreamt I Was a Nymphomaniac: Imagining』と『The Adult Life of Toulouse Lautrec』にも、同じスタイルが用いられた。一人称で書かれた主人公は、タイムズ・スクエアのセックスショーやサンディエゴのストリップバーで働いたり、健康面での問題や性的欲望、一夜の性的関係、恐怖心、野心、そして鮮明で無情な思い出などを持っていて、多少なりともキャシー自身を反映している。他者による既存の文学作品から一語一句忠実に書き写した断片的な文章と、自身の半生の体験をもとに書かれた文章を織り交ぜるという技法は、発表当時から数十年を経た今日の標準をもってしても極めて実験的だ。「30歳のとき、わたしはクッキーを売る店で働いていた。わたしが作家として生活していけると信じさせてくれるものは、社会にひとつとしてなかった」と、キャシーはかつて語っている。「わたしは当時も、そして今現在も、この世界でもっとも非商業的な作家。Xが存在しないのなら、自分の力でXを存在させる——想像力を使って」

キャシーはタブーを破り続けた。彼女の代表作『血みどろ贓物ハイスクール』は、10歳の主人公ジェイニー・スミスと、彼女の恋人でもある彼女の父との会話シーンで始まる。この本は読み進めていくのが極めて難しい。ナレーターの視点は一人称と三人称を頻繁に行き来し、会話や詩、みだらな絵や夢の地図が、断片的に散りばめられている。1986年の『ドン・キホーテ』でも、女性主人公が中絶手術を受けて、冷笑的に「男に手をかけてもらうのが嬉しい」と言わせている。

キャシーが作品で見せた表現に比べれば、現在「実験的」と評されるものは、ことごとく強さと反逆性に欠ける。現代文化そのものが全体的に殺菌された状態にあり、矛盾に満ちている。特に女性として生きるうえで不可避な感情や体験に関しては——。女性がインターネット上で常に「セクシーすぎる」と揶揄され、Instagramでは乳首がことごとく検閲の対象となる世の中に、わたしたちは慣れきってしまっているのだ。公の場で語ることがいまだにタブーとされている「月経」と「中絶」も、キャシーの作品には多く扱われている。

「誰にでも書ける作品は絶対に書かないと心に決め、しかし、少なくとも2年に1作は小説を書き上げようと、常に盲信的に何かを書いていたキャシーは、作品内のセックス描写に顕著であるように、記憶を繰り返し文字に起こし、その描写が個人性を失い、まるで神話のようになるまで執拗に書き続けた」と、クリス・クラウスは『After Kathy Acker』で書いている。

『After Kathy Acker』は、実験的アーティストが丹念に作り上げられたひとつのアイデンティティとしてのロックスターとなる変成を追っている。クラウスはキャシーの資料、日記、手紙、ポストカードなどを探り、キャシーの友人たちや恋人たちの証言も集めて、ニューヨーク、カリフォルニア、そしてロンドンへと渡り歩いた彼女の芸術と性の足どりを追っている。そこにはバイクとVivienne Westwoodのコートを愛用したキャシーの姿が浮かび上がる。「1982年に撮影されたポートレイト写真で、キャシーは美しく脱構築された手編みのセーターを着ている。彼女の長い爪にはマニキュアがほどこされ、ピアスがたくさんつけられた耳からは細い羽根飾りがぶら下がり、肩に触れている」と、クラウスは当時のキャシーを形容している。

