アディソン・ティムリン:YouTuberを描いたホラー映画『Like Me』の妖しきヒロイン

薄気味悪いほど予見的なスリラー映画『Like Me』で、注目されることを渇望する少女を演じたティムリン。ソーシャルメディアの強迫性、コンビニ強盗すること、そして次の作品で演じた若き日のヒラリー・クリントンという役どころについて、26歳の俳優が語ってくれた。

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07 March 2018, 3:45am

アディソン・ティムリンは、自分がキヤを演じなくては、と思った。この役を理解できないからこそ。ロバート・モックラー監督のめくるめく悪夢のようなスリラー『Like Me』で彼女が演じたのは、SNSにとりつかれたティーンエイジャー。この役に変身するのは簡単な挑戦ではなかったはずだ。冒頭のシーンで、キヤは銃とiPhoneを手にガソリンスタンドの売店に強盗に入る。そして、恐れおののいて紙吹雪のようにプレッツエルを空中に投げつけ、自分の脚にオシッコをチビっているレジ係の男を撮影する。この後に続くキヤの行動も「インスタ映えのために」という範疇をはるかに超えている。スナック菓子を無理に食べさせる動画を撮るためだけに、むさ苦しいホテルのオーナーを誘惑する。深夜のダイナーにメガ食いをしに行く途中で、ホームレスの男を拉致する。

これはまだ序の口、この後には胃を締めつけられるようなラストシーンが続く。

『Like Me』は、インターネット上での承認欲求にとりつかれた私たちの姿を映す、ネオン色に染まったシュールな鏡だ。孤独なキヤは、深夜の奇行で収穫したものをYouTubeに投稿し、各動画の視聴回数を前のめりにチェックする。「このキャラクターを好きになれない要素は、一見しただけでたくさんあると思った。タイトルを考えると皮肉なことだけど」ティムリンはそう語る。「でも私は、挑戦することに目がなくて」

それだけでなくティムリンは——意識的にか無意識にかは定かではないが——薄気味悪いほど予見的な映画に出演することにも目がないようだ。『Like Me』は、ユーチューバーのローガン・ポールが富士の樹海でのおぞましい行動を記録した動画をアップし、大問題となった直後に発表されている。ティムリンはすでに次の作品の準備中。彼女が演じるのは、若き日のヒラリー・クリントン。前回の大統領選候補者である彼女が、アラスカのサーモン缶詰工場で働いていた1969年の夏を描く〈反伝記〉映画だ。『When I’m a Moth』と題されたこの作品は、アメリカそのものの寓話であり、野心的な若い女性の自由な意志についての物語でもある。迷えるティーンや大統領の資質を持つ女性を演じることについて、そして両者の共通点について、ティムリンに話を聞いた。

——『Like Me』のキヤを演じていて、いちばん楽しかったのはどんなところでしたか。
「彼女の人間性を探る過程は、すごく刺激的でした。いま私たちの生きている世界にはソーシャルメディアがあって、「イイね」とか視聴回数から得られるような、現実では目に見えない恣意的な承認の感覚をみんなが持っている。キヤは若い女性だけれど、必ずしもそこに当てはまるタイプではない、と私は考えました。彼女はアーティストで、ちょっとした社会的な実験をしているんじゃないかと。彼女はこんなことを言うんです「もしこれを見ていいと思うなら、お前も(動画をあげた)本人と同等の悪人だ」。それから、キヤはひどく打ちのめされ、孤立している若い女性で、自分が何者なのか見極めたいけれど、この世界のあり方の中でそれを見出せずにいる。これ以上失うものはない、というくらい低い場所に自分を置かざるをえないんです」

——ローガン・ポールの騒動と、YouTubeのようなプラットフォームでどこに境界線を引くべきなのかという議論が起きた後では、この作品はさらに怖いくらい現実に直結した問題を扱っているように思えます。リミットを持たないように見えるキヤに、どのように感情移入しましたか?
「この役の準備のため、キヤの語りや彼女の魂のあり方の大枠を設定しようとしていたとき、彼女はどこに一線を引くのかな、と考えました。彼女にとっては、どこまでいくとやり過ぎなんだろう、と。そして、キヤにとって限界はないんだという結論に至りました。彼女のトラウマの深さ、人生に対する姿勢を考えれば、もしこの「実験」で命を落としても、それでいいと思っているんじゃないか、と。何も失うものがなくて、何かを言おうとしているこのキャラクターを演じるのは、楽しい経験でした。世界のどこにもいまや慈悲なんてものはない、という証拠を、彼女は人々にもできごとにも見出し続けるんです」

