誠実なドキュメンタリーを撮るように:ジェイミー・ホークスワース interview

「その場に足を運び、目の前で起こっていることを素直に受け入れ、自分自身がどのように反応するかが大切だと信じています」。そう語ってくれたのは、30歳の写真家ジェイミー・ホークスワースだ。写真集『Preston Bus Station』の刊行を記念して来日した彼が、その撮影の方法論、写真に込められる「真実味」について語った。

by Tatsuya Yamaguchi; photos by Chikashi Suzuki
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19 February 2018, 7:51am

ロンドンの北東約110km。歴史的建造物と新興の工業地区が共存する古い港町、サフォーク州都イプスウィッチで育ち、後にプレストン大学で法科学鑑定を専攻。ディープなアート教育を受ける環境にいたわけではなかったが、大学在学中のある授業の一貫で仮想の事故現場を写真に収める機会があり、その経験がきっかけとなって写真専攻に転入する。これらは現在、J.W. AndersonやLOEWE、Alexander McQUEEN、miu miuなどのキャンペーンフォトや数々の有名誌でのエディトリアルで広く知られ、世代を代表する写真家のひとりに数えられるジェイミー・ホークスワースのごく簡単な略歴だ。新作写真集『Preston Bus Station』の刊行を機に来日していた彼と、代官山蔦屋書店で待ち合わせた。すらっとした長身で、飾らず朗らかな空気感を纏っている。彼の人となりと写真作品の共通性は、語らずにはいられないものだとここにいた皆が直感させられた。「何でも尋ねてほしい」。彼とのインタビューは静かに始まった。

——先ほど『Preston Bus Station』を拝見しました。一枚一枚の写真がドキュメンタリーフィルムのワンシーンのように美しく、吸い寄せられるようにページを捲りました。
そう汲み取ってくれるのはとても嬉しいです。ありがとう。

——ブルータリズム建築の代表格としても知られるプレストン・バスステーションが取り壊されるというニュースを耳にしたことが、制作のきっかけにあったと聞きました。その風景や行き交う人々を改めて記録したいという衝動的なものもあったのですか?
そうですね。地方都市であるプレストンのバスターミナルを初めて撮ったのは、2011年のとある週末でした。2日間をバス停で過ごしながら、そこにいる少年たちに声をかけてカラー写真を撮影するプロジェクトです。確か6枚のポートレイトしか撮っていませんが、この2日間は写真家としての原点といってもいい。その後ロンドンに引っ越したのですが、あなたが言うようにバスターミナルの取り壊しの話を聞いたのです(*取り壊しは撤回された)。そのときにもっと深くあの場所に向き合うことが重要なのではないかと考えましたし、少なくとも僕が長い時間を過ごして写真に収めることで、また違ったレベルであの場所を理解できるはずだと思ったのです。そうして僕は1ヶ月間、毎日をあの場所で過ごし、基本的には朝8時から夜8時までバスステーション内を徘徊し、目に留まる人が現れるのをずっと待っていました。

——毎日12時間も、忍耐強く待ち続けたのですね。どのような人々に目が留まったのですか?
ほぼ直感的な作業でした。バスステーションは複数の円が連なった構造をしていて、日ごとに、その中のひとつのループを延々と歩き回りました。頭の中で「こういう人を撮りたい」「ああいうタイプの人を探そう」と考えることはしませんでした。人が来てはすぐにバスに乗って去っていく。バスステーションの特性を考えても、人の滞留は一時的で流動的な動きがありますから、誰かが現れたらすぐに写真を撮らなくてはいけない。自分の直感に頼るほかなかったわけです。今改めて考えてみても、自分でも人選の理由はよくわかりませんし、残念ながらはっきりと言葉にできません。「あっ」と思ったら反応する。その繰り返しでしたね。

——そうした偶然性を含んでいるということが、僕たちが写真から感じることのできる「誠実さ」や「温かさ」にもつながっているのでしょうか?
そうであることを願っていますね。僕はイングランド中を旅して撮影することが多いのですが、イングランドは気温が低く、光の感じは少々青みがかっていて冷たい。プレストンに初めて訪れたときに感じた印象もそうでした。一方で、僕はイングランドという場所を楽観的かつ祝賀的に表現したいと常々思っています。ですから、暗室の中ではカラートーンを暖色に傾けるようにしている。それによってイメージを優しく、温かく描くことができると感じていますから。

——ジェイミーさんの作品の美学に通じることとして、ドキュメンタリー的、ランドスケープ的なアプローチはやはり欠かせませんか?
その通りです。まだ大学生だった頃、僕は写真撮影に夢中になりました。最も手軽に自分の時間を有効活用する方法は、ただ街に出てポートレイトやランドスケープを撮影することでした。計画不要。スタジオ不要。とにかく世界に飛び出して、ドキュメンタリーを撮るように写真を撮ればよかったのです。と同時に、自分の足を使って写真を撮ることの大切さに僕はすぐに気が付くことができた。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、こと写真に関しては、伝えたい内容と、その必要性、撮影場所の適切性といったことを深く考えすぎている人が多いようにも感じています。だから、この質問に対しての答えは完璧にイエス。初めから最も重要なことでした。

——いわゆる報道写真とは一線を画すようなジェイミーさんのWSJ Magazineなどの写真を見ていて、世界のどこかで起きている現象を優しく引き受け、肯定する、あなたの知性と美意識を感じました。
そう共感してくれてありがとう。先ほどの質問の答えにも通じますが、WSJのプロジェクトでは南極大陸やコンゴ共和国に行ったとき、自分が何を伝えたいのかを考え過ぎないことを強く意識していました。僕は一貫して、その場に足を運び、目の前で起こっていることを受け入れて、自分自身がどのように反応するかが大切だと信じています。感受性を開放するかのような「オープンなアプローチ」によって、あらゆる奇妙で素晴らしいものが写真に忍び込むと考えているからです。道を間違えることも、失敗することも受け入れる。被写体に対して素直にアプローチすれば、撮り手の信憑性が写真を観る人に伝わるはずです。僕はそういったことのすべてをプレストン・バスステーションで学び、ファッションフォトを含むドキュメンタリー以外の作品にも同じように取り組むことができていると思っています。僕の写真にある種の「真実味」を感じてくれることを願っています。

——主題がファッションに変わってもあたたかく訴えかけてくるものがあります。
写真について考えるうえで大事にしていることは、ファッションのプロジェクトであろうと商業的なプロジェクトであろうと、もしそこに自分にとって大切なものがあると直感できて、何かをプロデュースできる可能性を感じたら迷わずに引き受けるということです。

——最後にもう一つだけ。そうしたアプローチで日本を捉えるとしたら?
実は日本でも何度かプロジェクトに取り組んだことがあるのです。日本各地を旅しましたし、2013年にはニューヨーク・タイムズ紙のプロジェクトで、沖縄の音楽シーンを捉えるといったものも。そのときもまた、多くの準備をせず、ただ沖縄に行き、カメラを手に現地を歩き回りながら撮影を続けました。日本語を話せないわけですから、当然言語のバリアがありました。誰かのポートレイトを撮りたいのに自分の意図を伝えられないこともある。しかし、時にはそれによって、日本の方とは異なるフィーリングやイメージが生まれることもある。その共存の「バランス」は今、とても興味深く思っていることですね。

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