「『GALS!』はバイブル」三原勇希×あっこゴリラ×文月悠光が語る『GALS!』の教えと寿蘭のギャルマインド

ギャル文化が花開いた1998年から2002年に「りぼん」で連載され、2019年に続編が始まった伝説の漫画『GALS!』。主人公・寿蘭のギャルマインド直撃世代の3人が渋谷に集まり、その魅力を語り尽くした。

by Kimi Idonuma; photos by MIRAI
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03 September 2020, 9:14am

ルーズソックスと厚底を履いて、パラパラを踊り、日サロに行く。そんな日常が当たり前に存在していた(かもしれない)ギャル文化全盛の時代に、とある少女漫画が連載を開始した。その名も『GALS!』。圧倒的な正義感と明るさで日々を生き抜く渋谷最強のコギャル・寿蘭(ことぶきらん)や、その親友の綾、美由の日常を描いた物語は、90年代後半〜2000年代初頭に思春期を過ごした「ウチら」のバイブルだった。

ビーズのブレスレットを作ったり、自由帳にハイビスカスを描いたり……わずかなお小遣いの中で、なんとか「ギャル」を目指した『GALS!』直撃世代にとって、作者の「みほなっち」こと藤井みほな先生のSNS開設と約20年ぶりの続編『GALS!!』の連載開始は、2019年1番のビックニュースだったのではないだろうか。

今回は『GALS!』好きを公言するラッパーのあっこゴリラ、詩人の文月悠光、タレントの三原勇希を渋谷に召集し、『GALS!』CHO→サイコー会議を開催。『GALS!』が何故ここまで人を惹きつけるのか、作品の魅力を語り尽くすと共に、改めて「ギャル」の定義を考えた。What is GAL? その答えは、きっとあなたの中に♡

■ファッションも言語も取り入れて、ひたすら「今」を楽しむギャル

──みなさんの『GALS!』との出会いを教えてください

あっこゴリラ:私はりぼんっ子だったんですよ。「なかよし」「ちゃお」「りぼん」の三国志の中から、私は「りぼん」を選んでた。当時の「りぼん」には『GALS!』はもちろん、『神風怪盗ジャンヌ』もあったし、少し年代はズレるかもだけど矢沢あいの漫画もあって。

文月悠光:私もいわゆるりぼんっ子でした。小学4年生頃から、友達の影響で毎月「りぼん」を買うようになって。当時日記をつけてたんですけど、そこに『GALS!』の似顔絵とか、自分の好きな登場人物ランキングとかを書いてました。全部ひらがなで。

三原勇希:(日記の写メを見て)やば〜い! 超可愛い!

文月:ギャル語の解説も一緒に書いてあって。「バリムカ」「ガンムカ」「オール=みんな」とか(笑)。

あっこ:『GALS!』に載ってたギャル語集は、私もくまなくチェックしてたかも。

──三原さんもりぼんっ子だったんですか?

三原:それが全然違うんですよ。漫画はそもそもほとんど読んでなくて「なかよし」をたま〜に買うくらい。ファッションが好きで「ニコラ」と「ピチレモン」を買ってたんですけど、その2冊を買ったらお小遣いが終了しちゃって。『GALS!』は単行本を買って、たしか10歳くらいから読み始めました。

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三原:これはファッション誌でも『GALS!』でもやってた読み方なんですけど、1回読んだら2周目は「この1冊のなかで好きなものを100個もらえる」って架空のルールを作って(笑)、このヒョウ柄のマフラーと、このアルバローザのニットと……とか数えていくと、100なんて本当あっという間なんですよね。

あっこ:超わかる!

三原:そういうファッション視点でも『GALS!』は大好きだった。

あっこ:ファッション的な意味では、私は美由ちゃん派だったな。

三原:スポカジね〜! ロコガールでしょ!?

あっこ:そうそう。

三原:あと『GALS!』というかギャルが最高だなって思うのは楽しいところ。切り替えが早い(笑)!

