映画の平行線 第5回:『追想』『若い女』

月永理絵と五所純子が、毎月公開される新作映画を交互に語り合っていく本連載。今回は、シアーシャ・ローナン主演の『追想』、そしてフランスの若手監督レオノール・セライユの長編デビュー作『若い女』について。

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aug 1 2018, 1:30pm

女の出てこない映画はない。けれど女はまだ語り尽くしていない。 “映画の女” を見ながら感じたアレコレを、お喋りのように、戯れ言のように、手紙のように、交わしてみたい。「映画の平行線」は最新映画とともに、映画ライターと文筆家が意見交換していく往復コラムです。


まずはイザベル・ユペールの話から始めたい。五所さんが言うように、ここ数年、ユペールの出演映画が次々公開されているなかで、『エヴァ』(ブノワ・ジャコー、2018)は実に奇妙な映画だった。同じ原作だとはいえ『エヴァの匂い』(ジョセフ・ロージー、1962)のジャンヌ・モローと比べる必要はないだろうが、それにしても驚いた。一目で若い男(ギャスパー・ウリエル)を虜にするファム・ファタルがイザベル・ユペールとは。それも、無表情な顔の上にさらに厚塗りの化粧とかつらをわざわざ被って。別に似合う/似合わないの問題ではない。ただ、ユペールがその肉体をもって男の官能性を刺激する、それもたった一目で、という描写が意外に思えた。女優としての彼女は、どちらかといえば静止画としての魅力より、その動作や身振り、喋り方で不思議と男たちを魅了する人だと思っていたからだ。

そもそも彼女には、どこか不感症的なイメージがつきまとう。女の不感症、あるいは不感症の女を、映画はどう扱ってきたのかについてふと考える。フロイトやフェミニズムを持ち出してこのテーマを突き詰める気はないが、その歴史のなかに、イザベル・ユペールという女優の位置は強く存在する。小柄で直線的な体。一見あどけないが、男の性的関心をはねつける冷めた表情。そのアンバランスさこそが彼女の魅力だ。そうしたイメージをもっともうまく利用したのがクロード・シャブロル(『主婦マリーがしたこと』『甘い罠』)で、それを悪趣味な形で転倒させたのがミヒャエル・ハネケ(『ピアニスト』)だったはず。そういえば、マイケル・チミノが『天国の門』(1981)のエラ役に、当時アメリカでは無名だった彼女を起用した際のプロデューサー陣の反応が可笑しかった。『ファイナル・カット』(スティーヴン・バック著、浅尾敦則訳、筑摩書房)によれば、パリへ彼女に会いに行った著者は、「表情には特徴というものがなくて、体はぽっちゃりとした幼児体型」なうえ「小柄で、鈍そうで、自分を魅力的にしようという努力がかけている」「十三歳くらいの赤毛のお転婆娘といった見かけの彼女」に、この映画の大失敗を察し愕然とする。だがおもしろいのは、このまったく魅力を感じなかったフランス女優と時間をともにするうち、当の本人が、その子犬のような可愛らしさに魅了されていく点だ。夜、ソファで足を崩し笑みを浮かべるユペールを見た彼は、思わず「なんて可愛いんだ」とつぶやいてしまう。

© British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

女の不感症といえば、イアン・マキューアンの小説『初夜』(村松潔訳、新潮社)を映画化した『追想』は、このテーマに真正面から取り組んだ興味深い作品だ。裕福な家に生まれたバイオリニストの女と、労働者階級出身で歴史学者を目指す男。偶然の出会いから一目で恋におちたふたりの初夜のやりとりを描いた本作。いやというほど時間をかけて描かれるのは、性交をめぐる男女の決定的な断絶だ。シアーシャ・ローナン演じるフローレンスの挙動不審さは、ポランスキーの『反撥』(1965)のカトリーヌ・ドヌーヴをどこか思い起こさせる。大きな目を見開ききょろきょろとあらぬ場所を見つめていたカトリーヌ・ドヌーヴ。姉と恋人が抱き合う気配に狂っていく姿は、不感症というよりも男性恐怖症と言ったほうが適当かもしれないが。

『追想』がおもしろいのは、これが同世代の若い女と男をめぐる物語だからだ。出会いから結婚まで、若いふたりは、どこまでも平等に、公平に、互いの世界を交わらせようとする。どちらかが優位に立ったり、片方が主導権を握ったりすることを必死で避けながら。だがどれほど平等であろうとしても、否応なく力関係が生じてしまうのがセックスだ。それが悲劇を引き起こす。女は秩序の破壊に恐怖を感じるが、男は女の拒絶を自己否定としか受け止められない。そのすれ違いを、若さや無垢さで片付けることはできない。彼らは、結婚という制度、男女の性の問題に真正面から向き合っている。もしここに年上の男、あるいは女が登場したらどうなるか。きっと彼らはこう言うだろう。「こんなことはたいしたことじゃない。君はまだ本物の快楽を知らないだけだ」。うすら笑いを浮かべながら。あたかも自分はそれを知っているかのような顔をしながら。そんな助言がこの映画に登場しないことが何より嬉しい。

