「ストリート・アートの生みの親」リチャード・ハンブルトンとは何者だったのか?

ストリートアートの生みの親、リチャード・ハンブルトン。なぜ彼はキース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアのような名声を手に入れられなかったのか?

by Ryan White; translated by Ai Nakayama
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nov 28 2018, 9:16am

アンディ・ウォーホルは何度も彼に肖像を描かせてくれ、と頼み込んだ。しかしリチャード・ハンブルトンはついに首を縦に振らなかった。80年代NYのアンダーグラウンド・アートシーンを代表する存在として、ジャン=ミシェル・バスキアやキース・ヘリングと肩を並べるハンブルトンだが、彼らに比べると、名声というものにはあまり関心がなかったらしい。

80年代、スポットライトから遠ざかり、90年代には表舞台から完全に姿を消したハンブルトン。彼の存在とその作品を初めて知ったのは、2017年10月に彼が亡くなったあと、というひとも少なくないだろう。あるいは彼の人生を追ったドキュメンタリー映画『Shadowman』(2017)で知ったというひともいるかもしれない(本作は彼の死の数ヶ月前にプレミア上映された)。だが世間の大半が、リチャード・ハンブルトンという名さえも知らないままだろう。それでも彼が及ぼした影響は計り知れない。

1952年、カナダのバンクーバーで生まれたハンブルトンは、バンクーバー・カレッジ・オブ・アートで学んだ。卒業制作では、殺人現場で警察が被害者の周りに引く白線を模して、自らの身体に合わせて舗道に描いた白い人型マークを発表し、話題となった。ニセ殺人捜査のために〈R. Dick Trace-It〉という名のニセ私立探偵まで用意し、4000枚を超えるニセFBI指名手配ポスターをつくった。犯人は架空の殺人者〈ミスター・リー(Mr Reee)〉。70年代はカナダと米国全土をまわり、620にも及ぶ人型をいたるところに残し、美術評論家だけでなく地元警察からもにらまれていた。そして1980年、ニューヨークに居を移す。

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34E12, Richard Hambleton Street Art. Photographed by Hank O’Neal © AVA Holdings Limited

ニューヨークでも人型マーク・シリーズは続けていたが、それ以上に有名になったのは、市内の入り組んだ通りや路地の、グラフィティでいっぱいの壁に描いた、恐ろしげな黒いシルエット。不吉で暗い〈シャドウマン〉だ。街角にひっそり立っていたり、こちらに飛びかかってくるがごとく高い場所に浮かんでいたり。狂気じみた筆致で壁に描かれたシャドウマンは、犯罪率が急増していた街に蔓延する恐怖や緊張を表現していた。

「私は街を黒く塗っている」。『ニューヨーク・タイムズ』のハンブルトン追悼記事に、1984年の『People』誌で彼が語った言葉が引用されていた。「シャドウマンは警備員でもあり、危険を可視化したものでもあり、原子爆弾が落とされたあとに壁に遺った人影でもあり、私自身の影でもある」。彼はNYのローワーイーストサイドをキャンバスに、ニヒルに見た世界の姿を描いていた。そしてニューヨークのストリートアートが芸術革命の中心地となると、ハンブルトンの名はそのトップに君臨する。1983年、グラフィティアートの流行について書いた『International Herald Tribune』の記事で、写真と共に紹介されていたのは、バスキアでもヘリングでもなく、ハンブルトンだったのだ。

80年代中頃、ハンブルトンは米国とヨーロッパを行き来する。ヨーロッパでは個展を開いたり、作品を売ったり、パリ、ベネチアなど都市のストリートに、彼の代名詞であるウォールアートを施したりした。特筆すべきはベルリンの壁に描いた作品だろう。当時、彼の作品は同世代アーティストの誰より売れていた。しかしバスキアとへリングが死に、ハンブルトンが生き残ったことで、その後の彼と彼らの歩む道が大きく開いていく。