文月:藤井先生は1話完結ものっていうのも意識して描かれてたから、そこも切り替えの早さに影響しているのかもしれないですね。基本引きずらない。読んでて気持ちがスッキリします。

あっこ:『GALS!』が連載されていた90年代の終わりって、テレビドラマの内容も世紀末みたいなテーマが多かったし社会問題も多くて、終末に向かっていくような暗い雰囲気があったと思うんだけど。でも『GALS!』はそこで、むしろその瞬間瞬間を生きることを誇示してた感じがするんだよね。そこが当時の社会に対する良いカウンターになってたし、格好良かった。蘭ちゃんは「空っぽですが何か?」っていうアクティビストなんだよね。それがネチネチ引きずらない、切り替えの早さにも繋がってるのかもしれない。

──物語の中でも蘭は「真のギャルっつーもの『本気で楽しく生きる』!これ鉄則!!」って言ってましたもんね。

あっこ:ギャル文字とかガングロメイクもさ、そこにどんな深い思想があるんだ!? って思うけど、逆なんだよね。超表面的! 今が楽しければそれで良いっていうのを突き詰めたらああなったっていう。

三原:可愛さ、格好良さを突き詰めていった結果がギャル文化だもんね! そういえば「ニコラ」で自分のギャル文字が付録になったのを思い出した。ギャル文字をなぞって練習するやつ。

あっこ:ヤバ! ギャルを啓蒙する側だったんだ!

文月:絶対同級生もなぞって練習してた(笑)。

──「可愛いから」っていう理由だけで文字を作っちゃうギャル文化、強すぎますよね。可愛さを追求する姿は耽美派みたい。

あっこ:むしろギャルはアンディ・ウォーホルなのかもしれない(笑)。表層こそ真実、みたいな。

──ギャル文字もMoMAに収蔵されてほしい!

■少女漫画は社会の空気を最速で取り込む

あっこ:『GALS!』は主人公に共感させるような作品ではなく、「蘭ちゃんの背中を追いかけたい!」って読者に思わせるスタイルで、それでビジネス的にも大成功したのが素晴らしいと思う。日本って基本、共感ビジネスだから。しかもダメな自分を正当化してくれるような、傷を舐め合う型の共感が多い。ま、それも大事なんだけど、『GALS!』のあり方も素晴らしいなって。価値観の提示の仕方として、私は好き。好きやな〜。

文月:漫画が共感ビジネスのほうに寄っていったのは、もしかすると『GALS!』より後の流れなのかもしれませんね。女性向け漫画で言うと、90年代から2000年代前半って、蘭ちゃんを筆頭に「明るくて正義感の強い女の子」が主人公の作品が多かった気がする。矢沢あい先生の『NANA』とか、あのあたりからまた流れが変わってきた感じがします。仲間と楽しく過ごす日常もあるんだけど、常にその終わりを見据えてて、心の闇が見え隠れする。刹那的な儚い関係を描いていた。

あっこ:音楽シーンも似てるかも。90年代はBLANKEY JET CITYとかTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとか、ちょっとイっちゃってる感じが格好良かったじゃん。例えば「次は新しい新曲〜」って言っても「喋り方間違ってるけど格好良い!」みたいな(笑)。

一同:(笑)。

あっこ:そういうカリスマ性みたいなものがあったけど、アジカンくらいからメガネの兄ちゃんがロックするっていう格好よさに変わっていった流れがあるかも。これもカウンターですよね。主流になったものに対して歪みが出てきて、またその反動として正反対のものが盛り上がるっていう。それこそガングロも「美白が正義」のカウンターとして生まれてるし。最近90年代、2000年代リバイバルが来ているのも、沈みきったテンションの中にまた新しい風を吹き込む流れなのかも。

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──もう暗いばっかりじゃいられないみたいなことですかね?

あっこ:今は「むしろ暗くて何が悪いんですか?」みたいなものもあるしね。ビリー・アイリッシュとか。私は他人から「女バス出身で陽キャで、いつもキラキラした人生ですね」みたいなことを言われたりするけど、「お前らまじでラベリングが好きなんだな」って思う。10年前くらいに流行った「隠キャ」が「陽キャ」を馬鹿にするみたいな文化も、もう面白くない。

三原:Twitterとかは、割とそういう文化だったよね。

文月:確かに。どこから潮目が変化したんだろう?

あっこ:2018年あたりから徐々に、「クソ落ち込んでるし、毎日死にたいですよ? でも同時に毎日生きてて超楽しいの」みたいなことをひっくるめて胸を張れちゃう流れが出てきた感じがするかな。

文月:少女漫画に話を戻すと、私が読んでいた2000年代頭って「地味でダサくて暗い」女の子が、男の子との出会いをきっかけに、見た目を大変身してモテモテになるとか、一発逆転の成功譚が主流でした。でも2006年から連載を開始して大ヒットした『君に届け』は、暗い女の子が暗い女の子なりに勇気を振り絞って、自分の弱さに気づいていく過程を繊細に描きますよね。いわゆる「隠キャ」「陽キャ」というラベリングじゃなくて「このキャラクターの言っていることには筋が通ってるな」って思ったら、読者はついていきたくなる。

