『パティ・ケイク$』映画評

新たなヒップホップ映画の主人公は、白人貧困層のプラスサイズ女性。「ダンボ」とバカにされる負け犬の彼女が、熱いラップを武器に掃き溜めから抜け出し、スターになることを夢みる物語。サンダンス映画祭で配給争奪戦となった話題作『パティ・ケイク$』を映画ライターの常川拓也がレビュー。

by Takuya Tsunekawa
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02 May 2018, 4:49am

『パティ・ケイク$』は、憧れのラッパー0-Zからのコールでステージに立つ夢を見ては、朝起きて歯を磨くときも排泄のときも熱心にラップし続ける大柄な女が「私の人生は最高」と自らに言い聞かせるかのように呟く場面から始まる。
続いてCDプレイヤーでお気に入りの0-Zの曲を聴きながら通りを歩いていると彼女の身体は浮遊していく。そのビートはあたかも強くなったかのように自信をみなぎらせ、空気の上を歩くような幻想的な空想を大きく抱かせるのだ。ラッパーのNORIKIYOは「ラップ・ソング聴いて気持ちがデカくなる/俺は俺なりここで描くヴァース」(「BAD GOOD」)と歌ったが、本作はヒップホップの持つそのようなポジティブな作用とアメリカン・ドリームをパワフルに描いたものだと言えるだろう。

元歌手でアル中の母親(ブリジット・エヴァレット)とヘビースモーカーの車椅子の祖母(キャシー・モリアーティ)と裕福ではない暮らしを送る23歳のパティ・ケイクス(ダニエル・マクドナルド)は、すべてを娘に押し付ける抑圧的な母から、そして周囲から「ダンボ」と嘲笑される息苦しい故郷ニュージャージーから抜け出し、ラップを武器にスターになることを夢見ている。薬局で働く友人ジェリやトラックメイカーのバスタードは彼女の才能を信じ、3人はヒップホップ・クルー「PBNJ」を組むことになる。

©2017 Twentieth Century Fox

たとえば、負け犬が夢に向かって邁進するストーリーなら『ロッキー』(1976)をはじめとして多くの映画に見られるものでもあるし、ホワイト・トラッシュとヒップホップを組み合わせた設定もエミネムが主演した『8マイル』(2002)が先行してあるだろう。しかし、この映画をユニークたらしめるのは、主人公がヒップホップの女王になりたいニュージャージーのプラス・サイズの女の子である点だ。

「ブルース・スプリングスティーンのハートを持ったメイ・ウエストとビギー(ノトーリアス・B.I.G.)をミックスしたような大きな少女がラップで成功する物語」──長編監督デビュー作となるジェレミー・ジャスパーは23歳の頃、薬局で働いていた当時の親友とニュージャージー周辺をドライブしていたときに「パティ・ケイクス」というキャラクターのアイデアをこのように話したという。その後、何年ものあいだ、彼のイマジネーションのなかでのみ生きていたパティを1991年オーストラリア生まれのダニエル・マクドナルドが生き生きと体現している。むきだしの言葉で烈火のごとくスピットし、確かなスキルを披露する彼女のラップの熱量とそのエネルギーの奔流が全編にわたって支配する。それこそがこの映画の喜びである。

ここで、本作の舞台がニュージャージーであることは指摘しておかなければならない。そこは監督ジャスパーの故郷であると同時に、ブルース・スプリングスティーンの出身地でもある。ジャスパーはこの映画のゴッドファーザーである彼の4thアルバム『闇に吠える街』からインスピレーションを受けてこの物語を練り上げたのだ。あるいは、パティという名は、同じくその地で育ったパティ・スミスに由来しているのかもしれない。彼らのように歌を通して、彼女もまた自らの生活環境や裏通りの人間模様に対して何か言おうとしているに違いない。パティ・ケイクスは掃き溜めの町を去ることを夢見ていたジャスパーの分身に他ならないのである。

©2017 Twentieth Century Fox

ヒップホップを取り扱っている以上、まず最も重要なことは、そこで披露されるラップがダサくないことだろう。本作はそこをクリアしている。しかし、とりわけヒップホップはサウンドの面でもフォーマットの面でもトレンドの変化が早いカルチャーだと言えるが、同様にスプリングスティーンをフィーチャーした『アメリカン・ハニー』(2016)が現行のトラップ以降のヒップホップを取り込んでいるのに対して、本作のヒップホップ観が一時代前の古いものに感じられるのも事実かもしれない。

その意味において、奇妙なことは、パティの身の回りのガジェットが時代遅れである点だ。パティはスマートフォンではなくガラケーを使用し、音楽はCDで聴いている(彼女の母に至ってはテープで聴いている)。本作は時代を明確には定義していないが、もしかしたら少し前の時代設定なのだろうか。あるいは、パティがデモCDをMCライト演じるDJに手渡しすると、「随分と古風なやり方ね。CDはもう廃れた」と指摘される場面があることを思えば、地方に住む彼女たちは時代から取り残されているニュアンスもあるのだろうか。本作の音楽がいまのトレンドというよりも、オールドスクールな曲調である部分は、こういった辺りにも起因しているのかもしれない。

『パティ・ケイク$』は悪態ばかりつく口の悪いキャラクターが中心となっているが、しかしこの物語は実際のところ、次第に三世代の女性間のコミュニケーションの必要(祖母は辛辣だが孫娘の夢に愛情を持って声援を送る)、とりわけ忌み嫌い合う険悪な母娘の関係の修復を要請する。歌手の夢に敗れ、アルコールに溺れる母のかつての歌をサンプリングした曲に娘がラップを乗せること、そして娘から母へのマイクパスを描くことで、ジャスパーは歌というトラウマによって、世代の異なるふたりの女性に共通のコミュニケーション手段の必要性を認識させるという倫理的な側面を(いささか過剰に感傷的ではあるが)エモーショナルに表現しているのである。

ブロンクス出身のラッパーKRS・ワンは、かつて「ラップ・ソングは自信のサンドイッチのようなものだ」と語った。すなわち、ファンが口のなかでリリックを繰り返し口ずさむことで、MCの肯定的な自信が聴く者に反響し、自分自身の自信を高めることにつながるというのだ。だとすれば、『パティ・ケイク$』は、ヒップホップのポジティブな発話や身振りを通して、自信を持てないでいる者に自信が伝染するその現象について描いてもいるのである。

『パティ・ケイク$』
2018年 4月27日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー

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