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Richard Hambleton, Orchard Street Studio, New York City, May 2011 (c) Hank O'Neal

ハンブルトンはヘロイン依存に苦しんだ。エイズで多数の友人を喪ったことで心を痛め、アート界に幻滅し、90年代には完全に表舞台から姿を消した。彼のスタイルは世間を話題騒然とさせるストリートアートから、より考察を深め、細かく描きこまれた風景画へと変化し、ニューヨークのアート界は彼の作品への興味を失う。彼のいくつかの作品に見出せる深紅と太い絵筆のあとを、血管のなかをめぐるヘロインだ、として後期のスタイルをドラッグ依存と結びつける批評家もいるが、単にアーティストとしての発展だという説もある。

それから約30年経っても、ストリートにおける彼の独創性と革新性は、バンクシーやブレック・ル・ラットなどの多産なアーティストに影響を与え続けた。しかし彼は、バスキアやへリングのように、まばゆいほどの商業的な成功やポップカルチャーにおける名声を手にすることはできなかった。「バスキアとへリングは、ハンブルトンを非常に尊敬していました。ハンブルトンこそが、ふたりの商業的成功への道を開いたからです」と語るのは、ハンブルトンの友人/彼の作品のコレクターであるアンディ・ヴァルモービダだ。ロンドンの〈Maddox Gallery〉での最新展を共同企画したアンディは、ハンブルトンの魅力は、その「とらえどころのなさ」だと語る。「あの時代のアーティストたちは、お互いに作品を交換し合っていました。バスキアはハンブルトンの作品のコレクションを所有していたし、逆もまたしかり。でもハンブルトンは、80年代にバスキアやへリングがしたように、自分の作品を売り尽くさなかった。当時ギャラリー主やコレクターたちが欲しがったのは、そのふたりより、ハンブルトンの作品だったんですけどね。私にとって彼の作品は、人生で出会ったどの作品よりも秀でている。特にストリートアートの分野では傑出している。彼の筆運びは唯一無二です。スタイルも技術も力強く個性があり、圧倒的な存在感があります」

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Jumping Shadowmen, Richard Hambleton © AVA Holdings Limited

Maddox Galleryのクリエイティブディレクター、ジェイ・ラトランドは、ハンブルトンの死から1年、そして彼が街にシャドウマンを描き始めてから40年経った今こそ、彼の遺した作品が予知していた時代だと語る。「私がハンブルトンを知ったのも、皆と同じです。ハンブルトンは大体、バスキアとへリングと同じ文脈で語られます。しかし彼はもっと謎めいています。彼は悪名高いと同時に、あまり知られていなかった。そこに私は興味を惹かれました。ハンブルトンの作品は、まさに今の時代の問題を予知しています。情報の流れるサイクル、SNS、ますます過激になっていくニュースに慣れきってしまった私たち。ハンブルトンの〈Mass Murder〉や〈シャドウマン〉は、現代に生きる私たちの心理を突いていると思います。不確かで、角を曲がると何が待っているかわからない、という心理。昔も今も、ハンブルトンの作品の意味は変わりません」

カウンターカルチャーの黄金時代は、絶えず参照されている。最近ではバービカンセンターで、過去最大級のバスキア展が4ヶ月間開催された。それと同程度の規模のリチャード・ハンブルトン展も開催されてしかるべきだろう。ハンブルトンの歩んだ人生の回顧展は、同世代アーティストたちのようにウォーホルやマドンナのポラロイドが飾られるわけではないだろうから、それに比べれば地味かもしれない。長生きをしてしまった彼は、80年代ニューヨークのレジェンドとして永遠に崇められることもないだろう。しかし彼の影響は永遠だ。「ハンブルトンはニューヨークを変えたんです」とジェイは明言する。「アートも変えました。それに尽きます」

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One Way, Richard Hambleton Street Art. Photographed by Hank O’Neal © AVA Holdings Limited

This article originally appeared on i-D UK.