あっこ:そういう意味では、爽子(『君に届け』の主人公)は先をいくカリスマ系だったんだ。

文月:少女漫画は、文学や映画よりも圧倒的に早く、女の子たちの心を最速で捉えていますよね。3年前に仕事の関係で、久しぶりに「りぼん」本誌を読んでみたら、自分が学生だった頃と、描かれている文化が全然違っていて驚きました。当時中高生に流行っていた「バカッコイイ動画」を撮る文化祭のエピソードがあったり。漫画家の先生たちも、年齢を重ねていく中でどう10代の心を描くか、実際に取材されたりして研究されてるんですね。少女漫画は、若者文化をいち早く反映して伝えてくれる、一つのメディアでもある。

三原:『GALS!』の単行本には、みほな先生の取材日記もいっぱい載ってますよね。「今日も厚底でコケた」とか、どうでも良い話がサイコー。

文月:あのノリのいい勢いのある文体も懐かしいですよね。小学生の頃、友達と交換ノートをしていた時の、敢えてとりとめのないことを綴る文体を思い出します。「超」を「CHO→」って書いたりとか。

三原:わかる〜。

■街は人ありき。変わり続ける渋谷

──『GALS!』は渋谷という街の資料としても面白く読めますよね。例えばグラフィティが描かれた宮下公園(現:MIYASHITA PARK)が細かく描かれていたり。みなさんの渋谷に対する印象は、『GALS!』を読んでいた当初と変化しましたか?

三原:大阪で『GALS!』を読んでいた当時は、渋谷は超憧れの地でした。中学生でモデルを始めてからは週末に仕事で東京に来るようになって、毎回マルキューに行ってました。何回か大きいトランクを忘れて帰ったことがあるくらい夢中になって(笑)。でも今は昔ほど「渋谷といえばこれ!」みたいなカルチャーはあんまりないかもしれないですね。

文月:都市開発については個人的に思ったりすることはありますか?

三原:色々ありますね。開発で失われたものや追いやられた人のことも考えるし、単純にこんなに建物いらないんじゃ?とか。ハイブランドも超至近距離にいくつもあったりして。けど『GALS!』でも蘭が「落ち着く」って言ってたみたいに、なんでもありで、どんな人も受け入れるところが渋谷だと思うから、これからも常に変わっていく街だとは思うかな。今、渋谷に来始めた人もいるんだろうし。

文月:常に上京組はいますからね。

──文月さんは北海道から見た渋谷と実際に来てみた渋谷で、印象は変わりましたか?

文月:印象深いのは、上京したばかりの2010年5月に、佐々木敦さんとの対談場所として渋谷PARCO近くの喫茶店を指定されたこと。めちゃくちゃ迷って遅刻しながら向かった記憶があります(笑)。その後も奥渋の書店SPBSでインターンをしたり、ミニシアターに通ったり、足を運ぶ機会は多かったんですが、何度来ても、渋谷は自分のいる場所じゃないって感じがして、落ち着かなかったですね。昔は憧れの街だったけど、どんどん日常に染まっていく感覚がありました。

『GALS!』では、渋谷ギャルとブクロ(池袋)のギャルが対極的に描かれてましたが、連載を読んでいた当時の自分は札幌の郊外在住だから、どう違うのかわからなくて。上京してやっと、沿線や街の雰囲気の違いを理解できました。

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──あっこさんはどうですか?

あっこ:私は西武線沿い生まれで、池袋寄りで育ったんですけど。あ、ちなみに池袋には「ダサい」ってイメージがあって。

三原:マミリン(『GALS!』に登場するブクロのカリスマギャル)にキレられるよ(笑)。

あっこ:いや違うの! このダサいはディスじゃなくて、好きなの(笑)。『IWGP(池袋ウエストゲートパーク)』も大好きだし。他の人に「ダサい」って言われたら「オメーに何がわかんだよ」ってなるから(笑)。で、渋谷にはマルキューに福袋を買いに行ってました。1万円で何着買えるか、みたいな(笑)。

あとは私SPEEDが好きで、SPEEDのリリックにも「街を抜け出してどこまでも行ってやろう」みたいな感じがあると思うんですけど、そこで描かれる「抜け出した先の街」っていうのが『GALS!』が描いてるキラキラした格好良い渋谷ってイメージだったかな。大人になってからは、ラッパーになって渋谷のクラブとかで遊ぶようになって。それが超楽しくて、渋谷が「みんなと遊ぶ場所」になった。

──遠くにある憧れの街ではなくなったんですね。

あっこ:そうそう。「行くぞ」みたいな気持ちはもう全くない。すっぴんにパジャマでも歩ける(笑)。庭になった。あと私はやっぱり土地じゃなくて人がホームだし、人が街だと思う。店とかハコとかも、もちろんあるんだけどね。

──『GALS!』で蘭に想いを寄せる二位くんが、蘭に会うために渋谷に来てたのを思い出しました。

あっこ:でも本当にそうだと思う。もともと街って人ありきで作るものだと思うし。同時に止められない変化もあると思うけど。

■『GALS!』から考える、ウルトラフェミニストの鉄則

──『GALS!』の中で、特に印象的なシーンはありますか?