キャシーはキャリア当初から自身の略歴に、意図的な色付けをしている。繰り返し新たなディテールを作り出し、そこに加えていた。しかしキャシー・アッカーという神話は、より大きな神話のなかで、さらに神格化されている。1970年代から80年代にかけてのニューヨークと、1990年代のロンドンという、時代と空気感の神話だ。クラウスはそれら時代と場所を単なる時代背景としては扱っていない。カリフォルニア州ソラーナビーチの駐車場、サンフランシスコのSMクラブ、タイムズ・スクエアのうら悲しいセックスショー、ニューヨークのロフトなど、あの時代のあの空気感が、ただの背景ではなく想像的に描かれ、息づいて感じられるのだ。「40年以上の時を経た今、1970年代ニューヨークの日常にあった生(せい)の息吹を想像することはほぼ不可能だ。当時のニューヨークを背景とした自叙伝、小説、写真展、アーカイブ形式のブログ、そして当時作られたイベントチケットの半券などを見ていると、もう2度と生まれ得ない空間の自由と危険がそこに感じられる」と、クラウスは書いている。それらの街の躍動感に寄与した当時の重要なアーティストや作家、ミュージシャンたちの存在にも触れている。そこには、コンスタンス・ディジョング(Constance DeJong)、やバーナデット・メイヤー(Barnadette Mayer)、マーサ・ロスラー(Martha Rosler)、エレノア・アンティンをはじめ、多くの女性クリエイティブの先駆者たちが登場する。

近年はクラウス自身もまた、カルト的存在となり、フェミニズムのアイコンとなっている。1997年に発表された彼女の小説『アイ・ラヴ・ディック』は、今年5月にAmazonビデオでテレビドラマ化されたことも手伝い、多くのファンを得た。『アイ・ラヴ・ディック』はタイトルにもなっている文化理論家のディックに夢中になる主人公の心理と胸の内を描いた作品で、自伝とフィクションの世界が巧みに織り交ぜられている。もともと実験映像作家としてキャリアを開始したクラウスの著作には、男性に支配された文化的空間に女性として生きることの現実が数多く描かれてもいる。

クラウスの2006年著作『Torpor』には、物議が絶対要素となるキャシー・アッカーの名声の本質を完璧に説明するシーンが描かれている。1991年のベルリンで、3人の男性が「アメリカ文学界でアツい作家のリスト」を作ろうと、話し合っている。一人称で書かれたナレーター(クラウス作品の多くがそうであるように、この主人公のナレーターもまた、クラウス自身を色濃く反映している)は、「リストに女性の名がひとつもない」と指摘する。指摘を受けたひとりは、恥ずかしそうにこう言う。「キャシー・アッカーはどうかな?」

「キャシー・アッカーが築き上げた自身のイメージは、彼女の著作同様にラディカルで衝撃的」と、クラウスは『Torpor』でナレーターに言わせている。「剃り上げた髪に真っ赤な唇、筋肉、そしてヴィンテージのランジェリーの下に覗かせるたくさんのタトゥー。そんな強烈なイメージもあるかと思えば、ぴったりとしたシャツを着て、足元にはブーツを履き、ハーレーのバイクに跨ったキャシーもいる。彼女を捉えた写真は『The Face』やi-Dから『Interview』まで、いたるところに見られる。そしていま、ドイツでは“児童ポルノだ”として、彼女の作品が発売禁止されたばかり。このリストに女性を挙げるなら、キャシーしかいない。キャシーの本はヘテロ(異性愛)男性を誘惑し、挑発する。キャシーの写真は男たちを魅了する」

この一節は、キャシー・アッカーと同期に活躍したフェミニストたちが、彼女のキャラクターから派生する問題を浮き彫りにしている。そして死後になって、キャシーがフェミニスト作家以上の存在になったという事実と、作家が作家以上の存在となることで生まれる問題も浮き彫りにしている。

しかし『After Kathy Acker』はなによりも、キャシー・アッカーという存在と、彼女が生み出した作品の重大さを証明している。キャシーという存在と彼女の作品に感じられる温かい視線、そして創造的で、パーソナルで、歴史的な感覚が、クラウスを「キャシー・アッカーの自伝を書きたい」と駆り立てたのだ。そして今も昔も、すべてのフェミニスト作家、フェミニスト・アーティスト、フェミニスト文化人たちにとって、女性が存在を黙殺されて忘れ去られてしまう社会構造との闘いは、共通した永遠のテーマなのだ。

After Kathy Acker』はAllen Laneから発売中。

This article originally appeared on i-D UK.