宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)

『かか』『推し、燃ゆ』宇佐見りんinterview「自律的に生きられる人ってそんなにいるの?」

デビュー作『かか』が三島由紀夫賞を受賞。「推し」という営みの本質に迫った第二作『推し、燃ゆ』でも注目を集める宇佐見りん。21歳の新鋭作家は何を見つめているのか。

by Rin Takashima
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13 October 2020, 11:00pm

宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)

心を病んだ母を救おうとする娘を描いた壮絶なデビュー作『かか』。「推しを推す」ことを、自身の肉を背骨ひとつになるまで削ぎ落とすような祈りとして描ききった第二作『推し、燃ゆ』。前者は文藝賞、三島由紀夫賞を受賞し、さらに野間文芸新人賞にもノミネート中。後者もSNSを中心に、文芸作品としては「異例」と言えるほどの話題を呼んでいる――。

この作家の名は宇佐見りん。1999年生まれの21歳だ。突如現れて文芸シーンの話題をかっさらった新鋭は、一体何者で、今何を考えているのか? 「〈普通の人〉に見られたい」と笑いながら話す作家の言葉からは、〈普通〉ではない横顔が見えてきた。

『推し、燃ゆ』誕生秘話

――『推し、燃ゆ』、すごい反響ですね。雑誌掲載時からSNS上でこうも盛り上がるというのは、非常に珍しいことだと思います。

宇佐見りん:びっくりしましたね。『かか』の時も何が起きているのかよくわかってなかったんですけど、今もわかってないです(笑)。

――そもそもなぜ「推し」について書こうと思ったんですか?

宇佐見:「推し」を書こう、というのは、『かか』を書く前から決めていました。私も推している俳優さんがいるので、小説として「推し」を書くための材料は揃っていましたし、シリアスに「推し」を書くのは面白いだろうと思っていました。

――タイトルのインパクトも大きかったですね。

宇佐見:第一稿は語り手が姉の方で、姉から見た推しに全身全霊を注ぐ妹の話だったんです。その時担当編集の方が「単行本の帯コピー、『妹の推し、燃ゆ。』って書くね」と冗談ぽく言っていて、仮のつもりで『推し、燃ゆ』と呼んでいました。改稿していくうちに語り手が妹本人のほうになって、いざタイトルを決めるというときに、他にも候補をいくつも考えましたがしっくりこず、これが最終的なものになりました。内容がぱっとわかるし、タイトルに反応して読んでくれている人もたくさんいて、このタイトルで本当によかったなと思います。

宇佐見りんの「推し方」

――作中、推しとの「つながり」を求めるタイプ、群衆の中に紛れて推したいタイプなど、『推し、燃ゆ』の中でも人それぞれの「推し方」について言及がありますね。宇佐見さんはどのように推しと向き合っているんでしょうか。

宇佐見:有象無象でいたい、群衆の中に紛れたいタイプなのは、『推し、燃ゆ』主人公のあかりと一緒です。「ファンとして推しと握手する」とかは抵抗がないんですが、一対一の人間として「私」が把握されるのは解釈違いだと思ってます。

ただあかりと違うのは、私は推しとは意識的に距離をとってきた、ということです。私は「推す」ことが人生のメインイベントにはならないタイプで、ただ自分が楽しむために推しを見ています。

――推しを自らの「背骨」にするのではなく、自分を豊かに「肉付け」する者として推しがいるわけですね。

宇佐見:そうです。私自身の小説への向き合い方は、あかりにとっての「推す」ことと近いんじゃないか、とは思うのですが。

――『推し、燃ゆ』のあかりは、推しのための行動はできても日常生活は難しい人物として描かれています。拝読していて、自分で自分の時間をコントロールして生きることはできないけれど、推しに時間を支配してもらえれば生きられるという、他律的な時間の過ごし方で生き延びる人を描く作品であるように感じました。宇佐見さんはいわゆる「推し」という言葉で総括されているファン文化について、どう見ていらっしゃるのでしょうか?