文月:改めて読み返したら、自分に自信のない綾に対して蘭ちゃんが「自分嫌いな奴が人に好きになって貰おうなんて虫がよすぎる」と諭すシーンが刺さりました(笑)。自分が10代の頃にこの言葉を浴びてたら死んでたんじゃないかなってくらいのキラーフレーズ。

あっこ:私がすごいと思ったのは、蘭ちゃんがタツキチ(蘭の彼氏)のほっぺに自分からキスしたときに頬を赤らめてなかったこと。別に赤らめてても良いんだけど、少女漫画でヒロインが自分からキスして、頬を赤らめてないって描き方は結構珍しいと思う。女性が男性をベットに誘った初めての少女漫画は『ベルサイユのばら』らしいんだけど、そういうシーンって未だに珍しい。「してやるよ」ってスタンスは、さすが蘭ちゃんだなって。

文月:好きな人の前だからこそ素の自分を貫くっていう態度が潔いですよね。大人になってみると、それがいかに難しいことか、よくわかるから。読み返して驚いたのは寿蘭が「私はバージンだ!」って堂々と宣言する場面。それを周囲に馬鹿にされる描写もあるけど、蘭はそれを全く恥じたりしない。「りぼん」誌上の性の描き方としては、かなり挑戦的だったんじゃないかな。他の作品は、最終話で意中の相手とキスして終わり、みたいなものが多かったから。

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三原:それで思い出したけど、『GALS!』は1巻に「フェミニスト」って言葉が出てくるよね。

──「ウルトラフェミニスト」ですよね!

あっこ:やっぱ私の中に『GALS!』のDNA入ってるわ〜(笑)。

文月:ファミレスで蘭たちに料理をおごってくれる男の子が「ウルトラフェミニスト」って呼ばれてて、使い方が合ってるか分からないですけどね(笑)。

あっこ:それに関連して言うと、フェミニズムの理論だけをふりかざそうとする人たちには『GALS!』読んでって思うかな。私、4月に結婚したんですけど、その時に「家父長制の象徴を受け入れるなんてガッカリ」って言われたんです。個人個人の事情や、その人がどういう理由で結婚を選んだのかも知らないで断罪するって理論で判断してるだけで、自分の頭で考えてないと思うんですよね。

文月:婚姻のシステムに入ったからこそ初めてわかることや主張できることもあるかもしれないのに、形とか表面だけで「それはフェミじゃない」って判定されるのは意味不明ですよね。

あっこ:そうそう。私は結婚に憧れがないからラフに取り入れるだけだし。フェミニストって自分の主体性を持つことが絶対大事だと思うんです。自分の頭で考えるっていう当たり前のこと。一人ひとりの頭と、自分の人生を通した言葉じゃないと会話はできない。

文月:価値観の違う人たちと日々接しながら生きる中で、意見がぶつかることもある。理論だけではどうしようもない、その折り合いのつけ方については、私も直面するたびに「どうすればよかったんだろう?」と悩みます。

あっこ:私はやっぱりコミュニケーションが必要だと思う。いわゆる「コミュ障」が多い。理論ばっかで話されると「おめーと話がしたいんですけど?」って気持ちになる。しかも結局「コミュ障」って努力不足だから。怠慢だよね。努力しろよ! って思う。そういう時もやっぱり『GALS!』読んで出直せって思うよね(笑)。

文月:蘭ちゃんが素晴らしいのは、自分と全く違うタイプのクラスメートも疎外しないし、さりげなく気遣ってあげたりと細かなコミュニケーションを怠らないところですよね。

あっこ:コミュニケーション力ってハウツーじゃなくて勇気だと思うんだよね。成長過程の不完全な自分をどこまでさらけ出せるか。

三原:それって勇気だし、優しさでもあるよね。相手の不完全な部分を受け入れる優しさ。『GALS!』でも、蘭をひがんで傷つけようとした女の子が最終的に「結局一番優しくしてくれてたのは蘭だった……」って気づくシーンがあったね。

