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元恋人が撮った、ロバート・メイプルソープの肖像

1979年のある夜に撮られた、メイプルソープのポートレイト写真たち。写真家マーカス・リーザーダールが、今は亡き元恋人メイプルソープとの思い出と当時のニューヨークを語る。

by Emily Manning
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10 April 2017, 12:00am

marcus and robert at studio 54, 1979. photography anton parish.

一般にニューヨークは、1970年代後半から1980年代前半にかけて衰退していっていたと考えられていた(市の安全対策協議会は、観光客をニューヨークに立ち入らせないよう促す衝撃的なパンフレットまで制作した)。しかし、この時代には、街がそうした状態だったからこそ多くの反骨的なアーティストが誕生した。ブロンクスではヒップホップが生まれ、ダウンタウンでは芽吹いたばかりのパンク・ムーブメントが前衛的ナイトライフと触発して新たなシーンを生んでいた。エイズという病名が生まれる前だったが、"ストーンウォールの反乱"でLGBTの権利獲得運動が始まって数年が経ち、ニューヨークのクィア・コミュニティは、アートの世界だけでなく、生き方においても、新たなあり方を発見しはじめていた。この時代に生み出された作品やアイデアは、今日もなおニューヨークという街を形作る重要な要素としてあり続けている。

カナダ人の写真家マーカス・リーザーダールは、その当時のニューヨークに満ち満ちていた実験的エネルギーを写真に収めていた。マーカスは、それらの写真を<Club 57>や<Danceteria>といった伝説的なクラブで展示し、後にキース・ヘリングやリー・バウリーといった時代を代表することになるアーティストを撮影して、「Hidden Identities」シリーズとして発表した。『Details』誌に掲載されたマーカスの白黒写真は、見る者を引き込む力を持っていた。そこには、暗くて顔こそ見えないものの、そのスタイルと背格好で誰だか分かってしまうアイコンたちが写っていた。しかし、これらの作品が発表される前の1979年、彼はロバート・メイプルソープを捉えたカラー作品を制作していた。これまで日の目をみなかったそれらの未公開写真が、ニューヨークのギャラリー<Roman Zangief Photos>で公開された。

当時、恋仲にあったふたり。夜遊びを終えたある明け方、メイプルソープのスタジオに戻ったマーカスは、メイプルソープにカメラを向けた。そこには、身体にぴったりとフィットしたレザーをまとい、自信に満ちた佇まいのメイプルソープが写っている。しかし、そこには、メイプルソープが自身のセルフ・ポートレイト作品では決して見せることのない、リラックスした自然なエネルギーを感じることができる。ふたりの間にあった親密な関係と信頼感が、それらの作品に新鮮味を与えている。

これらは2016年、マーカスについて伝記を執筆しているマーティン・ベルクが、マーカスのアーカイブを見ていた際に発見したものだ。i-Dはマーカスに話を訊いた。

メイプルソープとの出会いについて聞かせてください。初対面の印象は?

僕がまだ大学で写真の勉強をしていた頃、サンフランシスコで出会いました。あのとき、ロバートは、サンフランシスコでふたつの展覧会を開催していたんです。ひとつはポートレイトに特化した展示、もうひとつは、彼のセックス作品を展示する展覧会でした。先生や知人たちが、僕の作品と彼の作品には共通点があるから「メイプルソープのショーを見に行くべきだ」って勧めてきたんですが、当時はロバートのことも知りませんでした。でも、パティ・スミスの大ファンだったので、アルバム・ジャケットの写真を撮ったのがロバートだと知って、興味を持ちました。ひとりでポートレイトの展覧会を見に行ったんですが、最初は彼の作品が理解できませんでした。その少し後に、ロバートと僕の共通の友人であるピーター・ベルリンが、ロバートのセックス作品の展覧会のオープニングに誘ってくれたんです。そこで、ピーターがロバートを引き合わせてくれたのが出会いです。もちろん、展覧会のオープニングですから、会場にはたくさんの人がいて、彼は忙しそうでした。そこで僕が帰ろうとすると、ロバートが僕を呼び止めて、翌日の夜にディナーでもと誘ってくれたんです。

次の夜、僕は愛車のMGAロードスターでロバートを迎えに行きました。彼はとても控えめなひとで、その夜も写真のことばかり話したと思います。後にピーターが加わって、ふたりはバーにでも行こうという話になっていたんですが、僕は次の日に友人ゲイルと朝からアリゾナに向けて旅に出る予定だったので、断りました。ゲイルの水色のカトラス・シュプリームを運転してアリゾナに行き、新しく買ったポラロイド・カメラSX70で砂漠のミニチュア・ゴルフコースを撮影してまわろうという計画でした。僕が翌日に予定を入れていたことで、ロバートは少し機嫌を損ねたようでしたが、僕がその年の夏に学校を卒業したらニューヨークへ移るつもりだと話すと、「そのときは僕の家に泊まるといい」と親切なところを見せてくれました。