宇佐見:そうですね……人と人との関わり方全体がそうだと思うんですけど、すっごい多様な関係があるな、と思ってます。人が推しを背骨にするのも、一つの認められるべき生き方なんじゃないかな。推しとの関係に振り回されて破滅しそうで、本人が「どこかで修正しなきゃいけない」と思うなら修正すべきかもしれないんですけど、推しによってなんとか生きていけるなら、否定されるべきことじゃない。

自律的に生きてる人ってそんなにいっぱいいるのかな?っていうのが私の疑問です。自分のために生きられるほど、人ってなかなか強くないと思います。

創作ノートとしての日記

――以前文藝賞の受賞インタビュー(『文藝』2019年冬季号)で、日記を他者化して小説を書いているとお話されてましたよね。

宇佐見:もともと創作するために日記を書いていたので、日記と創作は不可分です。日記は自分を他者化するために書いている場合もあるし、ただ単に感情を吐き出すために書いている場合もあって、それが全部創作ノートとして役立ってきています。

日記って本心を書いているようでいて、実は全然違ったりするんですよ。人の心は複合的なものなので、書いたものが唯一の正解とはならない。自分自身であっても、どんな他者から見るかによって像は変わりますよね。

日記では自分自身について、どういう人から見たらどう見えるか、自分が違う性格だったらどう感じるかとか、いろいろな視点を試しながら書いています。

――日記はいつから書き始めたんでしょうか?

宇佐見:私、小学生の頃から「自分への手紙」を書いていて、その手紙に自分自身で答えてるんです。

――過去の自分と文通してる。

宇佐見:そうなんです。恥ずかしいから言ってこなかったんですけど(笑)。この手紙が日記の出発点だったかなと思います。

すごく覚えてるのが、私が高校生のとき、「今は何になりたい?」「今何してる?」っていう自分からの手紙を読んで、その無邪気さに、こう……がーっときちゃって。それで小さい頃の自分に宛てて、「ごめんね」って手紙を書いた記憶があります。

文藝賞とる寸前も自分宛に手紙を書いていました。賞とか関係なく満足したものを書ければそれでいいんだからね、って。

――過去や未来の語り直しは、自分の立ち位置を確認する行為でもあると思います。お話をうかがって、宇佐見さんは執筆活動において、自分自身の歴史や、自分の現在地を確認することを大切にしておられるのかな、と感じました。『推し、燃ゆ』に関しても、推しと自分が密着していると、推しの歴史が終わった時自分の歴史も一つ終わってしまうわけですよね。そうなると「持っていかれる」し、自分の立ち位置もわからなくなってしまうと思います。今ちょうどあかりのような経験をしている人が『推し、燃ゆ』的な文章が書けるかというと、おそらく書けないのだろうなと。

宇佐見:うん、それはそうですね。私も『かか』を書いたのは、渦中を少し抜けた時期だったんです。渦中で書いていたものは、あまり小説じゃなかったかもしれないですね。

でも『かか』以前に書いた小説は、そもそも全身全霊の「全部乗せ」で書いていなかったと思うんです。もともと自分と近いことを小説に書くつもりはなかったのに、『かか』は「書かされる」感覚がありました。全部乗せたら、結果的に「母と子」っていうテーマにならざるを得なかったんです。

執筆を支えているもの

――『かか』は宇佐見さんにとっての過去の語り直しだったんですね。宇佐見さんの「現在地」の問題を考えると、これからの宇佐見さんの小説がさらに楽しみです。今の宇佐見さんから未来について語るとしたら、どんなことが言えますか?

宇佐見:未来ねえ。うーん。今のところ、ちゃんとした希望が書けてないんですよ。三作目もたぶん渦中のことしか書けない。なので、未来は渦中と距離を置いて、そこからどう生きるか、という「その後」を書くかもしれないですね。わからないけど。

――ちなみに宇佐見さんは、書くのは時間がかかる方ですか?

宇佐見:かかる方、だと思います。早い時は早いけど、書くまでに時間がかかる。書けない時は、布団で、死体のようになってます。何もできない時は、本当に何もできないです。

一番書けるのは、気持ちが落ちて、ちょっと上がったタイミングです。でもここ一年ぐらい、ずっと気持ちの波は落ち着いてますね。地盤がちゃんとあるというか。

――「地盤」。それって何でできているんでしょうか。

宇佐見:「人がいる」感覚ですね。「自分が書いたものが読まれてる」っていうのが「孤独じゃないゾーン」として地盤になっています。

読者の方の反応を見ていると、私が読んでくれる人に対して「与えてる」とかじゃなくて、間接的だけど相互的な交流を感じます。

――読者の方に向けて、言っておきたいメッセージはありますか。

宇佐見:私が(私の小説を)「読まれる」こと自体によって救われてるってことは、確実に言いたいです。よく聞く言葉ですけど、「皆さまのおかげ」って言葉の意味がちゃんとわかった気がするんです。デビューまでは暗闇に(小説を)落としているような感じがしていたんですが、読んでもらっているおかげで、「私は一人じゃないな」って感覚が得られています!

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