——あなたはSNSでの投稿はかなりオープンですね。フォロワーがどんどんと増えていくことを感じるなかで、TwitterやInstagramをどう使っていますか? 社会的な責任を感じたりしますか?
「それについては迷い続けて、定まっていません。以前は鍵アカウントとオープンなアカウントを持っていましたが、私はそんなふうに生きたくない、と気づいて。〈想定ファン層〉と合わないからといって、本来の自分を検閲したくなかった。私のユーモアのセンスは少しきわどいし、Twitterではそれをたっぷり表現しています。Twitterでの私は、少しだけ演じた役に似ているかもしれません。暗くて、酔っ払った、悲しいバージョンの私。Instagramの私はもっと不真面目で、気まぐれ。自分のアップする写真が世界に大きな影響を与えるとは思っていません。もしそれが人から見た私の印象に影響するとしても、それほど気にしない。人はみな自分がやりたいからではなく、他の人に認めてもらうために何かをするんだという考えには、ちょっとがっかりしてしまいます」

——あなたは2016年の『リトルシスター』でも悩めるティーンの役を演じていますね、このときは修道院で学ぶ少女でした。私は元・エモキッドなのでこの映画には感じるものがありました。あなた自身はティーンの頃、ゴスっぽい時期はありましたか?
「いえ、それがないんです。どんなものについてもあんなふうに熱狂したり情熱的になったりする時期は経験がなくて。思春期から今まで、基本的に私は変わっていないかな。『リトルシスター』で好きなのは、若い頃に持っていた怒りが、大人になった自分にヒントをくれるところ。そして人間の持つ本質的な二面性、人は同時に二つのものになれるということを描いている点ですね。彼女とお兄さんの関係性は、私にはすごく詩的で美しいものに思えました。兄弟というのはある意味で、同じ親の作った監獄の中に共存しているようなものですよね。何らかの形で連帯しなくてはいけない。私は自分が演じたキャラクター(コリーン)がとにかく大好きです。とても複雑で、奇妙で、愛さずにはいられない変わり者。どこかキヤにも似ています。どんなふうに演じるべきか、すぐにはわからなかったという点でもね」

——ヒラリー・クリントンの映画は、あなたにとって180度の転換のように思えます。「反—自伝」とはどういうことか、説明してもらえますか?
「大人の女性として歩みだした頃の彼女がどんなふうだったのか、という想像に基づいた仮説的な物語です。簡単に言うと、超・頭がよくて善意に満ちた彼女が、自分の頭の中だけで悩んだり、自分の人生はどこへ向かっていくのか見極めようとする姿を描いています。脚本に書かれた中の、ある部分はヒラリー・クリントンそのもの、他の部分は本当の彼女とはまったく関係がない。映画の中では、ヒロインがヒラリーであることをはっきりと見せてはいません。挑戦しがいのある面白い役でした。でも若い女性としての彼女には共感する部分も多くて。たぶん、たくさんの人が同じように感じるんじゃないかな。特に21、2歳頃の「私の次のステップは? ここから人生はどんなふうに進んでいくんだろう? 犠牲にしなくていけないものは? 私はどんな人間になるの?」というようなことを、見極めようとしている時期のこと。普遍的なトピックですよね」

——2016年の大統領選のときにはまだ撮影中でしたね。選挙の結果は映画にどんな影響をもたらしましたか?
「選挙結果を受けて完全に打ちのめされた私の気持ちが、映画での演技にも影響していると思います。いつもヒラリー派ではあったんですが、選挙のおかげで彼女を描いたこの映画への思い入れは強くなりました。若い頃の彼女について、かなり読んだり学んだりしたので。彼女は人生を通して、ずっと公共の仕事に従事してきた女性です。だからトランプの彼女についての発言を聞いていると……ものすごく腹が立って。でもショックを受け、絶望してしまったのはこの国の大半の人も同じ。結局、映画で若い頃の彼女の仮想的なバージョンを演じたからといって、選挙とは何の関係もありません。撮影中の映画より、世界の行く末の方がよっぽど心配になりました」

——この作品は、あなたが最近関わった他の映画からはかなりの飛躍のようにも思えますが、『Like Me』や『リトルシスター』も、例えば銃を所有する文化や「フェミナチ」的なステレオタイプ化の問題、イラク戦争にまで言及しています。やはり政治的な情勢について意見するタイプの映画にひかれる部分はありますか?
「芸術は、常に世界で起きていることについて何かを言っていると思います。さまざまにまったく異なるトピックではありますが、そういうテーマが作品をもっと意味深いものにしている。物語の大切な要素のひとつでもあります。でも、私が作品への出演を決める決定要因というわけではありません。少なくとも、意識的にそうしているわけではないんです」

——先ほど、キヤは孤立していると言っていましたね。コリーンもやはり、かなり特殊な関係性だけを築いていました。神様との、あるいは兄との。彼女たちのそういう部分に、あなたも共感しますか?
「私は表面的な交流は苦手です。誰かに出会ったら、その人について何かを知りたい。私が心から人間が好きなのは、そして自分の仕事が好きなのは、世界について何かを知りたいと思うからです。私が演じたキャラクターたちが持つような強烈な人間関係は、現実でも常に体験します。もし私の仕事と私生活が交わる部分があるとすれば、そこかな。現実の私と演じた役柄はまったく違うけれど、かなり本質的なところでは重なります。お互いに弱さを見せ合う人間同士の関係性ほど美しいものはないと、私は思っています」

This article originally appeared on i-D US.