まだ出会ったばかりだったし、僕はその誘いを真剣にはとらえていませんでした。でも、アリゾナの旅から家に戻ると、ロバートからハガキが届いていたんです。そこには彼の電話番号と住所が書かれていて、「ニューヨークでは僕のロフトに」という言葉も添えられていました。一ヶ月後、ニューヨークに着いて彼に電話をすると、彼は僕をロフトへと招いてくれて、住む場所を見つけるまで、僕を泊めてくれたんです。彼は僕を信頼していました。アムステルダムに一ヶ月間行くと言って、僕にロフトの鍵を預けてくれたこともありました。

彼のスタジオのマネージメントも数ヶ月任されたそうですね。そこから起こったことについて聞かせてください。

すべてを整理してあげて、展覧会のためにプリントを作ったりしました。よく、ロバートが師と仰いでいたサム・ワグスタッフとランチをして、そこで得た意見をもとに、スタジオに戻って作品を仕上げました。あの頃はまだ、それほど忙しくなかったんです。ロバートには、現像のアシスタントもいました。

彼はなにがなんでもスターになりたかった。だから、僕が写真家として名を知られるようになると、彼のあいだには緊張感が生まれました。ふたりともニューヨークで写真を撮り、被写体もかぶっていたからです。だからどうしても比較されていたのですが、彼にはそれが耐えられなかった。もちろんロバートのほうが成功していましたが、当時、僕たちはお互いに頼りあって写真を撮っていたんです。多くの人はそれに気づくこともありませんでしたが……。

出会った当時、ロバートは感電が怖いからといって、せっかくサムが買ってくれた素晴らしいストロボライトの器具を使わず、タングステンランプか自然光しか使わなかったんです。それで僕は、当時通っていた学校でストロボのバウンスライティング撮影を勉強していたので、習ったことをそのままロバートに教えました。彼はそこから自信をつけて、ストロボ撮影をするようになりました。僕たちは、アートの共同体だったんです——僕が写真家として認められるまでは。まあ、ニューヨークでは誰もがキャリア志向で生きていますからね。僕も野心的でした。でも競争心は強くありませんでした。

メイプルソープのほかにも、あなたは80年代を通して、ナイトライフやクリエイティブのシーンにおける重要人物を多く写真に収めていましたね。

ダウンタウンで巻き起こっていたシーンと、そこにいた人たちばかり撮っていました。当時はそんなこと考えてもいませんでしたが、その後20年のうちに消滅してしまうある時代を記録していたんですよね。当時の僕たちは、「いつか自分たちの20代も終わってしまう」なんてこれっぽっちも考えていませんでした。その後、僕は新たな部族の生きる世界——インドです——に視点を移しましたが、これもまたじきに消滅していくことが運命づけられていた部族です。80年代のニューヨークに生きていた当時の自分と、インドの奥地に何かを求める今の自分との違いは、「これもいつかなくなってしまうんだ」ということを、今の僕は認識しているということです。

アメリカのケーブルテレビ局HBOがドキュメンタリーを制作したり、デザイナーのラフ・シモンズがコレクションで写真作品を起用したり、またパティ・スミスの自叙伝『Just Kids』がテレビ・ドラマとして制作されたりと、メイプルソープの人生と作品が、ふたたび脚光を浴びています。なぜ今、このような現象が起こっているのだと思われますか?

「ロバート、おめでとう」と言ってあげたいですね。でも、ドキュメンタリーはひどい出来だったと思います。あれはロバートの人生を大きく捻じ曲げて解釈しているように感じました。でも、歴史というのは、その場にいなかったひとによってどんどん書き換えられていくものだというのも理解しています。ロバートの情熱や野心が発していたパワーを、その場で感じたことのないひとが、映画として編集しているわけですからね。たしかに、ロバートは有名になりたがっていたし、すべてにおいて完璧主義者だったことも真実です。彼はたしかに、自身の求めるものを一心不乱に手に入れようとするひとでした。でも、あの映画で描かれていたような、サメのような獰猛さはありませんでした。ロバートは、自己中心的な野心家でしたが、優しく寛容でもあって、冗談を言ったり世間話をするのが好きだったりする、そんな一面もあったんです。ときには子どものように何かに熱中したり——一緒にカナダへ旅行をしたとき、僕の両親が住む湖のほとりの家に泊まったんですが、ロバートはずっと釣りに没頭していました。まるで子どものように。

これらの写真に、"他人には見えない、しかしあなたにだけ見える"ものはありますか?

僕はずっとモノクロの写真しか撮っていなかったので、このロバートのポートレイトが唯一のカラー作品なんです。この写真を見たひとが、そこに僕の親友の知られざる一面を垣間見てくれたら嬉しいです——あのとき、一日中湖のほとりで釣りに没頭していた、子どものようなロバートを。

Credits


Text Emily Manning
Photography Marcus Leatherdale
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.