©️2017 Twentieth Century Fox

『スリー・ビルボード』映画評

本年度アカデミー賞最有力作。抗議の手段として宣伝カーを使う「スリー・ビルボード」現象をアメリカやイギリスで巻き起こした話題作を、翻訳家・ライターの野中モモがレビュー。

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feb 27 2018, 10:13am

©️2017 Twentieth Century Fox

アメリカ中西部ミズーリ州の田舎町エビング(架空の町だ)。娘を何者かに殺害されてから7ヶ月、捜査が一向に進展しないことにしびれをきらした母親ミルドレッドは、思い切った行動に出る。「迷ったやつかボンクラしか通らない」町はずれの道路沿いに朽ちかけたまま放置されている三枚の看板(ビルボード)に目をつけ、個人広告を出したのだ。「レイプされ殺された」「犯人逮捕はまだ?」「どういうこと? ウィロビー署長」
住民からの信望も厚い警察署長を名指しで批判した看板は波紋を呼び、さらなる軋轢が引き起こされる。はたしてミルドレッドは真実に辿り着くことができるのか。復讐は遂げられるのか。そして赦しは。

本作の製作・脚本・監督を務めるマーティン・マクドナーは、イギリス演劇界で劇作家として高い評価を得たのち映画に進出した才人。一面の赤に文字だけの看板、ナレーションで読み上げられる3通の手紙、意外な人物の意外なひとことなど、言葉の力に重きを置いた見せ場づくりには、確かに舞台っぽさが感じられる。だがそれと同時に、カメラを使って演劇ではできない表現をする喜びもにじみ出ているから強い。退屈な町の茫洋とした風景、クローズアップで捉えられる役者の表情、突然の野生動物、登場人物の移動がもたらすサスペンス。
人がゴミのように大量死する大作アクション/パニック映画と、ヒリヒリと生々しく痛い芸術・実験映画の中間といえそうな暴力描写のバリエーションはずっしりくる見応えだ。暗闇に燃え上がる炎は、映画だから許されるコントロールされた災厄の美しさをたたえている。

©️2017 Twentieth Century Fox

設定上どうしても華やかになりようがない画面を持たせるのは、説得力のある演技だ。女性には特に「若く美しく好感を持たれること」が要求される文化においてまだまだ貴重な「ちっとも “いい人” じゃないタフな労働者階級の中年ヒロイン」を、年齢相応の皺が刻まれているフランシス・マクドーマンドが演じるのを見るのは新鮮な体験になる(男性ならばこういうキャラクターはこれまでにもたくさんいたはずだ)。サム・ロックウェルは、まさに最悪と言えそうな人種差別主義者の暴力警官役に人間味を与えており、映画賞レースでの高評価も納得。いかにも頼りなさそうな広告会社の経営者役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズもいい。

©️2017 Twentieth Century Fox

この作品がアメリカで公開されたのは2017年11月。2018年に入ってからアメリカの学校や学校近辺で発生した発砲事件はすでに18件を数え、2月14日にフロリダ州の高校で発生した銃乱射事件は17人の命を奪った。高校生たちはこれを受けて大規模な抗議行動を組織している。その一環として、この映画に倣い、全米ライフル協会(NRA)から資金提供を受けているフロリダ州下院議員を批判する看板(宣伝カー)が出されたそうだ。「学校で虐殺」「なのに銃規制はまだ?」「どういうこと?? マルコ・ルビオ」

こんな現実を前にすると、自分は暴力に対する危機感がまだまだ薄いのだと思い知らされる。人が人を傷つける力を行使しやすい社会、銃がわりと簡単に手に入る環境はろくなものじゃない。やはり銃は製造も販売もしっかり規制するべき。兵器も同じこと、武器の製造・輸出に力を入れるなんてもってのほか。暴力がエスカレートする前に、蹴り入れるぐらいで済ませられるうちに蹴りを入れておきたい。って、あれ!? 間違ってる!? そんなことをぐるぐる考えてしまう。

『スリー・ビルボード』は今日を生きる人々が直面している諸問題に目を配りつつ巧妙に作り上げられたエンタテインメントだ。映画ならではの復讐のカタルシスはここにはない。居心地の悪い笑いはある。最後にはほんのりと希望の光が感じられなくもない。憎しみはどこから生まれるのか、暴力の連鎖を止めることはできるのか、というテーマは普遍的なものだが、「2018年の1本」として記憶に刻まれることになりそうだ。

『スリー・ビルボード』TOHOシネマズ他で上映中。