──蘭が「傷つかない心のほうがよっぽどモロいんだぜ」と話すシーンもありましたよね。

文月:蘭ちゃんは自分に自信と誇りを持っているから、誰かに承認される必要がないんですよね。だから誰が相手でも気負わずにコミュニケーションができる。自尊心がすごく高いですよね。

あっこ:あるね、ヒップホップだね。

■『GALS!』=バイブル、寿蘭=キリスト、みほなっち=マリア。

三原:蘭ちゃんって去り際がいつも格好良いよね。1巻のしょっぱなで男に貢がれたバッグを投げ返してるし、自分を騙そうとした男にだって「逃した魚はデッカイぜ!」って言い放ってる。

文月:あのシーン良いですよね。高一にしては大人びた潔い印象もある。

あっこ:蘭ちゃんにはずる賢さとか、腹黒さみたいなものがないよね。でもそれはある種、幻想でもあると思う。

文月:1巻の時点から寿蘭はサイコーなわけだけど「どうしたら自分が蘭みたいになれるか?」っていうとなかなか難しいですよね。

三原:常に何枚も上手。

あっこ:自己顕示欲とか、自分をよく見せようとする下心とか蘭ちゃんにはないように見えるけど、実際の人間にはどうしてもそういうクソみたいな部分があるじゃん? だからこそ『GALS!』マインドで、そういう自分の弱い部分にしっかりと胸を張るっていうのが大人の生き方なんじゃないかなあ。蘭ちゃんは完璧な聖人だから(笑)。だから蘭ちゃんを理想化しすぎちゃうと危険な部分もある。理想を追い求めて潔癖になりすぎると、人を妬んだり不完全な人を排除したりってことが生まれるから。

──どんなに寿蘭になりたくても、上手くいかないことが人生にはありますもんね。

三原:全然ある。

あっこ:私も全然死にたい日とかandymoriしか聴かない日もあれば、ヒップホップしか聴きたくない日もある。自分をひとつのキャラに当てはめない方が良いなって思う。

三原:毎日違う自分みたいだけど、それが普通だよね。

文月:寿蘭は共感(シンパシー)というより憧れの対象ですよね。

あっこ:蘭ちゃんは人間というより神にふさわしい存在。だから『GALS!』もバイブルとして成立するんじゃないかな。みんながキリストになりたいと思って願うわけじゃないじゃないですか? それでいうと藤井みほな先生はマリア。

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■WHAT IS GAL MIND?

──最後に皆さんの思う「ギャル」の定義についてもお聞かせいただけますか?

三原:厚底とかルーズソックスの文化ももちろんあったけど、ギャルっておしゃれが好きなだけじゃなくてマインドの話だと思います。当時は漠然と「蘭ちゃん格好良い! こうなりたい!」と思ってたけど、今17年ぶりにちゃんと読み返したら、私がその後実際に社会でいろんな経験をしていろいろ思い悩んだ末に、ようやく最近たどり着いた答えみたいなものが『GALS!』には載ってる気がして。たとえば「自分は誰から何と言われようとサイコーだし、好きなようにポリシーを持って生きればいいんだよ」とか「自分の価値は自分で認めてあげよう」っていう考え方とか。そういうマインドでいったら、私は今もギャル。

──サイコーですね。

三原:多分この先もずっとギャル。それにギャルのマインドを持ってる人は、今たとえおしゃれしてなくても、母親でも、みんなギャルだと思います。

文月:「りぼん」の読者には、ギャルの子ももちろんいるだろうけど、「非ギャル」の読者が相対的に多いと思うんですよね。藤井先生は、単行本で彼女彼らへ向けたメッセージも書かれていて。3巻の巻末(カバーの折り返し部分)にある「白くたって黒くたって、オシャレして毎日楽しくすごして自分の意志をはっきりもってれば、それで立派な『ギャル』だと思いまーす!!」って言葉、10代の自分が読んだらすごい嬉しいだろうな。

あっこ:サイコー!

文月:この「自分の意思をはっきりもってれば」という点が、藤井先生がキャラクターを造形するときに大事にしていた部分なのかなと。例え大人に怒られたとしても、自分の意思を曲げずに大切にする。そんな姿勢が主人公たちと重なりますよね。

あっこ:私は自分の中途半端さとか、自分の弱さ、不完全さにも胸を張るのが「ギャルマインド」だって思うかな。『GALS!』ではみほな先生が「小学生ギャルでも威張るべし!」って読者に向けて書いてるんだけど「これってギャルだしヒップホップ!」って思って。要するに成長過程で胸を張る、不完全でもできることをやってるってこと。性別に関係なく、みんなが持ってるマインドなんじゃないかな。

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