© British Broadcasting Corporation/ Number 9 Films (Chesil) Limited 2017

ところで最近、この連載を読んだ人から「取り上げる映画がすべて年上の男と年下の女の話なのはなぜですか」と尋ねられた。偶然といえば偶然だが、そこに理由があるとすれば、私が(もしかすると五所さんも)、映画のなかでの男女の歪な関係性に惹かれてしまうからだろう。歪さは必ずしも年齢差だけによるものではないが、基本軸になってしまうのはたしかだ。『ファントム・スレッド』で、30歳以上の年齢差があるレイノルズとアルマがまるで当然のように恋に落ちる場面。その時点で、ふたりの、歪で気色悪い支配関係は始まっている。

さて、ではこの映画の場合はどうだろう。フランスの若手監督レオノール・セライユの長編デビュー作『若い女』。主人公は31歳の女性ポーラ。これまたかなり年上の恋人とつきあっていたポーラだが、その関係は映画の冒頭から壊れてしまっている。10年間を共に過ごした後、カメラマンの恋人に捨てられたポーラ。パリへ戻ったばかりの彼女には、住む場所も、お金も、仕事も、頼れる家族もいない。身一つで放り出された彼女は、恋人の飼い猫を抱え、友人の家や安ホテルを渡り歩く。

映画自体は、軽妙なコメディに仕上がっている。ポーラを演じるレティシア・ドッシュの喜劇的な演技のおかげでもあるだろう。彼女の奇異なふるまいは、いつも他人を驚かせ、ときに苛立たせる。劇中では小猿のようだと形容される、野性的な彼女の行動。その様子に笑いながらも、どこかで、彼女の失われた10年間のことを思い浮かべてしまう。ポーラと元恋人が過ごした時間。それは画面には決して現れない。だが、ふたりがもともと教師と学生の関係であったこと。彼と付き合うことで彼女は大学を退学し、長らく外国で暮らしたこと。彼の写真のモデルをつとめるようになり、彼女を写した写真によって彼が写真家として成功したことなどが、言葉によって語られていく。ふたりの関係を言葉にしてみると、いわゆる「よくある話」にしか思えない。地位を持った年上の男に捕獲された若い女が、その若さを芸術のために利用され、やがて捨てられる。男はまた次の生贄という名のミューズを探しだす。吐き気がするほど使い古された、若い女と年上の男の力関係。そう考えると、タイトルの『若い女』が皮肉に思えてくる。

©2017 Blue Monday Productions

でも、ポーラはそんな自分を卑下したり嘆いたりはしない。最初は、怪我を手当てしてくれた医者相手に怒りや愚痴を吐き出し続けるが、病院を抜け出すとさっさと自分の生活を立て直し始める。都会で女ひとりが生きていくのは大変だ。友人や母親に冷たくあしらわれ、お腹を空かせて街をさまよい歩く。そんなとき、自分を元同級生だと勘違いした見知らぬ女性に助けられる。ふたりでサンドウィッチを食べるシーンは実に感動的だ。やがてポーラは住み込みの子守りの仕事を見つけ、さらにお金を稼ぐため、デパートの下着屋での短期バイトを決める。ときに年齢を偽り、ジャンクフードを食べ、その場に合わせて服装を変える。普通は若い女がやるはずのことを、ポーラは次々に実現していく。それは、彼女の失われた10年、年上の男に搾取された若さを取り戻していく作業でもある。

感動的な場面はたくさんあるが、なかでも大好きなのは、ポーラが誰かと一緒にベッドで過ごした翌朝のシーン。どちらの場面でも、彼女は子どものような笑みを浮かべて朝の光を楽しんでいる。一度だけの、いつもとは違うセックス体験。あるいはセックスに失敗して寝てしまう夜。きっとどちらの相手とも、その後何らかの関係性に発展することはないのだろう。でも、それでいい。何かを始めるためのセックスだと思うから、そこに力関係が発生してしまうのだ。これは、すべてを失った女が本当に大事なものを見つける物語ではない。恋人に捨てられた女が新たな恋と出会う話でもない。もちろん自分の若さを奪った男への復讐譚でもない。彼女はただ、これまでやらなかったこと、やれなかったことをやってみる。そして都会で暮らすためのノウハウを学んだだけ。成長なんてしないし、大人にもならない。女の成長物語なんてうんざりだ。

美しいラストシーンのあと、ポーラはどこへ行くのだろう。もしかすると彼女はこれから物書きになるのではないか、と私には思えた。彼女はようやく、お金と“自分ひとりの部屋”を持ったわけだから。

©2017 Blue Monday Productions

若い女
8月25日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

追想
8月10日(金)よTOHOシネマズシャンテ他全国ロードショー